鈴木其一展(後期)サントリー美術館 [展覧会(日本の絵)]
サントリー美術館でのKIITSU 鈴木其一展は、前期と後期で作品の入れ替えがあった。
それも大幅な入れ替えで半分以上が替わるときいて、「それなら行かないと、、朝顔ももう一度
見たいし」」と、会期もあと2日という金曜日の夜、仕事帰りに行った。
10/30で東京展は終わってしまったが、兵庫、京都と巡回するので、載せることにした。
後期の注目作品は、
「夏秋渓流図屏風」 六曲一双 根津美術館
檜の木の緑と渓流の青に目を奪われる。実際に、こんなに青い水があるだろうか。
右隻は夏景色で、白い山百合と蝉、左隻は秋景色で紅葉した葉が描かれている。
きめ細かく描かれた檜の葉に対し、笹の葉は大まか。至る所に貼りついた点苔が
光り、森の中の妖しさを際立たせる。かなりの水量でこちらに向かって流れてくる
渓流も大胆で動きが感じられる。
もう一つの注目作品は、
風神雷神図襖」 八面 東京富士美術館蔵 (ここに風神は図なし)
宗達、光琳、抱一と受け継がれてきた「風神雷神」。
元は真ん中二面の屏風だったものを左右に余白を加え襖とした。
墨の勢いがすばらしい。
これと「朝顔図屏風」の構図は似ていると、某TV番組で言っていたと同行の友達が
教えてくれた。
其一は、40代後半に家督を息子の守一に譲り、琳派に写実を加え、大胆さもある
自由な作風を追求した。
「鶏に菊図」 個人蔵
縦横共に1mを超える大きな絵。
雌雄の鶏と花という主題は、若冲の絵を想い起す。
若冲の場合は鶏が目立っているが、こちらは円弧を描いたような白い菊の花のみごとさ
にも目がとまる。若冲は其一より80年前の人気作家なので、其一は若冲作品を意識して
描いたのだろう。若冲に比べると華やかさはないが落ち着きがある。
「祝琳」という印章が押されているので、大名とか豪商からの祝い事で
依頼された作品。白い菊は長寿を表し、夜明けを告げる鶏は徳の高い吉祥の存在。
「藤花図」 出光美術館蔵
横120㎝、縦約170㎝の大きな画面いっぱいに描かれた藤の花。
しかも藤の花の色は青。異次元の世界で幽玄な雰囲気。元は仏間の襖絵であった。
藤の花は「来迎図」で阿弥陀如来が乗ってくる紫雲に見立てたものだろうか。
背景にまかれた茶色の点は、元は銀砂子だったので、銀色を背景にした青い藤の花の
幽玄さは譬えようもなく美しかったであろう。見入ってしまった絵。
「藤花図」 個人蔵
前期に展示されていた「藤花図」(細見美術館蔵)を気に入っているので、今回、
これを見るのを心待ちしていた。
細見美術館のものより花の色が紫っぽく、後ろに白藤がある。
藤の花を長く垂らす構成は琳派の先達に倣ったものと言われるが、其一の藤の花は
花びら一つ一つを付け立て技法で鮮明に描き、実に美しい。
「朴に尾長鳥図」 細見美術館
朴(ホオ)の木は日本原産だが絵に描かれることは珍しい。
たらし込みを用いた大きな葉の表現がみごと。
花の黄色いしべの上にある青い色が画布中央で絵を引き締めていた。
「雪中檜図」 個人蔵
檜に雪という画題は師の抱一の「12か月花鳥図」でも時々描かれている。
しかし、枝に積もった雪がまさに落ちる瞬間をとらえた絵は其一が初めてである。
滝のような落ちる雪。積もった雪の形が地図のようで面白い。
私の好きな作品ばかりを紹介したので、花の絵がほとんどだが、其一は達者で何でも描けた。
絵描きとして生活していくため、絵を買ってくれるお得意様の注文に応じ、仏画、能絵、節句掛け
などいろいろなものを描いた。
「達磨図凧」 個人蔵
達磨の図絵は江戸凧ではよく取り上げられた画題だった。しかし多くは、ざっと描いたものだったが、
これは胸毛まで描くほど写実的だが、表情に可笑しみがこめられている。線描に金泥添えられ華やか
な仕上がりになっている。
「大江山酒呑童子図」 ファインバーグ・コレクション
源頼光らによる大江山の酒呑童子退治の伝説は、絵巻に取り上げられ、浄瑠璃や歌舞伎にもなった。
この絵で酒呑童子は、桜の季節、滝を眺めながら女性2人を侍らせ、虎の敷物の上で酒を飲んでいる。
画面下で洗濯をする女性は、この後、頼光らが鬼退治に来たときに道案内をする役目。
酒呑童子の顔は、国芳ふうの武者絵に通じる描き方。滝から続く渓流は、「夏秋渓流図屏風」の手法。
其一が「描表装」で人気を得たことは、前期の記事でも紹介したが、これは親子の合作。
其一が月に雁を描き、秋草の表装部分を息子の守一が手がけた。守一は優しい画風。
「月に秋草図」 鈴木其一・守一 個人蔵
「石橋・牡丹図」 鈴木守一
其一は大名能を広く知らせるために能を題材とした絵をいくつも描いた。
守一も跡を継いで、能の絵の作品を残している。
中央に獅子頭をつけて踊る能役者、左右に咲き誇る大輪の牡丹を描いた三幅対の作品。
牡丹の花の写実が素晴らしい。精緻な筆の冴えに優しさが加わっている。
其一は大名家の御用絵師であったが、商人のお得意様も多かった。
最大のパトロンであった油問屋の松沢孫八に宛てた手紙も展示されていて、
『こんな絵が出来ました、、』とか『こんなのはどうでしょう』、『先日は漬物をありがとうございました』などの下りがあり、読んでいると、なかなか如才なく商売上手だったことがわかる。そんな其一に親しみがわいたのは、
前期を見た後の後期展示で、いくつか見た絵があり、余裕があったからだろう。