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若冲と蕪村(サントリー美術館) [展覧会(日本の絵)]

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「若冲と蕪村」、なんでこの二人?と思えるほど絵に共通点がないのだが、
二人は同じ年生まれで、さらに一時期、京都の四条烏丸で近くに住んでいた。
二人に共通の友人はいたが、二人が交友関係があったという資料はない。

若冲は花鳥画、蕪村は俳諧の世界に中国風南画というのが私の理解だった
けれど、二人とも多才!特に蕪村の良さに圧倒された。

会期は3回に分かれ、かなりの入れ替えがあったので、3回とも見たが、、
毎回、見応えがあった。
もう、会期が今日、明日のみなので、今、見れるものについて書いておく。

部屋に入ると、朱塗りの椀に墨で絵付けをしたものがずらりと11合。
呉春や若冲のものもあった。

展示は年代順で、一部屋の左側若冲、右側蕪村のように分けてあったのだが、、
ここでは、わかりやすいように、若冲と蕪村を分けて書く。

Ⅰ、蕪村
応挙が筆の面でさくっと描いた子犬の絵に蕪村が句を添えたものは初期の作品。
応挙と蕪村が親しかったことがわかる。
(前期には応挙のカニの絵に蕪村がカエルを添えたものがあった。)

蕪村は大阪(摂津国)生まれ。20歳の頃、江戸へ出て俳諧を学ぶが、師匠が
病気で亡くなったため、僧侶の姿で東北を放浪する。その後故郷に戻り、俳画を
始め、36歳で京都に住む。
ユーモアにとんだ絵が多く、「学問は尻からぬけるほたるかな」(写真左)
書物を広げているけれど、居眠りをしている自分を描いたもの。

有名な句「春の海 ひねもすのたりのたりかな」が書かれた掛け軸には、
頬杖をつき所在無げに外を見ている男の姿が描かれていた。(写真なし)

芭蕉の奥の細道絵巻があったが、「月日は百代の過客にして」という一行目
しか読めなかった。「松尾芭蕉図」↓やさしそうな風貌の人。(写真右)

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蕪村は、当時流行していた中国人画家「沈南蘋(しんなんぴん)」の画風を
真似て動物を描いた。左が蕪村、右が南蘋の作品である。

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晩年、翁を名乗るようになってからの蕪村には、風景画が多い。
それも素晴らしいものばかり。
「夜色楼台図」、国宝。横長。
白い雪山、濃淡の墨での夜空。雪灯りに照らされた麓の家々は夜空の不気味な迫力に
比較すると穏やかな色合いで和む。

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富嶽列松図、重文、横長
画面を右から左に見ていくと、松の木のようすが変わっていくのがわかる。
雲に隠れた左では雨が降っているのだろうか。雪の富士の白さがくっきりと美しい。

最後に展示されている六曲一双の銀屏風「山水図屏風」が、私は今回、一番
心に残った。大作。険しい岩山と穏やかな水辺。静まり返った感じがする奥行きの
ある景色。よく見ると、わらぶき家の中には人がいて、訪ねて来た人と話をしていたり、
荷物を背負って山道を歩く人、家路に向かう人など生活が描かれている。青みがかった
銀色地は下からライトアップされ、殊の外、美しかった。

Ⅱ、若冲
若冲は、京都の青物問屋の息子として生まれ、家業を継ぐが、40才で家業を弟に
譲り、本格的に絵を描き始める。生家の援助を受け、良質な絹、紙、顔料などを
使って描いていた。
青物問屋なので、野菜を描かせては天下一品。
左)隠元豆・玉蜀黍図(一双)の隠元豆部分
右)藤娘図 初期の作品。墨の濃淡の使い分けで簡略化した描き方。

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蕪村に同じく、若冲も中国の画家の絵をまねた時期があった。
左が若冲の「朝日松鶴図」。右がお手本にした「陳伯冲」の作品。

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白鶴図(一双)も、構図は「文正」にならったものだが、上の「陳伯中」の松をまねて
いる。波をデザインしているので、絵に若冲らしさがでている。

一番、人だかりができていたのが、マス目描きのこの絵
「白象群獣図」、イタチはどこ?熊は?と探すのが楽しい。

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最後は「象と鯨図屏風」(六曲一双)
楽しく明快な若冲ワールド。
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