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ホドラー展 [展覧会(西洋画)]

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「ホドラー展」が開催されると知った時から、楽しみにしていた。
20代の頃、居間に、ホドラー風景画を架けていた。
雲の動きが面白く、アルプスの山の空気が伝わってくる絵だった。

このブログでも2回、ホドラーの絵を紹介している。
http://taekoparis.blog.so-net.ne.jp/2006-03-17

http://taekoparis.blog.so-net.ne.jp/2011-03-13

ホドラーは、1853年スイスのベルンで生まれ、生涯をスイスで過ごし、人物画や
装飾画もあるが、風景画はアルプスなどスイスの景色を描き続けたので、
スイスの国民的画家と呼ばれている。


「ジュネーヴから見たレマン湖」(1905年)
空、雲、湖、入江という構図は浮世絵のようだが、上にかかる装飾的な雲は
ホドラーの本領。薄い油彩で透明感があって綺麗な絵。

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「トゥーン湖とニーセン山」(1910年)
この絵の上の部分が、Bunkmuraの「スイス・スピリッツ」展で見た「ニーセン山」
湖に映る山は紫の帯となり、岸辺の黄色い草村と上の雲が呼応している。

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こんな淡い色調で湖や山を描いていたホドラーだが、最晩年の
「白鳥のいるレマン湖とモンブラン」(1918年)になると、色調が時代のせいかフォーヴ
っぽい強さになり、雲の代りに、白鳥がリズムを持って配置されている。

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この展覧会は、回顧展ということで、初期からの作品の変遷が見れる。
そして展示作品数が100と多いので、満足度が高い。

「マロニエの木々」(1889年)
36歳の作品。水に映るマロニエの木が美しく、詩情豊か。
遠近法がはっきりとしている。
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ホドラーの風景画しか知らなかったが、あるとき、yk2さんのブログ記事で、この絵を
見て、画面を対角線に走る人物の姿が印象に残った。躍動感がある絵。
「木を伐る人」1910年
スイス国立銀行の依頼で描いた50フラン紙幣用の絵(裏側)。「草を刈る人」もあって、
それは100フラン紙幣に使われたそう。

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ホドラーの初期の人物画は、労働者の姿を描いたものが多い。
ホドラーは貧しい家庭に生まれ、若くして両親や兄弟を亡くし、苦労したこと
から、若い頃の絵には、「思索する労働者」、「永遠のユダヤ人」など、暗い影の
あるものがあった。「傷ついた若者」は、草村に裸で痛みをこらえ体をよじって
横たわる若者。頭から血を流し、死にかけている。大きな絵なので、痛々しさが
余計に伝わってきた。

死を意識した暗さは、「オイリュトミー」(1895年)に表れている。
オイリュトミーとは、音楽の響きを身体の動きで表現する方法。シュタイナーが
子供の音楽教育に取り入れた。
「調和のとれたリズム」で、死への道を歩む5人の老人たちを描いた象徴派絵画。
同じ時代の象徴主義でも、ドニの「緑の木々」とはだいぶ違う。

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ところが、「感情Ⅲ」(1905年)になると、ポピーの花畑を4人の女性たちが元気に歩む。
歩む方向も、オイリュトミーの死とは逆方向。
117㎝×170㎝と大きく、展覧会で一番、目立っていた絵。

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体の動きに感心をもったホドラーは、体の動的なリズムを捉えて描いた。
左:「恍惚とした女」(1911年)
右:「無限へのまなざしの単独像習作」(1913-15年)

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「無限へのまなざし」は、チューリッヒ美術館の階段吹き抜けの壁画だそう。
横3m、縦7mという大作。これの実物大映像が映し出されていたので、大きさに
圧倒された。

ホドラーは50歳の時、20歳年下のヴァランティーヌと恋におち結婚する。
ヴァランティーヌは、娘を産んだが、癌におかされ、結婚10年で亡くなった。
ホドラーは彼女を死に至るまで描き続けた。死の床の絵もあったが、
気の毒で正視できなかった。

左:「バラのある自画像」(1914年)60才 
右:ヴァランチーヌの肖像(1909年)34歳
ホドラーは、この絵の4年後、64才で、ヴァランチーヌはこの絵の6年後、40才で亡くなった。

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ホドラーの画業の偉大さがわかる展覧会だった。


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