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CICADA [レストラン(イタリアン、スペイン)]

 CICADA、何て読むのかしら?と、お店の前を車で通るたびに思っていた。
いつもお客さんが大勢で楽しそうな店。バニラさん、angie17さん、京都のmayuさん
のブログでも紹介されていたので、ますます、行かなくちゃ。
ところが、あるとき、前を通ったら、「閉店のお知らせ」、えっ! と思ったら、「移転」
もっと広くて、行きやすい場所、表参道近くに移転したのだった。

お店の名前は、シカダ。
予約の電話を入れたら、満席だけど、8時からのお客さまがいるので、6時から
7時50分までだったら、との返事。とりあえず、行ってみることにした。

実はこの日、表参道で、友達のコンサートがあって、5時には終わってしまう。
お店は6時からだけど、ロビーにあるバーカウンターは5時から開いていると
きいて、5時半頃から、バーでサングリアを飲んで待ちの姿勢。

cicada1.jpgCICADA2.jpg

(1)この店の一番人気、ひよこ豆のディップ、(Angieさんもおススメだった) (2)旬のアスパラ、
(3)海老とタコのマリネ、(4)鯛のソテーにオリーブとポテト添え。
ここまで言うと、「お時間が少ないので、これくらいがちょうどいいかと」と、
お店の人に言われる。赤ワインをボトルで1本。

CICADA3.jpgcicada4.jpg

結構広い店内だけど、どんどんお客さんがはいってきた。土曜日のせいも
あるでしょうけど、家族連れ、若いカップル、グループとさまざま。活気がある。
お料理は、どれもおいしい。しっかりした味付けなので、ワインに合った。
値段は、これでひとり5000円だから高くない。

7時50分に終了、友達が、「この後は、Tに電話して呼んで、うちで飲もう」
Tも来て、シャンパン3本。

その数日後、4月25日(木)[晴れ]
アメリカ、ロスに住んでいる友達Mが日本に帰国しているので、飲みましょうと
計3人で表参道の八兵衛」に行った。
蕗煮、焼きタケノコ、タラの芽の天ぷら、稚鮎の空揚げ、とMに合わせて和食のおつまみ。
暑い日だったから、ビール、白ワイン。
「次なに飲む?」「シャンパンがいいな」と私が答えると、Mが「シャンパンだったら、今日は
ヒルズが10周年記念でシャンパン、ただで飲めるし、お土産もくれるから、そっちに行こう。
お寿司食べてから行こう!」

六本木ヒルズ51階の「ヒルズクラブ」のバーに移動。[バー]
無料シャンパンはBollingerボリンジャーだった。プレゼントのチョコボックス
ももらってご機嫌。さらにジンライムを飲んだ。
床までガラスの窓から、東京タワーが正面に見えた。会員制なのでゆったり落ち着いたバー。
(でも、会員費が半端なく高いんですって)
次の帰国のときも締めはここに連れてきてね、と、翌日まだ仕事なので、さっくり帰った。


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パリ観光・ルーヴル美術館(15c~16cイタリア絵画) [外国の美術館、博物館]

 ショッピングが大好きな友達だけど、パリのデパートは日曜日が休みなので、
美術館へ行くことにした。

まず、ルーヴルへ。

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友達が「見たいのはモナリザ」、というので、モナリザをめざす。
ありました!特設モナリザコーナーができていて、その前で皆さん順番に記念撮影。
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というわけで、モナリザのまわりにある絵から見始めた。
今回は、聖母を中心に。

ラファエロの師ともいわれるペルジーノ「玉座の聖母子と2聖人、2天使」
甘く優雅な顔立ちの聖母。左右対称の円形画。
左はバラの花を持っているので聖ローザ、右はシュロを持っているので聖カタリナ。
人目をひく色彩のきれいな絵だった。

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ボッティチェリ
「5人の天使に囲まれる聖母子」
こちらも色がきれいで、目につく絵。

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ボッティチェリ「聖母子と少年聖ヨハネ」
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ルーヴルには、ボッティチェリの聖母子が3枚あるが、残りの1枚と
ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖マリア」は、Lensにできた新ルーヴル美術館に
展示中と掲示してあった。


ダ・ヴィンチ「岩窟の聖母」
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ダ・ヴィンチ「ラ・ベル・フェロニエール」 (1495~99ミラノにて)
前回、コメントで話題に出たフェロニエールとは、絵の女性が額にしている宝石
(髪飾り)のこと。この女性は、ミラノ公イルモーロの2人の愛人ルクレツィア・クリヴェッリ
またはチェチリア・ガッレラーニ、あるいはイルモーロの妻ベアトリーチェ・デステ
と3つの説がある。

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ティツィアーノ「兎の聖母」(1530頃)
美しい風景に囲まれた聖母子。

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カルパッチョ「エルサレムにおける聖ステパノの説教」(1514)
聖ステパノの生涯を描いた5点の連作のひとつ。他の3点はベルリン、ミラノ、シュットガルト
にある。背景が綺麗な石造りの建物なのは、ステパノは石打ちで殉教したことにより、
聖ステパノ会は、石工の会員が多かったからである。
カルパッチョの「若い騎士の肖像」は、マドリッドのティッセン・ボルサミッサ美術館で見て
好きになった絵。牛肉のカルパッチョは、彼の名にちなんだ料理。

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もちろんルーヴルには彫刻もある。石造りの元宮殿の広い場所には彫刻がよく似合う。
ボルゲーゼの剣闘士(紀元前1世紀)

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有名な勝利の神「ニケ」Nike。これは横から見たところ。

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ルーヴルは天井が高いので、1階、2階と移動するときの階段の数が多い。
エレベーターの前に南米系のおばさんが2人。「ちょうどよかった。私たちも
乗りましょ」と、待ったが、なかなか来なかったので、歩きはじめた。すると、
後ろから、「エレベーターが来た」と、若い人たちが手を振って呼んでくれた。
乗ったものの、「センサーが反応しない」と若い男の子が言って、「閉」ボタンを
連打。突然、友達が「スリよ。スリ。何やってるの」と大声で叫ぶ。「え、スリ?」と
下を見ると、白い指の手がすっと動いたのが見えた。かわいい顔をした
18歳くらいの女の子は、「私じゃないわよ」とばかりのジェスチャーをして、
仲間2人とさっと逃げた。友達のお腹の前のバッグは、半分チャックが
あいていた。
被害はなかったけど、あんなかわいい顔の子が、、とショック
だった。「閉」ボタンに注意を向けてその間に。。
帰る日、ホテルに迎えに来た添乗員の人に、この話をすると、「その子、
有名なルーマニアから来たスリなんですよ。3人組でね。でも、もっと、怖いのは、
3人くらいに取り囲まれて、お財布とられちゃうケース。逃げられないから」
たしかに~私たち女2人で、3人に囲まれたら、絶体絶命。

帰国後、「スリが多いのに監視員が少ない」とルーヴルの職員が怒ってストライキ、
目下、ルーヴル美術館は休館と、新聞に出ていた。
わかる、わかる。私たちだって、「今、スリにあって、、」と係の人に訴えたもの。
でも、「何もとられなくてよかったわね」と、さらりと流されたのは、数が多かった
からなのね。
ルーヴルは、広い建物で死角が多いから、スリには好漁場。
美術館でも安心してられないなんて、、用心、用心。

 ↓ 前に行ったときの記事。


ルーヴル美術館(15~18世紀フランス絵画)

ルーヴル美術館(19世紀フランス絵画)


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ラファエロ展 肖像画の人々 [展覧会(西洋画)]

ticket2.jpg 東京・上野の西洋美術館へラファエロ展を見に行った。
ラファエロの描く聖母の顔の優雅さ、やさしさが好きで、今回の展覧会のポスターに
目が釘付けになった。一昨年夏のイタリア旅行で、ラファエロ作品を
かなり見たけれど、
今回は見たことのないものが多いので、期待をしてでかけた。


展示は、
作品の年代順になっているので、作風の変化を見て取れる。
まず最初に目に飛び込んでくるのが、ラファエロ(1483~1525)、23歳の自画像。
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ラファエロは、イタリアのウルビーノ公国で生まれた。11歳で宮廷画家であった父
ジョバンニ・サンティを亡くしたが、父の下で幼い頃から画家の修業を積んでいた。
今回の展覧会には父の作品も展示されていた。
17歳で、父の助手と共に、教会の祭壇画を制作し、報酬を受け取った記録がある
ので、若くして、もう一人前だったとわかる。
 [右斜め下] 現存しているのは断片だけだが、展示されていた。

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ラファエロは、当時の画壇で一番の実力者ペルジーノにも学んだので、ペルジーノ
の作品もあった。思わず足を止める「死せるキリストの運搬」というドラマティックな
大きな絵も、ペルジーノの構図の人物に動きを与えた絵で、今回展示されていたのは、
コピー。後年、多くの画家に模写されたラファエロ初期の代表作。
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18歳の作品「聖セバスティアヌス」。他の画家の描くセバスティアヌスは体に
弓矢が何本もささり苦悩の表情だが、これは女性のように穏やかな顔。しかも
弓矢を手に持っているとは、ユニーク。

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1504年、21歳のラファエロは、フィレンツェに住み、当時52歳のダ・ヴィンチ、
29歳のミケランジェロの作品から積極的に技法を学んでいる。実際に会った
のかどうかはわかっていない。

フィレンツェ時代、故郷でほど有名人でなかったラファエロに祭壇画の注文は
来なかったが、お金持ちの人たちの依頼で肖像画や部屋に飾る聖母子画を
多く描いた。

エリザベッタ・ゴンザーガの肖像(1504年)
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うしろにいた人が、「クリムトみたいな服」と言ってたので思わず笑ってしまう。
額には、サソリのヘアバンド。ヘアバンドは当時の流行のようだ。

「エリザベッタ・ゴンザーガ、これグイドバルドの奥さん?」と友達yが言う。
そう、本で読み、想像していたのと印象が違う。

ラファエロが生まれたウルビーノ公国は、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが
支配者だった。フェデリーコは、馬上槍試合で左目を負傷し鼻が曲がったため、
ピエロ・デッラ・フランチェスカによる肖像画(*1)は横向きで左目を見せない特徴
あるものになっている。
フェデリーコは傭兵隊長として活躍する一方、学芸に秀で、宮廷に多くの芸術家を
集め、ルネッサンス文化を花咲かせた。ラファエロの父もこの宮廷の画家であった。

フェデリーコ亡き後、息子のグイドバルド(*2)がウルビーノ公となった。
ラファエロの描いたグイドバルド、かなりハンサムですよね。でも、少し弱弱しい感じ。
ふたりの間には、子供がいなかったので、甥フランチェスコ・デッラ・ローヴェレを養子にした。

「リンゴを持つ青年」 1504年
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頭が良さそうだけど冷たそう、野心がありそう、なんて見ながら悪口を言ってたら、
実はこの青年が、フランチェスコ・デッラ・ローヴェレ本人。
リンゴを持つのは意味がある。「パリスの審判」の絵で、選ばれた者がリンゴを
受け取るという決まりがあることから、彼が選ばれた者であることを示している。
将来のウルビーノ公であるから、選ばれた者なのだろう。
この時、彼は14歳。(もっと老けてみえるけど) この4年後にグイドバルドが
亡くなり、彼は18歳でウルビーノ公となった。


「聖ゲオルギウスと竜」 (1504~1505)
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「竜と戦う聖ゲオルギウス」は、当時人気のある主題だった。
この絵は、グイドバルドから依頼されたもの。
チェーザレ・ボルジアによって公国から追放されていたグイドバルドが領土を奪還し、
イギリスのヘンリー7世からガーター勲章をもらい、甥のフランチェスコ(上の肖像)
を養子にしたことを記念するための作品。
ラファエロは、先人画家たちの手法を取り入れるのが上手で、馬が前足をあげる
構図をウッチェロの同名の絵から学んでいる。


1508年、25歳のラファエロは、教皇ユリウス2世からの呼び出しでローマへ行き、
ヴァチカンの居間の壁画を描く。有名な「アテネの学堂」である。さらに次の教皇
レオ10世(ジョバンニ・ディ・メディチ)(*3)もラファエロを重用し、絵画だけでなく、
サン・ピエトロ大聖堂の改築主任建築家に任命した。

「ビッビエーナ枢機卿の肖像」1516年
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赤い枢機卿の服。自信にあふれた表情。劇作家としても成功していたそうだ。
そんな人間性をはっきりと写し取ることができるのがラファエロの技量。
枢機卿は、ラファエロに、ほれ込み、自分の姪を紹介し、婚約させた。その場面
をのちにアングルが描いている。(*4)

しかし、いつまでも結婚しないでいるうち、婚約者が病気で亡くなり、ラファエロも
37歳で熱病のため亡くなった。

「友人のいる自画像」 (1518~1520)
死ぬ間際に完成した作品。手前が弟子のジュリオ・ロマーノ。
奥が36歳のラファエロ。やはり、まだ死ぬには早すぎ、と見ていると悲しくなる。

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この展覧会になかったが、本文中に出てくる作品

(*1)ピエロ・デッラ・フランチェスカが描いた「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ夫妻」
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(*2)ラファエロが描いた「グイドバルド・ダ・モンテフェルトロ」     
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(*3)ラファエロが描いた「レオ10世」   衣装の布地が豪華
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(*4) アングルが描いた「ラファエロと枢機卿ビッビーナの姪の婚約」
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パリ観光2013年春 [旅行(ヨーロッパ)]

 今回は、JALの「ビジネス便で行くパリ」というパック旅行で泊まるホテルは、
いくつかから選ぶようになっていた。ルグランは2回泊まったことがあるので、
同じオペラ界隈の「スクリブ」にした。

ルグランに比べると、地味なロビーだが落ち着いて家庭的。
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「行きたいのは、サントノーレ、シャンゼリゼ、パッサージュ、ノートルダム大聖堂、
サンジェルマン・デプレ、ルーヴルにオルセー」、これが友達の希望。

ショッピング街は朝は遅いから、まずはノートルダムでしょ、と出かけた。

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ノートル・ダム大聖堂は、ゴシック様式を代表する建築で、200年かかって
1345年に完成した。その大きさたるものは、上の写真からもわかりますよね。

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巨大なスクリーンがあり、これを見るための椅子席が高い所に作られていた。
新しいローマ法王フランシスコがメッセージを読み上げているところが写ったり
していた。臨時のスクリーンか常設なのかは不明。

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聖堂正面のバラ窓の美しさは定評があるが、写真がボケボケ。

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「日本語!日本人だけがうるさいの?」と、この看板をじっと見ていたら、
他の言語に変わった。数秒ごとに違う画面になる。おもての巨大スクリーンと
あわせて、ノートル・ダムもコンピュータを取り入れている時代。
「ここは入場料ないのね」と友達が言う。基本、聖堂は無料。

歩いて、サンジェルマン・デプレへ行き、友達の希望のカフェ「ドゥ・マゴ」でお茶。
歩き疲れたから、教会は外から見るだけで十分というので、タクシーでシャンゼリゼに
行った。ランチは、カフェ「ラデュレ」で。デザートにとったケーキには、バラの花びらが
のっていた。
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こんな小道にブティックがあったりした。
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花壇がきれい。オペラにもなった椿姫がつけていたという「白い椿」があった。

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「こういうおしゃれな所、パリらしくていいわ。次、パッサージュに行きましょ」
と期待して行ったら、閉店のお店ばかりのさびれたパッサージュ。では、別の
パッサージュへと行ってみたら、そこもさびれていた。「雑誌にのってるのは
いい部分だけだったのね」と、友達はがっくり。
でも、エルメス本店でお買い物をして、元気になった。

向こうにコンコルド広場が見えるパリらしい景色。

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ホテルの入口隣の紅茶専門店がとってもいい香りなので、お茶はホテルでする
ことにした。きゅうすのようなポット。蘭の香りの紅茶を頼んだが、ほっとする
オリエンタルな香りだった。カヌレがついてきた。

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イースターエッグ [ケーキ、チョコ、和菓子、フルーツ]

 イースターはキリスト教の復活祭。十字架にはりつけにされて死んだキリストが
復活した日だが、満月の日から数えて何とかかんとか、、なので、3月最終週か
4月第一週の日曜日の年が多い。今年は3月31日だった。
欧米ではクリスマスと並ぶ大切な行事で、復活祭休暇もある。

私がパリに行ったときは、復活祭の前だったので、「イースターエッグ」をどの
チョコレート屋さんでも売っていた。期間限定ね。
GODIVAのを買ったが、ほとんど食べてから、写真を撮ったので、こんな。

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卵型のチョコの中に、卵、ひよこ、うさぎの形のチョコがはいっている。
卵は復活を象徴し、うさぎが卵を運んで来たという言い伝えがあるそうだ。
実物は写真の約2倍の大きさ。
この殻の部分のプレーンなチョコが何よりもおいしかった。

イースターチョコは、通常、上の写真の赤や青のボールのような卵の形のだけ
が多い。こんなふうに大きな卵にはいっているのは初めて。
昨年3月、ニューヨークへ行った時は、リンツのイースターチョコを職場のお土産
に買って来て喜ばれた。
一昨年3月は、ロワールへ行ったとき、Jからお土産にと頂いた。

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 実は、私が一番好きなチョコは、レオニダス(Leonidas)。
初めて食べたのは、パリ特派員だった友達からおみやげに頂いたとき。
ベルギーのチョコだけど、パリに数か所支店がある。
ここのは、美味しいわりに値段が高くないので、たくさん買って惜しげなく
食べられる。
これ、3段の一段目。つまり13×3=39個はいっている。
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パッケージ
LeonidasPackage.jpg


パリの空港で売っているチョコは、ヴァローナ「VALRHONA」が多い。
ゴディバはベルギーのチョコだが、ヴァローナは、フランスのチョコ。
エール・フランスのビジネスクラス用待合室においてあるのもヴァローナだし、
街のカフェで、コーヒーの横についてくるのも薄くて小さいヴァローナ一枚。
いつも空港で、VALRHONAの板チョコのいろいろな種類のを数枚買う。
どれが美味しいか違いを試してみるのが楽しい。

caramelia%20chocolate%20bar_thumbnail.jpg(VALRHONAのサイトから借りた写真)

 


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シスレーが住んだモレ・黒田清輝が住んだグレ [絵が描かれた場所を訪ねて]

 シスレー Alfred Sisley(1839~1899) はパリで生まれた風景画家。
印象派のルノアール、モネ、ベルトモリゾらと共に活動をした。

1880年代から、セーヌ川の支流であるロワン川流域のモレ・シュル・ロワン
(Moret sur Loing)の景色を多く描き、亡くなるまでの20年間そこに住んだ。

「モレの橋」1893年 オルセー美術館

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半円形の水道橋のような橋、塔のある古い館、ポプラの木、輝く水面。
この景色のところに行ってみたいと予てから思っていた。
とはいえ、今でもこの景色が残っているかどうか、、。
数年前、ここに行ったNさんが、「靄の中でとってもすてきな景色だったの。
きれいなところよ~。フォンテンブローから、タクシーで行けるし。」

私が行った日は雨が降っていた。フォンテンブロー城を出て、タクシーに
15分ほど乗ると、Moret sur Loingの入口「サモア門」についた。
城壁に囲まれ中世の面影を残している小さな街。
門をくぐった大通りは、ローマ時代からある道なので、車が1台通れるだけ。
しかも、大通りはわずか100mほどで、出口の「ブルゴーニュ門」になる。

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門を出たところが、ロワン川で、絵にあるアーチの橋がかかっている。
これは橋の上からの写真。中州にポプラの木と家があった。
左端の塔のような建物は、まさしくシスレーの絵に登場する古い館!

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橋の逆方向は、のどかで広々とした景色。

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[右斜め下]「Moret sur Loing」 個人蔵
やはり左端にアーチの橋があって、川の水が光をうけキラキラしている。
中世の面影を残す建物がこの景色に溶け込む。

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「驟雨の中のモレの橋」1887年
雨で景色がゆらいでいるこの絵は、この日の景色に近いかしら。

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大通りは一車線だけなので、タクシーは途中で止まるわけにはいかず、
降りて街を散策することはできなかった。
橋の横で車を停めて待っていてもらった。折からの雨で撮影スポットは
限られてしまうけど、一目でわかるシスレーの描いた絵の世界だった。


 シスレーがモレに住んでいた頃、モレから20kmの地「グレ」Gres sur Loingは、
外国人画家、音楽家のコロニーであった。1888年、黒田清輝は、法律学の研修で
フランスに留学。画家の藤雅三がラファエル・コランに師事する通訳を毎回つとめた
ことから、自分もコランに弟子入りをし、画業に転向した。

[右斜め下]「読書」1891年、この絵がフランスの画壇で入選し、黒田は実力を認められた。

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こちらは、「ポプラの黄葉」1891年。明るい色彩の「外光派」の描き方。
当時、印象派は過去のものになりつつあり、新印象主義の「外光派」と
「象徴派」の時代だった。外光派のリーダーは、バスティアン・ルパージュ
だった。

ポプラの紅葉.png


10年後、黒田の住んでいた下宿に、日本から浅井忠が留学してきた。
「グレーの森」 1901年 外光派のように見えるがこれは水彩画。

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黒田の住んでいた通りは、今、「Rue KURODA seiki」と名付けられている。
タクシーの運転手さんは、Rue KURODA seikiを知らなかったが、ナビで
検索して、「お~、これか、わかった」と連れていってくれた。
庭から外に柳の枝がはりだしていた。浅井忠に「グレーの柳」という柳並木の
絵があったことを思い出す。

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中には、入れないので、こういう看板がかけてあった。
この頃には雨がひどくなってきたので、ロワン川の岸辺に立って、浅井忠の
「グレーの洗濯場」を探すのは断念し、帰るために駅へ向かった。

 *uminokajinさんが、グレーを訪ねたときの記事です。
  コロー、浅井忠、児島虎次郎らが描いた低いアーチ型の橋、廃墟の写真が、
  まさに、グレーの景色なのです。ごらんください。

 


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