「パリ1900年」展 [☆彡Paris 展覧会]
「プティパレで、『パリ1900年』っていう展覧会が始まったって、新聞に出てるわ。
面白そうよ。1900年のパリ万博の時のようすを見せるんですって」と、Eが一面
特集になっている記事を見せてくれた。さっそく出かけた。
プティパレは、グランパレと共に、1900年の万博用に建てられた。
ご覧のように宮殿ふうの荘厳で豪華な造り。
上の写真の垂れ幕部分を拡大
チケットを買って中へはいると、会場への入口は、こんなふう。
ドーム型の天井はとても高く、天井の絵も美しい。
ここから先は、撮影禁止なので、新聞記事にそって説明すると、
「パリ1900年:豪遊」
ベルエポック時代のパリ、万博が開かれ、この時代はパリの全盛期だった。
1 は、ロートレック作「『シルペルク』でボレロを踊るマルセル・ランデール」
ランデール嬢の速い動きが伝わってくる。シルペルクは、劇場の名前。この公演は
大評判で、ロートレックはこの公演を20回以上見たそうだ。
ロートレックの絵にあるように、この時代、人々はお洒落をしてレストランや劇場に
出かけたりした。3 「三日月に黒猫」は、アドルフ・ヴィレットのイラストで、当時、
有名だった文学キャバレー「シャノワール」(黒猫)の看板。シャノワールには、若き
ドビュッシーら音楽家たちも集った。
2 夜のお出かけ用のケープ。これは実際に伯爵夫人が着ていた豪華なもの。
工芸品、家具、宝飾品にも斬新な素晴らしいものが造られた。
4 エミール・ガレの花をモチーフにしたアール・ヌーヴォーの花瓶(右下)は、
当時の人気女優サラ・ベルナールからも絶賛された。
1900年のパリは、産業革命が浸透し、万博のために地下鉄が開通した。
地下鉄の入口は、ギマールによるアールヌーヴォーのデザインで、今でも
使われている。
ロシアからは、万博を記念して、欄干が金色に輝くアレクサンドル3世橋が
寄贈された。世界初のデパートも出来、人々の生活は大きく変わった。
パビリオンには、自動車、世界初のエスカレーター、メリエスの映画、電気に
よる照明など新しい製品が展示され、人々を驚かせた。
カミーユ・ピトンが描いた「アレクサンドル3世橋からアンバリッド前の広場を望む」
1900年頃
Henri Gervexが描いた「プレ・カトランでの晩さん会」 1909年
盛装した人たちがエレガントで華やか。ブーローニュの森のレストラン「プレ・カトラン」
は、こんな昔からあるのね。親友Eが、「一番パリらしいレストラン」と連れて行って
くれたのは、ここだった。
当時、人気があった絵。ジャン・ベローの「パリジェンヌ、コンコルド広場にて」
この時から、パリジェンヌという言葉が定着し、パリジェンヌがおしゃれの代名詞の
ようになった。
右は、スタンランが描いた「シャノアール」のポスター。Rodolphe Salus(経営者の名前)
演劇も大いに流行った。ミュシャの描いた女優サラ・ベルナールの芝居のポスターは
どれも大人気だった。「LORENZACCIO」は、サラが男役に挑み話題になった芝居。
ミュシャ作の「La Nature」銀と金のブロンズ像は、きらきら輝き、存在感があった。
写真なので、銀の部分がゴツゴツして見えるけど、実物は、なめらかで美しい。
当時、絵画の世界は、伝統的なアカデミズムと印象派(象徴派)が対立していた。
下左)アカデミズムを代表するジェロームの「水浴する女」は、モダンへの挑戦と言われた。
下右)マイヨールの「地中海、コートダジュール」は、マイヨールが彫刻をする前、画家
だった頃の作品。シャヴァンヌ、ヴュイヤール、ボナール、ドニに影響を受けていたが、
ゴーギャン芸術に啓示を受けた。
40才過ぎてマイヨールは彫刻家に転身した。絵と同様に彫刻においても、モデルを
単純化し、ボリュームと輪郭は正確にするという総合的、抽象的な見方を示した。
マイヨールは、当時の有名な画商ヴォラールのすすめで、彫刻の個展を開き、
ロダンに絶賛された。数年後、サロンに「地中海」(この絵と同じタイトル)が入選し、
才能が開花した。マイヨールのなめらかな肌合いの作風は、ロダンが支配的地位
(1900年万博でもロダンは個人のパビリオンを持つほどだった)の彫刻界への
挑戦であった。
セザンヌが描いた「画商ヴォラール」 ロダンの「アムールとプシケ」
会場を出た所には、ブルーの照明で当時のようすが映されていた。
見応えのある良い展覧会だった。8月17日まで開催中。