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黒田清輝展 [展覧会(西洋画)]

GWの連休中、よく晴れた陽射しがまぶしい日の午後、久しぶりに時間がたっぷり
あるので、展覧会を2つ見たいと思い、上野へ行った。西洋美術館で「カラヴァッジョ展」
を見てから、国立博物館「黒田清輝」展に行った。

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「黒田清輝、明治時代の人ね。教科書に絵があったけど、古くさいから興味ない。
それより、パリ・オートクチュール展に行きたいわ」と、M子さんに断られたので、
だいぶ前に、トーハク別館「黒田記念館」に一緒に行ったYならOKかも、とさそった。

会場に入ってすぐは、何度か見たことがある絵。東京芸大所蔵の「台所」。
ライトアップされての展示で、冬の青みがかったグレー画面が落ち着いて美しい。
窓からの静かな光が、赤みをおびた頬、さらに組んだ手に差し込んでいる。
フランスへの留学時代に描かれた作品で、モデルは下宿先の娘マリア・ビョーで、
黒田と恋愛関係にあった。
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黒田清輝は、1866年鹿児島県生まれ。親戚の黒田子爵の養子となる。
東京外国語大学を経て、法律を学ぶためにフランスに留学するが、パリで画家の山本芳翆や
画商・林忠正と知り合い画家に転向。外光派のラファエル・コランに師事をした。
外光派は、当時の画壇の主流で、印象派的な明るい外光表現+アカデミックで堅実な描写が
特徴であった。
オルセー美術館所蔵のコランの作品「フロレアル」が展示されていた。
明るく美しいコラン作品は他に5点あった。

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アカデミズム表現の人物が草原から浮いている感じ、と印象に残る絵。
「フロレアル」は習作を府中市美術館と芸大美術館で見たことがあるが、これは完成品。

黒田を画家に転向させた山本芳翆の「猛虎一声」も展示されていた。

黒田はパリでの修業時代、まず、ミレー、レンブラントの模写をした。
レンブラントの「羽根帽子をかぶった自画像」、「解剖学講義」の模写が展示してあった。
そして、ミレー、ルパージュなど農村を描いた絵に大きな影響を受けた。
ミレーの絵3枚とルパージュの「干し草」がオルセーから来ていた。
「羊飼いの少女」1863年 ドラマティックな絵[黒ハート]
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黒田がミレー風、バルビゾン派的に描いた「祈祷」
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同時代関連ということで、モネ、シスレー(吉野石膏所蔵)、ピサロ(埼玉県近代美)が
展示され、さらに、シャヴァンヌも島根県立美術館から「休息」、「聖ジュヌヴィエーヴの幼少期」が来ていた。
黒田がコランの紹介状を持ってシャヴァンヌを訪問し、自分の裸婦画「朝妝」に対して助言を求めたと
いう関連からであろう。(「朝妝」は戦災で消失)

黒田は、コランの下で、アカデミズムの絵画技法をしっかり身に着けた後、パリの南東60キロ
にあるグレー・シュル・ロワンが絵にふさわしい景色であると気に入り、住んだ。
そして絵のモデルとなるマリア・ビョーに出会ったのである。
グレー・シュル・ロワンを描いた「落葉」 
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当時、フランスで画家デビューをするためには、サロンに入選することが必要であった。
グレーに住み始めた25歳の時、「読書」が入選をした。上のチラシの右側の絵。
モデルは、「台所」と同じマリア・ビョー。一心不乱に「この先どうなる?」と読む姿が
ページをめくる指先と真剣な目つきに現れている。

「菊花と西洋婦人」
鏡をのぞきこんで、お化粧をしている女性。モデルはマリア・ビョーの姉。
画面の半分以上を占める菊の花。

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10年の留学の後、27才で帰国した黒田が、帰国後すぐに描いたのが、「舞妓」。
西洋画の技法で舞妓さんを描いているので、写真ではわからないけれど、油絵の質感が
重いと私には思えた。出窓に座る舞妓。鴨川に反射する逆光。強い色彩の着物。

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黒田は、帰国2年後に東京美術学校の講師となり、白馬会を結成して、日本の洋画壇に
新風を吹き込んだ。白馬会第1回展に出したのは、「昔語り」(習作)。京都に旅した時、
お寺の僧からきいた平家物語の哀話にヒントを得、制作した作品。風俗画ともいえようか。
かなり力を入れて制作したので、たくさんの部分、部分の習作やデッサンが一部屋全部を
使って展示されていた。完成品は、神戸・住友家に飾られていたが、戦災で焼失した。

上のチラシの左の絵「湖畔」。有名な絵ですね。箱根で夫人をモデルに描かれた。
明るい光や涼しげな空気感は、西洋の外光派表現で、人物は浮世絵のように日本的な表現。
絵の具の薄塗りが水彩画のふんいきで、「舞妓」とは、かなり違った表現。

黒田32才の年に、東京美術学校に「西洋画科」が新設され、教授となった。

晩年はアカデミズム的な作品を制作する。
「野辺」 師のコランの「フロレアル」を意識したのだろう。
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「鉄砲百合」 こちら側へ倒れてきそうなほどに咲き乱れるようすが美しい。
後ろの赤い花もアクセントになっている。

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さらに帝室技芸員に選ばれ、貴族院議員なり、美術界を指導する立場となった黒田には、
肖像画の注文も多かったそうで、何枚かあったが、あまり印象に残らなかった。

代表作のひとつ、大きな金色のパネル3枚の裸体連作画「智・感・情」が、ラストだった。
これは、パリ万博に出品し、銀牌を受賞したが、当時、日本では裸体画は白眼視されて
いたので、物議をかもしたそうだ。ライトアップされていたので、体を形どる赤い輪郭線が
はっきり見えていた。

戦災で失われた東京駅の壁画についてのモノクロ写真展示もあった。

全部で200点、見応えがあるたくさんの展示だった。
トーハク(東京国立博物館)は、黒田作品を数多く所蔵し、黒田記念館まで持っているので、
このスケールでの開催ができたのだろう。
黒田作品だけでなく、オルセー美術館から借りた同時代の画家の絵も展示され、幅広く
黒田清輝の生きた時代を捉えていて、とても面白かった。