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台北4日間 [旅行(日本・アジア)]

 今年は長く休めなかったので、台北に4日間だけの旅。
一昨年オープンしたマンダリン・オリエンタルに3泊、ゆったりと過ごした。
ホテルは、堂々とした中にオリエンタルを感じさせるインテリアで豪華。

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私は初めての台湾だったが、連れのM子さんは4回目。
M子さんおすすめの観光スポットへ行った。
1、九份(きゅうふん・ジオウフェン)
日本統治時代に金鉱で栄えた町。その後、金の生産量が減り閉山。
衰退していたが、ホウ・シャオシェン監督の映画「非情城市」の舞台となり注目を浴び、
「千と千尋の神隠し」の湯婆婆の屋敷のヒントになったのが、このお茶屋。
中に入って台湾茶とお菓子のセットを頼んだ。

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金山で山の上だから、見下した景色はすばらしいが、夕方なので、ぼんやり

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九份は、細く急な石段沿いに赤ちょうちんが灯り、茶芸館や土産物屋が所狭しと並ぶ。
台北市内から、バスで40分かかるので、ツァーを申し込んだ。
3200円で日本語ガイドつき、夜ごはんと、帰りに「夜市」見学まで付いていた。

2、故宮博物院
第二次大戦後、中国では政権争いが勃発。毛沢東に負けた蒋介石が台湾に逃げて来た。
その時、北京の紫禁城から持ち出した明・清時代の皇帝の宝物が陳列してある。
有名なのは、「翠玉白菜」。翡翠を使ってホンモノそっくりに彫り上げたもので、清朝の皇帝妃
の嫁入り道具だった。2年前に東京博物館に来て展示されたので見た人もいるかと思う。
青磁の花瓶や壺、知ってる作家の絵が見れるかと期待して行ったが、なかった。
下の写真は、図書文献館。


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3、台北101
101階建て508メートルという世界有数の高さを誇る台北101。
89階の展望台まで、東芝製高速エレベーターで39秒で着く。
日本で一番速いエレベーター、横浜ランドマークタワーのより速いそうだ。
低層階には、ショッピングモールや飲食店街がある。台湾名産の珊瑚や翡翠を
売っている店が何軒かあった。

4、中正紀念堂
初代総統・蒋介石を讃えるために造られた公園。広大な敷地は元日本軍の軍用地。

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5、景福門

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中正紀念堂近くの大きな交差点にある中国的装飾の立派な門。
近代的なビルの間にぽつんと残る門は、「景福門」。近寄って見たかったが、
大きなロータリーで向こうに渡るのが大変なので、写真だけ撮った。台北はバイクが多い。

景福門は、清の時代に造られた「台北城」の東西南北の城門のうちの東門。
城壁は日本統治時代に取り壊され、堀が埋められ、広い片側三車線道路となった。
この地域は、日本統治時代の中心地であり、石造りの立派な建物は今でも総統府、
迎賓館として使われている。


↓ 赤い(逆光で赤く見えないけど)レンガの堂々たる建物は総統府。
日本が建築(辰野金吾の弟子の長野宇平治の設計、長野は日銀本店も設計)したもので、
昔は台湾総督府だった。36度と暑い日の午後2時。

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この写真を撮った位置の横、緑に囲まれた敷地内にルネサンス様式の堂々たる建物の
一部だけが見えた。旧台湾総督官邸で、今は迎賓館として使用されている。

6、動物園と猫窓ロープウェイ
ビジネスで毎月、こちらに来ている台湾ツウのK氏のオススメが動物園とゴンドラ。
ホテルの朝ごはんレストランのお姉さんのオススメも動物園とゴンドラ。
動物園はアジア一の大きさでパンダがいるので、台湾人の自慢らしい。
ホテルでドアマンに、タクシーの行く先を「動物園」と告げると、「ペンだ」 えっ?あー、パンダね。

まずはゴンドラに乗ったが、この日も36度で日本より蒸し暑い。
30分も乗るので、暑さも半端なく、頂上で食べた「スムージー」=かき氷の
美味しかったこと!帰りは、もう高くてもいいとタクシーで。暑さにまいって動物園に
行く気力はなかった。


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ゴンドラから見えた動物園の煙突。

7、士林夜市
常設店舗と道の真ん中に開かれる屋台の店とで、通路は狭く、すれ違うのに
ぶつからないように気をつけないと。熱気があってアジアっぽい雰囲気。
食べ物、飲み物、服、雑貨、たくさんのものが売られている。

以上が観光。

次回は食ベ物
忙しいので、コメントを頂いてもお返事ができるかどうか。。。


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ルノワール展 [展覧会(西洋画)]

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国立新美術館で開催中のルノワール展は、今まで見たルノワール展の中で一番よかった。
でも、会期が明日22日まで。遅い記事ですみません。

どこが良いのかというと、大きな代表作がいくつも来ていて、見応えがあり、それが、
新国立の天井の高い大きな空間に、見やすく展示されていて、印象に残る。

チラシに使われている「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、177×131㎝の大きな絵。1876年。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は、パリ・モンマルトルのダンスホール。画面狭しとばかりに
大勢の男女が踊ったり、会話したり。光がいっぱいの楽しそうなひととき。日本初公開。

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「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」で、中央にいる女性2人、美人姉妹で、上の方の黒い服のジャンヌは
「ブランコ」1876年、のモデル。
「ブランコ」は、Bunkamuraの「ルノワール+ルノワール」展にも出品されていた。
リボンが前についた白い服に当たる陽のきらめきが、写真では伝わらず、実際に絵を見ると
よくわかる。地面に降り注ぐ木漏れ日もきらきらと美しい。

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まさに印象派という「光のきらめき」の時代から、7年後の1883年。
「田舎のダンス」「都会のダンス」これも180×90㎝と大きな絵で、2つ並んでの展示は45年ぶり。

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田舎のダンスのモデルは、後にルノワールの妻となるアリーヌ・シャリゴ。
赤い帽子で赤い頬。楽しそうに笑っている。健康そうなシャンパーニュ地方オーブの田舎娘。
一方、「都会のダンス」のモデルは、ユトリロの母で画家のシュザンヌ・ヴァラドン。
純白のドレスでの美しい立ち姿は、まさに都会の洗練。

ダンス関連として、ルノワール以外の同時代の画家も展示されている。
ゴッホの「アルルのダンスホール」

ティソの「夜会」の裾が豪華なサテンドレスの黄色の鮮やかなこと!これも1mの大きな絵
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ルノワール次男、映画監督のジャン・ルノワールの作品「フレンチカンカン」の
ハイライトシーン映像コーナーがあり、外にもフレンチカンカンの音楽が聞こえてくる。


[フリーダイヤル]会場は、いくつものセクションに分かれている。
最初の絵は、「猫と少年」。1868年。縦123㎝の大きな少年のヌード。
かなりの美少年。マネ、クールベの影響を受けた印象派以前の若い時代の作品。

次の絵は、「陽光の中の裸婦」1876年
ルノワールらしさが出てきた絵。Bunkamuraの展覧会にも出品されていた。

[むかっ(怒り)]「私は人物画家だ」というタイトルのセクションは、肖像画特集。
ここでも180㎝と大きい「ジョルジュ・アルトマン夫人」の全身、室内肖像画の立派さに目が行く。
「ジョルジュ・シャルパンティエ夫人」1876年
ブリヂストン美術館にある「座るジョルジェット嬢」の母君。
「モネ」を描いた肖像画もあった。

「読書する少女」 1874年
白い頬をバラ色に染めて読書に熱中する少女。何を読んでいるのだろう。
窓からの光が美しい。

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[むかっ(怒り)]風景画
「草原の坂道」 1875年
少し高い視点から描かれた坂道。降りてくる人の動きがいきいきと、実際にこちらに向かって
くるかのようだ。遠景の一本の糸杉の木が全体をひきしめ、野原の空気感が伝わる。
モネの「日傘の女性」もこんな草原に立っていたっけ。

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「バナナ畑」1881年は、ルノワールらしくない強い色彩だが、実際、バナナ畑はこういう
色合いだったのだろう。

[むかっ(怒り)]子どもたち、身近な人たち
「ジュリー・マネ」1887年
画家ベルト・モリゾとマネの弟ウジェーヌ・マネの娘ジュリー。
9歳だけど大人びた表情。気品があってかわいらしい。抱かれた猫の顔がいいなぁ。
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「母性(ルノワール夫人と息子ピエール)」 1885年
田舎のダンスでモデルだったアリーヌは、ルノワールの妻となり、子どもを3人生んだ。
授乳中のアリーヌ。顔は喜びに満ちている。

「道化師(ココの肖像)」
ココはルノワールの息子クロードの愛称。道化師の服を着せての肖像画。

「バラを持つガブリエル」1911年
ガブリエルはルノワール家の乳母であり、たくさんの絵のモデルとなった。
豊満な肉体だったので、「横たわる裸婦(ガブリエル)」1906年という大きな作品もあった。

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[むかっ(怒り)]ピアノを弾く少女たち

「ピアノを弾く少女たち」1892年
印象派の作風を離れた古典的画面構成。温かみのあるルノワール色。
じっと見ていると、実に多彩な色の組み合わせで絵が構成されているとわかる。
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この絵の横に、ブリヂストン美術館の「ドビュッシー展」に出品され、チラシに使われていた絵
「ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル」 1897年 が展示されていた。

[むかっ(怒り)]裸婦
肌色表現が得意なルノワール。生涯、裸婦をたくさん描いたが、その集大成がこの大きな裸婦。
「浴女たち」1918~1919年 
晩年はリウマチに侵され、手が不自由になっていたにも関わらず、豊かな色彩と表現力。
生命感に満ち溢れている。

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[フリーダイヤル]作品数は全部で100点ほどで、すべてオルセー美術館とオランジュリー美術館のコレクション。
質の高い展覧会だった。


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私が見たカサットの絵 [展覧会(西洋画)]

前の記事、横浜美術館で見た「メアリー・カサット展」を書いていたら、外国の美術館で見た
カサットの絵を思い出したので、記事にまとめておくことにした。

1、オルセー美術館(2010年春)
今は撮影禁止のオルセー美術館だが、当時はOKだったので、気に入った絵を何枚か
写真に撮った。
カサットはアメリカ人なので、作品は主にアメリカの美術館で見れるが、パリで学び、
死ぬまでパリに住み、印象派展に参加、出品していたので、当然、オルセーにも作品がある。

”Jeune fille au jardin" 庭で針仕事をする若い女性 1880年
カサットには、縫物をする女性の絵が数枚ある。当時の女性の日常的な光景だったのだろう。
女性を囲むゼラニウムの赤が全体を華やかにしている。背景の道が斜めに画布を切っている
ので、女性がこちらに近づいてくるかのような感じがする。

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"Malle.Louise-Aurore" 1902

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2、ボストン美術館(2008年)
”In the Loge" 1878
「桟敷席にて」 今回のカサット展(横浜美術館)に出品されていた。
桟敷席での絵は、姉リディアをモデルにしたものも何枚かあるが、これが突出している。

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"Tea" 1880
午後のお茶は、当時の上流階級の儀式のようなものであった。
ストライプの壁紙や大理石のマントルピース、銀のティーセットが豊かな生活を象徴している。
手前にすわるのがこの家の人(モデルはリディア)、中央の女性が客。
客の女性は正装で手袋をしたまま紅茶を飲んでいる。

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3、メトロポリタン美術館
"The Cup of Tea" 1880
姉リディアと両親がパリに移住して来てからの絵は、姉がモデルの絵が多い。
「お茶の時間」は、当時の上流階級の習慣だった。
印象派の活き活きとしたきらめく筆づかいと明るい色調。
ピンクのドレスは補色関係にある青のソファーや背景で強調されている。
1881年の印象派展に出品し批評家に称賛された絵。

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”Lady at the Tea Table” 1885
母のいとこリドゥル夫人がモデル。リドゥル夫人がここにある立派な青磁のティーセットを贈って
くれたので、お礼にと、夫人の肖像画を描いた。
カサットとしては自信作だったが、あまりにも本人に似ていたので、夫人に拒否され、ずっと、
カサットの手元にあり、メトに寄贈された。

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”Young Mother sawing" 1900
カサットは、1890年頃から専ら「母と子」または「子供」をテーマにした絵を描いた。
甥や姪への愛情、子育てへの興味が反映しているが、この絵のためには、モデルを雇った。
親友のハヴマイヤー夫人は、この絵を絶賛して購入した。「お母さんの膝にもたれかかってる
子供。お母さんにとっては、それだけで、邪魔なのに、子供は邪魔してないつもりなのよね。
でも、それは本当ね。お母さんは、ちょっと手を止めるけど、またすぐ針仕事を続けてるんですもの」 

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”Mother and Child (Baby getting up from his nap)" 1899
美しいドレスを着た女性が昼寝から起きた子供の足をタオルで拭っている。
ブロンドで青い眼の赤ちゃんはJulesという男の子で、カサットのモデルとして頻繁に登場する。
豊かな色彩で、型破りな構図のこの絵は、メトに収蔵されたカサット作品第一号である。

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”Mother and Child" (The Oval Mirror) 1899
ルネッサンス絵画の聖母子のような構図。楕円形の鏡が子供の頭上の天使の光輪と
関係づけることができる。カサットの絵の先輩ドガは、「きみの良い資質と悪い点が出てる絵。
子供のイエスと英国人の乳母のようだ」と批評した。
この絵は、ハヴマイヤー夫人が「フィレンツェのマドンナのようだわ」と気に入り購入した。

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”The Garden" 1880 「別荘の庭でかぎ針編みをするリディア」
カサット一家はパリ郊外の別荘で夏を過ごしていた。姉リディアは、美しく
着飾って(刺繍が袖口、前たてにある服)、かぎ針編みにいそしんでいる。
屋外での絵画は多くないが、リディアの白い大きなレースの帽子に、まぶしい夏の太陽がさしている。

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4、シカゴ美術館

"The Child's Bath" 1892
背景の色からだろうか、静けさを感じる画面構成だが、子供をしっかり抱えて足を洗う母、
そのようすを見つめる無邪気な子供。親子の情愛が伝わってくる。
上から見たような構図や、大胆な縞模様の服は、日本の浮世絵からの影響といわれている。
子供の白い肌、子供の腰に巻かれた白布、母親の太い縞の服の白、白の水差し画面と、
全体を白が引き締めている。縞模様の服は日本の着物の柄を思わせる。

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"On the Balcony" 1978~9
バルコニーで新聞を読む姉リディア。リディアの白いドレスも華やかだが、背景の花々が
さらに画面に明るさと華やかさを加えている。知的で豊かな雰囲気の伝わる作品。

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5、ホノルル美術館

”The Child's Caress" 1891
カサットは、「母と子」の作品で有名な画家。
この作品は、キリスト教の主題「聖母子」を思い起こさせるが、カサットは聖母子を
現代版に置き換えている。これもそうだが、カサットは、後期の作品の「母と子」には、
知人ではなく、モデルを使い、家族の肖像というより、人間の愛情の交流を描いている。

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6、その他

"Little girl in blue arm chair" 1878  「青い肘掛椅子の少女」
WNG(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)にある作品だが、2006年ボストン美術館で
「パリのアメリカ人」という企画展をしていた時に見た。
このソファーは元々ブルー単色だったので、ドガが模様を加えたという先生の手の入った
作品。退屈そうな少女、左の犬までが退屈でねむいなぁという様子がほほえましい。

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メアリー・カサット展 [展覧会(西洋画)]

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横浜美術館へ「メアリー・カサット展」を見に行った。
私がカサットという名前を初めて知ったのは、1999年、アメリカ、NYのメトへ行った時、
「メアリー・カサット、印象派のアメリカ人」という特設コーナーがあり、モネの絵のような
緑の庭に赤い花、女性が針仕事という優しい絵が心に残っている。

その後、アメリカで、フィラデルフィア、ボストン、ワシントン、シカゴと美術館を訪ねると、
カサット作品が何点も展示されていたので、アメリカの誇る画家なのだとわかった。

9年前、yk2さんの「メアリー・カサット」2部作を読み、カサットがどういう人なのか、
どんな絵があるのかがわかり、ますます興味を持ったので、今回の展覧会を楽しみに
していた。日本では35年ぶりの回顧展!
そこで、私なりにわかったカサットの画業の流れを記録。

1、画家としての出発
カサットは、1844年アメリカ・ペンシルヴァニア州ピッツバーグの裕福な家庭に生まれた。
母はフランス語も話す教養豊かな人だった。7歳の時、次兄の病気療養のためヨーロッパへ渡り、
パリとハイデルベルグで4年間を過ごす。16才の時、ペンシルヴァニア美術アカデミーに入学。
もっと絵の勉強をするために21歳の時、父の反対を押し切ってパリへ留学したが、国立美術学校は
女性の入学を認めていなかったため、ジェロームに師事し、ルーヴル美術館で模写に励んだ。
また、パリ郊外のバルビゾン村にも出向き、風景画や風俗画を学んだ。24歳で絵がサロンに入選。
しかし普仏戦争がおきたため、アメリカに帰る。
ピッツバーグの司教から、コレッジョの作品の模写を頼まれ、パルマに向かった。
パルマでは、銅版画の技術も学んだ。その後、スペインに渡り、マドリードのプラド美術館で
ベラスケス、ムリーリョなどを研究した後、セビーリャに長期滞在し、セビーリャの人々を描いた
「闘牛士と少女」がサロンに入選した。
セビーリャ滞在中の大作 「バルコニーにて」 1873年
初めて男性を描いた作品。バルコニーにたたずむ人物という伝統的主題だが、人物の表情、
身振り、華やかな衣装が正確な観察の下、みごとに描かれ、大きな賛辞をあびた。
スペイン色の強い絵である。

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2、印象派との出会い
カサットは1874年、30才の時、パリに居を構える。
実力はパリの画壇で認められるようになったが、サロンの因習や審査に疑問を持ち始めていた。
1875年頃、画廊のウィンドウに飾られたドガのパステル画に衝撃を受けたカサットだったが、
その後、ドガの方から、印象派展への参加を薦められ、快諾した。
印象派は「都会に生きる人々」を主題に描いていた。丁度、両親と姉のリディアがアメリカから
パリに移住してきたので、カサットは家族の日常生活を描いた。

「桟敷席にて」 1878年
当時のパリで劇場は華やかな社交場であった。
女性は当時の流行の黒いドレスで、芝居を熱心に見つめている。奥には身を乗り出して
女性を見つめている男性がいる。

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1879年、カサットは、ドガやピサロと共に版画誌「昼と夜」を企画、銅版画の研究に励んだ。
「オペラ座の桟敷席にて」 1880年
印象派展に出した作品。モデルは姉のリディア。桟敷席の装飾部分にに工夫をし、明暗を
際立たせることで劇場の華やかな雰囲気を出している。

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これは、ドガの作品。「ルーヴル美術館考古展示室にて、メアリー・カサット」 1879年
版画誌「昼と夜」のための作品。日本の浮世絵版画の効果を銅版画で出す試みをドガは
行っていた。
ルーヴル美術館のエトルリアの石棺彫刻展示の前にいるカサットと姉リディア。
カサットは傘をステッキ代りにして立ち彫刻を見、リディアは腰かけてガイドブックを読んでいる。

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「眠たい子供を沐浴させる母親」 1880年
母子像の最初期の作品で、印象派展への出品作。
視線を交わす母と子。全体は印象派ふうに大振りに描かれているが、母親の手は克明に
描かれている。赤ん坊の足が長いのは、コレッジョの母子像の影響。

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「浜辺で遊ぶ子供たち」 1884年
人物を画面いっぱいに収め、俯瞰的な視点で捉えているのは浮世絵的手法。
輪郭線をはっきり描かない印象派的手法でなく、輪郭線を描くことで子供をくっきりと
うかびあがらせている。

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3、新しい表現、ジャポニズム
カサットは、1890年に国立美術学校で開催された「日本版画展」で見た浮世絵に感激し、
多色刷り銅版画の制作に没頭した。女性の日常を描いた版画10点組は浮世絵の揃い物に
倣ったのだろう。
洗練された輪郭線、平面性、単純化された形態。カサットは摺り師を雇い多色刷りに意欲を
燃やした。

湯あみ(たらい) 1890年
版木を2枚用い、色の配置と図柄のために20以上ものステートを費やした。
右下に、摺り師ルロワとカサットと書着こむほど、摺り師の仕事を尊重していた。
水彩画に近いがはるかに力強い。

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「沐浴する女性」 1890年
構図、色彩、雰囲気が調和した作品。衣服の縞模様も日本っぽい。
ドガは、背中表現のみごとさを褒め、この作品を画商から購入した。

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「午後のお茶会」 1890年
刷り上がった後に、ティーカップに金色の縁取りを描いて入れた作品。
実物では、金色が明快にアクセントになって絵に華やかさをもたらしている。

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カサットはアメリカでも有名になっていたので、シカゴ万博「女性館」のための壁画依頼を
受けた。テーマは「現代の女性」であったので、カサットは「果実をとる女性」をモチーフとした。
知恵の木からその実をとり、赤ん坊や少女たちに手渡す女性、つまり女性教育の促進を
エレガントに描いた。

「果実をとろうとする子供」 1893年
チラシに使われている絵。
シカゴ万博の「果実をとる女性」をさらに発展させ、母子の表情をクローズアップし、聖母子像
を想起させる象徴性をもたせた作品。しっかり子供を抱く母のたくましさと果実をとろうとする
子供の生命力が伝わる。

4、母と子、身近な人々
この時代のカサットは、母と子をたくさん描いた。
1880年の「眠たい子供を沐浴させる母親」のような印象派の明るい色彩を残しつつ、
かちっとしたルネサンスの人物表現と浮世絵の平面性を取り入れて独自の母子像を描いた。

「母の愛撫」 1896年頃
母と子が見つめあっている。大胆なクローズアップ。子供はよくこんな手つきで母の顔を確かめる。
重量感ある手の表現。

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マリー=ルイーズ・デュラン=リュエルの肖像 1911年
印象派の画家たちを支援した画商ポール・デュラン=リュエルの孫。
パステル画
晩年、視力が衰えてきたカサットは油彩より早く仕上げることができるパステルを多く利用した。

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[むかっ(怒り)]カサットはアメリカにヨーロッパの美術のコレクションをもたらしたという点でも注目される人だ。
まずは、ペンシルヴァニア鉄道の社長だった兄にドガ、モネ、ピサロなどの作品を薦めて購入させた。
それらは現在、フィラデルフィア美術館にある。また後に大富豪ハヴマイヤー夫人となったルイジーヌ
とは10代の頃からの親友で、共に展覧会に足を運ぶうち、ルイジーヌの美術知識や審美眼が磨かれ、
コレクションを始めた。ハヴマイヤーコレクションは、19世紀フランス絵画だけでなく、イタリア、オランダ、
スペインの古典絵画も含まれており、それらはNYのメトロポリタン美術館に寄贈された。


この展覧会には、カサット関連ということで、ドガが「踊りの稽古場にて」など6点、ベルト・モリゾ3点、
ピサロ3点、エヴァ・ゴンザレス、フェリックス・ブラックモンの妻マリー、ブグローの妻エリザベスの絵も
展示され、カサットが持っていた北斎の「富嶽三十六景」「諸国滝廻り」各2点、歌麿の浮世絵4点
喜多川相悦の「秋草花図屏風」も見れ、内容豊富で期待以上の展覧会だった。


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青山 川上庵 [和食の店]

今回は、お蕎麦屋さんです。

M子さんは和食とお蕎麦が大好き。そんなM子さんお薦めの店。
「蕎麦屋と言ってもワインもあるし、肴(つまみ)が美味しいのよ。天ぷら、卵焼き、他にも
あなたの好きそうなものがたくさんあって、お蕎麦は食べなくてもいいのよ」
ドライヴに行った日、M子さんにずっと運転してもらったので、私の方から
「車置いてから、夜ごはんは、あなたの好きな青山の御蕎麦屋さんに行きましょ」と提案した。

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蓮根のはさみ揚げ。熱々の揚げ物と冷えた白ワインは美味しい。
メニューを見たら、「くらかけ豆」があった。この前、ミッドタウンの「酢重」で食べたっけ。
お店の人と馴染みのM子さんが、「このお豆、この前、ミッドタウンの『酢重』で
食べて美味しかったのよ。あちらは、うちのオリジナルって言ってたけど。。」
「酢重はうちですから」「は?」「酢重はうちでやってる店なんですよ。」
同じ経営だから、お豆が同じなのね。
この日撮った写真は、これだけ。

1年の半分ハワイに住んでいるMと私、M子さん、時々3人で出かける。
Mが映画「ファインディング・ドリー」を見たいというので、六本木の映画館で見た後、
青山の川上庵に行った。もちろん予約をしておいた。人気店なので、土日に予約なし
では入れない。
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左から、野沢菜、一人娘(豆)、揚げ茄子をとろろで合えてミョウガをのせたもの。
純和風の健康的な料理。
ようやく私向きの牛肉、卵焼きが来た。
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牛肉の蓮根巻

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3人でこれだけでは足りないから、他にも何か頼んだはず。
ワインは白2本、赤1本。でも一人1万円なり~。

本店は軽井沢で有名な蕎麦屋だそうです。


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