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カンディンスキーと青騎士展 [展覧会(西洋画)]

 「抽象絵画の始まりはいつ?」「1900年、カンディンスキーから」と、言われることの
多いカンディンスキー(1866~1944)。
カンディンスキーと彼が所属していたグループ「青騎士」の作品をたくさん持っている
ミュンヘンの「レンバッハハウス美術館」が、改装のため、作品を貸し出してくれた
展覧会。100年前に建てられた邸宅美術館の絵なので、丸の内の「三菱一号館」と
いうレトロな雰囲気の場所は、ぴったりだった。

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 レンバッハは、19世紀末に勢いのあったバイエルン王国の首都ミュンヘンで人気の
あった肖像画家。鉄血宰相ビスマルクの肖像画も描いている。だからお金持ちで邸宅
も立派。だが、市立の美術館となったレンバッハハウスは、カンディンスキーと青騎士
グループの絵が中心で、レンバッハ本人の絵は少ない。

 カンディンスキーが、どのようにして抽象画に到達したかの展示構成。
1、若い頃
カンディンスキーは、ロシアの裕福な家の出身。モスクワ大学法学部を卒業、弁護士
になるはずが、絵が好きだったので、当時勢いのあったミュンヘンに来て、美術アカ
デミーで、ウィーン分離派のシュトックに学んだ。さらにその後、美術アカデミーで、
教えるようになる。そこに入学して来たのが、ガブリエーレ・ミュンター(1877~1962)。
従兄弟で6歳年上の妻がいたにもかかわらず、カンディンスキーは、ミュンターと親密
な仲になってしまう。
左:ミュンターの肖像画(1905年)
右:庭で絵を描くミュンター(1903年)

Munstar1905.JPG Munstar1903.JPG

右の絵は、恋人ミュンターへの愛おしさがこめられている日常風景。
当時、カンディンスキーは、まだ具象の絵を描いていた。

「花嫁」 1903年 大きな斑点の点描。背景は故郷のロシア正教会。
幻想的で装飾的な絵なのは、ウィーン分離派、クリムトの影響?

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同じ頃のミュンターの作品「風景を描くカンディンスキー」は、ペインティングナイフを
使った手法。カンディンスキーの作品に似た手法、色彩で描かれていた。
お互いに惹かれあっていたのだろう。


2、アルプスの麓ムルナウでの制作時代
ずっと旅をしていたカンディンスキーとミュンターだが、アルプスの麓のムルナウに
居を構えた。ヤウレンスキーと恋人ヴェレフキンも加わり、共に制作に励んだ。

ムルナウ近郊の鉄道(1909年)
子供の絵本にでてくるようなかわいい絵。
この頃から作風が変わってくる。強い色彩で平面化された構成。
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大きな作品。これ以降は全部、これは、何?だが、タイトルを見て、なるほどと理解。
山(1909年)
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ミュンターは、クロワソニズムの技法で、輪郭線をはっきり描いた絵を制作していた。
「ヴェレフキンの肖像」 (1909年)     
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3、青騎士の時代
1911年の元旦に、シェーンベルグのコンサートに出かけ感動したカンディンスキーは、
「コンサート」を描いた。
一番上のチラシに使われている絵。黒いのは、グランドピアノ、白いのは柱、そして聴衆。


カンディンスキーは、作品が「ミュンヘン新芸術家協会」展に落選したことに、怒って、
ミュンター、マルク、マッケを誘って、「青騎士」を立ち上げた。のちに、、シェーンベルグ、
アンリ・ルソー、ロベール・ドローネーが加わった。

コンポジションのための習作 (1913年)
このあたりになると、豊かな色彩、明確でない形。私の知っているカンディンスキー作品
に近くなってきている。音楽の感動を絵で表現したもの。
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他の青騎士メンバーは、どんな絵だったのかというと、
フランツ・マルク「虎」(1912年)  
フォービズムの色彩で、キュビズム。
                     アレクセイ・ヤウレンスキー「スペインの女」(1913年)
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フランツ・マルク「牛」 マルクは、神秘的かつダイナミックな動物画を描いた。
牡牛が緑、子牛が赤、雌牛は黄色。
牛の喜びを表現。

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アウグスト・マッケ「遊歩道」(1913年)
単純化された形は、アンリ・ルソーに通じるものがある。

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才能豊かなマルクもマッケも志願兵として 第一次世界大戦で戦死。
カンディンスキーはミュンターと別れ、ロシアに帰り、青騎士の時代は終わった。

ミュンターとカンディンスキーは、再会したものの、カンディンスキーが、若いロシア人
女性と結婚していたので、ミュンターは怒り、離別した。
後に、ミュンターは10歳年下の哲学者と再婚するが、カンディンスキーの絵をナチ
政権下の戦時中、地下室に隠して守り続け、80歳の誕生日に、青騎士メンバーの
作品や資料と共にミュンヘン市に寄贈した。これが、現在のレンバッハハウス美術館
の主要なコレクションである。

見終わったあと、気になったのは、ミュンターのことだった。再婚後もこんなにたくさん
の良い作品を大事に保管しておいたのは、やはり、カンディンスキーの才能に一目
置いていたからなのだろう。そのおかげで、若い時代の絵や、抽象へ移行する時代の
絵が見れたのだから、ありがたい。

<付記>[かわいい]モネからの影響
カンディンスキーは、とある展覧会で、モネの「積みわら」を見たとき、光の輝きと色彩
の美しさに、感銘をうけたそうです。でも、それが「積んだわら」とは、ぱっと見、気付か
なかったので、絵画で大事なのは、形よりも色彩と考え、実践し、抽象画への道を切り
開いたのです。


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