ポンピドゥー・センター傑作展 [展覧会(西洋画)]
パリのポンピドゥー・センターは、1977年に設立された近代美術館で、
1900年から1977年までの作品を展示している。つまり20世紀アートの美術館。
たくさんの所蔵作品があるので、いつも同じものを展示してるわけでなく、何年かに一度
展示替えがあるので、パリに行った時、時間があると覗いてみている。
今回の東京都美術館の展覧会では、1年1作家1点ずつの展示で20世紀美術の流れを
みてみようという企画。
天井の高い展示室に赤い仕切りの壁が置かれ、W字型に見て回るようになっている。
エスカレーターを上がった次のフロアの壁は青、最後のフロアは白と会場もトリコロール仕様。
トップを飾るのは、1906年のデュフィ「旗で飾られた通り」
7月14日フランス革命記念日の故郷ル・アーヴルの通りを描いた作品。
明るい色彩。赤・白・青の三色旗が目立つ幾何学的な構図。
モネ展に出ていた「パリ・モントルグイユ通り」という革命記念日にたくさんの三色旗が
はためく絵を思い出したが、やはりそれにヒントを得たそうだ。あちらの賑わいに比べると、
こちらは単純明快。
デュフィの明るい色彩は、この時代の主流「フォーヴィスム」である。
フォーヴィスムは原色的ともいえる程の色彩が特長。
2つ目の作品、1907年のブラックの「レック湾」もピンク、シアン、黄色、緑の明るい絵。
ブラックがキュビスムになる前。
3つ目、1908年オーギュスト・シャポー「ムーラン・ドラ・ギャレット」1908年
夜、濃青の背景に白い風車と黄色の「Moulin de la Galette」の半円形に
模られたネオンの文字。入口。よく見ると乗りつけて来た馬車がいる。
パリで見た「1900年」という展覧会にこの雰囲気の絵が数枚あった。この時代の
華やかな繁栄を示す絵。
4つ目は、ヴラマンク「川岸」1909年。
ここで、コーナーが代わって、ブランクーシの「眠れるミューズ」1910年
金色の卵がごろんとあって眼を閉じている女性の顔が彫られている。
ロジェ・ド・ラ・フレネ―の「胸甲騎兵」1911年
色彩は明るいが、甲冑の四角形がキュビズムの始まりを示すかのようだ。
クプカの「垂直の面Ⅰ」1912年
グレー地に長方形が2つ配置されただけの単純なもの。キュビズム。
マルセル・デュシャン「自転車の車輪」1913年
どこにでもあるスツールに自転車の車輪を乗せた作品。こんなのがアート、と驚かれた。
この革新は、後のシュールレアリスムやポップアートに繋がっていく。
次は1914年、デュシャンの兄のレイモン・デュシャン=ヴィヨンの彫刻「馬」
私には馬の頭だけに見えたが、友達は馬全体だと言う。難解。
1915年からは第1次大戦の時代。アルベール・グレーズの「戦争の歌」
フランスのキュビスムの代表作家。揺れが時代の不安な動きを表しているのだろうか。
1916年、ピエール・アルベール=ビロの「戦争」
1917年は、シャガールの「ワイングラスを掲げる二人の肖像」
ロシア出身のシャガールは、パリに出て5年滞在の後、一旦、故郷に帰国し、恋人ベラと
結婚する。戦争中だけど、2人は幸せ最高潮。上にいる紫の服の天使は後から書き足された
もので、二人の娘。
1918年アルベルト・マニエッリ「抒情的爆発8番」
戦時中だが、マニエッリの色合いはいつも明るい。
以前にポンピドーで見た「荷車に乗る男」を思い出す。
1919年ジャン・プーニー「赤いヴァイオリン」
印象に残りやすい単純な絵(コラージュ)なので、ポンピドーで見た、と思い出す。
さて、ここからは、印象に残ったもの、書きとめておいた方が良さそうなものだけを。
1921年マン・レイの写真 「散髪したデュシャン」 星形にカットされてる(笑)
1922年ル・コルビュジエ「静物」は、形を追求、単純化した絵。椅子、テーブルの上にボトル2本など。
1924年ジャン・プルーヴェ「リクライニング・チェア」は赤と黒、ツートンカラーの椅子。
デザインとして洗練されている。
1926年ロベール・ドローネーの「エッフェル塔」
ロベール・ドローネーは、エッフェル塔の絵をいくつか描いているが、これは色彩が特に
鮮やかで、下から見上げた形になっているのが面白い。
1928年レオナール・フジタ(藤田嗣治)「自画像」、猫を抱いた乳白色の自画像。
1929年セラフィーヌ・ルイ「楽園の樹」
鳥の羽根のような葉は極彩色。
独学の画家で、修道院で働く中、「神のお告げ」を受けて、草花などの絵を描くようになった。
アンリ・ルソーら素朴派を世に出した画商に見いだされた。
1930年カミーユ・ボンポワも素朴派。「旅芸人のアスリート」
アンリ・ルソーっぽい画風。まんまる体格のボディビルダー。
実際、ボンポワもサーカスのレスラーだったそう。
1931年ボナール「浴槽の裸婦」は、妻マルトのいる浴室の風景。
1932年アンリ・カルティエ・ブレッソン「サン・ラザール駅裏」
冬の光の中、男が水溜りの上をピョンと飛んでいる有名な写真。「決定的瞬間」という言葉が生まれた。
1933年オットー・フロイントリッヒ「私の空は赤」、赤、白、青の四角形で構成された抽象画。
ナチスに退廃芸術と烙印を押され、収容所のガス室で亡くなった。
1935年ピカソ「ミューズ」、チラシに使われている絵。
かなり大きな絵。室内にいる二人の女性。一人は頭をテーブルの上にのせて眠り、もう一人は鏡に
映った自身の姿を描いている。2人のミューズとの三角関係でピカソの私生活は大変だったらしい。
1936年パブロ・ガルガーリョ「預言者」 ブロンズの彫刻。
腕を高く上げ、杖を持った預言者の顔の一部と胴体部分が空洞化され、キュビスム化。
西洋美術館の「説教する洗礼者ヨハネ」が思い浮かんだ。
1937年カンディンスキー「30」
白黒の30の四角いマスにそれぞれ異なるものが描かれている。
1938年ヴィクトール・ブラウネル「無題」 パープル色の背景に目を剥きだした老人。
背景は荒野のようだが、建物がひとつ。不安感をよぶ絵。ブラウネルは、国立新美術館
の「異邦人のパリ」展で、「おおかみテーブル」を見て異様さに驚いたっけ。
1939年カルダーのモビール
1940年ローランサン「イル=ド=フランス」
1940年、ドイツ占領下のフランス。生まれ育ったイルドフランスを描き留める。
1941年ジョゼフ・クレパンの「寺院」
インド的な寺院の上に亡霊のような人の顔が漂ってる。
63才で初めて絵を描いたクレパンだが、「300枚、絵を描きなさい。そうすれば第二次大戦は
終わるだろう」とお告げがあったので、描き続けたら、300枚目の日にドイツ軍が降伏したそうだ。
1944年写真「ドイツ軍が撤退するオペラ座広場」
1945年ここだけ絵がなく、エディット・ピアフの「バラ色の人生」が流れていた。
失われた多くの命を鎮魂するようなピアフの歌声だった。
戦後1948年マティス「大きな赤い室内」
2点の絵画、2台のテーブル、2枚の動物の毛皮
1949年ニコラ・ド・スタール「コンポジション」
ド・スタール的色彩で私は好き。ロシア貴族の出身。40才で自殺。
1950年ビュッフェ「室内」
第二次世界大戦後は抽象が盛んだったが、ビュフェは純粋に具象表現をした。
室内を静物画のように見せている。太い輪郭線、明るい色合いはビュッフェの特徴。
1951年ジャン・アルプ「ユールー」石膏像
1953年レジェ「自由」
1956年ジャコメッティ「ヴェネツィアの女Ⅴ」
1957年シモン・アンタイ「未来の思い出」 ハンガリー出身のアンタイの大きな対の作品が
ポンピドゥーで目立っていたのを思い出す。
1958年 服飾デザイナー、ガブリエル・シャネルの写真
1959年エロ「マダム・ピカビア」、女性の顔の写真に機械の写真を重ねたコラージュ作品。
ピカビアに顔に砲弾が通っている絵があったような、。
1960年アルマン「ホーム・スウィートホーム」 箱の中に詰め込むアートで有名なアルマン。
ここでは、ガスマスクを箱の中に敷き詰めている。
1965年アラン・ジャケ「ガビ・デストレ」
ルーヴルにある「ガブリエル・デストレ」の絵を現代風にしたシルクプリント。
1961年クリスト「パッケージ」
紐を使って梱包した作品。クリスト何でも梱包。建物自体を梱包する試みもあった。
アンブレラ・プロジェクトという大きな傘を1000本以上配置する展示をアメリカで行い、
次に茨城県の水田で行ったが、台風シーズンで傘が閉じてしまい早々に終了した。
1968年、写真「サン=ジャック通りで舗石を投げる人」、カルティエ・ラタンでの学生運動。
1969年、アガム「ダブル・メタモルフォーゼⅢ」、光を意識した色とりどりのアガム展を伊勢丹美術館で見た
っけ。キネティックアートの先駆者。
1972年、オーレリ-・ヌムール「白い騎士」、黒地の中央に小さな赤い長方形が窓のように配置。
ロスコふう作品。そういえば、ロスコ作品がないのは、アメリカ人だからだろうか?
1973年、ジャン・デュビュッフェ「懐かしい風景」、笠間日動美術館にもデュビュッフェ作品がある。
1974年、ジャン・オリヴィエ・ユクリュー「墓地6番」、写真と思ったら、実は絵。信じがたいほどの精密さで
描かれていた。200×300と大きい絵なので、近寄ると、確かに絵なのだとわかる。
ユクリューは有名人の肖像も多く手がけているそうだ。
最後の1977年は、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースによるポンピドゥー・センターの模型だった。
こうして記事を書いてみると、「この時代はこんなふうだった」と、20世紀のフランスの歴史を美術を
通して知る展覧会だったとわかる。2つの世界大戦、1968年の五月革命から始まった学生運動の流れ。
美術もフォーブから始まって、キュビスム、構成主義、ダダ、現代アート(箱への封じ込め、梱包)、
、キネティックアート、建築。作品も絵だけでなく、写真、彫刻もあり、20世紀の多面的な変化が見て取れた。ポンピドゥーなので、フランスに偏っていることは、否めない。
Cast78 [閉店した店]
<この店は閉店しました>
「いいお店があるのよ。行きましょう」と誘われてランチに行った。
六本木ヒルズからちょっと歩いた所。前に来たことがある友達も迷ったり、の
わかりにくい場所。都立六本木高校の前と覚えておけば着くと思う。
いいお天気の日だったので、テラス席にした。
バンブーのような柄のランチョンマットが陽射しに映えてリゾート気分。
特別な日じゃなくても、泡で始める。
前菜のサラダ。健康的。
次にポタージュスープが来たけど、写真撮り忘れ。
魚料理は白身魚、サフランソース。
量が少ないけれど、美味しい。
デザートはアフタヌーンティふう三段重ねの皿。
ふたりでこれを分けるのでなく、これが一人分。だから主菜の量が少なかったと納得。
まわりを見ると、女性2人組が圧倒的。なるほどね。
夜はワインバー。おしゃれで落ち着いた感じがゆっくり飲むのによさそう。
お店の名前は、キャスト・セブンエイト。
レストラン・ラ・マーレ [レストラン(フレンチ)]
ずっと昔、20代の頃から時々行っている葉山「ラ・マーレ・ド茶屋」。
と言っても、ケーキが美味しいので、カフェでお茶することが多かった。
3月にリニューアルしたと聞いていたので、レストランの方に行きたいと思っていた。
この日はランチができる時間だったので、朝、予約の電話を入れた。
突き出た船着き場の所にあるので、テラス席からは海が一望のもとに見渡せ、
気持ちがいい。
ここの料理は、地場で採れた魚、三浦半島の野菜をフレンチ流に調理する。
「豆あじのから揚げ」、「ウニのキッシュ」
お刺身サラダ、めぐみポーク(相模湖の近くの特産)のロースト、バーベキュー風甘めのソース
デザートには好きなケーキを2種類選べたので、満足(写真なし)
ランチでもサービス料10%なので、サービスはとてもきちんとしていて感じが良かった。
見える景色は、こんな。葉山の海はいつも穏やか。
ヨットハーバーの葉山マリーナはこのすぐ近く。
私は、葉山マリーナよりこちらの方が静かで気に入っている。
これは↓ お店のサイトから借りた写真。
エミール・ガレ展(生誕170周年) [展覧会(絵以外)]
サントリー美術館へ「エミール・ガレ展」を見に行った。
今年は、ガレの生誕170周年にあたるので、ガレ関連の催しの広告をよく見かける。
ガレは、19世紀末から20世紀初頭のアールヌーヴォー期を代表するガラス陶芸作家。
その独創的な作品は、ガレ風なものとして、今でもいろいろな所で見かける。
ガレ作品をたくさん持っているサントリー美術館は、「ガレとジャポニズム」展を以前に
開催したが、今回は、オルセー美術館から借りた制作過程のデッサン画や家具を交えて、
ガレの作品を以下の①~⑤の5つの視点でとらえ直している。
①ガレと祖国
ガレは、フランス東部ロレーヌ地方ナンシーで、高級ガラス器陶器製造販売会社を営む家に生まれた。
父は、ナポレオン3世に食器を納める御用商人であった。ガレも父を手伝い、ガラス工場で
修業をし、デッサンを習い、デザインを始めた。
ガレが24歳の時、普仏戦争がおこり、ガレも義勇軍として参戦した。しかしフランスはドイツに
敗北、アルザス・ロレーヌ地方の一部を割譲した。ガレがガラスの修業をしたマイゼンタールの工場は
ドイツ領となってしまった。ガレの祖国へ愛はいっそう深まり、それが作品に表された。
デッサン画 「花器(フランス菊)」
フランス菊は、忍耐、寛容、、、を表す花。
このフランス菊にロレーヌ十字(十字を上下に重ねたもの)と、ナンシーの花、アザミをデザインした花器。
デッサン画とそこから生まれた花器を並べて見れるのが興味深かった。
デッサン画 「花器(アザミ)」 故郷ナンシーの花アザミ。
ゴブレット「ジャック・カロの人物画」1867年
ガレ21歳の作品。
中央に配置された絵柄は、ジャック・カロの銅版画シリーズ「小さな道化たち」からで、
左利きの辻ヴァイオリンニスト。帽子を被った道化とヴァイオリン、見えますか?
ジャック・カロはナンシーの上流階級の生まれ。人々の生活を鋭い観察で風刺して
銅版画に描いた。2014年に西洋美術館で「ジャック・カロ銅版画展」があった。
ガレが、同郷のカロの作品を多く用いたのも祖国愛からだろう。
②ガレと異国
ガレの眼が異国に向けられたのは21歳の時。1867年パリ万博での経験だった。
ガレは万博に出品する父の手伝いで、半年間パリに滞在した。この時の万博は、
ジャポニズムが話題となり、ガレも多くのインスピレーションを得た。
1878年の万博にガレが出品したのは、花器「バッタ」
酸化コバルトで発色した「月光ガラス」を発表して、その美しさが評判になった。
バッタや菊などが金彩風に絵付けされ、日本美術の影響が伺える。
口縁部には、イスラムを意識した唐草模様。
前回の万博で吸収したものを使った異国的な要素が高い作品。
ジャポニズムからインスパイア―された瓢形植込鉢「鯉」1880年
瓢箪形で、側面は節のある竹の装飾、底には鯉が描かれている。
細い線はおたまじゃくし?
エジプトも万博で注目されていたので、ガレはこちらからもヒントを得て、
鳩の顔がエジプト風に描かれた植込み鉢「鳩」。胴の部分には日本美術からの
流水紋、笹竹紋などが描かれている。
その他、イスラム、中国の影響と思われるものがあった。
③ガレと植物学
ガレは母の影響で幼少期から植物に深い愛を持ち、植物採集で有名な植物学の
教授と知り合い、植物学に没頭していった。自宅の庭には2000種以上の植物が
栽培され、花の絵はボタニカル・アートとして成り立つほど緻密である。
習作「アイリス」 花瓶「アイリス」
ジャーマン・アイリスのつぼみの形を花器に見立て、花模様を装飾した作品。
くすんだ緑色のガラスを被せた素地に茶色、紫、明るい緑など幾種類もの色ガラスが
筋状に練り込まれている。上にアイリスの花が白や紫で象嵌され彫がなされている。
ブロンズ製の台もアイリスの形。凝った作品ですばらしい。
白い大輪の蘭の花がこぼれ落ちそうな「氷の花」は、「ガレとジャポニズム展」で見て
印象に残っている壺型の花器。
④ガレと生物学
植物を愛したガレは、花と共に生きる生物、昆虫も愛し、模様に取り入れた。
蜻蛉、蝉、蝶、カエル、海洋生物などがモチーフとなった。
昼顔形花器「蛾」 1900年
白い昼顔の花に、茶と紫色の羽根の蛾がとまる様子をそのまま描いている。
白い半透明のガラスは、花弁の筋が浮き上がって見えるほどである。
マルケトリー(ガラス象嵌)で蛾は精密に描かれ、白い昼顔との対比が美しい。
⑤ガレと文学
ガレは学生時代にいろいろな言語を勉強し、神話の世界にも詳しかった。
文学好きでもあったので、自分の作品に詩文を描くようになった。
栓付瓶「葡萄」1900年
全体が葡萄のモチーフになっている栓付きのワインボトル。
胴部には葡萄の葉と蔦の模様が彫られ、色とりどりの半球状の葡萄の実が着いている。
ボードレールの詩集「悪の華」からの「毒」の一節が彫られている。
「葡萄酒はどんな汚れたあばら屋をも豪華な姿に装わせ、赤く金色に光る靄の中に、
幾つもの架空の柱廊を出現させる、、、、」
「過ぎ去りし苦しみの葉」というメーテルリンクの銘文が刻まれた壺「枯葉」の
ガラス器に見えない風合いは「ガレとジャポニズム展」で見て(写真あり)印象に
残っていたが、今回、また見ることができた。
⑥ガレと究極
ガレは観察したこと、自ら感じたことを表現するために、様々な方法を考えた。
ガラスは美しいだけでなく何かを語るものだった。ガレはガラスの透明性を故意に失速
させる「パチネ」という技術を開発し、特許をとった。
ランプ「ひとよ茸」1902年頃
ひとよ茸は数日間で成長し、夜に笠を開き、一夜のうちに柄だけを残して溶けてしまうもの。
錬鉄製の台座は、森の木々を表している。一夜だけと言う命が自然の摂理、人生の輪廻を
表している。ぼんやりと灯るランプの姿が薄暗い森を思わせる。
脚付き杯「蜻蛉」 1903年~4年 (写真は「ガレとジャポニズム展」参照)
大理石の輝きを持つマーブルガラスに化石のように蜻蛉を閉じ込めている。
ガレの最後の作品。死を予期したガレは、このモデルを数点造り、親しい友人や親戚に
贈った。はかない命の蜻蛉は自分を象徴するものだったのだろうか。