東京ディズニーランド [旅行(日本・アジア)]
日本でJoを連れて行ってほしい所は、「ディズニーランドと皇居」というのが、両親から
のメッセージだった。
だから、観光初日は、皇居の周りをタクシーで一周し、両国にある江戸東京博物館
に行った。体験型のミュージアムなので、人力車や昔の自転車が展示してあり、動か
ないけれど、乗ってもいいので、JOは喜んでいた。
歌舞伎の「助六と揚巻」の舞台が作ってあり、衣装をつけた人形がいたので、
「このお姫さま(揚巻だけど)は男の人なのよ」と言ったら、驚いていた。でも、しばらくしてから、
「ウィリアム・シェークスピアの劇も昔は、全部、男の人が演じたから、同じね」と言ってきたので、
Joの素晴らしい教養ぶりに驚いた。
帰り道、両国駅にあるお相撲さんが、がっぷり二つに組んだ銅像に、「sumou」と喜び、
写真を撮っていた。
2日目は前記事のように京都へ行った。
3日目にY子が友達のお見舞いに行くので、私とJoは、渋谷でハチ公を見てから、
映画に行った。Joはアメリカで「Hachi」の映画を見たので、本物といっしょに写真を
撮って友達に見せると張り切っていた。本物のそっけなさに、ちょっとがっかりした
ようだったが、とりあえず、一枚パチリ。ひまわりが一輪供えてあった。
映画は、「トイ・ストーリー3」を検索したら、日中はどこも全部吹き替え版。
「日本語でもいい?」ってきいたら、「No」というので、ニコラス・ケイジの
「魔法使いの弟子」にした。ニューヨークが舞台のハリー・ポッターふうの映画だった。
「ニューヨーク、行ったことある?」ときいたら「5回。昨年のクリスマスには、グランマと
オペラを見に行ったの」。英才教育ときいていたけど、スゴイ。
ピザやパスタが好きだというので、イタリアンレストランに行ったら、
「なんでイタリアンレストランなのに、お客さんにイタリア人がいないの?」
Joがアメリカで行くイタリアンレストランは、イタリア語が行き交ってるんですって。
4日目は、椿山荘で、日本庭園を散策。庭園内のおそばやへ行った。
夜は、Joが、「日本に行った友達から『お好みやき』がおもしろい」と、聞いたので、
食べたいと言うので、お好み焼きに行った。
5日目、東京ディズニーランドへ。
日中は暑いので、3時から入場のパスポートにした。
まず最初の「カリブの海賊」のウォーターシュートのようになる所で、「わ、こわい!」
おりた後、カリブの海賊が見えるレストランで、ケーキとコーヒー。
「あの人たち、これから、こわいのが来るの、まだわからないのよね」と、経験後の先輩風。
ビッグサンダーマウンテンやスペースマウンテンは無理と見て、シンデレラ、ダンボ
など、やさしいアトラクションだけにした。アリスのレストランで夕食。
入口のこの等身大のお人形が気に入って、「いっしょに写真を撮って」と言われた。
次の日、夕食の買い物にスーパーに行ったら、Joが「刀のような魚!これ食べたい」
と、サンマ。Y子は、「冷やし中華が食べたいわ」だったので、変なメニューの夕食。
Joは、食事の支度をよく手伝ってくれた。魚類に興味しんしんで、イカの皮剥きもして
くれた。サンマも2つに切ったのも、Jo。まな板を洗いながら、「お湯で、ソープでないと、
サルモネラ菌がついてるといけないから」。Joは祖父母が共に医者なので、
「私は将来Dr,外科」と言っていて、魚の内臓を見るのも平気とたのもしい。
箱根に一泊で出かけ、富士山も見たそうだ。
6歳のアメリカンスクールに通う女の子がいる家にも泊めてもらった。
ずーっと楽しそうで、ホームシックにもならず、「また来るから」と言って揚々と帰国した。
2週間の滞在で言えるようになった日本語は、ひとつだけ。「いただきまーす」
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京都へ [旅行(日本・アジア)]
アメリカ人と結婚して国籍もアメリカのY子が、「8歳の親戚の女の子Joを連れて
日本に行きたいけど、いつだったらいい?」 とメールしてきたのは、5月。
「夏休みがとれる8月中旬ね」 そして、実際、8月16日に2人がやって来た。
「Joが日本に興味があるなら、京都を見せてあげたほうがいいわ。金閣寺の金色、
平安神宮の鳥居の赤とか、一目見るだけでも、東京とは、ぜんぜん違うもの」
「でも、私ひとりじゃ無理」、と言うので、3人で京都へ日帰りで行った。
猛暑で37度の日々。
Y子の住むフィラデルフィアは、さほど暑くないので、暑さにまいってしまうだろうから、
移動はすべてタクシーにした。
駅 → 龍谷大学の門(タクシー運転手さんのお薦め)→ 西本願寺の門→ 二条城
この前日に、タクシーで皇居の周りを一周した。
Y子が、「Joが中を見たいって言ってるけど、皇居には、はいれないの?」ときくので、
「1月2日の参賀の日しかはいれないけど、京都で、昔のお城に、はいれるわよ」
二条城の中を見学。窓が閉めてあるので、蒸し暑かった。
謁見の間など、所々に、等身大のお人形を置いて、昔を再現してあるのが、Joには、
わかりやすいらしく、食い入るように見ていた。
「アメリカは建国何年?」「200年」「このお城は、400年前にできたのよ。古いでしょ」
と、説明。見渡すと外国人観光客が8割。そうでしょう。こんな暑い夏に日本人は、
京都見物に行かないと思う。
お昼ごはんは、Joが回転寿司に行きたいと言うので、歩いて行ける距離の「くらすし」
へ暑いので、タクシーで行った。「寿司がまわってる(spin)!好きなのをとる(catch)」
と、大はしゃぎで喜んでいた。
昼食後は、金閣寺へ。
一目見て、帰るつもりが、「順路」があり、混んでいたので、引き返せそうもなく、
ぞろぞろと歩く。これが長かった。ふぅ。。
次は、清水寺へ。
「タクシーはここから先行かれません。後は歩いて下さい」と言われ、ここでも
「順路」に従って歩いた。上り坂の途中で、お店に寄って「氷宇治」を食べた。
3時は、まだ暑かった。
帰りは少し夕方になっていたので、なだらかな石段の坂道をおり、
八坂神社 → 祇園 → 京都駅。
祇園のお目当ての店は休み。舞妓さんを見たいというJoの希望が叶うかも、と
祇園を少し歩いてみたけれど、姿は見えなかった。
Jo連れなので、あまり遅くなってもと、お弁当を買い、新幹線に乗った。
お菓子も買いたいものは、いろいろあったけど、、仙太郎の京都限定最中
(あんが多い)と、竹筒入りの水ようかんだけを買って帰った。
Joは竹筒が気に入って、お土産に持って帰るからと、洗って干していた。
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ピアノと歌のコンサート [オペラ、コンサート、バレエ]
7月某日(日) 2時~
表参道のカワイのコンサートサロンで、友達がコンサートをした。
私のうちでの新年会のとき、「2人でコンサートをしてから、もう5年くらい経つわよね。
またやったら?」と、話がでて、「じゃ、私の誕生日の頃に。場所はカワイでいいわね」
と、歌姫とHさん、2人のジョイントコンサートが決まった。
私は実行委員、つまり裏方。会場と打合せをして、ちらしを作り、出演者2人の
クラスの人たちに案内を出した。カワイは定員120人というこじんまりしたホール
なので、120なら大丈夫でしょうと、目論んだけど甘かった。クラスの人たちから
返事がほとんどない。。。しかたなく、数人に電話をかけて、「来て~」。
前日に、なんとか90いきそうで、ほっとした。
当日、「チケット頼んでないけど」という人が20人来て、ほとんど満席になった。
2人の恩師の高校の音楽の先生も、卒業以来です、と、いらしてくださった。
私は、当日10時20分に会場着。お花屋さんから、舞台花や出演者贈呈用の
花を受け取り、プログラムを2つ折りにし、受付の体制を整えてから、11時過ぎに
近くの「ブルガリ」のカフェにランチに行った。
表参道のケヤキの緑がまぶしい2階。日曜の11時は人通りも少なく、空気も澄んで
いる感じ。友だちMrs.Tとランチの約束をしていた。電話をして、「来て~」と言ったら、
「久しぶりね~。会っておしゃべりしたいわね。でも、私はその日夕方、用事があるから、
その前にどっかで、お茶かランチしない?」「私、受付だけど、リハーサルの時間なら
抜けられる」「あ、それはよかった。Aも呼んでよ」。
Aは、「まぁ、相変わらずのわがままぶりね」と、笑いながら来てくれた。
そんな経緯なので、ランチ4000円は、Mrs.Tのおごりだった。
「うちの総料理長、イタリア人なんですが、日本のお重に感激いたしまして、
使っております」。
でも、普通のお重より高さがある木箱にナイフを入れて切るのは、やりにくい。
Mrs.Tは、「お箸を出しなさいと言いたいわ。お重が気に入ったんなら、自分の国、
イタリアで使ってよ」と、びしっとコメント。
とはいえ、味はとってもいいし、カルパッチョのヒラメはとっても新鮮。お重で出てこない
ディナータイムに、また来ようと思った。
さて、コンサートの話。
プログラム第一部は、ヴィヴァルディとヘンデルの歌につづき、ベートーヴェンの
ピアノ協奏曲第一番。協奏曲なので、本来はオーケストラといっしょだが、今回は、
第2ピアノがオーケストラパートを弾いた。舞台の上に、グランドピアノが2台横並び、
という普段見ない構成。力強く熱気溢れる演奏に客席の人々は吸い寄せられ感動。
休憩をはさんで、ショパンのノクターン、ワルツ。つづいての歌は、シューマンの
歌曲と、グノーのオペラ「ファウスト」からのアリア「宝石の歌」。
2人とも、大学で教えているので、演奏のレベルは高く、すばらしかった。
演奏の後は、同じ会場で、飲み物と軽食のパーティ。
パーティでは、高校の後輩でG大2年、20歳のSくんが、ドビュッシーを情熱的に弾き、
若いアーティストに大きな拍手。
いらした方に喜んでいただき、「やってよかった」と、思えるコンサートだった。
コンサートの収益は、2人が関わっているボランティア団体に寄付をした。
有元利夫展 [展覧会(西洋画)]
連日34度の猛暑の先週、N嬢と夕方、庭園美術館へ「有元利夫展」を見に行った。
展覧会を見終わった5時半。こんなに明るい夏の夕暮れの庭園。
建物の入口はこちら。展覧会のパネルが立てかけてある。
有元利夫は、1946年生まれ。生きていれば64歳だが、38歳で亡くなった。
だから作品数もそれほど多くない。
有元は、東京芸大・デザイン科の学生時代にイタリア旅行で、ルネッサンス時代の
ピエロ・デラ・フランチェスカのフレスコ画と出会い、魅せられてしまう。フレスコ画と
日本の仏画に共通点を見出し、日本画で使う岩絵の具や金箔を使って、フレスコ画
ふうの独自の作品を試みた。
<参考>:ピエロ・デラ・フランチェスカの代表作「キリストの洗礼」
ピエロ・デラ・フランチェスカは、15世紀の画家だから、作品は宗教画と肖像画。
有元の絵の主題は人物。それも絵の中に人物が一人。単純化され、極端に頭の
小さいロングスカートの人物は、イラストっぽい感じ。デザインされた構図。
有元は、バロック音楽が好きで、リコーダーを演奏し、簡単な作曲もした。
ヴィヴァルディの「四季」をイメージした、「春」「夏」「秋」「冬」の連作は、絵だけでなく、
銅板画にもしていた。「春」がどんな絵かは、こちらをご覧ください。
絵のタイトルも「ガボット」「メヌエット」「ロンド」「カノン」「プレリュード」など、音楽を
イメージしたものが多い。下の左の絵「ささやかな時間」は、リコーダーを吹いている絵
だが、私が好きだったのは、「ソプラニーノ」。ソプラニーノリコーダーを吹く修道士の絵。
赤い背景で、修道士がかわいく、生き生きとしていた。
絵に描かれてるどの人物も落ち着いた温かみがあり、無心さがかわいい。
有元の絵は、静かなドラマ。聞こえてくるのは、単純なやさしいメロディ。
有元は「浮遊感」と表現していたが、ふわっとジャンプしたシーンに、シャガールの絵が
思い浮かぶ。シャガールの絵ほど高く飛んでないのは、現実逃避ではないから?
バロック音楽に合わせて、浮いてるから?白いドレスの人が、ふわっと浮いている
「花火」がそんな絵だった。
時々描かれる、空に浮かぶ雲の形は、マンテーニャの雲に似ていた。
日中は暑いけれど、6時まで開館なので、夕方からの鑑賞は、おすすめ。
気楽にさくっと見れます。
yk2さんの、「有元利夫展を観る前に知っていると面白いかもしれない幾つかの事柄」
という記事は、くわしく知りたい方には参考になります。
★庭園美術館の改装に伴い、表参道に移転しました。★
庭園美術館に付設して、有名な料亭「金田中」経営の和風カフェがある。
カウンターからは、地続きの美術館の緑豊かな庭園が見え、目が和む。爽快。
夜、庭園はライトアップされる。
暑い日だったので、まずは、緑のボトルのハートランドビール。
目の前の棚には、お茶碗がディスプレイされている。
頼んだものは、麩の味噌田楽(左)、
じゅんさいとナスの酢の物、白玉いり、じゃこと水菜のサラダ(右)
和のテイストで一つ一つがお盆にのって供された。
つくねの大葉巻きは、すでに焼いてあるので、小さな七輪であぶるだけ(下)
次は、ごはんを頼みましょうってことで、友達が、蒸し寿司。竹の器。
私は、牛網焼き丼。おいしいが量は少ない。
デザートは、友達がマンゴープリン(左) 私がわらびもち、黒蜜添え。
おしゃれなカフェで、おすすめ。美術館を利用しなくてもはいれます。
2010年春オルセー美術館 [☆彡Paris 美術館]
3月にパリへ行ったとき、オルセー美術館に寄った。
いつもと展示が違う!初めて見る絵がいくつも、と思ったけれど、それは改修工事
のために主要な絵がオーストラリア→日本→サンフランシスコというツァーに出ている
からなのだと帰国後、知った。
今、開催中の国立新美術館の「オルセー展」で、一番の賑わいはゴッホの絵の所。
1887年」「アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ」「オウカンユリ」
「星降る夜」「アルルのゴッホの寝室」などが見れる。
3月に本家パリでお留守番をしていたゴッホ作品は、
「アルルのダンスホール」 1888年
はっきりした輪郭、単純化された形。ゴーギャンの影響を強く受けている作品。
「アルルの女(Mme.Ginoux)」 1888年
この絵のモデル、Mme.Ginouxは、アルルでカフェを経営。ゴーギャンやゴッホ
がたびたび訪れていた。特にゴッホは、ここに下宿していたので、Mme.Ginouxとは、
親しかった。「彼女にアルルの伝統衣装を着せ、背景をレモンイエロー、顔はグレー、
服は黒、緑のテーブルにひじをつくポーズ。オレンジ色の木の肘掛椅子」と、絵の構想
を、弟テオに宛てた手紙に記している。
「サンレミの病室」 1889年
アルルで、ゴーギャンとの激論の末、怒号したゴッホは、自分で自分の耳を切り
落としてしまう。サン・レミに引っ越したゴッホは、ゴーギャンに対する発作的興奮
を自覚し、病院に入院した。
ねじれた木、過剰な力、過剰な苛立ち、過度な表現と、当時は評論された。
(左)「シエスタ」 1889年
ミレーの絵をもとにしたもの。ゴッホはミレーを賛美し、作品を熱心に模写した。
(右)「コードヴィルのわらぶきの家」 1890年
終焉の地、オーヴェール・シュル・オワーズの小さな村。ゴッホはここの景色を気に入り、
数多くの風景画を描いた。これは色は地味だが、パワーあふれる絵。
次は、セザンヌ。
「一個のりんごでパリを驚かせたい」と言ったセザンヌ。
自然を円筒形、球形、円錐形と幾何学的に描くことを試みた。
「りんごとオレンジ」 1895年~1900年頃
果物が絵全体に伸びる対角線の上に配置され、皿、水差し、テーブルクロスが
同じ白であること、掛け布と果物の色の類似によって、りんごとオレンジが際立って
見える効果がある。
「青い花瓶」 1889年
美しく咲いている花を描くのではなく、色の調整を考え、計算された絵。
垂直線、水平線が構図全体に感じられ、花瓶の青と背景の青の微妙な色違いが
ポイント。さらに机の上にりんごを置くことで、りんごのセザンヌと言いたかった。
「カードをする人たち」 1890年~1895年
セザンヌは、エクス・アンプロバンスの美術館で、同地出身の農民を描いて有名な
ナン兄弟の「カードをする人たち」を見て、これをカラバッジョ的な手法で描こうとした。
中心に酒瓶を置き、左右対照の構図の輪郭とした。白いカードを持つ手が真ん中に
あり、実際に見ると、手に緊張感があるのがわかる。カードに集中する静けさも伝わ
ってくる。
左) デルフト焼きの大きい花瓶にはいったダリア 1873年 初期、印象派の時代
右) アジアの農夫 1900年~1904年
光を追い続けた印象派の絵は、輪郭線がなかった。
ブルターニュ地方のポン・タヴェンに集まったゴーギャンを中心とした画家たちは、
輪郭線と単純化した形に重きを置いた。後期印象派とよばれている。
エミール・ベルナール(1868~1941)もそのひとりである。
「陶器の水さしとりんご」 1887年
この絵を描いたとき、ベルナールは19才。果物と構図の選び方はセザンヌ的だが、
黒の輪郭線と単純化で、はっきりとセザンヌとは異なる路線を示している。
背景の水平線的な色の塗り分けが、果物と水差しを際立たせている。
この絵は、ゴッホがアルルへ旅立ってから、制作されたので、この絵のことを
手紙で読んだゴッホは、「すばらしい未知の仕事」と、ほめた返事を送っている。
ポール・セリジェ(1864~1927)もポンタヴェン派である。
「ブレトンのレスリング」 1890年
ブレトン(ブルターニュ地方)なので、観客の女性がブレトンの衣装で頭巾をしている。
当時のブレトンは古い伝統が工業社会に変わる移行期だった。
国立新美術館のオルセー展には、ドニの「セザンヌ礼賛」というセザンヌの絵を
真ん中に置いた芸術家の集団肖像画があったが、
これは、アンリ・ファンタン=ラトゥールの「ドラクロワ礼賛」 1864年
ファンタン=ラトゥールは、白いシャツ姿。ドラクロワの肖像画の前に、花が飾られて
いるのは、ラトゥールが花の絵が得意だったからでしょう。自分と花と肖像画が目立ち
ますよね(笑)。ラトゥールの逆時計周り隣は、Whisler,ひとりおいて茶色い髪がマネ、
ブラックモン(映画「夏時間の庭」で花瓶が話題になっていた)、ボードレール。
マネのこの絵は、透明感があって、遠くから目だったけど、タイトルわからず。
マネの「扇を持つベルト・モリゾ」 1872年 (左)
ベルト・モリゾの「ちょうちょ採り」 1874年 (右)
ピサロの風景画。
上は、ベルギーの教会 1894年、下は秋の日のエラニーの庭 1897年
右は、三角スカーフの少女 1893年。はっきりした点描の絵。
今回の国立新美術館のオルセー展に出ている画家の絵を取り上げてみた。
コロー、モネ、ドガなどは、オルセー美術館2010年春(2)