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クラーナハ展 [展覧会(西洋画)]

東京・上野の西洋美術館で開催中のクラーナハ展に行った。
クラーナハは、長らくクラナッハと記述されていたが、原語に近い表記で「クラーナハ」が最近
使われている。クラナッハの方がドイツってすぐわかるのに、、と思うのだが。

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クラーナハの絵は、世界中、たいていの大きな美術館で、見かける。
下半身太りの裸体、冷たい目つき、鎖のような金のネックレスと特徴があるので、すぐわかる。
日本では今回初の展覧会。見に行くのを楽しみにしていた。

クラーナハは、今から500年前にドイツ、ザクセン地方で活躍した。
その頃、ドイツではデューラーが第一人者としての地位を確立していた。

1504年、クラーナハはザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公の宮廷画家にスカウトされ、
ザクセン公国の首都ヴィッテンブルグに居を移した。
顎ひげをたくわえ、金色の頭巾を被った選帝侯の肖像画も展示されていた。(fig1)
クラーナハは工房を構え、宮廷人・政治家などの肖像画や教会の祭壇画を制作した。
fig1 1515年
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「ザクセン公女マリア」(1534年)
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婚約を機に制作されたもので、ティアラに指輪4本、着飾っている。
ネックレス、立ち襟、コルセットの結び目などは当時の宮廷モードだったらしい。
服の袖の切れ込みは装飾的で、この絵に立体感を出している。
ピカソも本作品のポストカードを所持していたとのこと。

宮廷画家としてのクラーナハは、木版画の制作もまかされた。
木版画は大量生産が出来るので、フリードリヒ賢明公の宣伝のために流布された。
「聖母を礼拝するザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公」 1512年

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[クラブ][ダイヤ] 裸婦

クラーナハというと、あの独特のフォルムの裸体画を思い浮かべる人が多いと思う。
fig2 「ヴィーナス」1532年
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NHKの番組「日曜美術館」で、この裸体のおへその位置はあり得ないと実際の人物を
用いて試していたが、あり得ないところがいいのだと思う。首を異常に長く描いたり、
アングルの「パフォスのヴィーナス」然り。
暗い背景に浮かび上がるかのような細身の肢体。手には透ける布のヴェールを持つ。
高貴な夫人が、ぱっと服を脱ぎ捨てたかのように豪華なネックレス、髪飾りが光を放つ。

「アダムとイブ」1537年
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これよりずっと前、1509年制作の「アダムとイブ」の木版画も展示されていた。
木版画で流布した「アダムとイブ」だが、この絵も板絵で数多く作られた。
イブは右上にいる蛇にそそのかされ、リンゴを食べ、アダムにもすすめた。
りんごを手に持ち、「ほんとに、おいしいの?」と躊躇した表情のアダム。
左下の鹿がこちらをじっと見る目付きは何を意味してるのだろうか。

マルセル・デュシャンが、この絵を下にエッチングで「アダムとイブのイメージ」
を描き、パリの劇場での幕間劇に自らアダム役になった写真も展示されていた。

「泉のニンフ」1537年
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ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」にそっくりの構図。
しかし、このヴィーナスは、fig2の立ち姿のヴィーナス同様、ネックレスや腕輪をつけ、
脱ぎ捨てたビロードの服を枕にしていて、古代のヴィーナスではない。
右側の木に弓と矢筒がかかり、ヤマウズラがいるので、狩りの女神ディアナの存在が
暗示されている。ディアナはニンフたちに「誰にも裸を見せてはならない」と命じた。
しかし、この奔放なニンフは、、、。

「ルクレティア」1510年
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クラーナハは数多くの「ルクレティア」を描いているが、私が好きなのは最初期のこれ。
表情に決意と気品がある。
最終段階での「ルクレティア」は、黒い背景でfig2ヴィーナスと同じような全身像。

[スペード][ハート] 女の力 誘惑する絵

老人と若い女という「不釣り合いなカップル」。
金品目当てに誘う女。のせられる男。老人の描写がリアル。

「サムソンとデリラ」1528年
美しい女性。赤いビロードの服の艶の表現がすばらしい。

「ロトとその娘たち」1528年

「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」1530年代
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あどけない表情のサロメ。母ヘロディアからの命令で首をもらっただけなのよ、
と罪の意識は全くない。こんな美しく可憐な女性が踊ったら、「褒美に何でも取らせるぞ」と
ヘロデ王が言ったのもわかる。

「ホロフェルネスの首を持つユーディット」1525年
チラシに使われている絵。
自分たちの町を乗っ取り、我が物顔に振舞っていた敵方の首領ホロフェルネス。
町を救うために、ホロフェルネスを酒に酔わせ眠らせ、首をはねた。
張りつめた面持ちの中に達成感と安堵感が見られる。冷たく見えるが美しい。
サロメのあどけなさと大いに異なる。

[天秤座][パスワード]ルターと宗教改革
フリードリヒ賢明公が創設したヴィッテンブルグ大学にルターは学び、後に教授となった。
ルターは、1517年に教会に、「教皇レオ10世が発行する免罪符への論題」をつきつけ、
教会の改革を目指したが、受け入れられず、破門された。そのため、カソリックとは袂を
分かち、プロテスタントとなった。

フリードリヒ賢明公はルターを応援し、クラーナハの描くルターの肖像画が広まった。
ルターひとりの肖像画もあるが、禁止されていた聖職者の結婚を世の中に認めさせるために、
ルターは妻との絵をクラーナハの工房で描かせた。

「マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ」 1529年
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フリードリヒ賢明公によって城に匿われたルターは、聖書のドイツ語訳を完成させ、
その挿絵をクラーナハが木版で作成し、出版人として印刷もした。

クラーナハの考案した絵画主題のうち一番の人気は
「子どもたちを祝福するキリスト」 1540年頃
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クラーナハ工房は、30点以上この主題の作品を制作した。どれも同じものはなく、
それぞれに改変が加えられている。

クラーナハ工房は、絵の寸法や構図を規格化し、定型化した人物像と風景モチーフ
を積み木のように組み合わせ変化をつけたので、制作は迅速で、量産できた。
クラーナハは経営者として近代的な合理化をし、ブランド管理を行い、経済的な成功
をなした。500年も前のことである。クラーナハ亡き後、工房は息子に受け継がれた。


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リストランテ・フリック(南青山) [閉店した店]

☆この店は閉店しました

 いつもの飲み仲間3人での忘年会。Tが「仕事が一段落する20日はどう?」と言ってきた。
場所は、「CICADA」 という希望だったけど、年末の予約はもう一杯。
2次会が3人の行きつけの場所なので、そこから遠くない所をネットで探した。
丸の内の「イル・ギオットーネ」で、シェフだった人の店、リストランテ・フリックにする。
イルギオットーネは美味しかったから。

アミューズ、スープ、前菜、パスタ、メイン、デザート 6皿で7000円のコースにした。
アミューズは、ライスコロッケと生ハム、オリーブ。これは3人分。
泡(スプマンテ)と合わせる。

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きのこのスープ、カプチーノ仕立て。
ボルチーニ茸のいい香り。

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ブリのカルパッチョ、トマト、ラディシュ、きゅうりなどの野菜添え、バジルソース。
白ワインが合う。

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パスタは3種類から選ぶようになっていた。
私は、アマトリチャーナ。これは絶品だった。パンチェッタ(バラ肉ベーコン)でなく、
グアンチャーレ(ほほ肉ベーコン)。

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四元豚のソテー。四元豚は霜降りで、とっても柔らかい。

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デザートはティラミスとアイスクリーム。

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ワインがボトルで5000円からで、しかも5000円のが何種類もあるという嬉しい値段だった。
どのお料理も綺麗に飾られ、飾り切りがなされた野菜が美しかった。


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ゴッホとゴーギャン展 [展覧会(西洋画)]

東京都美術館で開催中の「ゴッホとゴーギャン」展」を見に行った。
今までに、ゴッホ展は何回もあったけれど、今回の展覧会はタイトルどおり、ゴーギャンとの
友情、共同生活に焦点を当てたもの。
ゴーギャンとの共同生活で、精神的におかしくなったゴッホが自分の耳を切り落とした事件
は、ご存知ですよね。

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まずは、ゴッホとゴーギャン、2人が出会うまでのそれぞれの作品が展示されていた。

ゴッホは1853年、オランダの牧師の家庭に生まれた。
聖職者を志すが、28歳で画家に転向。はじめは、暗い色彩の絵を描いていた。

最初の展示作品は、「古い教会の塔、ニューネン(農民の墓地)」 1885年5-6月
30代初めの作品。初期なので暗い色彩。
ニューネンは両親が住んでいた場所。教会は廃墟で暗鬱な雰囲気。建物のまわりは
十字架のある墓地。空には鳥が舞っていた。
「こんな絵、なかなか見る機会がない」と同行の友が言う。

1886年にパリに出たゴッホは、印象派や新印象派の絵を学び、色彩が明るくなる。
1887年の34歳の自画像。「パイプと麦わら帽子の自画像」 
明るい水色の服に目が行く。大胆で素早い筆使い。黄色の麦わら帽子。

ゴッホの憧れ的存在だったミレーやコロー、ゴーギャンが薫陶を受けたカミーユ・ピサロ。
他にモネ、シャヴァンヌ、モンティセリという当時の画家たちの作品が展示されていた。
初めて見る絵ばかりで、とても良かった。
ミレー「鵞鳥番の少女」
ピサロ「ヴェルサイユへの道、ロカンクール」
セリュジエ「リンゴの収穫」

エミール・ベルナール「ティーポット、カップ、果物のある静物」

1888年、ゴッホはパリを離れ、明るい光の南仏アルルに移住。黄色い家を借り、アトリエとした。
「収穫」1888年6月

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青い明るい空の下、田園が広がる。パノラマ風景。
収穫の季節なので、田園は黄金色に染まり、農機具や人も見える。
この絵、いいですよねー。[黒ハート]
丁寧に描かれた詩情豊かな光あふれる絵。

アルルを気に入ったゴッホは、ここに画家たちのユートピアを作りたいと考え、何人かに手紙を出した。
ゴッホが特に強く誘ったのはゴーギャン。ゴーギャンから、OKの返事が来ると、ゴッホはゴーギャン用の
肘掛椅子を買い、2本の蝋燭、2冊の本を置き、歓迎用の絵を描いた。
「ゴーギャンの肘掛椅子」 1888年 (上のチラシに使われてる絵)

一方のゴーギャンは、1848年、パリ生まれ、ゴッホより5才年上。父は共和党支持のジャーナリスト
だったので、ルイ・ナポレオンの台頭により南米ペルーへ一家で逃れ、7才まで過ごす。パリに戻り、
株式仲買人として勤める傍ら、絵を学び、ピサロと知り合う。

「夢を見る子供(習作)」 1881年
印象派展に出品。モデルは娘。子供が白いシーツのベッドの上でこちらに背を向けて眠っている。
静かな絵だが、ベッドの向こうの壁紙に鳥が飛んでいるのが装飾的。

ゴーギャン「自画像」 1885年

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1886年、ブルターニュ地方の田舎ポン=タヴェンへ出かけ、制作に励み、後に「総合主義」を
打ち出す基礎を作った。
「ブルターニュの少年の水浴」 1886年
水浴という構図がセザンヌを想い起すが、シャヴァンヌふう楽園のイメージもある。

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1887年、カリブ海のマルティニク島に赴く。
「マルティニク島の風景」 1887年
木立の色は各々の面に分割されている。

1888年10月、ゴッホの招きで、ゴーギャンはアルルにやってきた。
2人の共同生活が始まり、ゴッホと同じ「収穫」というテーマで絵を描いた。

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ゴーギャン「ブドウの収穫、人間の悲惨」 1888年11月

後方ではブルターニュ地方の衣装の女性がブドウを収穫し、画面中央の女性は両手を顔に
当てて悲しみに暮れてる。これはゴーギャンの育ったペルーのミイラのポーズだそう。
つまり、実際に目に見えない女性が描かれている。実際に目に見えたものだけを描くゴッホに
対して、ゴーギャンは見えないものも表現しようとした。二人の大きな違い!
さらに、葡萄がとれないブルターニュの女性がブドウの収穫とは、、という指摘に対し、
ゴーギャンは「あり得ないけど配置した」と手紙に書いている。
友達は、「ブルターニュからの出稼ぎ?」と笑って見ていた。

2人が戸外でイーゼルを並べ、影響しあい制作をしたのは、実はほんのわずかな期間。
芸術観の違い、性格の不一致もあり、結果的に共同生活は破綻。耳切り事件で終わる。
ゴーギャンはパリに帰り、ゴッホは入院。
しかし、二人の交流は失われたわけではなく、その後は書簡で交流が続いた。

1889年 ポール・ゴーギャン「ハム」 
古典的な表現。マネの影響ありと言われている。

ゴッホ「玉ねぎのある静物」 1889年
画面の明るさが際立っていた。

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ゴッホはその後、アルルで、人物画をいくつか描いた。
「ジョゼフ・ルーランの肖像」、「ミリエ少尉の肖像」、「アルジェリア兵の肖像」。
ルーラン氏の絵は背景違いで何枚かあるので、これまでに何度か見て馴染みがある。
ミリエ少尉は優しそうな人。背景に月と星が描かれてるのは何か意味があるのだろうか。
アルジェリア兵は、迫力ある人物画。強烈で見たら忘れられない。

しかし、ゴッホの精神状態はよくならず、再び入院療養。
療養中のゴッホの作品は、タッチがうねる。
「オリーブ園」 1889年
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共同生活から僅か1年後、ゴッホは自殺を図り、息を引き取った。

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ゴッホ「自画像」1887年

一方、ゴーギャンは、タヒチに移住。島の人々を描き、自らの作風を完成させていった。
ゴーギャン「タヒチの3人」 1899年


左の女性は左手に青いリンゴを持っているが、これは禁断の実。右の女性は花を持ち、
中央後ろ姿は男性。現実と幻想が入り混じった暗示的なゴーギャンの世界。


最後を飾る作品は、「肘掛け椅子のひまわり」
言うまでもなくゴッホへの追憶。ゴッホの死から11年後に描かれた。


ゴーギャン「肘掛け椅子のひまわり」 1901年

ゴッホがゴーギャンが来るのを待ちわびつつ描いた
「グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝」1888年
赤い線は、日本の浮世絵からヒントを得たと言われている。
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この展覧会はアルルでの2人の共同生活を中心に置いているが、それまでの2人の画業、
2人が影響を受けた作家たちの作品、共同生活が終了してからの2人の仕事、と時系列で
網羅され、全部で62点の展示。ゴッホ美術館、クレーラ=ミュラー美術館からのものが多かった。

18日(明日)まで。


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ダリ展 [展覧会(西洋画)]

12日(月)で終わりの「ダリ展」(国立新美術館)、とても良かったです。
10年ぶりの回顧展なので、作品数も200近くと見応えがあります。

今まで、いろいろな所で見る機会が多かったダリの作品。シュールなものに驚き、笑う
ことはあっても、そのメッセージを解いてみようとまでは至らなかった。けれども、NHKの
「日曜美術館」で紹介されたダリの絵は、ブルーとベージュの色合いが綺麗で、シュールな絵
も説明をされると納得がいった。メッセージは謎解きと同じで面白そう。俄然、見たくなり、
友達を誘って出かけた。

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回顧展なので、展示は年代順。
(1)
1904年、スペインのカタルーニャ地方の裕福な家に生まれたダリは、少年時代から絵画の
才能は抜きんでていた。
初期の作品、20才前のものは、セザンヌっぽい山、スーラっぽい景色、俯瞰的な視点の
「チェリスト」、イラスト的なポスターなど、多種多様な作風で面白い。
その中で、フォーブの強烈な色彩の絵に目が行った。
しかも落武者がぬっと顔を出し、こちらを見ている。タイトルは、なんと、、、
「ラファエロ風の首をした自画像」1921年

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ラファエロ風の首、、、ラファエロの「自画像」、向きは逆だけど、首が目立っている、でも、こんな
ろくろ首ではない。背景のカダケスの山の上に沈む夕日の強烈な色合いが画布全体を覆う。

(2)
マドリードの王立アカデミーに入学したダリは、後に映画監督になるルイス・ブニュエルや詩人の
ガルシア・ロルカと出会い、刺激を受ける。
映画「アンダルシアの犬」で有名なブニュエルだが、この映画はダリとの共同制作だったので、
映画も会場で上映されていた。
ダリの描いたブニュエルの肖像画(1924年)もあった。
古典的な画風だが、顔の頬のあたりに当時の流行キュビズムが取り入れられていた。

キュビズム的なものは、静物画にも取り入れられ、木のおもちゃのような「スイカ」が面白かった。
ダリの写実能力はすばらしい。一本、一本描いてるのかと思えるほどの髪の毛の表現と光の扱い方
がいいなと思ったのがこれ。モデルは妹。
「少女の後ろ姿」1926年

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(3)
ダリはパリに出かけ、多くの芸術家たちと交流をする。
そして、後に妻となるガラと出会う。ガラはダリのミューズとしてダリのシュルレアリストとしての
才能を開花させた。

「カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽」 1928年頃(絵の写真なし)
は、ミロふうの絵。「赤い色が妻ね、3人しかいないけど、4人めは黒? これ、舟よね」
なんて謎解きの会話をしながら見た。

「速度の感覚」1931年(写真なし)
なぜ、速度?と思ったが、時計があるからなのだろう。

以下は、私達に馴染み深いダリワールド。
タイトルから謎解きをしたり、説明を読んだり。
「謎めいた要素のある風景」 1934年 

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見渡す限りの砂漠。左手に赤い塔と糸杉。糸杉はダリの作品にしばしば登場。
空のブルーと地面のベージュ、黄色の対比が美しい。真ん中でにぽつんと、キャンバスに向かう男。
説明によると、この男はフェルメールなんですって。たしかにフェルメールの「絵画芸術」の人と同じ姿。
でも、ダリの人物は極端にウェストが細い。


「奇妙なものたち」1935年
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ダリの絵では同じモチーフが、ここ、そこに登場する。
右端のひしゃげられた時計。中央奥のピアノ。グレーの人が座ってるソファー。
このソファーは、後の絵では、人がいなくなり痕跡だけになる。
ここは海の岩場のようだが、女性の役割は?


(4)
第二次世界大戦が勃発すると、ダリはアメリカに亡命した。
ヒッチコックの映画にも参加、「不思議の国のアリス」の挿絵を描いたり、舞台美術や衣装、
宝飾の仕事なども手がけた。

横浜美術館の常設展示で見たことがある「幻想的風景 暁」(ヘレナ・ルビンスタインの
ための壁面装飾)はとても大きな壁画なので、目立っていた。

(5)
日本への原爆投下に衝撃を受けたダリは、原子力の知見と神秘主義を結びつけた
絵画を制作しようとした。

「ウラニウムと原子による憂鬱な牧歌 1945年
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中央にある首を傾げた女性の顔の中には爆撃機が描かれている。爆弾機の周りに炎と煙が
あがっているのは爆弾がさく裂?女性の横には、野球のバッターボックスに立つ男。左端には
口を開けて、この光景を見ている男。青空は割れ目から見えるだけ。ここは洞窟でしょうか?

「ビキニの3つのスフィンクス」1947年(写真なし) 
マグリットを連想する絵。

(6)
アメリカから戻ったダリ夫妻は、バルセロナの北にある地中海沿いの港町ポルト・リガトに
居を構えた。妻ガラをモデルに描いた「ポルト・リガトの聖母」1950年

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ピエロ・デッラ・フランチェスカの「天使と六聖人と聖母子」をもとにした絵なので、
ルネサンスふうの絵。厳粛な雰囲気もあるが、よく見ると笑える。マリアの膝の上にいるキリストの
胸の部分にある額に入った絵はパンが描かれている。
建物が分割されているのは、原子核の構造を表しているからとのことで、ポルト・リガトの海
と海にいる生物が配置されている。祭壇の左下にサイがいるのが謎。
かなり大きな絵。

「ラファエロの聖母の最高速度」1954年
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よく見ると中央にラファエロの聖母像の目のあたりが見える。
聖母像が、核分裂するように多数の球体に規則的に分解されていく。
背景は、ポルト・リガトの海。

(7)
ダリは晩年は、シュルレアリスムと決別し、カトリックへの信仰を深める。
古典絵画に回帰し、少年時代に美術館で見た「テトゥアンの大会戦」の絵をダリふうに仕上げた。
横4m、縦3mという大きな絵。テトゥアンの大会戦は、19世紀、スペインのモロッコへの進軍。

「テトゥアンの大会戦」1962年(写真なし)
壮大な歴史画なのに、よく見ると、中央にいる騎馬隊の隊長はガラ。剣を振り上げて先導。
左上では馬が空を駆けあがり、右上には長い剣。中央の騎馬隊の頭上には聖母。

作品数が多く見応えがあり、楽しかった。
サルバドール・ダリ美術館からの作品が多かったので、すっかりダリが気に入った友達は、
ダリの住居でもあったポルト・リガトの「ダリ美術館」へ行ってみたいと言っていた。


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ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン(洞爺湖ウィンザーホテル) [レストラン(フレンチ)]

前の記事「マッカリーナ」でのランチの後、洞爺湖ウィンザーホテルへ向かった。
程なくして、正面の山の上に建物が見えてきた。山の上といっても切り立った崖の上に立っている
孤高の建物。「あんな所まで登る?雪道だったら大変」とまた心配になるが、ホテルだから道は除雪
されているだろうと、安心することにした。

部屋の窓から眼下に見える洞爺湖。
雲がかかっているが冴え冴えとした冬景色。すばらしい!

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「ランチが2時なので、ディナーは8時に予約しました」ときいて安心。
今晩のディナーは、ミシェル・ブラスが来日しての期間限定特別メニュー「ライオール」
ライオール(英語ではラギオール)はフランス南部、ミディ・ピレネーの自然豊かな小さな村。
ブラスはそこに世界一と言われる三ツ星レストラン&リゾートホテルを開いている。
レストランは冬場は休業のため、毎年11月にスタッフ共々日本に来て料理フェアを開催している。

ブラスは、「自然から料理を創造する」と言われるように、新鮮な素材にこだわり、ハーブを
上手に用い、盛り付けが美しい。
テーブルセッティングは、ライヨールの自然を意識したもの。
中央にある木の幹のようなものは薄く焼いたパン。適当に取ってばりばりっと食べる。
手前のバターは北海道産。ワインはボトルでサントーバンを選んだ。

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アミューズは、ブラスが子供の頃によく食べたという「半熟卵」、とろっとして濃厚でおいしい。
セップ茸入り蕎麦粉のパイと一緒に食べる。セップ茸(ボルチーニ)のソテーは一人一枚。
自然がテーマなので、お皿にはシンボルマークの葉っぱが描かれ、セップの下にはモミジの葉。

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アミューズの2皿目。溶岩のような黒い石の上には、、、何だったか、もう忘れてる。

前菜、これがブラスの名前を一気に有名にした80種の素材からなるサラダ。
上にのってる花だけでも4種類、ロマネスコ、ブロッコリー、アスパラ、インゲン、はす、カブ、発芽豆
などをそれぞれを丁度よい加減に茹でてある。手前左側、ハムのように見えるのはビーツの一種。
ハーブ野菜がふんだんに使われ、ソースが絵のように配置され、胡麻がかかっていた。
ドレッシングは野菜の味を引き出すようにやさしい胡麻風味。彩が鮮やかで実に美しい。
野菜はあまり得意でない私でも美味しいと思うのだから、すばらしい。

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魚料理は、鉄板で焼いた帆立貝。北海道の素材。立派で大きな帆立。
真ん中がほんのりピンク色で焼き加減がうまい。チコリを使ったソース。付け合せは根菜。

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シャラント産鴨のフォアグラのポワレ。マルメロのピューレ(手前の黄色)
フォアグラはフルーツソースに合う。けれども、これは量が多かった。厚さが普通の2倍。
3人共、3分の2しか食べられなかった。

そば粉のビスキュイ。間に挟まれてるのは、トリュフと生ハムで味をつけたクリーム。

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ヘーゼルナッツバターでポワレした牛肉。付け合せはホワイトアスパラ、瓜の種類、リベーシュ。
アリゴ(マッシュポテト+チーズ+にんにく)をテーブルで別皿に取り分けてくれた。

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チーズはワゴンで運ばれてきた。フランス産と北海道産。
もちろん、好きなものを好きなだけ。3種のジャムも希望で添えてもらえる。
「写真を撮っていいですか?」「はい、どうぞ」
サービスの人は黒服の人と、紺色の作務衣の人がいた。

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チーズワゴンの次は、アイスクリームワゴンがやって来た。
小さなコーンにアイスまたはシャーベットを盛り付けてくれる。

デザートは「クーラン」。これも81年からのブラスのオリジナル料理。
クーランは流れるという意味。外側のビスキュイにナイフを入れると中から温かいチョコが
流れ出て、上に載っている冷たい胡麻のアイス、洋梨のコンポートと絡まり、美味しい。

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まだデザートは続く。十勝産の小豆の上にアイス、小豆のそぼろ仕立て。
囲んでいたクリスピーチップを倒して中を見たところ。
小豆は目新しいが、作りがクーランに似ているので、少々飽きてくる。

最後に牛乳のリキュール。小さい器の中は小豆の上に抹茶パウダーだったと思う。

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デザートがチョコとアイスの組み合わせが多く、重いので、苺があったらよかったのに。。
やはり一番美味しかったのは、評判どおり、「ガルグイユー」(80種類のサラダ)で、
2番目は帆立。

私たちは3人テーブルなので、サービスはいつも3人が揃ってお皿を持ってやってくる。
ライオールの本店からサービス担当のフランス人も来ているので、賑やかで儀式っぽくて
良いなと思った。パリの星つきレストランでも昔はこういうサービスの店があったが、最近、
人件費の関係か見かけなくなった。
来日フェアなので、ミシェル・ブラスが通訳付きで各テーブルをまわって挨拶をしていた。
私達には、料理に満足したか?どこから来たのか?ときいてきた。少し疲れたようすだった
のは、70才だからだろうか。

このコースは料理だけで、35640円(税込)。ワインを頼むから4万円以上になる。
これに宿泊費4万円と交通費、高いけれど、非日常の経験で、楽しかった。
ロビーにはクリスマスツリーが飾られ、華やかな雰囲気だった。

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