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映画「セザンヌと過ごした時間」 [映画 (美術関連)]

コロナでのオンライン仕事は終わり、出勤が始まったけれど、時差通勤
なので、ほっとしています。今日から県をまたいでの移動も可とのこと
ですが、復帰は徐々になんでしょうね。
梅雨に向かう季節、マスクは暑くて嫌だけど仕方ないですね。


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「セザンヌと過ごした時間」、原題は「Cezanne et Moi」セザンヌと私。
私=文学者のエミール・ゾラ 。ゾラをギヨーム・カネ、セザンヌを
ギヨーム・ガリエンヌという演技に定評のある2人が演じている。

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「セザンヌとゾラが同級生って知ってた?」ときかれたことがある。
さらにその時、「ゾラの小説、読んだことある?」「昔、読んだわ。居酒屋とか
テレーズ・ラカン」と答えたが、内容を覚えてない。
フランスの19世紀末を代表するような文豪と画家が昔から親友だったとは!

セザンヌは、南フランスのエクス=アン=プロヴァンス地方の裕福な銀行家の
息子。一方、ゾラの父はイタリア人のダム技術者だったが、ゾラが7才の時、
亡くなり、母子家庭で貧しく、学校で虐められていたのを1年上のセザンヌが助け、
仲良くなる。水遊びをしたり、ウサギを仕留めたり、自然の中での楽しそうな
少年時代。この辺りの映像が美しい。

18才でパリに出たゾラは、大手出版社(アシェット社)で働きながら、作家を
めざす。セザンヌも画家を目指してパリに出、サロンに挑む。
セザンヌに画家仲間が集まる居酒屋に
連れて来られたゾラは、美しいお針子の
ガブリエルを紹介される。
どぎまぎするゾラをよそ目に、セザンヌは、
「ガブリエル、俺の絵のモデルにならないか」と言う。
父からの仕送りで裕福なセザンヌ対貧しいゾラ。

しかし数年後には、
ゾラ(40才)は作家として成功。ガブリエルと結婚しパリ郊外に立派な家を
構えている。
セザンヌは絵がサロンに入選せず、故郷のエクスで過ごしていたが久しぶりに
ゾラを訪ねてくる。画家をモデルにしたゾラの新刊に対しセザンヌは、
「モデルは俺だろ。
取材費がいらなくて済んだな。あの本で俺を抹殺するつもりか」
と食ってかかる。
売れない画家生活が長く、偏屈になったセザンヌ。
ここで、過去に戻り、2人のそれまでの20年間が年代を追って描かれる。
父から送金をとめられたセザンヌは、故郷エクスで、光あふれる絵の制作に
没頭する日々だった。若いモデルのオルタンスと同棲し、子供もいるが、
厳格な父には内緒。
(オルタンスをモデルに絵を描くセザンヌ)
Cezanne et Olivia400.jpg
ようやくセザンヌの絵は、サロンに入選。
ゾラ夫妻や画家仲間とピクニックへ行ったりと楽しいひととき。
(マネの”草の上の昼食”が思い浮かぶようなシーン)
CezannnePicnic.jpg

ゾラ夫妻(右)とゾラの母、オルタンスと楽しいひととき。
セザンヌと450.jpg


入選はしたものの、セザンヌの絵は売れず、貧乏暮らしは続く。
小説が大ヒットしたゾラは美術評論も多く手掛けていた。世間から非難された印象派の絵や
マネの
「草の上の昼食」を擁護する文章を発表すると、セザンヌは(印象派とみられて
いるのに)「自分は印象派でなく、マネは嫌いだ」と言い放つ。小さい時からの
交流で、セザンヌのひねくれている所がわかっているから、ゾラは怒るよりもあきらめ顔。

2人は、しばしば文学対絵画の議論をする。
「夜中に起き上がって、赤を青に描きかえる苦しみが、きみにわかるか」
「僕も1語に苦しむ。駄文ではないかと悩む。きみは本を読まない。ただ批判する」
「文学と絵は共通点があるけれど、本は安いから売れる、絵は高い」
当時の画家たちが脇役で出てくるのが面白い。ピサロ、マネ、ルノワール、、。
会食の話題にも、バジールが戦争で亡くなったとか、メデュース号の筏とか、
語られる。

ゴッホの絵で有名な「タンギー爺さん」は絵の具を扱う画商で、セザンヌに
絵の具を融通してくれたり、絵を売る試みをしてくれた。
そして終に、画商ヴォラールが、買い手がたくさんいるから個展をしようと
150点の絵を高い値段で引き取ってくれた。セザンヌはヴォラールの肖像画を
描きながら、ゾラへの想いを語る。
「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」1899年

Cezanne_Ambroise_Vollard.jpg

ゾラは、「きみは横柄で喧嘩っぱやい。うんざりだよ。だから成功しない」
と歯に衣着せぬ言葉を投げたこともあったが、大抵は「きみは天才だから」
とセザンヌを励まし続け、資金援助もしていた。
2人は、お互いに家庭状況をわかっているので、家族のことについて語り合う
場面が、何回かあり、それがストーリーを盛り上げていた。

私は、このDVDを4回見た。2回見た後に、ゾラとセザンヌの実際の生涯をWiki
などで読み、そこで知ったことを考えながら見た。見る度にわかることがふえてくるし、
それぞれの人の気持もわかる。そして、ゾラとセザンヌ役の2人の演技がとても上手い
ことに改めて感心した。

<付録>
ゾラは美術評論でマネの絵をほめていた。
マネによる「エミール・ゾラの肖像」1868年

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coco030705

こんにちは。
セザンヌとゾラは親友だったのですね。原田マハの小説「ジヴェルニーの食卓」のなかの「タンギー爺さん」という章に、タンギー爺さんの娘がセザンヌに宛てた手紙という形式で、セザンヌとゾラのことも少し書かれていました。
映画の写真の、風景や人々が木の下に集まっているのが、とてもきれいだと思います。ポスターはセザンヌの絵を背景に、ゾラとセザンヌが一緒に居る姿。素敵ですね。
小説の中に、画商のアンブロワーズ・ヴォラールのことも出てきます。ただし、タンギー爺さんが亡くなった後、娘と母親が色々な画家が画材の代金の代わりに置いていった絵を競売にかけたシーンです。
ヴォラールは、セザンヌの絵を全部買ったと。タンギー爺さんがまだ生きていたころから出入りしていた彼は、爺さんにこれから一番のびる画家は誰かと聞いたら「ポール・セザンヌ。この画家はほんとうに特別なんだ。いつか必ず世間に認められる日が来る。世間が彼に追いつく日が」といったと、書かれています。
また機会がありましたら、この映画も観てみますね。
by coco030705 (2020-06-20 13:22) 

moz

この映画、Bunkamuraでやっていて、気になって見に行こうと思っていたのですが、行けませんでした。やっぱり素敵な映画みたいですね。えーっ、4回も見られたんですね @@; それだけ奥深い作品なんですね。ますます、興味津々になりました。
セザンヌとゾラが親友同士ってことも知らなかったです。こういう作品を見ると画家のことももつと知ることができて、よりその作品が理解できるようになるのかもしれません。
画家や作曲家で、まだまだその人となりを知らない人は沢山います。そう言えば、原田マハさんの一連の作品を読んで、印象派の画家たちのことを知り、モネが大好きになったことがありました。 ^^
by moz (2020-06-21 08:20) 

yk2

今回のtaeko先生の授業は、DVDで学ぶエミール・ゾラの『制作』の背景と、それを原因としたポール・セザンヌとの絶縁の真実、ってところですかね(笑)。

こう云う伝記小説的な映画で語られるストーリーって、どこまでが手紙などの文書や信頼出来る証言に記録された事実であって、何がフィクションなのか解らない。そんな事を気にしないで、シンプルにフランス映画として、人と人とのドラマとして観れば、悪くない映画だと思います。竹馬の友の役に立とうと友情を注ぐも、嫉妬や猜疑心から幾度も繰り返される対立に疲れて、嫌い、遠ざけようとして煩悶するゾラ。一方、ブルジョワ育ちのセザンヌが、ここではこんなにも挑発的で粗野で乱暴で・・・、ちょっと驚いちゃいますけどね(^^;。

ただ、僕は『ゴンクールの日記』を読んでるんで、そこでのゾラの書かれ様があまりに芳しくない(苦笑)ので、「一方聴いて沙汰するな」の精神(笑)でゆるーく観ました。真実は果たして・・・(^^。

by yk2 (2020-06-21 11:38) 

gillman

この映画観てみたいです。画家の伝記映画はいくつか観ていますが、作品の周辺を立体的に理解できる気もします。もっとも中には固定観念が付きすぎて…という場合もありますが。

ところで、ご指摘いただいたグルスキーの展覧会ぼくも行きましたが特にカミオカンデやスーパーマーケットなどの写真に衝撃をうけました。彼の画面の中を支配する「等価性」というものは深くぼくの心に刻まれています。
by gillman (2020-06-21 20:35) 

TaekoLovesParis

nice&コメントありがとうございます。
▲cocoさん、「ジヴェルニーの食卓」は読んだのですが、セザンヌのことが書いてあったのをすっかり忘れてました。もう一度、読みました。本に書かれている部分で、ゾラがいじめられた時のこと、リンゴを持ってセザンヌの家にお礼に行くところは映画でも、印象に残る良い場面でした。
本でも映画でも、ゾラとセザンヌは、「制作」という本を巡ってけんかになり、2度と会うことはなかったとなっていますが、実際は、2014年に発見されたこの数年後のセザンヌの手紙により親交は続いていたとわかったそうです。それを読んでほっとしました。けんか別れで終わるより、実はその後、仲直りしたという方が幸せな気持ちになれます。
この映画は、cocoさんのお好きな南仏、鷲の巣村の近くでの撮影が多く、明るい画面に自然の景色、緑の木々やサント・ヴィクトワール山が映えて、爽やかで美しい景色も見る価値があります。 おすすめです。

▲mozさん、私はいつもは何回も同じものを見ないのですが、これは、気になる箇所が多く、4回も、でした。いろいろな画家のことが会話の中に出てくるので、それが気になったり、初めは気にならなったパリコミューン、ドレフェス事件という時代背景もどういうふうに織りこまれているのか、セリフに注意しながら見たり、フランス語で気になる場面もあったりで、何回もになってしまいました。
mozさんは、原田マハのものは、ほとんど全部読んでいらっしゃるから、「ジヴェルニーの食卓」の『タンギー爺さん』と映画の比較も面白いと思います。

by TaekoLovesParis (2020-06-23 00:00) 

TaekoLovesParis


nice&コメントありがとうございます。
▲yk2さん、授業だなんて、いきなり、からかい口調で、やぁねー。
「yk2くん、正解です。エミール・ゾラの『制作』の背景と、、、その通りですよ。きみは、読書家ですね、先生も読んでいない『ゴンクールの日記』を読んでいるんですね。、、、」
小説でなく日記の場合は、真実が多いですよね。セザンヌも一癖あるけど、ゾラも、だったんですね。苦労して成功した生い立ちを考えると合点がいきます。でも、この映画は、「セザンヌと私」だからゾラびいきですね。

<ブルジョワ育ちのセザンヌが、ここではこんなにも挑発的で粗野で乱暴で・・・> → それが映画の面白さだと思いました。変化していく過程がわかる。初めは大らかさがありましたよ。くったくのない笑顔だった。それなのに、絵が認められないこと、貧しさから、どんどん背中も丸く頭もあがり貧相になっていく、妻にも「絵への愛だけで、私への愛がない」と攻められ、ますます意固地になっていく。絵自体も自分の納得のいくものができないから、いらいらする。その辺り、セザンヌ役のギヨーム・ガリエンヌは有名な舞台俳優だけあって実に上手い。
方やゾラは成功しているのだから、セザンヌは嫉妬心もわくでしょう。「俺の絵をほめる評論を書け」と言ってるのに書かないし。
端、端に出てくる当時のパリの様子、普仏戦争、次、パリ・コミューンという流れは会話のセリフで表現されているのが、映画として上手いなと思ました。ゾラは政治情勢で出版が延期、執筆仕事がないと嘆き、パリ蜂起のニュースを新聞で読むなり、事件が僕をよぶからと戻る。ジャーナリスト的仕事のゾラ対自然の景色を相手に仕事をするセザンヌとこれも対照的ですね。
yk2さんの”一方聴いて沙汰するな”コメントで、ゾラの方にスポットをあてて考えてみました。

最後、絵が売れるようになったセザンヌだけど、ゾラとのことが心にささり、哀れに思ってると字幕と共に、何種類かのサント・ヴィクトワール山の絵が順に映し出されるエンディングも良かったです。

▲guillmanさん、guillmanさんは「死と乙女」もご覧になってらっしゃいますものね。絵描きと絵の映画は、見ると、こういうふうにして絵が描かれたと作品への親しみが増しますね。絵描きはエキセントリックなことが多いけれど、その情熱がすばらしいものを生むのでしょう。
この映画はセザンヌだけでなく、互角にゾラも登場するので、物書きとしてのゾラの悩みも見え隠れしています。文学と絵画を比較しての論議も多々あるので、文章をかかれるguillmanさんには興味を持っていただけるかと思います。
やはり、グルスキーを意識なさっていらしたのですね。これからも情感のある写真を見せてくださいね。
by TaekoLovesParis (2020-06-23 13:55) 

Inatimy

ゾラの名は知ってるけれど作品は読んだことがない私・・・。でもこの映画が気になっていたのは、以前、パリのリュクサンブール美術館で「Cézanne et Paris」という展覧会に行った際に、"Paul Alexis lisant à Émile Zola"(ネットでの日本語題は、エミール・ゾラに新聞を読み聞かせるポール・アレクシス)の絵がなぜかすごく印象的で。ポール・アレクシスもまたゾラとセザンヌと同じエクス=アン=プロヴァンスの出身で、同じ学校(と言っても、ゾラとセザンヌが卒業した後)。パリでゾラと知り合って、セザンヌの絵画もたくさん持ってたそうで。 喧嘩したと言われてたセザンヌとゾラを結びつけたのもこの方だったとか。
映画のポスター、妙に明るく。原題が「セザンヌと私」だから、ゾラにはこんな風に見えてたのかしらね。予告編をちらっと見ましたが、自然の映像が綺麗ですよね。「太陽のないアトリエで描いた絵なんて!」って言ってる割には、セザンヌの絵って、光があまりない薄曇りって感じに思える私^^;。静物画も林檎かネクタリンかよくわからないところもなんか気になるし。
主役二人が同じ名前の役者さんというのも、ギヨームの綴りがGuillaumeと複雑だったんだというのもビックリ。
小さい頃から互いに知ってる仲って、知ってるからこそ大人になってからの相手の変化に過敏になったり、逆に本心が分かったり、完全に放っておけない、関わらずにはいられないっていうのもあるのかな。本当のところはその二人にしか分からないんでしょうけれどね。
by Inatimy (2020-06-23 18:22) 

TaekoLovesParis

Inatimyさん、いま、興味を持っているセザンヌの絵のことを教えてくださってありがとう。”Paul Alexis lisant à Émile Zola"”の絵は初めて見ました。
Paul Alexisも知らなかったです。調べたら、とても面白いサイトがありました。同じ時期に描かれたもの、Une lecture de Paul Alexis chez Zola (ゾラ宅でのPaul Alexisの読み聞かせ)1869-1870 という1枚と、そのためのデッサン2枚。lecture、、の描き方は、Une moderne Olympia – Le Pacha 1870ふう。これらの作品は、ゾラの「居酒屋」が売れる前で、パリのアパートでの貧乏暮らし時代。デッサン2枚から、どのように変化させて、油彩になったのかが説明してありました。ゾラが床に絨毯を敷いて座っているのは、オリエンタルな雰囲気にしたいというセザンヌの意図。(私には見えないけど)ゾラは、水タバコかアヘンのパイプを持ってて、アラブ風にするということは当時の小説家には特別のことではなかったんですって。lecture、、では、ゾラの部屋着と家具の色を揃えてる。

映画にも出てくるけど、黒い時計の絵は、2人の思い出の絵。
これら3枚の油彩画は、ゾラが持っていて、亡くなった後に2枚が売られ、 ”Paul Alexis lisant à Émile Zola”は、24年後、奥さんが亡くなった後に屋根裏部屋で発見されたんですって。きちんと包装され見つからないようにしてあったそう。特別のものだったのね。

https://www.societe-cezanne.fr/2016/10/06/zola-cezanne-et-paul-alexis/

エクスの木々、岩山、林の中の道、そよぐ風、自然のすばらしさを見せてくれる映画でした。映像が綺麗。女性監督で、ジャンレノ主演の「シェフと素顔と美味しい時間」の監督。
ギヨームは、アポリネールと同じだから、読めたけど、フランス語の名前は読みにくいものがあるわね。きょうtodayがaujourd'hui なのに、最初、びっくりだったけど。

<本当のところはその二人にしか分からないんでしょうけれどね。> →
その通りだと思うわ。
by TaekoLovesParis (2020-06-23 23:40) 

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