大琳派展 [展覧会(日本の絵)]
前記事のピサロ展のあと、「都路里」で抹茶パフェを食べながら、ピサロの余韻を
楽しむはずが、和の抹茶だったせいか、思い浮かぶのは、先日見た大琳派展のことばかり。
「気になるんだから行こう!」 すぐ席をたって、雨模様だったけれど上野に向かった。
この建物が、大琳派展会場の国立博物館「平成館」。谷口吉夫の設計。
私が着いたのは、3時頃だったので、帰る人ばかり。
建物に近づくと、紗のブラインドに後ろの「表慶館」が映り込んでいて、いい感じ。
表慶館は明治42年の洋風建築で重要文化財。
広ーい展示室。部屋を囲む前、後、左、右の陳列ケースに、それぞれ大きな
6曲3隻の金屏風が展示されている。圧巻!
①月に秋草図屏風 (伝・宗達)
前に来たときは、「わっ、きれい」とか「あんな花がある」「この月は?」と、
はしゃいで見たけれど、2回目の今回は、450年前の作品の前にいるという畏怖感。
厳粛な気持ちすら覚えた。雨の夕方、会場も人がまばらで静か。
② 桜芥子襖図 (伝 宗達)
満開の桜に目を奪われる。下に配置されたアザミ、芥子(けし)の鮮やかさが白い桜
をいっそう引き立てている。
琳派の創始者は、書家の本阿弥光悦(1558~1637)。関が原の戦いの時代。
俵屋宗達は、光悦の書の下絵を描いていて、才能が注目された。
徳川2代将軍秀忠の正室が、実父の供養の京都の寺「養源院」を再建する際、
将軍家の御用達の狩野派の絵師たちに障壁画を、新進気鋭の宗達に杉戸の絵
と襖絵を依頼した。
白い象は、霊獣で霊廟を守る役目。二枚対の戸の一枚づつに一頭の大きな象が
描かれていて、不気味な迫力に圧倒される。
裏側の唐獅子の図も魔よけの効果十分、おどろどろしく描かれていた。
③白象図杉戸
白象図杉戸、襖絵の成功で、宗達に注文がたくさん来るようになる。
建仁寺のためには、「風神雷神図屏風」を描いた。
「養源院」の近くの三十三間堂の風神像、雷神像を参考にしたとも言われている。
先ほどの象と違って、こちらは、表情がお茶目。
④風神雷神図屏風
宗達の100年後、今から350年前に生まれた尾形光琳。
時は、江戸の元禄時代。財力のある商人が力を持ち、華やかな文化が生まれた。
京都を代表する呉服商の家に生まれた光琳は、曾祖母が光悦の姉であったことから、
宗達や光悦の作品に囲まれて幼少期を過ごしたと思われる。
派手で社交的な光琳は、父からの財産も使い果たし、経済的に行きづまり、好きな
絵で生計を立てはじめ、弟の乾山は陶芸家となった。
④「風神雷神図屏風」は、宗達の作品を光琳が模写し、再構成したもの。
宗達のものは、雨雲の色がもっとうすいので見分けがつく。
⑤槙楓図屏風 (伝 宗達)
金色に緑の槙、赤の楓、そして下草のような青い桔梗。
色の対比が美しい。槙は一瞬、松かと思うほどに葉の色が濃く力強い。
⑥槙楓図屏風 (光琳)
光琳は、⑤の槙の葉を思い切って細く描いている。
空間がたくさん生まれ、下の金色の輝きと木の枝ぶりが目立つ。
楓の赤も明るい赤になった。
戦国の力強さが好まれる時代の宗達と、優美さが好まれる時代の光琳という
時代背景を感じた。
今回の展覧会のテーマは、「継承と変奏」
同じ題材が100年後に、どのように受け継がれ、変えられていくのかを実際に
見て比較できるよう、並べて展示されている。
光琳の100年後に活躍する酒井抱一、鈴木其一も ④をもとに「風神雷神図」を
制作した。展示品の入れ替えがあるため、4人の「風神雷神図」が揃うのは、
会期後半の今だけである。
⑦ 青楓図屏風 (抱一)
これは、もうひとつ「朱楓図屏風」と対になって展示されていた。
青楓は春なので、下草はスミレとさくら草。
川、土塁、木が単純化された形になって、楓の青葉をひきたたせている。
木の幹に付いている苔を描くのは、宗達、光琳の時代からだが、ここでは、
かなり目立つ模様になってデザインのよう。現代に通じるモダンさが感じられた。
⑧12ヶ月花鳥図 (抱一)
米国ファインバーグ・コレクション蔵なので、普段、なかなか見れない作品。
12ヶ月、12枚全部が展示されていた。
4月は牡丹と蝶。5月は紫陽花、立葵に陽炎、6月は瓜と蚊、7月は朝顔と青カエル。
ここでのカエルが愛らしいのと同じく、他の月で描かれている鳥がどれも上品で美しい。
⑨ 群鶴図屏風 (其一)
展覧会の最後は、この屏風だった。
さまざまな姿勢の鶴。紺色の水の流れが金屏風に映えて大胆。
遠くから目だっている。米国ファインバーグコレクション蔵。
酒井抱一、鈴木其一の江戸琳派に関しては、yk2さんがくわしい記事を書いて
いらっしゃるので、そちらをどうぞ。
私が気に入った絵だけを並べたが、工芸品にもすばらしいものがたくさんあった。
光悦の「蒔絵の棚」 「樵夫蒔絵硯箱」
光琳の白地の着物(小袖)の秋草も、とても美しかった。
会場を出たところに、「鶴屋八幡」のお茶処があったが、5時近くだったので、
片づけをしていた。pistaさんの琳派展記事で見た「缶のお茶」があったので、ニヤリ。
展覧会場が上野だったこともあり、日本の職人芸の伝統を守るためにも、国立の
芸大に、彫金、鍛金、鋳金、漆芸などの学科があるのは良いことだと思いながら、
親友のお母様のお見舞いに向かった。
ピサロ展 [展覧会(西洋画)]
大丸デパートへ「ピサロ展」を見に行った。
「印象派の巨匠ピサロ、家族と仲間たち」というサブタイトルがついている。
私にとって、ピサロは緑あふれる風景画。風景の中に人がいるので、
生き生きとしている。 だいぶ前の記事のキューガーデンの温室が好きだ。
広告に使われている絵はコレ↓
「窓からの眺め」 1888年
整然としてきれいですよね~。
遠景に牛たちが群れ、はるか遠くまで続く緑の丘。
手前では、何か農作業をする女の人と鶏。
ていねいな点描画。
「雨の日のチュルリー公園」 1899年
パリ、リボリ通りのアパートの窓から目の前に見えるチュルリー公園を描いた絵。
右上方にノートルダム。銀灰色の画面から冷たい雨の日のようすがわかる。
ピサロは印象派展に全参加。
終生、光の描き方を考えていた。上の「窓からの眺め」で使った点描は、2年ほどで
やめた。「描くのに時間がかりすぎて、見たものの印象が薄れてしまう」からだそうだ。
いろいろな画家と交流があったことから、さまざまなタイプの絵があった。
これは、私が一番気に入った絵。 ドニふうの色合い。
印象派にずっとかかわっていたピサロだが、リーダー格ではなかった。
穏やかな人柄で、面倒見がよかったことが、自画像からも伺えた。
今まであまり見たことがなかったピサロの人物画だが、今回は家族をモデルに
した絵がいくつかあった。
ピサロの息子たちは、画家になった。皆の作品が展示されていた。
長男、リュシアン・ピサロは、ピサロに似た画風。 画家、銅版画家として成功した。
↓
三男のフェリックス・ピサロは、日本画に影響を受けた作品(上の右の写真)
を残すが、早くに亡くなった。
そして、孫娘が描いた「トラ」は、まさに十二支のトラだった。
この展覧会は、ピサロの家族が、英国オックスフォード大学の美術館に寄贈した作品。
だから、ピサロの息子たちや孫の描いた絵、ピサロが尊敬していたコローの絵、
同時代の仲間、ブーダン、クールベ、ミレー、ルノアール、ドービニーの作品がある。
ピサロはフランス人だが、長男リュシアンが英国で活躍したので、子孫は英国在なので
あろう。オックスフォード大学の美術館が改築のため、作品が日本で巡回中。
大丸の前は、JR京都伊勢丹で開催だった。
★ 10月27日までです。遅いご紹介でスミマセン。
大丸には、かよりん推奨の京都の甘味処「都路里」があるので、行きたかった。
ようやく願いかなって、「抹茶白玉パフェ」
白玉がするっとして、今まで食べたどの白玉よりもおいしかった。たくさんはいってたし。
窓に沿ってるカウンター席だったので、外の景色が見える。
カルメン(ローザンヌ歌劇場公演) [オペラ、コンサート、バレエ]
N嬢と、ローザンヌ歌劇場公演の「カルメン」を上野の文化会館に見に行った。
ローザンヌはスイス、レマン湖の北に位置するフランス語圏。
世界バレエへの登竜門、「ローザンヌ国際バレエコンクール」が開かれる場所。
熊川哲也は、このコンクールで日本人初の金賞をとった。
「春の祭典」や「ボレロ」など革新的なバレエの振り付けで有名なモーリス・ベジャール
のバレエ団も、ローザンヌが本拠地。この公演にもベジャール・バレエ学校の生徒
たちが出演している。
今回の「カルメン」は、新演出で話題をよんだ。
本来の設定の「1820年頃のスペイン、セビリア」を「1930年」にし、衣装もシンプルな
ものにしている。工場で働く人たちの衣装が地味だけど上品なアースカラー。
前奏曲が始まると幕が開き、闘牛士がスローモーションで動く。これからドラマが始まる
という予感に誘いこまれる。新しい試み。
台詞はなく、朗唱で、全部が歌という構成。
カルメン役は、メトで歌って評判になった「マリーナ・ドマシェンコ」だったのだが、病気で
来日できなくなり、ベアトリス・ユリア=モンソン。
太ってない。色気があり見事な肢体で演技が実にうまい。実際、こんな女の人が
目の前のソファーで少しスカートをめくってみせたり、足をあげたりしたら、どんな男の人も
くらっときてしまうだろう。
この公演は、このあと、浜松、愛知、大阪、神戸、大分、横須賀、大宮と各地をまわる。
私の評価
ホセ:ルーベンス・ペリッツアーリ○ エスカミーリョ:ミコワイ・ザラシンスキ△
ミカエラ:ブリギッテ・フール◎ 指揮:シリル・ディーデリッヒ○
松茸の季節 [シャンパン・ワイン・ビール]
10月13日(祭日)
「広島から松茸が届いたから、うちでごはん食べない?」と、弟から電話。
弟は、料理が好きなので、豚の角煮と、豚肉の八幡巻きが作ってあり(右の方の小鉢)、
一人分づつの土瓶蒸しを火にかけていた。
IH調理器は、土瓶蒸しができないので、食卓用コンロを使うことになる。
籠に残してあるこの松茸は、焼いて、カボスをかけて食べた。
松茸だから、シャンパンにしましょう。
ボジェ・ジュエット(Bauget Jouette)は、泡がさわやかで、コクがあっておいしい。
3連休だったので、弟の奥さんと姪が、沖縄旅行から帰ってきたところ。
手前の白いのが、沖縄みやげの「じーまみ豆腐」。じーまみはピーナッツのことだから、
ピーナッツ豆腐。はちみつや黒砂糖のはいった甘いタレをかけて食べる。
もちもちっとして粘るような食感でおいしい。
「美ら海(ちゅらみ)水族館がとってもよかったから、お姉さん行ったほうがいいですよ」
世界一大きなアクリルパネルの水槽がずらっと並んでいるのだそう。
「魚は動くから、シャッターチャンスを逃しちゃって、珊瑚やヒトデの写真ばっかり。。」
と、デジカメの写真を見せてくれた。
下は、「ちんすこうショコラ」。90%という純粋チョコをかけた沖縄名物菓子「ちんすこう」
チョコの味が強いので、チョコクッキーのようで、ちんすこうがあまり好きでなくても
食べられる。
これは、私がデパートの「北海道展」で買ったバウムクーヘン。
最近、この北菓楼という店が人気で、どこのデパートの催事にも出店している。
メープルシロップ味で、しっとりのバウムクーヘンだった。直径15cmくらい、1050円。
フェルメール展と本「私はフェルメール」 [展覧会(西洋画)]
まだ暑かった夏の水曜日、「フェルメール展」に行った。
9時半に着いたのだが、もうすでに列が出来ていて、20分くらい待って入った。
「水曜日は65歳以上無料」なので、特に午前中、混むそうだ。
会場内も、いつもと違う人の流れだったが、美術愛好家がふえるのはいいことでしょう。
まずは、宗教画から。
「マルタとマリアの家のキリスト」 かなり大きい絵。
キリストが家にいらしてくださった時、マリアはイエス・キリストの話に熱心に耳を傾け、
マルタは料理をしてもてなしたという聖書の話に基づいて描かれている。
「パンいかがですか?」と差し出すマルタの表情は、「おいしいと言ってもらえるかしら」
と不安げ。
フェルメールが画家としてスタートした頃は、宗教画が絵の本道だったが、
市民社会の成熟と共に、日常生活を描いた風俗画に人気がでてきた。
「ヴァージナルを弾く少女」という小品は、少女がヴァージナル(ピアノのような楽器)を
弾く手を止めて、こちらを向いたところ。少女のほほえみが何か語りかけてきそうな雰囲気。
この絵は、個人蔵で、本物かどうかはっきりしていなかったのが、最近の科学的鑑定技術
で審議の結果、本物と認定されたという。
前記事「フェルメールを見るなら」へのコメントで、いっぷくさんが
<「20世紀最大の贋作事件」と副題のついた「私はフェルメール」という本は
興味があればお勧めです。> と書いてくださった。そのときは本屋さんに
なかったのだが、最近、見つけたので読んでみた。以下に少しご紹介。
第二次大戦が終わった後、連合軍は、ナチによって戦時中に略奪されたものを
元に戻す作業をしていた。ドイツのヒットラーに次ぐ実力者、ゲーリング元帥の館から
国宝級のフェルメールの宗教画が数枚発見された、との連絡がオランダにはいった。
それらは、フェルメール作品の目録にないが、ロッテルダムのボイマンス美術館に
展示されている「エマオの食事」と驚くほどの類似点があるので、フェルメール作に
まちがいない絵と認定された。ボイスマン美術館が、「エマオの食事」(下の写真)を
莫大な金額で購入したのは、オランダでは有名な話だったから。
発見された絵の入手経路を調べると、ファン・メーヘレンという画商が浮かび上がり、
国宝級の絵を敵国に売却した罪で逮捕された。
監獄で6週間を過ごしたファン・メーヘレンは、「あの絵は私が描いた贋作です」と告白した。
さらに「『エマオの食事』も私が描きました」と言った。
しかし、売国奴としての罪を逃れるための嘘に違いないと、信じてもらえず、結局、
皆の見ている前で絵を描いてみせることで、ファン・メーヘレン作品と認定され、
「贋作罪」での処罰になった。
ファン・メーヘレンは、フェルメールの色をまねるため絵の具を研究し、肌の影の
部分、皿の輝き、ワイングラスの光沢、飛び散る光の粒などの表現をまねた。
「エマオの食事」は、6ヶ月間、アトリエに引きこもって作成したカラバッジョ構図の
フェルメール手法のメーヘレンの作品なのだった。
本には、もっといろいろな謎解きがあって、おもしろかった。
☆フェルメール展に関しては、りゅうさんの記事がすばらしいです。
写真もクリックすると大きくなるので、充実度200%
パークハイアット東京・ジランドール [レストラン(フレンチ)]
dukeさんの記事、「パークハイアット東京・ジランドール」
を見て、ここは、私も好きな場所なので、今回とりあげることにした。
開業してから、かれこれ12,3年になるだろうか。新宿西口、駅からはちょっと距離がある。
ソフィア・コッポラの映画「ロスト・イン・トランスレーション」は、このホテルが舞台だった。
映画の筋は、日本にウィスキーのCM撮影の仕事で来たハリウッド俳優(ビル・マーレー)が、
ここに宿泊。同じくここに泊まってるアメリカ人女性スカーレット・ヨハンセンと毎日、2言、3言、
言葉を交わしながら惹かれていく。旅だから、、、でも、2人とも既婚者。
ホテルの中、周辺、新宿の街、渋谷の街、知っている場所が次々と映しだされ、私には親密感
あふれる映画だった。
前置きが長くなったけど、レストランでのランチ。
前菜、肉か魚のメイン、デザートから各1品で、3500円(平日)。4000円(土日)
私の前菜は、合鴨のローストのサラダ
メインは、北海道産黒カレイのスープ仕立て。
デザートは、アップルパイ、バニラアイス添え
ここは、ハイアットの中では、朝、昼、夜、いつでも食事ができるコーヒ-ハウス的な存在。
吹き抜けの高い天井、広く高い壁一面にモノクロ写真。日々の人々の暮らしの写真。
ニューヨークの今、という活き活きした感じが伝わってくる。
写真も撮ったのに、なぜ封印されていたかというと、帰り甲州街道で「Uターン禁止」と、
切符を切られ、気分を悪くしたから。
前にニューヨークへ行ったときの写真。
ホテルの窓から見えたセントラルパーク。
ジョン・レノンが住んでいたダコタ・ハウス。ここの前で撃たれたのだった。
ダコタ・ハウスのすぐそばが、声楽で留学中の友達の住居だった。
クラシックでかわいいピアノだけど、ちゃんと使えてた。
R子さんが、「これ、買いたいわ。日本に送れるかしら」と言って撮った写真。