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ウフィツィ美術館展 [展覧会(西洋画)]

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東京都美術館で、14日まで開催中

イタリア・フィレンツェの「ウフィツィ美術館展」
一昨年の夏、ウフィツィ美術館に行ったが、写真撮影禁止なので記事はない。
ボッティチェリの有名な「春」、「ヴィーナスの誕生」、ダ・ヴィンチの「受胎告知」、
ラファエロの「ひわの聖母」、ミケランジェロの「聖家族」、ティツィアーノ「ウルヴィーノのヴィーナス」
などなど、名画の勢ぞろい。それも大きい絵が多かった。

今回、会場にはいってすぐの絵が、どれも小さいので、ちょっと拍子抜けした。
けれども、歩き進んで行くうちに、いくつかの絵に見とれてしまう。
まず、目に飛び込んできたのが、この絵。
ドメニコ・ギルランダイオ「聖ヤコブス、聖ステファヌス、聖ペテロ」1494年 アカデミア美術館
衣服の赤の鮮やかさ、黒のベルベットの光沢。凛とした表情。背景の貝殻形の聖龕と
金の装飾の柱が絵に重厚感を与えている。聖ヤコブスは杖を持ち、聖ステファヌスはペン、
聖パウロは頭がはげていて天国の鍵を持っている。

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写真はないが、ギルランダイオ工房の「キリストの埋葬」1479年サンティ・サルバドーレ
女子修道院付属教会所蔵
このキリストが優しい女の人のような顔つきだったのが気になった。両脇のマリアの
衣服はピンクとブルーの御馴染み配色。


バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニ「砂漠で悔悛する聖ヒエロムニス」(写真なし)
 サン・サルヴィ美術館
これまで見た絵での聖ヒエロニムスは痩せて枯れた印象があったが、この絵では、
筋肉隆々。聖書のラテン語訳をした聖人なので、いつも聖書が傍に描かれている。
枢機卿のしるしの赤い帽子、十字架、ドクロ、ライオン(ヒエロニムスはライオンの
足にささった棘を抜いてあげた)と、ヒエロニムスとわかる持ち物がいろいろ描かれ
ていた。

この優雅さはペルジーノ?と見てみると、やはりペルジーノ。
「憐みのキリスト(ピエタ)」1497年 フィレンツェ貯蓄銀行所蔵
カンヴァスに移されたフレスコ画なので、画面があまり綺麗でない。
2人のマリアが美しい!

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いよいよボッティチェリ登場
ボッティチェリ「聖母子」1465年頃 テンペラ、板 捨て子養育院美術館
気品に満ちた聖母の横顔。母を見つめるふくよかな顔の赤ちゃん。
これは、ボッティチェリ初期の作品で、師であるフィリッポ・リッピの「聖母子」と
ほとんど同じ構図。
フィリッポ・リッピは修道僧であったが、マザッチオに絵画を学び、
50才過ぎて30才年下の尼僧ルクレツィアに恋をし、駆け落ちしてしまう。
しかしコジモ・ディ・メディチのとりなしにより、還俗を許され正式の夫婦となった。
「聖母子」の聖母のモデルは、ルクレツァア、赤ちゃんのモデルは息子フィリピ―ノ
と言われている。

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息子フィリピーノ・リッピの「老人の肖像」1485年頃 ウフィツィ美術館所蔵
は、父フィリッポをモデルにしている絵。青の背景に白い帽子で僧衣のフィリッポ
老人の温和なやさしさが伝わってくる絵だった。駆け落ち事件を知っていると興味深く見れる。


上の「聖母子」の20年後以降にボッティチェリ(周辺)が描いた
「聖母子、洗礼者ヨハネ、大天使ミカエルとガブリエル」1485年以降 パラティーナ美術館
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円形。美しいが少し思いつめたような表情の聖母。左手前は毛皮を着てる美少年ヨハネ、
奥は大天使ミカエル。ミカエルは色白、面長。右側で百合の花を持つ白い服がガブリエル。


今回の展覧会の主役は、ボッティチェリ。中でもチラシに使われている大きな絵の
この「パラスとケンタウロス」1480年頃 ウフィツィ美術館 が、ピカイチ。
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凛々しい姿で立つパラス(女神ミネルヴァ)の服がすばらしい。かなり透ける服の
模様はダイヤの指輪をかたどったもので、メディチ家の紋章。頭にはオリーヴの冠。
服の刺繍も豪華。
パラスがケンタウロスの髪をつかんているのは、女神が野獣を支配するという構図だそう。
つまり、肉食=ケンタウロスに対するパラス=貞潔の勝利と捉えたもので、結婚祝いと
して注文された。メディチ家の栄華の時代である。

ところが、メディチ家当主のロレンツォ・イル・マニフィコが1492年に亡くなった後、
外交政策の失敗により、メディチ家はフィレンツェを追放された。そんな折、
サンマルコ教会の修道士だったサヴォナローラは、メディチ家の贅沢を批判し、
フランス王のイタリア侵攻をを予言した。予言が当たったので、厳格に禁欲を説く
サヴォナローラは人々の熱狂的な支持を得た。ボッティチェリは、サヴォナローラに
共感し、プロポーションを引き伸ばした絵に変えて行った。
ボッティチェリ「聖母子と洗礼者ヨハネ」1495年~1500年

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ボッティチェリ「東方三博士の礼拝」 1490年 ウフィツィ美術館
サヴォナローラに心酔している時代の宗教的な絵。

サヴォナローラの過激な行動は、ローマ教皇の怒りを買い、1498年処刑された。
サヴォナローラ時代が終わったあと、サンマルコ教会の修道士となったフラ・バルトロメオは
、ラファエロ風のやさしい優美な様式に陰影を大きくつけた絵を描いた。

フラ・バルトロメオ「ボルキア」1490年代 ウフィツィ美術館
ボルキアは古代ローマの政治家の娘で、カエサルを暗殺したプルートゥスと結婚。
夫が政敵に敗れて自殺すると、ボルキアは燃える石炭を呑みこんで後を追った。
この絵の足元には、燃える石炭が置かれている。
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1500年代になると、ルネッサンスの甘美な絵は姿を消し、ドイツのデューラー版画や
ヘレニズムの影響を受けた新様式で絵が描かれるようになった。
上の右 アンドレア・デル・サルト「ピエタのキリスト」1525年 アカデミア美術館
同じピエタでも、ペルジーノの時代の宗教画と異なり、マリアたちは描かれず、キリスト
ただひとりである。

1537年、コジモ1世がフィレンツェに復帰し、再び、メディチ家の黄金時代が始まった。
ブロンズィーノは宮廷画家として活躍、ヴァザーリはウフィッツィ、ベッキオ宮、ピッティ宮の
建築をまかされた。
ブロンズィーノ「公共の幸福の寓意」1565~70年 ウフィツィ美術館
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コジモ1世がトスカーナ大公となったのを祝しての絵。
寓意なので、描かれているそれぞれの人に意味があるが、ここでは省略。

ブロンズィーノが描いた歴代メディチ家の人々の肖像画が、漫画「チェーザレ」で
見たのとほぼ同じ容貌だったので、「ロレンツォ」「優男ジュリアーノ」「レオ10世、
ジョバンニ」と、親しみを感じて、眺めた。

ウフィツィ美術館展と謳ってるのに、ウフィッツィ美術館の作品は約3分の2で、
フィレンツェのいろいろな所から集められた絵で構成されていたので、珍しい絵が
見れてよかった。貯蓄銀行所蔵のペルジーノ「憐みのキリスト」など、めったに見る
機会がないと思う。

展示の方法が、1400年から1600年のフィレンツェの歴史に沿ってだったので、
帰宅後、目録を見ているうちに、だんだん時代の流れがわかってきて面白かった。


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