吉原展 [展覧会(日本の絵)]
芸大美術館で開催中の「吉原展」に行った。
「歌舞伎が好きなあなたなら、絶対面白いはず」と浮世絵好きの
友達から誘われて行った。
吉原は、江戸時代、幕府公認の遊郭で、場所は浅草。浅草寺の北1キロ、
周りを堀に囲まれた横330m、奥行き250mの四角い閉ざされた場所だった。
四方を塀と堀に囲まれ、入口が大門ひとつだったので、遊女たちは
遊郭外に出ることができなかった。
「歌舞伎が好きなあなたなら、絶対面白いはず」と浮世絵好きの
友達から誘われて行った。
吉原は、江戸時代、幕府公認の遊郭で、場所は浅草。浅草寺の北1キロ、
周りを堀に囲まれた横330m、奥行き250mの四角い閉ざされた場所だった。
四方を塀と堀に囲まれ、入口が大門ひとつだったので、遊女たちは
遊郭外に出ることができなかった。
250年続いた江戸の吉原は、他の遊廓とは一線を画す格式と伝統を備えた場所で、
武士も刀を預けるしきたりを持ち、遊女たちは、古典、書道、茶道の教養を
身に着け、琴や三味線の芸事で客をもてなした。
歌舞伎の「助六」に出てくる三浦屋の「揚巻」、舞踊の演目にもなっている
「高尾大夫」(太夫とは、最高の格の遊女)らの美しさは浮世絵に描かれた。
武士も刀を預けるしきたりを持ち、遊女たちは、古典、書道、茶道の教養を
身に着け、琴や三味線の芸事で客をもてなした。
歌舞伎の「助六」に出てくる三浦屋の「揚巻」、舞踊の演目にもなっている
「高尾大夫」(太夫とは、最高の格の遊女)らの美しさは浮世絵に描かれた。
鳥文斎栄之「畧六花撰 喜撰法師」1796-1798年頃 大英博物館
鳥文斎栄之は、旗本の出身だが、寛政年間、歌麿に並ぶ美人画の人気浮世絵師
だった。今回、大英博物館から何枚もの浮世絵が里帰りをしているのが、本展
のウリ。どれも外国人に選ばれて購入されただけあって美しい。
だった。今回、大英博物館から何枚もの浮世絵が里帰りをしているのが、本展
のウリ。どれも外国人に選ばれて購入されただけあって美しい。
英一蝶(はなぶさいっちょう)の「吉原風俗絵巻」(写真無し)
絵巻なので横に長い。丹念に描かれ描写がみごと。実に多くの人が描かれて
いる。座敷で宴会が開かれ、男芸者(たいこもち)たちが笑い転げ、台所では
お膳の支度と、賑わいが伝わってくる。解説によると、英一蝶は客として吉原に
来ていたが、話術巧みなので、男芸者として人気があったが、客に迷惑を
かけた罪で三宅島に流された。島で吉原を思い出しながら描いた作品だそう。
さきほど、大夫は最高の格の遊女と書いたが、江戸中期には、大夫は減り、
絵巻なので横に長い。丹念に描かれ描写がみごと。実に多くの人が描かれて
いる。座敷で宴会が開かれ、男芸者(たいこもち)たちが笑い転げ、台所では
お膳の支度と、賑わいが伝わってくる。解説によると、英一蝶は客として吉原に
来ていたが、話術巧みなので、男芸者として人気があったが、客に迷惑を
かけた罪で三宅島に流された。島で吉原を思い出しながら描いた作品だそう。
さきほど、大夫は最高の格の遊女と書いたが、江戸中期には、大夫は減り、
高級遊女は花魁(おいらん)と呼ばれるようになった。
庶民は近づけない高峯の花の花魁てだが、花魁行列を見ることはできた。
禿(かむろ)という花魁見習いの子供や妹分の遊女を連れ、大名行列の
ように歩いて、茶屋にお客を迎えに行くのが花魁行列で、毎夕、行われていた。
花魁は帯を前に結ぶのが特徴。
勝川春潮「吉原仲の町図」1789~1801年 大英博物館
庶民は近づけない高峯の花の花魁てだが、花魁行列を見ることはできた。
禿(かむろ)という花魁見習いの子供や妹分の遊女を連れ、大名行列の
ように歩いて、茶屋にお客を迎えに行くのが花魁行列で、毎夕、行われていた。
花魁は帯を前に結ぶのが特徴。
勝川春潮「吉原仲の町図」1789~1801年 大英博物館
幕府公認は吉原だけであったにもかかわらず、非合法な遊女たちが江戸の各所
でみられ、吉原の利権を大いに脅かしたので、吉原は大掛かりな季節の催しを
でみられ、吉原の利権を大いに脅かしたので、吉原は大掛かりな季節の催しを
企画し、集客に努めた。春の桜、夏の玉菊灯籠、俄(にわか)が有名である。
春の桜のために、3月の間だけ桜が移植された。その賑わいを描いた大きな絵、
(横1.5m、縦1m)喜多川歌麿「花の吉原」米国コネチカット州ワズワース・
アテネウム美術館からの借り物が、緻密で色も美しくすばらしかった。いったい
ここに何人の人が描かれているのだろう。しかも一人、一人が美しい。
一部分が上の写真のチラシに使われている。
春の桜のために、3月の間だけ桜が移植された。その賑わいを描いた大きな絵、
(横1.5m、縦1m)喜多川歌麿「花の吉原」米国コネチカット州ワズワース・
アテネウム美術館からの借り物が、緻密で色も美しくすばらしかった。いったい
ここに何人の人が描かれているのだろう。しかも一人、一人が美しい。
一部分が上の写真のチラシに使われている。
歌川国貞「美人合 俄」1818~30年 山口県立萩美術館
俄は、即興芝居のこと。
俄は、即興芝居のこと。
3月にだけ桜を移植、生け垣を作り、ボケの花をあしらうなど、花見は
非日常で贅沢な演出だったので、多くの庶民が、吉原見物に出かけた。
各店が25歳で亡くなった花魁「玉菊」の供養で灯篭を飾る「玉菊灯籠」
も華やかで夏の風物詩となった。そうした吉原の様子が浮世絵師たちに
よって描かれ、江戸の文化となり伝承されていく。
遊女の一日を時間ごとに描いた喜多川歌麿の十二枚の作品がわかりやすく
美しく面白かった。「青楼十二時 続卯の刻」から始まり、寅の刻まで、
十二支での時刻ごとの遊女の身支度の場面の浮世絵。身の回りの世話を
する禿の姿がかわいい。
非日常で贅沢な演出だったので、多くの庶民が、吉原見物に出かけた。
各店が25歳で亡くなった花魁「玉菊」の供養で灯篭を飾る「玉菊灯籠」
も華やかで夏の風物詩となった。そうした吉原の様子が浮世絵師たちに
よって描かれ、江戸の文化となり伝承されていく。
遊女の一日を時間ごとに描いた喜多川歌麿の十二枚の作品がわかりやすく
美しく面白かった。「青楼十二時 続卯の刻」から始まり、寅の刻まで、
十二支での時刻ごとの遊女の身支度の場面の浮世絵。身の回りの世話を
する禿の姿がかわいい。
こんな格好でも優雅。歌麿が遊女を描いた美人画浮世絵は、大人気だった。
「青楼七小町 玉屋内花紫」1794年頃 千葉美術館
「青楼七小町 玉屋内花紫」1794年頃 千葉美術館
絵師である姫路藩主の弟・酒井抱一は吉原の大文字屋の「香川」を身請けし、
台東区根岸の家で一緒に住み、創作に励んだ。「遊女と禿図」「吉原月次風俗図」
が展示され、抱一画、香川が書の合作「紅梅図」のパネルもあった。
台東区根岸の家で一緒に住み、創作に励んだ。「遊女と禿図」「吉原月次風俗図」
が展示され、抱一画、香川が書の合作「紅梅図」のパネルもあった。
おや、見たことがあるネコの絵。歌川廣重「浅草田甫酉の町詣」 江戸名所百景より 1857年
遠くに富士山、前に広がるのは吉原田んぼ。向こうに鷲大明神社の「酉の市」へ
参る人々の列が描かれている。よく見ると熊手を担いでる人がいるそうだ。
畳の上に女性のかんざしが置かれていることから、ここは吉原と想像できる。
遠くに富士山、前に広がるのは吉原田んぼ。向こうに鷲大明神社の「酉の市」へ
参る人々の列が描かれている。よく見ると熊手を担いでる人がいるそうだ。
畳の上に女性のかんざしが置かれていることから、ここは吉原と想像できる。
吉原は明治時代になっても、続いていた。
高橋由一は西洋画で花魁を描いた「花魁」1872年
修復されて初公開。
高橋由一は西洋画で花魁を描いた「花魁」1872年
修復されて初公開。
一度見たら忘れられない絵。かんざしのせいか、花魁が中年だからか。
着物の模様も浮かびあがるほどに立体感がある。
河鍋暁斎「文読む美人図」1888年
帯無し、髪も結い上げる前でくつろぐ姿。着物と髪型で遊女とわかる。
最後に辻村寿三郎制作の人形と吉原の模型があり、ここだけ撮影可だった。
予想以上に面白く、江戸の文化を知ることができ、良い展覧会だった。
着物の模様も浮かびあがるほどに立体感がある。
河鍋暁斎「文読む美人図」1888年
帯無し、髪も結い上げる前でくつろぐ姿。着物と髪型で遊女とわかる。
最後に辻村寿三郎制作の人形と吉原の模型があり、ここだけ撮影可だった。
予想以上に面白く、江戸の文化を知ることができ、良い展覧会だった。
最初にいきなり「江戸の吉原遊廓は現代では存在せず、今後も出現することはありません。」
と書いてあって、?と思ったら、女性の人権侵害と言われるのを恐れてのことだそう。
と書いてあって、?と思ったら、女性の人権侵害と言われるのを恐れてのことだそう。
*参考
開幕前日に行われた報道内覧会では、本展学術顧問である法政大学名誉教授の田中優子によるステイトメント「『大吉原展』開催にあたって:吉原と女性の人権」が配布された。
田中はステイトメントにおいて「遊廓を考えるにあたっては、このような日本文化の集積地、発信地としての性格と、それが売春を基盤としていたという事実の、その両方を同時に理解しなければならない、と思っています。そのどちらか一方の理由によって、もう一方の事実が覆い隠されてはならない、と思います。本展覧会は、その両方を直視するための展覧会です」とし、4月から施行される「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律(女性支援新法)」が売春する女性への扱いを「更生」から「福祉」へスタンスを変える法改正であるものの、いまだ女性だけが罪を問われる一方的な状況に対し「この展覧会をきっかけに、そのような今後の、女性の人権獲得のための法律制定にも、皆様に大いに関心を持っていただきたい」と発信している。なお、展示の内容はもとの予定から変更はない。
浅草田甫酉の町詣の外を見ているニャンコの絵大好きです。
高橋由一の絵は、写実的でインパクトありますねー。
ホント忘れないです。
参考の話。
人間世界は複雑ですね。
最近、幼稚園児くらいからの具体的な性教育のあり方の意見とか見て、正直エグいなぁと思ったり
少子化対策と逆行しそうな感じもあったり。
by ふにゃいの (2024-05-12 09:39)
西洋画の花魁、パッと見た時に西太后かと思いました。
by いっぷく (2024-05-12 22:12)
鳥文斎栄之「畧六花撰 喜撰法師」の絵、パッと見た時、手に持ってるのがサブウェイのサンドイッチとあんまんに見えて^^;。よく見ると貝合わせだったんですね。
歌麿の「青楼七小町 玉屋内花紫」は、右にある植物が気になるところ。
植木鉢も脚付でおしゃれだし。
歌川廣重「浅草田甫酉の町詣」の猫のは、私はジヴェルニーのモネの家で知ったという。
ポストカード買いました。猫のいる窓の下の壁に模様がスズメ(?)というのも可愛らしく。
花魁の髪、かんざし、櫛、こうがい、いろいろ差してて数もすごいですね。
重そうです^^;。
by Inatimy (2024-05-13 16:58)
先日、昭和4年生まれの義理のお母さんから、お母さんが小さな頃に住んでいた家(松坂)の近くにあった遊郭の話を聞いたばかりで、場所は違えど、なんだかタイムリーです。義理の祖母は、髪結いを仕事にしていたそうで、注文通りの髪を結いあげたかつらを作って、届けていたそう。
浮世絵、美しいですね。
by おと (2024-05-13 21:52)
そうねえ、今の目線からの批判は必要なのかもしれませんねえ。
でも、江戸期のあれこれはその時代のことなので、うーん、なんとも難しいなあ。
吉原の、辻村ジュサブロウさんの模型は見てみたいなあ。
by ナツパパ (2024-05-14 10:51)
僕は抱一が好きなので、彼に関する書籍は結構手に入れて目を通してますが、香川(小鸞女史)がいかに才子佳人で在ったかは、どの本でも大抵もれなく取り上げられている気がします。そこで良く二人の共作として紹介されているのが、taekoねーさんも文中で書いておられる『紅梅図(もしくは墨梅図)』。抱一の洒脱な梅図に添えられた小鸞女子の賛って、、何と七言絶句の漢詩なんですよね。吉原の上流向け遊郭では一体遊女に対してどんな教育を行っていたんだろう(^^;。教養に溢れ過ぎてて、もはや恐ろしささえ感じてしまいます。
by yk2 (2024-05-17 02:01)
こんばんは。
「吉原展」いい展覧会ですね。吉原の文化が独特のものだというのが、よくわかります。そして、太夫になるには、高い教養と美しさが必要だった。
なるほどと思います。そうでなければ、教養のある地位の高い男性は射止められないでしょうから。会話が大事ですものね。
面白い文化ですね。
女性問題がどうのと言い出すと、こういう文化は語れなくなりますね。切り離して考えないと。
ネコの絵。歌川廣重「浅草田甫酉の町詣」は、大阪で、猫に特化した浮世絵展という面白いのをやっていた時に、観ました。絵葉書もかいましたよ。
by coco030705 (2024-05-17 23:47)
お返事が遅くてすみません。
▲ふにゃいのさん、人間はいない、ネコが主役という絵は珍しいですよね。しかも読み解けるように、いろいろな小道具が使われているという辺りが文化なんでしょうね。私も小さい子に、きかれてもいないのに性のことを教えるのには反対です。変に興味を持って偏っても困る。何より相手が嫌がることをしない、というのが基本だと思うし、豊かな人生を送れるよう音楽や美術なども大切ですよね。
▲いっぷくさん、この堂々の貫禄は、西太后、、なるほどです。(笑)
▲Inatimyさん、貝の裏側の絵が色が鮮明でないから、サンドイッチに見えてしまったのね(笑)。貝合わせをご存じだったのね。左上の百人一首、坊主が描かれてるから喜撰法師の有名な「我庵は、、鹿ぞ住む よを宇次山と人はゆふなり」です。
歌麿の玉屋の花紫を描いた絵の植木鉢は、小道具として、おしゃれですね。
廣重のネコは、モネのジヴェルニーの家にかかっていたんですか。モネにも注目された浮世絵だったんですね。
年取った花魁ほどたくさん、「櫛、笄、かんざし」を挿すのかなと思ったり。。
▲おとさん、ナツパパさん、yk2さん、cocoさん、明日、お返事しますね。
by TaekoLovesParis (2024-05-19 00:29)
続きです。
▲おとさん、松阪にも遊郭があったんですね。なぜ松阪?と気になったので、調べてみたら、お伊勢参りの玄関口として宿場女郎がいて、遊郭もあったのですね。展覧会の浮世絵に、歌麿が遊女の一日を時間ごとに描いたものがあったのですが、髪の手入れに1時間かかっていたそうです。髪は1か月に一回しか洗わないので、毎日、丁寧に櫛をいれ、埃を取り、禿に手伝わせて手入れをする絵がありました。まだかつらがなかった時代ですね。
▲ナツパパさん、思わず食いしん坊のナツパパさん、と書きそうになってしまいました、って書いてるけど(笑)。こんな時代もあったというふうに捉えればいいんだと思います。だから独特の文化が発達してわけで。今、TVでやっている紫式部を題材にした大河ドラマで、紫式部は父君に習って漢詩を読み書きできたので、藤原道長と漢詩を詠みこんだ手紙のやりとりをしても、読めて内容までわかる人が少ないので、恋を秘密にできたという件もあり。江戸時代になっても、高級な遊女は漢詩の教養があったそうで、現代の私たちよりすごい、です。
▲yk2さん、専門的知識をいっぱいご存じでいつも感心しています。興味深い話でした。上級武士が出入りする店の大夫や花魁のお付きの子供=禿が、小さい時から、花魁を目指して学ぶので、年月をかけて得る教養なんですよね。
小鸞女子も禿出身だったのかしら。それとも特別頭のいい人だったのかしら。
▲cocoさん、会話がだいじ、その通りなんですよ。客の武士が言ったことに対し、機知にとんだ言葉で返してきたという話の内容が書いてありましたが、
裏に深い意味がある掛詞が秘められていて、なるほど~と感心しました。一朝一夕に身に着くようなものではない深さを感じました。
江戸時代であって現代とは違うのだから、女性の人権と目くじらをたてる必要はないと思うのですが。。。
cocoさん、やはり、広重のネコの浮世絵の絵葉書、お買いになったのですね。(買わないはずがない、ですよね)
by TaekoLovesParis (2024-05-20 00:04)
Taekoさん
ご明察でございます。(=^・^=)
by coco030705 (2024-05-22 07:12)