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ゴーギャン錬金術師展(Gauguin l'alchimiste) [☆彡Paris  展覧会]

(2017年9月15日から2018年1月22日まで グランパレにて開催)


パリのグランパレでの展覧会は、質が高くすばらしいので、今回、パリに行くと決めた時、
まず、「グランパレでは何を?」と調べた。ゴーギャン展!いつもグランパレの展覧会は
かなり並ぶので、日時指定のチケットをネットで購入しておいた。


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今回のゴーギャン展は、錬金術師というサブタイトルがついているように、絵画だけでなく、彫刻、陶器、
グラフィック、装飾芸術など多方面に渡るゴーギャンの作品が展示されていた。
制作技法や使用素材も説明され、ゴーギャンの創作活動の変遷がわかるようテーマ別になっていた。


第1室、ゴーギャンの年代記
1848年、パリに生まれる。父は国民派のジャーナリストで母方の祖母は有名な社会主義者であった。
     父が失職したため、
一家で母方の先祖の国、ペルーへ移住する航海の途中で
     
父が亡くなった。ペルーの伯父の家で4年間過ごす。
1854年、母は子供たちを連れて、フランスに戻り、父の実家のオルレアンに住む。
1865年、商船の乗組員となる。
1872年、母の知り合いの紹介で、パリの証券取引所に勤める。メッテと知り合い、翌年結婚
1874年、長男エミール誕生。1883年までに4人子供が誕生。
1876年、作品がサロンに入選。

1879年、第4回印象派展に出品。その後も出品したが、不評であった。
1882年、株が暴落。仕事もだめになり、絵も売れなくなる。

1884年、妻メットの国、デンマークに一家で移住するが、翌年、息子6歳を連れてパリに戻った。
            生活は困窮を極めた。
1886年、エルネスト・シャプレの工房で陶芸を始める。  
     7月、ブルターニュ地方のポン=タヴァンで数日過ごし、エミール・ベルナールに
             出会う。

1887年、フランス領マルティニック島へ行くが、そこでひどい病気になる。パリへ戻る。
     ゴッホの弟の画商テオが作品を買い、客を紹介してくれる。テオの兄フィンセント
             に会う。

1888年、アルルで数か月間、フィンセント・ゴッホと共同生活をする。
1891年、理想の楽園を求めてフランス領のタヒチ島に渡る。絵のモデルとなるタヒチの女性
     テハーマナと出会い、暮らす。

1893年、パリに戻るが、家族に受け入れられず、タヒチで描いた絵と彫刻も売れなかった。
           展覧会では、44点中11点が売れただけだったが、そのうち2点はドガが購入。
1894年、再びタヒチへ。タヒチの女性パウラと結婚、子供も生まれるが死去。
1896年、脚の痛みと鬱病で入院。前妻との長女死去の知らせを受け、失意のどん底へ。
1903年、死去


第2室 初期の作品

日曜画家としてスタートしたゴーギャンは、独学で学んでいた。
 「ゴーギャンの家の広間(カルセル街の画家の室内)」 1881年 オスロ国立美術館
中央に置かれた花が主役のように見えるが、後ろ姿の男はゴーギャン、オルガンを
弾いているのが妻。
妻の後ろの棚の上にある陶器の置物はゴーギャンの作品だろう。

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「眠っている子供」1884年 個人蔵
色の美しさが目をひく。印象派の時代。大きな木製のジョッキは、ゴーギャンの制作。

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「あら、ここにもドガのバレリーナがあるわよ。どうしてかしら?」と友達が言うので、
ふり返ってみると、ドガの「舞台上のバレエのリハーサル」だった。
絵の傍に、ドガの踊り子に刺激を受けて、ゴーギャンが制作した木彫の箱(扇入れ)があった。

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木彫で制作した2人の自分の子供の横顔を装飾として貼りつけたキャビネット(家具)もあった。
初期の頃の木彫作品で、「パリジェンヌ」という優美なシルエットのものがあり、後のタヒチの
女性の木彫とは大いに異なっていた。


独学のゴーギャンだったが、後半、ピサロに教えを受けた。お互いに描いたデッサン。
左がピサロが描いたゴーギャン、右はゴーギャンが描いたピサロ。
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第3室 ポン=タヴァン 色彩の時代

ゴーギャンは陶器も制作していたので、自作の壺を眺める友人シャルル・ラヴェルを描いた絵
「ラヴェルの横顔と静物」1886年 インディアナポリス美術館


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ゴーギャンは、エルネスト・シャプレの工房で陶芸を始めた。
陶芸家ブラックマンがシャプレを紹介してくれたのだった。
当時、ブラックマンとシャプレは、日本風の陶器に模様を彫り、エナメルで仕上げ、金で輪郭をとる
技法に凝っていた。ゴーギャンは鳥、羊飼いなどブルターニュの自然を取り入れたモチーフを使った。
「鳥(がん)とブドウ、葡萄の葉付きの枝で飾られた花瓶」1887年 サンタモニカ・ケルトン財団
シャプレとの合作。

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エミール・ベルナールと一緒に、マルティニック島からブルターニュに帰った時に制作。
装飾はブルターニュとマルティニックを折衷。
「地上の楽園」 1888年 戸棚101×120×60.5cm  シカゴ美術館

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1886年から度々訪れているブルターニュ地方の小さな村ポン=タヴァンでの生活は、
キャンプのようだったが、ゴーギャンにとっては自然があふfれた憩いの場だった。
当時のブルターニュの人々は、白い頭巾、白い襟の民族衣装を日常着にしていた。

「ブルターニュの3人の少女の輪舞」1886年 ワシントン・ナショナルギャラリー
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そして少年たちは、裸で水浴をしていた。
「ブルターニュの水を浴びる少年」 1888年 ハンブルグ美術館

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この絵には惹きつけられた。大胆な色づかいと構図。水の色と波の様子に日本画を感じた。
「浪間にて」1889年 クリーブランド美術館

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同じモチーフでの木彫に多色塗り、部分部分はクレヨンの塗り
「ミステリアスであれ」 1890年 オルセー美術館

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ゴッホに招かれ、アルルにも出かけた。
「アルルの洗濯女たち」1888年 ビルバオ(スペイン) 美術館
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2016年に東京都美術館で開催された「ゴッホとゴーギャン展」に来ていた
「アルル、葡萄の収穫(人間の悲劇)」1888年も展示されていたが、ブルターニュの衣装の
女性がアルルにいるとの解説だけだった。
ゴッホの耳切り事件のことは、一切書いてなかったので、ゴーギャンの創作活動全般に影響を
及ぼすものでなかったのだろう。


[晴れ][牡羊座]

第4室 「タヒチでの生活」
タヒチでゴーギャンは、14才のタヒチ女性テハーマナと暮らし、彼女をモデルに絵を描いた。
旧約聖書「創世記」、アダムとイブのエデンの園追放の話に興味を持っていたゴーギャンは、
パリで「異国風のイヴ(1890年)」という絵を描いていたが、タヒチに来てから、テハーマナを
モデルに描いた。エヴァはたくましく、色彩は強い。赤い羽根のあるトカゲが蛇の代わり。
リンゴの代りが白い綿毛のような花びらの花。
えーっと、この絵、どこで見たんだったけ?と思ったら、日本でした!
「かぐわしき大地」(テ・ナーヴェ・ナーヴェ・フェヌア) 1892年 倉敷 大原美術館
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1898年に、これを少し変えて、「イヴ」という木版画(和紙を使用)にしたものも展示されていた。


第5室 「タヒチの神話からの作品」

タヒチで長年、口述で受け継がれてきた儀礼の伝統をゴーギャンは絵に表現した。
タヒチの女性たちにつきまとう不気味な死者の霊、左端に死者の霊が見える。

ベットにうつぶせに横たわっているのは現地妻のテハーマナ
「死霊が見ている(マナオ・トゥババウ)」1892年 バッファロー市・オルブライト=ノックス美術

「テハーマナの祖先たち(メラヒ・メトゥア・ノ・テハーマナ)」 1893年 シカゴ美術館
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ゴーギャンは、「ノア・ノア」(かぐわしい香り)というタイトルの本を執筆した。
1891年から93年までのタヒチでの日常生活を挿し絵を入れながら記録した本である。
今回、本「ノア・ノア」の実物が展示されていた。

絵を売るためにパリに戻ったゴーギャンだが、絵はあまり売れず、再びタヒチに戻った。
文明社会に侵されていない色彩豊かなタヒチは、ゴーギャンにとって地上の楽園だった。

ナヴェ・ナヴェ・モエ(聖なる泉、甘い夢)1894年 エルミタージュ美術館
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この絵は、原始そのものでなく、形が単純化されていて色彩が明るく美しい。
装飾的になってきたのだろう。

陶製のタヒチの女神「オヴィリ」 1894年 オルセー美術館
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ゴーギャンの墓の横には彼の遺志に従い、「オヴィリ」のブロンズ像が置かれている。

 第6室 「自分の装飾で」
1901年、タヒチを去り、マルティニック諸島のヒヴァ・オア島に「快楽の家 (La Maison du Jouir)」
を建てた。
原始的な題材を追い求めたゴーギャンの集大成の家で、玄関口はゴーギャンの木彫で飾られている。
会場に再現したものが作られていた。


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装飾的な手法を追い求めた晩年。豊かな自然をとりいれた大きな絵が最後に展示されていた。
「ルペ・ルペ(果物取り)」 1899年 プーシキン美術館
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世界中の美術館から集めた全部で200点以上の展示は、見応えがあった。
ひとつのモチーフをいろいろに変化させる、木彫にしたり、陶器にしたり、版画にしたり、
という反復のようすが、よくわかる展覧会だった。
この記事を書きながら、ゴーギャンのパワフルな制作意欲に改めて感心した。


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よしあき・ギャラリー

色遣いに憧れます。
by よしあき・ギャラリー (2018-02-09 05:48) 

middrinn

タイトルに一瞬ドキっとさせられましたが、
ゴーギャンの多面的な活動を理解する上でも
興味深い展覧会のようで羨ましいです(^^)

by middrinn (2018-02-09 08:04) 

gillman

最近、日本では「ゴーガン」と言わせているようですが何となくピンと来ないなぁ。やっぱりゴーガンはゴーギャンでボスはボッシュじゃないとねぇ…
by gillman (2018-02-09 11:36) 

coco030705

こんばんは。
ゴーキャンの人生はかなり波乱万丈だったんですね、よくわかりました。いかにも天才芸術家の人生という感じです。
すばらしい作品ばかりですね。どれもこれも素敵ですが、私は「眠っている子供」の絵がとても気に入りました。ピサロとゴーギャンのお互いを描いたデッサンはとても珍しく貴重なものですね。「浪間にて」の絵と「ミステリアスであれ」の木彫も面白いです。タヒチを題材にした絵画はすべて好きです。とても魅力的な展覧会ですね。


by coco030705 (2018-02-09 22:34) 

Inatimy

パリの証券取引所・・・あの列柱の建物で働いてたんだ、と知ってびっくり。
一人だけデンマークから連れて戻った6歳の息子はどうなったんだろう・・・。
子育てしながらは大変ですよね。
今までゴッホの側からの視点のゴーギャンばかり見てきたので、
新たな面を知ることができました^^。
ゴーギャンってすごく手先が器用だったんですね。
木製ジョッキ、扇入れ、壺、花瓶、戸棚、木彫り・・・私は絵よりも、
こっちの方が好きかも。
by Inatimy (2018-02-09 22:47) 

TaekoLovesParis

nice&コメントありがとうございます。
▲よしあきさん、絵をお描きになるよしあきさんならでは、のコメントですね。私は晩年の色遣いが明るくて好きです。ナヴェ・ナヴェ・モエ(聖なる泉、甘い夢)の大地のピンク、大胆だけど、下品じゃない、長年、描いてたどりつくのでしょうね。

▲middrinnさん、「錬金術師」日本では、あまり使わない言葉ですね。
たくさん本を読んでいらして、ご自分の記事で言葉の使いかたが不適切な個所を指摘なさったりされるmiddrinnさんだから、どきっとなさったのでしょうね。ハリーポッター第1巻は「賢者の石」というタイトルでしたね。魔術学校にふさわしいタイトルと思いました。

▲gillmanさん、外来語の表記はその国での発音に近い表現にするという文科省からのお達しでしたね。私もゴーガンだと馴染みがないので、ゴーギャンにしました。ボス展といわれても、どこのボス?と思ってしまいます。ヒエロニムスをつけてもらえば、わかりますが。

by TaekoLovesParis (2018-02-10 00:50) 

TaekoLovesParis

nice&コメントありがとうございます。
▲cocoさん、ゴーギャンって独特の顔立ちだと思ったら、母方の先祖はペルー人だったんですね。母親がペルーの陶器を集めていて、それらを見て育ったので、素朴なタイプのものを制作したのかなと思いました。
「眠っている子供」青い背景の上に飛んでいるものが夢で見ているものなのかしら。私もいい絵だなと思いました。個人蔵のものは、見れる機会が少ないのが多いんですよ。貸し出さないから。
どれも魅力的で、特に最後の部屋、タヒチでの晩年の装飾的な絵は、大きいのが多く、見ごたえがありました。

▲Inatimyさん、パリの証券取引所、私は建物を知らないけれど、今も古いまま残ってるんですね。
私も1人だけ連れて帰る=育てる、できるのかしら?って思いました。
結局、息子は病気になったので、見かねたゴーギャンの姉が、お金を出してくれて寄宿舎に入ったのだそうです。
ゴッホにはゴッホなりの理由が、ゴーギャンにはゴーギャンなりの理由がある、って、それぞれの側からみるとわかりますね。耳切り事件に全く触れてなかったのは意外でした。
今まで、ゴーギャンの絵ばかり見てきて、陶器や木彫を余技くらいに思っていたら、どうして、どうして、ですよね。時間も情熱も注いでいたのだとわかりました。初期の作品では絵の中に、自作の陶器や木彫を登場させてますものね。
by TaekoLovesParis (2018-02-10 02:11) 

よしあき・ギャラリー

拙ブログへコメントいただきありがとうございます。
今度は自分のページのコメント欄が使えなくなりました。
杓子定規な対応で参っています。
対応に余分な時間を費やしています。
by よしあき・ギャラリー (2018-02-10 05:19) 

yk2

ゴーギャンとゴーガンもですが、ポン=タヴァンとポン=タヴェンも出版物に表記揺れがあって、フランス語なら正しくはゴーガンだろう、ポンタヴァンなんだろうと思いつつも自分でもごちゃ混ぜになっちゃって両方使ってる。例えば、いつかのブログにはゴーガンと書き、今回のtaekoねーさんのコメント欄にはゴーギャンと書いてる、みたいな(^^。
by yk2 (2018-02-11 09:39) 

アールグレイ

ゴーギャンというと、まずタヒチの絵が浮かんできますが
生涯を通すと作品の変移もわかりますね。
意外な作品に感じるものもあったりと、その才能の深さも推し量れます。
木彫りのものや陶芸なども素晴らしいものがありますね。
初期の頃の落ち着いた雰囲気の絵画も素敵ですね。
by アールグレイ (2018-02-12 00:21) 

TaekoLovesParis

nice&コメントありがとうございます.
▲yk2さん、ポン=タヴァンとポン=タヴェンも ゴーギャン、ゴーガンと同じなんですね。私は、ずっと、ポン=タヴェンって書いてたけど、また、間違って覚えちゃったんだわ、とあわてて書きなおしたんですよ。今のところ、両方OKなんですね。
私も自分の記事で、ルノワールをルノアールと書いてる所が何か所もあって、なおした覚えがあります。ルノアールだと、今は喫茶店の名前になってしまうから。

▲アールグレイさん、そうなんですよ。タヒチは人生後半なんです。でもタヒチの絵の印象が強いから、ゴーギャン=タヒチになってしまいますね。私も初期の頃の「眠っている子供」の絵が好きです。タヒチはタヒチでも、初期の頃と、晩年では、
晩年の方が洗練されて、私は好きです。回顧展だと生涯を見れるから、絵の移り変わりがわかって面白いです。木彫や陶芸がたくさん展示されていて、どれも素晴らしかったので、ゴーギャンに対するみかたが変わりました。


by TaekoLovesParis (2018-02-14 17:47) 

初夏(はつか)

「ナヴェ・ナヴェ・モエ」、とても美しいですね。
木彫りの作品も、魅力的。
そして「ヒヴァ・オア島」に、いつか行ってみたいです♪
by 初夏(はつか) (2018-02-17 15:43) 

TaekoLovesParis

初夏さん、「ナヴェ・ナヴェ・モエ」、えーっとどれだっけ?ってなってしまうのは、タヒチの言葉だと絵が思い浮かばないんです。私もこれ、好きです。紫の大地は時々見かけるけど、ピンクの地は珍しい。きれいですよね。ユリの花も添えられて。タヒチでも後半になってくると、女性がほっそりして洗練されて描かれてます。
ヒヴァ・オア島の快楽の家、見て見たいですね。そして、のーんびりしたい。
by TaekoLovesParis (2018-02-20 00:12) 

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