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2012年秋の展覧会(2) [展覧会(西洋画)]

3、巨匠たちの英国水彩画展
英国マンチェスター大学の美術館所蔵の水彩画150点の展示。
私の好きなターナーが150点中30点もあり満足だった。
水彩画は地味なので、混んでいて遠くからしか見えないといやだな、と思いつつ、
行ってみたら、すいていて、ゆっくりと景色を味わうことができた。

英国水彩画展.jpg

チラシに使われている絵は、ターナーの「ルツェルン湖の月の明かり、彼方に
リギ山をのぞむ」1841年。ルツェルン湖はスイス。ターナーはスイスに住んだ
時期もあった。湖面を月の光が照らす。パープルから藍色、青へと色の変化が
美しい。晩年、靄ってからの絵。

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左はターナー19歳の作品「旧ウェルシュ橋」1794年。
若い頃なので、線が丹念に細かく描かれている。旧ウェルシュ橋なので、向こうに
建設中の新しい橋が見える。新旧アーチの重なり、水面に映る姿が整然としている。

右はターナーと同時代のコンスタブルの「デダム教会と渓谷、サフォーク」1800年
教会は遥か向こう、広々とした平野の中に見える。近景の牛とブルーの服の牛追い
が中心のように感じられる。雲の垂れ込める空と寒そうな木々が英国の景色だなぁ
と思う。

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ターナー「シャモニー渓谷、彼方にモンブランをのぞむ」1809年。
これも若い時代のはっきりとした作品。スイスのシャモニー。木の形から標高の高さが
、小さい人の姿から、景色の雄大さが推測できる。山の景色は爽快で気持ちがいい。

ターナーは、他に英国の古城を描いた絵がいくつもあった。地味な色合いだけに、
歴史を感じさせる。

下は、トマス・ガーティン「ピーターバラの大聖堂の西正面」1797年。
初めて名前をきく画家。いつか行きたいピーターバラ大聖堂。12世紀の建物
で、ノルマン様式の上に3つゴシックの三角尖塔。

peterbaragh.jpg

風景画だけでなく、ラファエロ前派のロセッティ、ミレイ、バーン=ジョーンズらの
挿絵もたくさんあり、風景画とは趣向が違う人物画なので、飽きない。

幻想的な絵のコーナーもあった。ジョン・マーティンの「マンフレッドとアルプスの魔女」は、
バイロンの詩劇「マンフレッド」をテーマにした絵。洞窟の奥、光の中の魔女が神秘的で
印象に残った。
ひとりで軽くさくっと見るつもりが、点数も多かったので、結構長い時間楽しめた。

4、ジェームズ・アンソール展

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ふだん展覧会のチケットがまわってくるような職場ではないのだが、
「これ、誰も行かないんですけど、絵が好きだときいたので。2枚あります」

たしかに~、チラシがこの絵では、行きたい人が少ないかも。
私にも、アンソールは仮面と骸骨の絵というイメージだけど、行ってよかった。
アンソールも初期は光を意識した海の絵や静物画、白い魚の「エイ」、北斎漫画が
好きだったとのことで日本の団扇「シノワズリー」、「花と野菜」などを描いていた。
さらに「イーゼルに向かう自画像」1890年、室内画と画域を広げていった。

Ensor3.jpg

そんな彼が骸骨を描き始めるに至ったのは、父親が事業に失敗しアル中になり、
母との諍いが絶えず、ついには亡くなったことが元になっている。アンソールは、
ベルギーのオステンド出身。ここはカーニバルが有名で、母の実家は土産物屋。
カーニバルの仮面を売っていたので、アンソールにとって仮面は身近なものだった。
だからチラシの絵が仮面の人々。「陰謀」1890年。
結婚式で赤ん坊を抱いた新婦。山高帽の男の隣、緑の服の男が「俺の子」と指
さしている意味深長な絵。

家庭での諍いが、こんな絵をうんだ。「首つり死体を奪い合う骸骨たち」
首つり死体はアンソール自身。母と叔母が争い、下には仰向けに寝ている祖母。
父は左端で酒びんを持って寝ている。家庭の諍いだけでなく、画壇で受け入れら
れない自分、周りは敵ばかり、という状況も表した絵。

Ensor1.jpg 

そんなアンソールもついには認められ、男爵の爵位を与えられた。

今回は、アントワープ王立美術館が改築のための大規模な貸し出し展で、
エミール・クラウス、レオン・フレデリック、ペーテル・ブリューゲル(子)、
ルーベンス、クールベもあったので、同行の友は、そちらに興味を示し、
「アンソールの骸骨は、見慣れると、かわいいわね」と言っていた。


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