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プラド美術館展 [展覧会(西洋画)]

三菱一号館で開催中の「プラド美術館展」、見たのは2か月前のこと。
ずっと記事にしていなかったら、31日で終わり。
三菱という会場に合わせての展示なので、小品が多く、地味な感じがするが、
バロックから19世紀まで、有名画家による質の高い作品は、見て良かったと
いう満足感があった。

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チラシの絵は、メングス 「マリア・ルイサ・デ・パルマ」 1765 年。
赤い首飾り、凝った髪型。上品で可愛らしい少女。
彼女はのちにカルロス4世の御妃になり、ゴヤの有名な「カルロス4世の家族」
に堂々たる貫録で描かれている。若い時、こんなに可愛かったのね。。

絵は時代順に展示されていた。

ヒエロニムス・ボス 「愚者の石の除去」 1500-10 年頃
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丸い絵なのだが、装飾の施された額に入り、装丁された本(聖書)の雰囲気。
ボスの現存する作品20点のうちの1枚。初来日。
オランダでは、頭の中の小石を取り除かないと愚か者になってしまうと
いう言い伝えがあり、頭に漏斗を被った偽医者が患者の頭に穴を開けている。
漏斗は愚者を意味するとのこと。
後方の景色の描き込みが細かく、絞首台も見えていた。

エル・グレコ「受胎告知」 1570-72年
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聖母が書見台の前に膝まずき、大天使ガブリエルのお告げをきいている。
画面上方では幼児の姿の天使たちが聖霊の鳩を取り巻く。


ムリーリョ 「ロザリオの聖母」 1650-55 年

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これは大きな絵で目立っていた。聖母子がこちらをじっと見つめる構図。
気高さを感じさせる絵。赤の衣服と青のマントが美しい。


ベラスケス「ローマ、ヴィラ・メディチの庭園」 1629-30年
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ベラスケスにしては珍しい戸外で描いた作品。
建物の前には2人の人物。見えないと思うが、手に長い棒を持って、
計測をしているらしい。中央にアーチのあるこの塀は、かなりの高さがある。
このメディチ家の庭園は、後に他の画家たちも描いている。


ジョルダーノ「スペイン王カルロス2世騎馬像」 1694年以前
「スペイン王妃マリアナ・デ・ネオブルゴ騎馬像」 1693-94年


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構図は、ベラスケスのフェリペ4世騎馬像に基ずいている。
馬の下に打ち負かされたイスラム教徒が描かれ、キリスト教国スペインの
勝利がほのめかされている。

ゴヤ 「トビアスと天使」 1787年頃
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ゴヤの宗教画の代表作のひとつ。
聖書によると、トビアスがチグリス河畔で巨大な魚に食われそうになった時、
大天使ラファエルが「お父さんの眼が見えるようになるから魚をとるように」
と命じた。しかし、ここで描かれている魚は小さくて、トビアスが食われそう
になったとは思えない。


ゴヤ「傷を負った石工」1786-87年
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この横に展示されていたのが、ほとんど同じ構図の「酔った石工」で、
この絵よりも前に制作され、習作だったため、顔がかなり荒いタッチで
漫画っぽい。国王の食堂または会話の間に飾るタピストリーとして依頼
を受けたので、画題も「酔った」をやめ、注文にふさわしくなるよう修正した。

マドリードのプラド美術館には2つ大きな門があって、ひとつは「ベラスケス門」、
もうひとつは「ゴヤ門」。二人がスペイン絵画界の巨匠とわかる。


ヤン・ブリューゲル2世「豊穣」 1625年
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豊穣を示すために、中央の女性は乳房を6個持ち、たくさんの種類の果物、
花、野菜、この写真では見えないが、犬、うさぎ、猿などもいる。


テニールス2世 「猿の画家」1660年頃
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昨年の「ルーヴル展」でも、同名の絵を見たので、当時、好まれた絵だった
のだろうか?



マリアノ・フォルトゥーニ・イ・マルサル 「日本式広間にいる画家の子供たち」 1874 年

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横長の画面、装飾モチーフは当時流行していたジャポニズム。
画家の急死による未完成の作品。
モデルは画家の子供たち。ひとりは長椅子に扇を持って寝そべり、ひとりは座り、
休息中。背景は屏風とのことだが、屏風っぽくない。


パルマローリ・ゴンサレス 「手に取るように」 1880 年
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この絵の前に来たら、急に、時が「現在」になった気がした。
空の色、海の色が淡い色調で、流行の服を見に付けた女性。
マドリードで生まれ育ったゴンサレスだが、パリに移住し、色彩豊かで繊細な
風俗画の小品で売れっ子画家となった。後年、マドリードに戻り、プラド美術館
の館長を務めたという経歴。


展示作品は全部で100点ほど。ここで取り上げなかった絵にも良いものがたくさんあった。


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ヴィラ・フローラ(VILLA FLORA)展 [☆彡Paris  展覧会]

マルモッタン・モネ美術館で、ベルト・モリゾ部屋から出ると、次の部屋は、
Arthur & Hedy Hahanloser Collection で、私が好きなナビ派や
ヴァロットンの絵がずらり。すごい!と思ったら、これは2月7日までの企画展
「ヴィラ・フローラ展」だった。

「ヴィラ・フローラ」は、スイスのチューリッヒに近い町、ヴィンタトゥールにある
邸宅美術館で、Arthur & Hedy Hahanloser(アーサーとヘディ・ハーンローザ―)
のコレクションである。ヘディは父から相続した地に、ウィーン分離派風の幾何学的
な建物を作り、将来は美術館にと意図したが、後にベランダ付きのネオ・クラシック
様式を付け足し、画家のアトリエの雰囲気を出した。
ヘディは絵を描くのが趣味だったので、ヘディの描いた絵も展示されていた。

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庭に置かれている彫刻は、マイヨールの「夏」
アンリ・マンギャンもここを訪れ、「ヴィンタトゥールのヴィラ・フローラでのお茶」
を描いた。(1912年)

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夫妻のコレクションは20世紀の画家たち、ボナール、ルドン、マンギャン、ヴュイヤール、
ヴァロットンにスイスの画家のジョバンニ・ジャコメッティとホドラー。さらにマネ、ゴッホ、
セザンヌも加え充実している。コレクションの特徴は、夫妻が画家たちと親しく交流しながら
作品を入手したことである。

ヘディは、ヴァロットンの絵が好みだったので、肖像画を依頼した。
左)アーサー・ハーンローザー博士(眼科医)1909年  右)ヘディ・ハーンローザー(1908年)

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ヴァロットンの仲介でハーンローザー夫妻は、ボナールに会い、絵を購入した。
さらに夫妻が南仏カンヌに別荘を購入すると、3年後に、近くのル・カネに
ボナールが住み始め、アトリエに夫妻が来るのをいつも歓迎、親しくつきあった。

1、ボナール
*カンヌの船着き場(1928~34年)
南仏の太陽は、ボナールの作品に光と色の輝きを吹き込んだ。
地中海の海の濃い青色が船着き場の柵の白さで強調されている。
ぽちゃん、ぽちゃんと音を立てる荒い波の動きは、船着き場にじっと
佇む人々と呼応している。波の表現はもはや印象派ではない。

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*お茶(1917年)
午後の光を浴びた部屋での親しい人とのお茶の時間。
緑色の服を着て青い帽子をかぶった夫人は、室内の様子と窓の外の景色を
見ているかのようであり、庭の木々の葉の形や花瓶の花の形も重要な構成
要素になっている。

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*鏡の効果あるいは浴盤(1909年)
ボナールは、浴室での女性(妻マルト)を描いた作品が多い。
これもマルトが体を洗おうとしてるところか、身体を拭こうとしてるところである。
「写真のような効果を狙った」とボナールが言うように、画面いっぱいに浴室の
ガラス戸を配置し、ある距離を置いて見ているかのような視点である。

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2、ヴュイヤール
ハーンローザ―夫妻は、ヴァロットンを通じてヴュイヤールの絵を知った。
ヘディはヴュイヤールに肖像画を描いてほしかったのだが、ヴュイヤールが
ヴィラ・フローラに来てくれなかったので、夫妻はパリのヴュイヤールの
アトリエを訪ねた。

*アンフレヴィル(Amfreville)でのゲームの勝負と夫人たち(1906年)
ハーンローザ―夫妻のコレクションには、親しい人たちが集っている場面の絵が多い。
ヴュイヤールが当時借りていた家の窓から見下ろした写真のような構図の絵。
家主は画商で、画商の妹が一番手前に描かれている。

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*青い花瓶(1932年)

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3、ヴァロットン
*すみれ色の帽子(1907年)
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4、ルドン
*赤い船(1910年)
空と海の間に漂う幽霊船、船は血のように赤く、青い帆は風に導かれる。
水平線は、青、緑、黄土色の統合。雲と波は同じ要素でしかない。
ルドンは命題「見えるものの論理を見えないもののために奉仕させる」
(見えるものだけにとらわれず、見えないものにも光をあてよ)をこの絵
でも示している。

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5、マルケ
*ルアーヴルの祝祭日(1906~1913)

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6、ジョヴァンニ・ジャコメッティ
ジョヴァンニ・ジャコメッティは、2人の息子=彫刻家のアルベルトとディエゴほど
有名でないが、スイスの国民的画家。スイス国民どうしということで、
ハーンローザ―夫妻のコレクションに加わった。

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7、ホドラー
ホドラーもスイス人。ハーンローザ―夫妻はジュネーヴのホドラーのアトリエで
彼に会った。ヘディは、「あなたの作品に惹きつけられています」とホドラーに
手紙を送った。

*サヴォイ側のアルプスとレマン湖(1905年)

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*イタリア女性Giulia Leonardi の肖像(1910年)
Giulia Leonardi は、歌手でギタリスト、ジュネーヴでカフェをやっていた。
ホドラーはそこの常連で、彼女をラファエロ風に神話のゴルゴン(醜い女)
として描いた。

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ハーンローザー夫妻は、コレクションの充実のために、ゴッホ、セザンヌ、マネ
の絵を購入し、ヴィラ・フローラの壁に飾った。

8、ゴッホ
*種をまく人(1888年)
ミレーの「種をまく人」(1850年)にヒントを得て描いた作品。

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9.マネ
*アマゾネ(1883年)
黒い服にシルクハットの女性、Henriette Chabot
都会のエレガンス。

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10、セザンヌ
自画像(1877年)は写真なし

どれも見応えのある絵ばかりだった。あまり絵に興味がない同行の友達も
かなり、じっと眺めていた。


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マルモッタン・モネ美術館 [☆彡Paris 美術館]

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マルモッタン・モネ美術館というと、「この間、東京都美術館で展覧会があった」と
思い出すかたもいると思う。モネの「印象ー日の出」が来日して、かなり盛況だった。

マルモッタン美術館は、パリ16区、ブーローニュの森に近い静かな住宅街にあり、
モネの「印象・日の出」を持っている。モネの死後、次男からモネの作品がたくさん
寄贈されたことから、マルモッタン・モネ美術館と改称した。
建物は男爵の狩猟用別荘であったものをマルモッタン氏が購入、邸宅に改造した。
現在は
フランス政府の管理である。

20年位前までは、こじんまりとした邸宅美術館だったが、今は、収蔵品がふえ、
改築、見応えのある美術館である。
円形の「睡蓮」部屋で、ゆっくりと、たくさんのモネの睡蓮の絵を続けて眺めることが
出来るのもこの美術館の特徴となっている。

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(以上2つの写真は、図録から、以下の写真はパンフから)

これが、モネの「印象ー日の出」、印象派の語源になった作品。
日本での展示を終え、目立つ場所に展示されていた。

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マルモッタン・モネ美術館は、その名の通り、モネの重要な作品が多い。
(左)チュルリー(1876年) (右)アルジャントゥイユ付近の散歩(1876年)

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(左)ヨーロッパ橋、サンラザール駅(1877年) 

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右の絵は、モネではなく、ヨハン・ハインリッヒ・シュミット(1716~1815)の
「フランス元帥・ナポリ国王のヨアキム・ミュラがカプリをとれ」と命じている場面」
ミュラは騎馬策に長けた元帥で、ナポレオンの妹を妻とし、フランスの統治する
ナポリの国王であった。
もちろん、モネ以外の作品も多い。

1、ベルト・モリゾ
ベルト・モリゾの作品は、子孫の寄贈により、この美術館が世界で一番多い。
ベルト・モリゾは画家だが、マネのモデルもつとめ、マネの弟と結婚した。
これは、マネが描いた「ベルトモリゾの肖像」(1873年)

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モリゾ自身の作品は、
(左)立葵 (右)ブージヴァルの庭でのウジェーヌ・マネ(モリゾの夫)と娘

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(左)舞踏会にて(1872年)

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上の右は、カイユボット「雨のパリの道」(1877年)
シカゴ美術館の同名の絵より前に描かれたものだろうか。さざ波のような
雨のようすがみごと。


(左)アレキサンドリアの聖カトリーヌ(15世紀)
(右)ベルト・モリゾ「ジュリー・マネとグレイハウンド犬ラエルト}(1893年)

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2、この他に、ポール・マルモッタンの家具コレクションの貴重なものが多々ある。
ナポレオンの命によりつくられた置時計「地理時計」には、12枚の陶磁製の
メダイヨンがはめこまれ、その美しさに目を見張った。
16世紀、中世の版画や絵画のコレクションも貴重な作品揃いで素晴らしい。

3、企画展「HAHNLOSER夫妻のコレクション」には、私の好きな絵が
多かったので、それは次回の記事に。

外に出て見ると、この時期、パリの夕暮れは早いので、もう月が出ていた。
月の下には、ライトアップされたエッフェル塔が見え、とても綺麗だった。
「あ~パリだなぁ」と思える光景。

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モン・サン=ミシェル [旅行(ヨーロッパ)]

2015年12月21日
羽田発13:45のエールフランス機、搭乗時間を遅らせるほどにガラ空きだった。
ビジネスクラスは、食事が良いので、うれしい。
まず、小さなスプーンに載ったアミューズが出て来て、左下の前菜。
メインは牛ヒレステーキ。チーズが2種類でてから、デザート。
デザートには、ラデュレのマカロン(ローズ色)もついていた。
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12時間半のフライトで8時間時差のあるパリに18:25着。同行はM子さん。
ホテルにチェックインの後、近所で簡単なご飯を食べる所を探した。
物騒な時期なので、あまり、ふらふらせず、目についた安全そうなイタリアンの店
で、ピザとサラダの夜食。

翌々日、M子さん憧れのモン・サン・ミシェルに行った。
ホテルで予約してもらった日帰りバスツァー(160ユーロ)を使った。
モン・サン=ミシェルはフランスの西海岸。パリからは370kmにある巡礼地で、
海に浮かぶ小島に修道院がある。
この辺りは潮の満ち引きが激しいので、昔は、満潮時には島へ渡れなかった。
多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたそうだ。その後、堤防が作られ、
いつでも行けるようになったのだが、潮の流れを堰き止めたため、陸地とほとんど、
つながってしまった。そのため堤防を壊し、環境を守るため新しく、橋が作られた。
私が20年位前に行った時は、道路事情が悪く、日帰りが出来なかったので、
途中ノルマンディで1泊した。

日帰りといえど、出発7時15分(集合6時45分)で、解散は夜9時半。
この時期、パリは8時半まで暗いので、バスが走っていると夜が明けて来て、
朝日が綺麗だった。
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こんな朝もやの中を途中休憩を入れて3時間半ほど走ると、見えてきた!
バスからは橋の中ほどで降りて歩く。

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ここが島の入口。
一年に何回かあるという満潮時には、ここに停まっている車は水に浸かってしまうので、
島の高台に避難するのだろうか。フランスの国旗がはためいていた。

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ここでの名物は、オムレツ。
プラールおばさん」(la Mère Poulard)のオムレツが有名。
昔は、巡礼者たちが泊まった宿屋で、肉や魚がないから、卵料理でもてなしたそう。
今でも宿屋(ホテル)をしているので、写真右側に「H」の看板が見える。
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ここのオムレツは値段が高いときいていたが、メニューを見たら38ユーロ。
5000円!(左下の写真)。オムレツは卵をよーく泡立てて作るのが特長。
プレーンはつまらないので、マッシュポテトとベーコンのを頼んだ。中に入ってる
のではなく、マッシュポテトとベーコンが添えられていた。
島なので、魚中心に頼んだ。一皿ずつ頼み、シェアした。
右下の写真は、ズズキのムニエル。43ユーロ。6000円近い。
上左は海老唐揚げ入りサラダ。右は食卓のパン入れが小さくて可愛いので撮った
写真。
壁には、このレストランを訪れたいろいろな人たちの写真が貼ってあった。
「あ、見覚えが」と思ったら、三笠宮殿下ご夫妻。とてもお若かった。

食後にいよいよ修道院へ。まずは礼拝堂。
守護神のサン・ミシェルの立像。
モン・サン=ミシェルとは、聖ミカエルの山の意味。
708年にフランスの大司教の夢に聖ミカエルが現れて、「この地に礼拝堂を
建てよ」とお告げがあったので、建築工事が始まった。
その後、増改築が何度もあり、いろいろな様式が混じった建物になっている。

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ケーブルカーはないので、ひたすら階段を上がる。
修道院の入口に着いた。

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中庭は、回廊がある中世風。ゴシック様式でとても美しい。
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修道院の中は、太い柱で天井が高く、だだっ広い。
牢獄として使われたこともあるそうだ。
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行きは階段だったが、帰りは坂道。建物の大きさ(高さ)がわかりますよね。

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前に来たときに展示してあったか覚えがないが、今回、驚いたのは、大滑車。
(写真の白い部分)
これで、下から荷物を上げ下げしていたのだそう。橋から滑り台のように見えたのは、
この滑車の通り道だったのだとわかった。建築資材もこれで運んだのだろうか?
8世紀に、これを建てたということは、驚異的。信仰の力なのだろう。
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<追記>
コメント欄でInatimyさんが美味しいとおっしゃっていた「ラ・メール・プラール」La Mere Poulardのサブレの
写真を載せておきます。モノプリなどのパリの大きなスーパーで買えるので。
ついでに、パリで流行中の紅茶「クスミティー」の写真も。前からデパートに入っていたのですが、
シャンゼリゼにお店ができました。マリアージュ・フレールは少し人気が落ちたようです。
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新年会2016年 [シャンパン・ワイン・ビール]

毎年恒例の新年会2つ。

(1)M子さん宅。
M子さんは、お正月料理が得意。写真右端のお重がM子さん作。奥井海生堂で買った昆布で、
まぐろを芯にした昆布巻き。たっぷりの出汁で煮た御煮しめ。特に私は椎茸が好き。
牛肉の八幡巻が定番。
買って来たお節。今年は左端「にんべん」の二段重。
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温まるといけないから、お刺身は後から出た。
上の方にある「卵サンド」は、今、評判の「天の屋の卵サンド」。
ふわっとした出し巻卵をふんわり食パンにマスタードマヨネーズをつけてサンド。
しっとりとして、かなり美味しい。

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シャンパンづくし。
左からコント・オードワン・ド・ダンピエール(コルクを麻紐で留めてある)のロゼ。
RMのジャン・デュクレール(Jean Duclert)
モエ(Moet & Chandon)
CEDER RIDGE? Blanc de Blanc
ランソン(LANSON) のロゼ

右から2番目、バロナークのシャルドネ。これは白ワイン。
バロナークのだけあって美味しかった。

出席者はいつもの4人+伊勢崎から参加のS 計5名


(2)友達11名、悠遊会
1月4日N嬢宅にて。風邪で、歌姫TとピアノのHさん欠席。

・チーズは私が買っていく係だった。ナイフのそばにあるのは、サント・モール・ド・トゥレーヌ。
薪のような形。柔らかい山羊の乳から出来ているので、麦藁を芯にして巻いてある。
表皮に木炭の粉をまぶしてあるので、黒い。ロワール地方のチーズ。
六角形カップ入りは、ブルーチーズ入りのクリームチーズで塗るタイプ。
背が高いカマンベールタイプは、「サンタンドレ」。赤い蓋のアイスクリームのような
カップにはいっている。とってもクリーミーで食べやすい。
もちろん、枝つきレーズンも。
・ゆでた野菜はバーニャカウダー用。

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・左の魚の切り身は鱈。バーニャカウダー用。
・右 稚内の水タコのマリネ(M子ちゃん作)

・ツナのクリームパイ
・ローストビーフ(歌姫G作)

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・おせち(歌姫G作)
・トマトのスープ煮(Sちゃん作)

「ぎんのさら」の特上寿司

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J子は恒例苺、Aはゴディバチョコ。Gもゴディバチョコ。
N嬢はイギリスみやげのリンツチョコ。「リンツはスイスなのよね」と言いながら。

もう20年以上、毎年、かかさず集まってる私達、えらいっ。


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新年おめでとうございます!

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年末は、パリに9日間、行ってました。
テロの影響でパリは危ないと言われていたので、街では日本人にほとんど会わず、
行きの飛行機もガラ空きでした。

クリスマスの日、12月25日はお店が全部休みなので、モンマルトルのサクレクール寺院
に行きました。迷彩服で銃を肩からかけた兵隊たちが警備につき、寺院入口での警察に
よる手荷物検査は、念入りだったので、入場のために長い列ができていました。

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同行の友達が、モンサンミッシェルに行きたいというので、日帰りバスツアーで行きました。
朝6時45分集合で解散は9時半。かなり遠いのです。

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美術館は、ジャックマール・アンドレ美術館とマルモッタン美術館、ポンピドー・センター
に行きました。それらについては、別記事にするつもりです。

皆様、今年もよろしくお願いいたします。


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