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ゴッホとゴーギャン展 [展覧会(西洋画)]

東京都美術館で開催中の「ゴッホとゴーギャン」展」を見に行った。
今までに、ゴッホ展は何回もあったけれど、今回の展覧会はタイトルどおり、ゴーギャンとの
友情、共同生活に焦点を当てたもの。
ゴーギャンとの共同生活で、精神的におかしくなったゴッホが自分の耳を切り落とした事件
は、ご存知ですよね。

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まずは、ゴッホとゴーギャン、2人が出会うまでのそれぞれの作品が展示されていた。

ゴッホは1853年、オランダの牧師の家庭に生まれた。
聖職者を志すが、28歳で画家に転向。はじめは、暗い色彩の絵を描いていた。

最初の展示作品は、「古い教会の塔、ニューネン(農民の墓地)」 1885年5-6月
30代初めの作品。初期なので暗い色彩。
ニューネンは両親が住んでいた場所。教会は廃墟で暗鬱な雰囲気。建物のまわりは
十字架のある墓地。空には鳥が舞っていた。
「こんな絵、なかなか見る機会がない」と同行の友が言う。

1886年にパリに出たゴッホは、印象派や新印象派の絵を学び、色彩が明るくなる。
1887年の34歳の自画像。「パイプと麦わら帽子の自画像」 
明るい水色の服に目が行く。大胆で素早い筆使い。黄色の麦わら帽子。

ゴッホの憧れ的存在だったミレーやコロー、ゴーギャンが薫陶を受けたカミーユ・ピサロ。
他にモネ、シャヴァンヌ、モンティセリという当時の画家たちの作品が展示されていた。
初めて見る絵ばかりで、とても良かった。
ミレー「鵞鳥番の少女」
ピサロ「ヴェルサイユへの道、ロカンクール」
セリュジエ「リンゴの収穫」

エミール・ベルナール「ティーポット、カップ、果物のある静物」

1888年、ゴッホはパリを離れ、明るい光の南仏アルルに移住。黄色い家を借り、アトリエとした。
「収穫」1888年6月

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青い明るい空の下、田園が広がる。パノラマ風景。
収穫の季節なので、田園は黄金色に染まり、農機具や人も見える。
この絵、いいですよねー。[黒ハート]
丁寧に描かれた詩情豊かな光あふれる絵。

アルルを気に入ったゴッホは、ここに画家たちのユートピアを作りたいと考え、何人かに手紙を出した。
ゴッホが特に強く誘ったのはゴーギャン。ゴーギャンから、OKの返事が来ると、ゴッホはゴーギャン用の
肘掛椅子を買い、2本の蝋燭、2冊の本を置き、歓迎用の絵を描いた。
「ゴーギャンの肘掛椅子」 1888年 (上のチラシに使われてる絵)

一方のゴーギャンは、1848年、パリ生まれ、ゴッホより5才年上。父は共和党支持のジャーナリスト
だったので、ルイ・ナポレオンの台頭により南米ペルーへ一家で逃れ、7才まで過ごす。パリに戻り、
株式仲買人として勤める傍ら、絵を学び、ピサロと知り合う。

「夢を見る子供(習作)」 1881年
印象派展に出品。モデルは娘。子供が白いシーツのベッドの上でこちらに背を向けて眠っている。
静かな絵だが、ベッドの向こうの壁紙に鳥が飛んでいるのが装飾的。

ゴーギャン「自画像」 1885年

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1886年、ブルターニュ地方の田舎ポン=タヴェンへ出かけ、制作に励み、後に「総合主義」を
打ち出す基礎を作った。
「ブルターニュの少年の水浴」 1886年
水浴という構図がセザンヌを想い起すが、シャヴァンヌふう楽園のイメージもある。

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1887年、カリブ海のマルティニク島に赴く。
「マルティニク島の風景」 1887年
木立の色は各々の面に分割されている。

1888年10月、ゴッホの招きで、ゴーギャンはアルルにやってきた。
2人の共同生活が始まり、ゴッホと同じ「収穫」というテーマで絵を描いた。

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ゴーギャン「ブドウの収穫、人間の悲惨」 1888年11月

後方ではブルターニュ地方の衣装の女性がブドウを収穫し、画面中央の女性は両手を顔に
当てて悲しみに暮れてる。これはゴーギャンの育ったペルーのミイラのポーズだそう。
つまり、実際に目に見えない女性が描かれている。実際に目に見えたものだけを描くゴッホに
対して、ゴーギャンは見えないものも表現しようとした。二人の大きな違い!
さらに、葡萄がとれないブルターニュの女性がブドウの収穫とは、、という指摘に対し、
ゴーギャンは「あり得ないけど配置した」と手紙に書いている。
友達は、「ブルターニュからの出稼ぎ?」と笑って見ていた。

2人が戸外でイーゼルを並べ、影響しあい制作をしたのは、実はほんのわずかな期間。
芸術観の違い、性格の不一致もあり、結果的に共同生活は破綻。耳切り事件で終わる。
ゴーギャンはパリに帰り、ゴッホは入院。
しかし、二人の交流は失われたわけではなく、その後は書簡で交流が続いた。

1889年 ポール・ゴーギャン「ハム」 
古典的な表現。マネの影響ありと言われている。

ゴッホ「玉ねぎのある静物」 1889年
画面の明るさが際立っていた。

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ゴッホはその後、アルルで、人物画をいくつか描いた。
「ジョゼフ・ルーランの肖像」、「ミリエ少尉の肖像」、「アルジェリア兵の肖像」。
ルーラン氏の絵は背景違いで何枚かあるので、これまでに何度か見て馴染みがある。
ミリエ少尉は優しそうな人。背景に月と星が描かれてるのは何か意味があるのだろうか。
アルジェリア兵は、迫力ある人物画。強烈で見たら忘れられない。

しかし、ゴッホの精神状態はよくならず、再び入院療養。
療養中のゴッホの作品は、タッチがうねる。
「オリーブ園」 1889年
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共同生活から僅か1年後、ゴッホは自殺を図り、息を引き取った。

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ゴッホ「自画像」1887年

一方、ゴーギャンは、タヒチに移住。島の人々を描き、自らの作風を完成させていった。
ゴーギャン「タヒチの3人」 1899年


左の女性は左手に青いリンゴを持っているが、これは禁断の実。右の女性は花を持ち、
中央後ろ姿は男性。現実と幻想が入り混じった暗示的なゴーギャンの世界。


最後を飾る作品は、「肘掛け椅子のひまわり」
言うまでもなくゴッホへの追憶。ゴッホの死から11年後に描かれた。


ゴーギャン「肘掛け椅子のひまわり」 1901年

ゴッホがゴーギャンが来るのを待ちわびつつ描いた
「グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝」1888年
赤い線は、日本の浮世絵からヒントを得たと言われている。
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この展覧会はアルルでの2人の共同生活を中心に置いているが、それまでの2人の画業、
2人が影響を受けた作家たちの作品、共同生活が終了してからの2人の仕事、と時系列で
網羅され、全部で62点の展示。ゴッホ美術館、クレーラ=ミュラー美術館からのものが多かった。

18日(明日)まで。


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