ロートレック・コネクション [展覧会(西洋画)]
「ロートレック、嫌いですよね?」と同僚Mに言われ、「好きだけど~」
「あーよかった。あんなフザケタのって言われるかと思って。展覧会もう終わっちゃうから
いっしょに、、で、ランチも」
なんでロートレックがふざけてるんだろうと思って、きいたら、「だってあのポスター。
ひんしゅくじゃありません?」 あ~、そういうことね。
チケットにも使われている絵(ポスター)は、"Reine de Joie par Victor Jose" と
書いてあるように、ヴィクトール・ジョセの小説「歓楽の女王」の広告。
高級娼婦が、銀行家のパトロンにレストランの食卓でキスをしているところ。
この絵は、ロートレックの料理本「L'Art de la Cusine」の表紙にもなっている。(上の写真:右)
この展覧会は、渋谷の東急Bunkamura。
すぐ上の階には、パリの老舗カフェ「ドゥ・マゴ」と提携をしているレストランがある。
ロートレックが好きだった料理と書いてあったおすすめランチは
1、ミネストローネスープ(携帯写真だったけど、携帯が壊れたのでなし)
2、牛頬肉のワイン煮。やわらかく味がしみていておいしかった。
3、桃のゼリー、生クリーム添え
4、パン、コーヒー 以上で、1980円だったと思うけど。。
以下に展覧会のことを。
「ロートレック・コネクション」というタイトルだから、ロートレックの絵は約半分。
時代順に、ロートレックと交友のあった人たちの絵が展示され、19世紀末パリのようすが
見て取れ、おもしろかった。お金持ち貴族のロートレックなので、華やかな交友関係。
(1)画学生時代
ロートレックは、11歳のとき、椅子から落ちて左大腿骨を骨折、翌年右大腿骨も骨折。
先天的に骨が弱かったので脚の成長が止まり、異常に低い身長になってしまう。
体の障害を心配した両親は、絵が好きだった17歳のロートレックを当時、動物画家で
有名だったプランストーのアトリエに通わせるため、パリに居を定めた。
貴族のロートレックは、幼い頃から馬を間近に見ているので、上手に馬を描く。
プランストーに習う前の馬の絵、習ってからの馬の絵、師プランストーの馬の絵を比較して
見れたのが、興味深かった。
プランストーのアトリエの近くに、風刺画家ジャン・ルイ・フォランのアトリエがあり、
ロートレックは、風刺の技法やテーマに大きな影響を受けた。後のモンマルトルを舞台に
したポスターの数々に風刺的な要素がはいっているのは、フォランの影響だろう。
ロートレック18歳は、歴史画家として名を馳せていたコルモンの画塾にはいった。
← コルモン「海を見る少女」
画塾仲間には、エミール・ベルナールがいた。
ロートレックはモデルを務めていたシュザンヌ・ヴァラドンと親しくなり、絵を描くよう
すすめた。この時期、ゴッホも画塾に入ってきて、短い期間だがロートレックと親しくつきあった。
若さあふれるゴッホの絵
ロートレックは印象派には興味がなく、ゴーギャンを中心とするポン=タヴェン派にも属さず、
独自の道を歩んでいた。マネを尊敬し、ドガのアトリエの近くに居を移し、ドガに倣い、競馬場、
見世物小屋など鋭いデッサン力を必要とするものを追求した。
(2)モンマルトル時代
モンマルトルは歓楽街で、にぎわっていた。
人気歌手アリスティッド・ブリュアンに頼まれたポスターは大好評(下の写真、右)。
「ムーラン・ルージュ」や「ディヴァン・ジャポネ」(下の写真、左)のポスターを制作した。
日本の浮世絵をとりいれた趣向。
昨年2月にサントリー美術館で見た「ロートレック展」と同じ絵が多いので、余裕。
色鮮やかなポスターが、たくさんあって、この場所は華やいでいた。
(3)モダニズム(前衛)の画家たち
1900年前後に活躍していた画家たちの作品が展示されていた。
ボナール(右)とドガ(左)の似たような主題の絵が並んでいて、比較ができる。
遠くから見て、ドガの作品を、ボナールと思ってしまうほどだった。
ロートレックの「マルセル」(左)。率直な人柄のわかる肖像画。茶色の厚紙に油彩だが薄塗り。
ロートレックの「アンリ・ディオー氏」。横向きに立つ肖像画は珍しいそうだ。
ディオー氏は、ロートレックの遠縁。
私が好きな「モーリス・ドニ」は、「ランソン夫人と猫」(下の右)と、「なでしこ」の2点。
「ランソン夫人、、」実物は、茶色の木枠の額にはいってるので、もっと立体的に見えるんだけど。。
「なでしこ」は、昨年6月、都美術館の「日本の美術館名品展」に出品されていた絵。
ナビ派の画家フェリックス・ヴァロットン、 版画に混じって、こんな絵もあった。
←ヴァロットン
よく見かける絵、ミュシャの有名な「ジスモンダ」もあった。
いろいろな画家の絵があるこのコーナーが、一番、好きだった。