ピカソ美術館・パリ [☆彡Paris 美術館]
食べ物の話が続いたので、今回は3月に行ったパリ「ピカソ美術館」の記事で。
ピカソ美術館は、17世紀の貴族の館を改修したものなので、門を入ると石畳みの
広い馬車回しになっていて城館の入口のよう。建物は3階建て。
柱や壁のレリーフは往時のままで、天井や階段の手すり、床のモザイクが美しい。
広い馬車回しになっていて城館の入口のよう。建物は3階建て。
柱や壁のレリーフは往時のままで、天井や階段の手すり、床のモザイクが美しい。
所蔵作品は5,000点と多いので、毎回、何かのテーマに従っての展示をしている。
今回は、2027年3月12日まで「La collection Revoir Picasso」(作品を見直そう)
ピカソは1881年、スペインマラガの生まれ。
画家の父から絵の手ほどきをうけ、16歳でマドリッドの「全国美術展」で金賞をとるほど、
早熟の天才だった。1900年にパリに移住。翌年には画商ヴォラールが個展を開催してくれた。
画風から1904年までは、青の時代、1906年まではバラ色の時代と呼ばれる。
「自画像」1906年
1907年からアフリカ彫刻の時代、1909年からはキュビズムの時代である。
「ギター」1913年 ギター、新聞、水差し、トランプのエースの静物画
1917年からは新古典主義の時代。イタリアを訪れ、古典美術の素晴らしさに寝覚める。
ピカソは付き合う女性によって画風が変わっていくことでも有名。
キュビズムの時代の彼女の肖像画は、キュビズムで描かれていた。
1918年ロシアバレエ団の団員で、貴族でお金持ちの美人オルガと結婚。
オルガが「私を描くなら、私とわかるように描くこと」と言ったので写実に近い。
「ひじ掛け椅子にすわるオルガの肖像」1918年
2人の間には、ポールという子供が生まれた。
「アルルカンに扮したポール」1924年
椅子の脚やポールの足がデッサンのままだが完成品。
上流階級のオルガと結婚の後、華やかな生活をしたが、次第に飽き、10年後、
46歳の時、17歳のマリーテレーズを愛人にした。
「マリー・テレーズの肖像」1937年
「アルルカンに扮したポール」1924年
椅子の脚やポールの足がデッサンのままだが完成品。
上流階級のオルガと結婚の後、華やかな生活をしたが、次第に飽き、10年後、
46歳の時、17歳のマリーテレーズを愛人にした。
「マリー・テレーズの肖像」1937年
同時進行で写真家ドラ・マールも愛人だった。
「泣く女」シリーズは、ドラ・マールがモデル。
「泣く女」シリーズは、ドラ・マールがモデル。
1925年からピカソの画風はシュルレアリスムの時代で、人体をデフォルメする。
「海辺の人体」1931年
1943年には、22歳の画学生フランソワーズ・ジローを愛人とし、
2人子供が生まれる。
「おもちゃのトラックで遊ぶ子供」背景もかわいらしい。
「海辺の人体」1931年
1943年には、22歳の画学生フランソワーズ・ジローを愛人とし、
2人子供が生まれる。
「おもちゃのトラックで遊ぶ子供」背景もかわいらしい。
「ボールで遊ぶクロードとパロマ」
パロマ・ピカソは、のちにティファニーのデザイナーとして名を成した。
パロマ・ピカソは、のちにティファニーのデザイナーとして名を成した。
フランソワーズ・ジローは、南仏アンティーヴで、ピカソが陶芸制作をしている間、
自分の個展に向けて絵画制作を続けた。
「プロヴァンス風キッチン」 ピカソ似だが細く整然とした線がジローらしさか、と思う。
ピカソは絵画の他に陶芸だけでなく、紙での仕事(ペーパーワーク)、彫刻も手掛けた。
「高い、高い!」と子供を持ち上げ、遊ばせる母親。実物大の紙作品。
「高い、高い!」と子供を持ち上げ、遊ばせる母親。実物大の紙作品。
フランソワーズ・ジローが2人の子供を連れて出て行った後、ピカソを支えたのは、
若いジャクリーヌ・ロックだった。籍が入ったままだったオルガが亡くなり、結婚
できるようになったピカソは80才でジャクリーヌと結婚。91才で亡くなるまで一緒に
暮らした。
「腕を組むジャクリーヌ」1953年 (右上)
若いジャクリーヌ・ロックだった。籍が入ったままだったオルガが亡くなり、結婚
できるようになったピカソは80才でジャクリーヌと結婚。91才で亡くなるまで一緒に
暮らした。
「腕を組むジャクリーヌ」1953年 (右上)
↑ は牧神パン。
ドビュッシーの「牧神たちの午後への前奏曲」に1912年ロシアバレエ団のニジンスキーが
振り付けをして公演した。これにピカソがかかわったかはわからないが、
「牧神パンの笛」1923年 は名作である。新古典主義で描かれ背景はアンティーブの海。
ドビュッシーの「牧神たちの午後への前奏曲」に1912年ロシアバレエ団のニジンスキーが
振り付けをして公演した。これにピカソがかかわったかはわからないが、
「牧神パンの笛」1923年 は名作である。新古典主義で描かれ背景はアンティーブの海。
1923年、ロシアバレエ団の公演「パラード」は、サティの曲、ジャン・コクトー台本、
衣装・舞台装置ピカソで行われ、のちに妻となるダンサーのオルガとピカソは出会った。
制作をするピカソのようす、画風のちがうものが2つ並べられていて面白い。
左:「手にパレットを持つアーティスト」 右:「キャンバスの前のアーティスト」
ピカソは、彫刻作品もいろいろと制作している。
ニューヨークの近代美術館では、「ピカソの彫刻展」という彫刻に限定した展覧会が
開催されたことがある。
「羊を抱く男」1943年
今回、「ピカソ美術館に行きたいわ」と言い出したのは、E子だった。
「昨年、フランソワーズ・ジローが101才で亡くなったのよ。私たち、昔、
『ピカソとの日々』っていう本、読んだじゃない。で、懐かしくなって、本、
買ったのよ。あるわよ、そこに」 と言われてもフランス語じゃ簡単に読めない。
「昨年、フランソワーズ・ジローが101才で亡くなったのよ。私たち、昔、
『ピカソとの日々』っていう本、読んだじゃない。で、懐かしくなって、本、
買ったのよ。あるわよ、そこに」 と言われてもフランス語じゃ簡単に読めない。
ピカソは、間違いなく類い希なる才能に恵まれた画家だったんでしょうけど、女性関係的な部分では、なんだかな~~~なハナシばっかりで(苦笑)。
こんなふうに並べられると、彼の画風の変遷がよく分かりますね。僕はやっぱりピカソのデッサンの巧みさが見た目そのままに理解しやすい『ひじ掛け椅子にすわるオルガの肖像』が好みかな。時代的にもアングルふうだし。
コクトーのバレエ、サティが音楽担当だったんですよねぇ。ピカソのアート・ディレクション含め、かなりアヴァンギャルドな舞台だった様なハナシを、その昔に本で読んだ記憶があります。音楽の評判は散々で、サティは批評家連中と大げんかして裁判沙汰に。最終的には8日間の禁固刑にまでなった曰く付きの作品だったそうで(^^;。
by yk2 (2024-08-19 23:33)
ピカソは私にとって夢の世界です。
by よしあき・ギャラリー (2024-08-20 04:41)
その時代での作風の変わり方で、
いかにピカソが天才だったか分かりますね。
オルガの肖像、素敵です!
by angie17 (2024-08-20 13:42)
あ、行ったことのある美術館のお話で、嬉しいです♪
女性関係、すごいですよね。自殺した方も。。でも、天才ですね。
「マリー・テレーズの肖像」の、眼鏡ケースを使っています^^
by おと (2024-08-20 19:48)
nice&コメントありがとうございます。
▲yk2さん、ピカソ美術館で買った4ユーロの本 " l'ABC daire de Picasso"が
作品の写真が多くわかりやすかったので、ようやく作品の時代変遷がわかるようになりました。yk2さんがお好きな「白い服の女」1923年 はオルガがモデル。妻オルガがいたけれど、若いマリー・テレーズに出会い、「モデルになってほしい」と頼んだ。新古典主義から離れ色彩が明るくなっていきます。形はどんどん崩れていくけど。ピカソは女性に対して支配的で飽きると捨てるけれど、フランソワーズ・ジローだけは捨てられた。だから著作「ピカソとの生活」が面白いのです。
私も絵としては、写実に近いほうが、美しく女性を描いてる方が好きです。
「パラード」は、そんな物議をかもした公演だったのですね。そのうえ、サティが8日間の禁固刑とは、、サティの軽妙でおしゃれなメロディからは想像できないわ。
▲よしあきさんは、ピカソのどの作品がお好きなのかしら。
▲angieさん、がらっ、がらっと作風が変わるためには、女性を変えないと、だったのですね。美しい貴族の女性をモデルに、鼻が2つはダメでしょう。
▲おとさん、以前、ピカソ美術館で見た展覧会は、「ピカソの1932年」。
絵の数も多く充実した年だったからです。モデルはもちろんマリー・テレーズ。「マリー・テレーズの肖像」綺麗な色づかいで若くかわいいですね。グッズに使われるのもわかります。メガネケース、思わず手に取って買っちゃいそう。
by TaekoLovesParis (2024-08-21 01:04)
ぼんじゅ~る♪
Taekoさん、おひさしぶりでございます!(^^)v
マリー・テレーズを描いた作品が大好き♪
まとまったかたちで観たいな~(^_^)/
by りゅう (2024-08-21 13:59)
夜だから、ぼんそわーる。
元気に暮らしてたようでよかったです。
マリーテレーズ、かわいいですよね。ピカソが心変わりしてしまったのもわかります。マリーテレーズ中心で見るには、りゅうさん、パリのピカソ美術館へ行かないと。
by TaekoLovesParis (2024-08-22 00:26)
「牧神パンの笛」1923年、「海辺の人体」1931年の2つを見て、ピカソ、海、2人・・・なんかそんな感じの観たようなと、気になって調べて、スッキリ。
ニューヨーク近代美術館の「浜辺を走る二人の女性」1922年でした^^。
その美術館には実際に行ったことはないけれど、たぶん以前にネットで見かけたんだと。
ピカソ、海が好きなんだな。でも、この3枚の絵、同じ人物が描いたとは思えない画風の違い・・・。
by Inatimy (2024-08-22 06:17)
Iatimyさん、私も「牧神パンの笛」に、<名作である。新古典主義で描かれ背景はアンティーブの海。>と書きながら、「海辺(浜辺)を走る二人の女」でも、この文章がそのままあてはまると思ってました。「アヴィニオンの娘たち」をNYの近代美術館で見たけれど、「海辺(浜辺)を走る二人の女」もNY近美だったんですね。ピカソは光あふれる地中海が好きだから、アンティーブにも家を持っていてアトリエもあって、今はピカソ美術館になってます。だいぶ前になるけど、訪ねて行ったのですが、臨時休館期間で閉まってました。でも、その小高い丘の上から見える地中海は絵で見てる景色と同じで水の色が蒼く曇ってる日でしたが、晴れてたら素晴らしいだろうなと想像できました。
by TaekoLovesParis (2024-08-23 00:05)
こんばんは。
ピカソ美術館、すばらしい建物ですね。行ってみたいです。
最初の奥様、オルガはすごい美人ですね。でも彼女だけではピカソの情熱をかかえきれなかったのでしょうね。ピカソの情熱は、作品にも女性への愛情にも、あふれかえっていたのかしらと思いました。
私は子供の「ポール」の絵と、「おもちゃのトラックで遊ぶ子供」が好きです。
ところで、8月21日から2泊3日で、友達と久々に東京へ行って参りました。
初日は、8月の納涼歌舞伎第2部を観ました。「髪結新三」と「艶紅つぎきのふつつか」(舞踊)でした。勘九郎、七之助、幸四郎以下、いい役者が揃っていました。セリフ劇で面白かったです。次の舞踊は、夏らしい衣装や小物を使った踊りですが、ストーリーがなくただきれいなだけで、退屈な感じです。お帰りになった方の空席が目立ちました。
このあと、なんと!Taekoさんが行かれた銀座三越の上の「桃谷楼」へ行って、同じコースを食べました。とても美味しかったです。お味がやはりいいですね。最後は五目冷やし中華と杏仁豆腐でした。
あと2日は、美術館2軒と寄席にも行きました。また記事をアップします。
by coco030705 (2024-08-25 01:01)
cocoさん、以前にあべのハルカスで「ピカソ展、天才の秘密」をご覧になった時、リンクをつけさせていただきましたね。青の時代、バラ色の時代が充実している展覧会でしたね。
歌舞伎を見にいらしたんですね。コロナ前はたびたびいらしてましたものね。
8月は一日3回公演だから、気軽に出かけられたことでしょう。演目も役者も良くてよかったですね。踊りがちょっと残念だったのも、「桃谷楼」のごはんで機嫌をなおせましたね。美術館の記事を楽しみにしてます。
by TaekoLovesParis (2024-08-25 18:34)