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シャルロット・ペリアンと日本展 [展覧会(絵以外)]

  バニラさんの記事で見て行きたかった「シャルロット・ペリアン展」にM子さんを
誘って出かけた。M子さんは、家で、そこに展示されているのと同じコルビュジエ
椅子を使っているから、ちょうどいいと思ったのだ。

perian2.jpg

 展覧会の場所は鎌倉、八幡様の境内内。
「初詣してないから、ちょうどいいわ」と、人の波にのまれながら歩いた。
鳩サブレの豊島屋の前では、梯子を立てて、出初式が始まったので、集まった
人たちが、携帯や一眼レフのカメラを構えていた。デジカメ持ってくればよかった。

 ペリアン女史の名前を知ったのは、パリ・ポンピドーセンター(現代美術館)での
展覧会
だった。入ってみたら、知ってる椅子、使ってる椅子があって、この椅子の
デザイナーだったのね、この違い棚も!と懐かしさでいっぱいだった。

 
 
 
 ペリアン女史は、インテリアデザイナー。有名な建築家ル・コルビュジエと組んで
仕事をした人。1930年当時、鉄、アルミニウム、ガラスを住宅に用いたインテリアは
珍しく、ペリアン女史は注目をあびていた。コルビュジエのアトリエには、日本から
留学した坂倉準三、柳宗理がいて、この2人が、後に日本の商工省(現・経済産業省)
が、輸出工芸指導顧問をフランスから招く際、ペリアン女史を推薦、来日のきっかけ
を作ったのである。女史は6年間の日本滞在中、工芸指導所で、ヨーロッパのモダン・
デザインを指導しながら、柳宗悦の「民芸運動」に関心を持ち、地方の伝統的素材を
取り入れた作品を作った。

 1953年、夫君がエールフランスの日本支社長となり、ペリアン女史は再来日。
2年ほど東京・赤坂の古い日本家屋を借りて住み、夫の客人を招いた。その傍ら、
インテリア・デザイナーとして、日比谷三井ビルにあった「エールフランス東京事務所」
のインテリアを担当、その斬新さが話題となった。
日本の違い棚にヒントを得た黒と白の棚(下の写真参照)の制作は、この時代である。
壁にかかってるタピストリーは、コルビュジエの作品。黒と白の市松模様が使われ
ていて、この部屋によく似合っていた。中央は日本の「ちゃぶ台」をヒントにしたもの。

perian3.jpg


 コルビュジエの名前で出ているソファーL3。レザーとスティールを組み合わせたもの。
「あ~これなら、見たことあるわ」という人も多いと思う。

lc3.jpg
 [るんるん]ペリアン展のあとは、「ぼたん園」で、冬ぼたんを見て後、参拝。
小町通りからちょっと奥まった珈琲店で、ネルドリップで落とすコーヒーを飲み、
鳩サブレと、「井上蒲鉾店」のさつま揚げを買って帰った。


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