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ペレアスとメリザンド(新国立劇場) [オペラ、コンサート、バレエ]

pelleas_panf.jpg

なんで、こんなポスターなんだろう?
と思う人が多いと思う。前記事で紹介したように、メーテルリンク原作の
この作品では、メリザンドの長い髪というのが、大事なモチーフだった。
メリザンドに恋しても、兄嫁ゆえ触れることができないペレアスは、長い髪
の裾に口づけする。
19世紀末当時、男性を誘惑し破滅させる「ファム・ファタール(運命の女性)」
という言葉が流行し、文学や絵画の主題となった。ワイルドの「サロメ」が
その代表格でビアズリィの挿絵、ミュシャによって描かれたサラ・ベルナール主演の
舞台ポスターが評判になった。それらの女性は長い髪である。

「新制作」と書かれているように、今回の演出は、イギリス出身のケイティ・ミッチェル。
独自の感性と論理でのリアリティが評価されている。これは2016年に先鋭的なオペラの
上演で注目されているエクサンプロヴァンス音楽祭で初演されたもの。

新国立劇場では、芸術監督の大野和士が自ら指揮をし、東京フィルハーモニーの演奏。
大野は、ブリュッセル・モネ劇場やリヨン歌劇場でフランス・オペラを数多く手がけてきた
ので、新国立劇場着任以来、年1本はフランス・オペラを欠かさず企画している。
主役の3人は、有名劇場の舞台でその役を演じてきている人たち。
特にゴロー役は、エクサンプロヴァンス音楽祭にも出演し、ゴロー役に定評がある。

舞台装置は池の畔でもお城でもなく、現代の個人宅。2階建て。メリザンドは赤い服。
16年エクサンプロヴァンス音楽祭公演より [コピーライト]Patrick Berger/ArtComPressPelleas_Scene1.jpg

サイトでこの写真を見ていたので、驚きはしなかったが、馴染めない。
幕が開くと、寝室。白いウェディングドレス姿のメリザンドがベッドの上にいる。
そこへゴローが銃を持って、入ってくる。「えっ?出会いは森なのに、、泉はどこ?」
と思っているうちに話が進む。違和感の連続。
ドビュッシーの音楽だから、森や泉という自然の空気感がほしいのに、
この個人宅は。。。塔もなく、左隅にあるらせん階段が塔の役割らしい。
これでは「ウェストサイドストーリー」の舞台のよう。

ペレアスとメリザンドが待ち合わせる「盲目の泉」は庭のプール。
しかもメリザンドは超積極的。ファムファタルや妖精の雰囲気ゼロ。
Pelleas_Pool.jpg


さらに、メリザンドは食卓の上を傍若無人に歩いたり、ベッドに座ってるペレアスの
上に覆いかぶさったりと、行儀が悪い。奔放といえばいいのだろうか。いやいや、、。
現代に置き換えた演出といえど、私はすんなり受け入れられなかった。
最後に、この話は全部メリザンドの夢だったとわかる演出。
だから、最初の場面が寝室だったのだ。銃を持ったゴローが現れたのが夢の
始まり。黙役でメリザンドの分身が登場するが、ちょろちょろ動いて邪魔と
しか思えなかったが、これも夢だからの演出とわかり腑に落ちた。
同行の友だちが一回見ただけではわからないからと、今回2度目なのも納得。


しかし、音楽はすばらしかった。2012年版を見てから行ったので曲が頭に
残っていて、ドビュッシーの軽やかさに浸れる部分、心理的に盛り上げる
部分と緩急つけた演奏が心地よかった。
メリザンド役のカレン・ヴルシュ(ソプラノ)は、きれいな声のソプラノ。
同行の歌姫は、「声が足りない。もう少し大きな声が出ないと」と辛口。
演技部分が多いのだが、俳優なみにこなしていた。
ペレアスのベルナール・リヒター(テノール)は、ハンサム。柔和な顔立ち。
ゴロー役のロラン・ナウリはエクサンプロヴァンスでも同役を歌った人。
フランス一の迫力のあるバリトン。
日本人キャスト妻屋秀和、浜田理恵が、主役の3人に引け劣らず上手く、
自然体で役をこなしていた。


指揮:大野和士
演出:ケイティ・ミッチェル
美術:リジー・クラッチャン
衣裳:クロエ・ランフォード
照明:ジェイムズ・ファーンコム
振付:ジョセフ・アルフォード
演出補:ジル・リコ
舞台監督:髙橋尚史

ペレアス:ベルナール・リヒター
メリザンド:カレン・ヴルシュ
ゴロー:ロラン・ナウリ
アルケル:妻屋秀和
ジュヌヴィエーヴ:浜田理恵
イニョルド:九嶋香奈枝
医師:河野鉄平

合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団


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コメント 9

ナツパパ

たとえなザルツブルク音楽祭などを見ても、欧州のオペラ解釈は自由ですね。
過去にとらわれず、現代との接点を見つける姿勢は素敵と思います。
オペラは伝統芸能ではないぞ、ということなのでしょうか。
by ナツパパ (2022-07-22 09:26) 

TaekoLovesParis

ナツパパさん、オペラは作曲者がいて、音楽自体は変わらない。伝統が受け継がれます。でも、舞台装置などの演出は、変えられるから面白いです。最近は簡素な舞台装置が流行っていて、たとえばフィガロの結婚でも、昔は、舞台となる18世紀の伯爵の館は豪華な宮殿でしたが、最近は、館の室内といっても家具なし。舞台に大きな白い箱が2,3個あって、それを自由に移動させるというのもありました。演出で変わるので、新演出はいつの時代にも話題になりますが、私は、豪華絢爛な舞台が好きです。
by TaekoLovesParis (2022-07-22 10:28) 

angie17

なるほど~最後は彼女の夢だったという結末!
映画なら『もう一度最初から・』と振り返りやすいですが、
舞台はそこに足を運ばなくてはいけないので、2度観るのは大変ですね。
でも、それ自体が楽しみになるのでしょうね。
by angie17 (2022-07-22 12:30) 

yk2

想像してみました。
自宅の庭のプールにメリザンドが結婚指輪を捨てても、水を抜いて排水溝にでも流さない限りは、間違いなくゴローが潜って拾えちゃうでしょう。指輪が無くならないなら、この物語は成立しないのでは?。そこからどう話を繋げていくんだ~???。と、そう云う方向でとっても興味がそそられる演出にはなっていると思われます(笑)。

メリザンドが”お行儀ワル”にされているのはどうしてなのかも考えてみました。
原作を読む限りでは、メリザンドは意思表示や自己主張のハッキリしない不思議ちゃんタイプで、そもそもがファムファタル感が薄い、弱々しいキャラですよね。オトコの側からして「この女になら、滅ぼされたっていい!」ってくらいの破滅的な魅力、色香が伝わり難い。なので、行儀が悪くハスっ葉にして悪女に寄せることで、カルメンやマノンの様に分かりやすくファムファタル感を増量(笑)したかったのかもしれませんね(^^;。
by yk2 (2022-07-22 19:08) 

gillman

最後にもう一度バイロイト音楽祭に行きたいのですが、今年はやっと再開出来そうですがこちらが行けないです。3年前の切符は中止でキャンセルになり権利はあるのですが行使のしようがありません。
by gillman (2022-07-22 19:44) 

おと

夢オチだったんですね^^違和感を抱かせるのも演出のうちだった、ということなのでしょうか。2回見直したくなる設定、というのも面白いですね。オペラ、全然知らないのですが、生演奏ってやっぱり特別ですね。
by おと (2022-07-23 01:44) 

coco030705

新しいオペラの演出ってすごいですね。
現代の建物が舞台なんて、すごいなと思いました。やはり違和感はあるでしょうね。でも何十年か経ったら、それも馴染んでくるのでしょうか。

歌舞伎も、現代の舞台を使ってやってみたら、新鮮で面白いような気がします。若い人が見に来て観客がふえるのでは。でも上演する出しものは上演できないものも出てくるかしら。上司に忠誠を誓って自分の子供を犠牲にする話はだんだん通じなくなっていますから。

by coco030705 (2022-07-23 23:18) 

TaekoLovesParis

nice&コメントありがとうございます。
▲angieさん、オペラは値段も高いから、もう一度見るのは、ちょっと決心がいります。2度見た友達は、「音楽がいいから、2度見ても良かったけど、こういう解釈、納得いかない。変。」と憤慨してました。

▲yk2さん、たしかに~、プールじゃ指輪を容易く捜索できますね。そう考えると、なんでプールにしたんだろう?と疑問。指輪を見つけたゴローは、それを次に結婚する人にあげるのかしら。
これはメリザンドの夢なので、ファムファタルのような強烈キャラになりたいというメリザンドの欲求なのかしら。男から選ばれるのでなく自分から選びたい、自分の人生自分で選ぶという欲求。う~ん、妖精のようなメリザンドをいとおしく感じていただけに、この変身には戸惑います。

▲gillmanさん、それは、とっても残念ですね。ワーグナー好きにはたまらないバイロイト音楽祭。せっかくチケットを入手なさって準備万端だったのに、、コロナのせいですね。外出がままならない2年の間に体力が衰えますものね。今は飛行機がアラスカ周りでノンストップだから、機内にいる時間が長くて疲れるとききました。さらにワーグナーオペラは長いから、体力勝負。人生の後半にこんなパンデミックがあるとは、「神のみぞ知る」ですね。

▲おとさん、まさに「夢オチ」の手法そのものでした。3時間近くにわたって繰り広げられたことは全部夢?と狐に積ままれた状態でした。だから現代的解釈なんでしょうけど、とはいえ、なかなか納得がいきませんでした。

▲cocoさん、オペラの舞台での主役は歌と歌手ですが、やはり、それを引き立てるのは音楽と舞台装置だと思います。「誰も寝てはならぬ」というアリアが有名なトゥーランドット」という昔の中国が背景のオペラは、私が初めて見た数十年前は幕が開くと、絢爛豪華な紫禁城のセットでしたが、最近、階段や段差という高さを使った簡素で斬新な演出のもので上演されて評判になりました。この先、照明を活かしたもっと斬新なものも出てくるでしょうけれど、オリジナルの原作の時代を見せる演出だけは残るでしょうね。
歌舞伎「寺子屋」とか「熊谷陣屋」、わが子の首を身代わりに、、確かに今の時代では、考えられないですね。それでも泣けるのは、社会の仕組みが変わっても親子の情は不変だからでしょう。
by TaekoLovesParis (2022-07-24 16:41) 

coco030705

Taekoさん、本当におっしゃる通り、親子の情は不変ですね。「寺子屋」も「熊谷陣屋」もあんなに悲しい物語はありません。現代の芝居では、あれほど泣けるものは、なかなかありませんね。
by coco030705 (2022-07-24 23:11) 

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