クラーナハ展 [展覧会(西洋画)]
東京・上野の西洋美術館で開催中のクラーナハ展に行った。
クラーナハは、長らくクラナッハと記述されていたが、原語に近い表記で「クラーナハ」が最近
使われている。クラナッハの方がドイツってすぐわかるのに、、と思うのだが。
クラーナハの絵は、世界中、たいていの大きな美術館で、見かける。
下半身太りの裸体、冷たい目つき、鎖のような金のネックレスと特徴があるので、すぐわかる。
日本では今回初の展覧会。見に行くのを楽しみにしていた。
クラーナハは、今から500年前にドイツ、ザクセン地方で活躍した。
その頃、ドイツではデューラーが第一人者としての地位を確立していた。
1504年、クラーナハはザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公の宮廷画家にスカウトされ、
ザクセン公国の首都ヴィッテンブルグに居を移した。
顎ひげをたくわえ、金色の頭巾を被った選帝侯の肖像画も展示されていた。(fig1)
クラーナハは工房を構え、宮廷人・政治家などの肖像画や教会の祭壇画を制作した。
fig1 1515年
「ザクセン公女マリア」(1534年)
婚約を機に制作されたもので、ティアラに指輪4本、着飾っている。
ネックレス、立ち襟、コルセットの結び目などは当時の宮廷モードだったらしい。
服の袖の切れ込みは装飾的で、この絵に立体感を出している。
ピカソも本作品のポストカードを所持していたとのこと。
宮廷画家としてのクラーナハは、木版画の制作もまかされた。
木版画は大量生産が出来るので、フリードリヒ賢明公の宣伝のために流布された。
「聖母を礼拝するザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公」 1512年
裸婦
クラーナハというと、あの独特のフォルムの裸体画を思い浮かべる人が多いと思う。
fig2 「ヴィーナス」1532年
NHKの番組「日曜美術館」で、この裸体のおへその位置はあり得ないと実際の人物を
用いて試していたが、あり得ないところがいいのだと思う。首を異常に長く描いたり、
アングルの「パフォスのヴィーナス」然り。
暗い背景に浮かび上がるかのような細身の肢体。手には透ける布のヴェールを持つ。
高貴な夫人が、ぱっと服を脱ぎ捨てたかのように豪華なネックレス、髪飾りが光を放つ。
「アダムとイブ」1537年
これよりずっと前、1509年制作の「アダムとイブ」の木版画も展示されていた。
木版画で流布した「アダムとイブ」だが、この絵も板絵で数多く作られた。
イブは右上にいる蛇にそそのかされ、リンゴを食べ、アダムにもすすめた。
りんごを手に持ち、「ほんとに、おいしいの?」と躊躇した表情のアダム。
左下の鹿がこちらをじっと見る目付きは何を意味してるのだろうか。
マルセル・デュシャンが、この絵を下にエッチングで「アダムとイブのイメージ」
を描き、パリの劇場での幕間劇に自らアダム役になった写真も展示されていた。
「泉のニンフ」1537年
ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」にそっくりの構図。
しかし、このヴィーナスは、fig2の立ち姿のヴィーナス同様、ネックレスや腕輪をつけ、
脱ぎ捨てたビロードの服を枕にしていて、古代のヴィーナスではない。
右側の木に弓と矢筒がかかり、ヤマウズラがいるので、狩りの女神ディアナの存在が
暗示されている。ディアナはニンフたちに「誰にも裸を見せてはならない」と命じた。
しかし、この奔放なニンフは、、、。
「ルクレティア」1510年
クラーナハは数多くの「ルクレティア」を描いているが、私が好きなのは最初期のこれ。
表情に決意と気品がある。
最終段階での「ルクレティア」は、黒い背景でfig2ヴィーナスと同じような全身像。
女の力 誘惑する絵
老人と若い女という「不釣り合いなカップル」。
金品目当てに誘う女。のせられる男。老人の描写がリアル。
「サムソンとデリラ」1528年
美しい女性。赤いビロードの服の艶の表現がすばらしい。
「ロトとその娘たち」1528年
「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」1530年代
あどけない表情のサロメ。母ヘロディアからの命令で首をもらっただけなのよ、
と罪の意識は全くない。こんな美しく可憐な女性が踊ったら、「褒美に何でも取らせるぞ」と
ヘロデ王が言ったのもわかる。
「ホロフェルネスの首を持つユーディット」1525年
チラシに使われている絵。
自分たちの町を乗っ取り、我が物顔に振舞っていた敵方の首領ホロフェルネス。
町を救うために、ホロフェルネスを酒に酔わせ眠らせ、首をはねた。
張りつめた面持ちの中に達成感と安堵感が見られる。冷たく見えるが美しい。
サロメのあどけなさと大いに異なる。
ルターと宗教改革
フリードリヒ賢明公が創設したヴィッテンブルグ大学にルターは学び、後に教授となった。
ルターは、1517年に教会に、「教皇レオ10世が発行する免罪符への論題」をつきつけ、
教会の改革を目指したが、受け入れられず、破門された。そのため、カソリックとは袂を
分かち、プロテスタントとなった。
フリードリヒ賢明公はルターを応援し、クラーナハの描くルターの肖像画が広まった。
ルターひとりの肖像画もあるが、禁止されていた聖職者の結婚を世の中に認めさせるために、
ルターは妻との絵をクラーナハの工房で描かせた。
「マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ」 1529年
フリードリヒ賢明公によって城に匿われたルターは、聖書のドイツ語訳を完成させ、
その挿絵をクラーナハが木版で作成し、出版人として印刷もした。
クラーナハの考案した絵画主題のうち一番の人気は
「子どもたちを祝福するキリスト」 1540年頃
クラーナハ工房は、30点以上この主題の作品を制作した。どれも同じものはなく、
それぞれに改変が加えられている。
クラーナハ工房は、絵の寸法や構図を規格化し、定型化した人物像と風景モチーフ
を積み木のように組み合わせ変化をつけたので、制作は迅速で、量産できた。
クラーナハは経営者として近代的な合理化をし、ブランド管理を行い、経済的な成功
をなした。500年も前のことである。クラーナハ亡き後、工房は息子に受け継がれた。