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印象派への旅 海運王の夢 [展覧会(西洋画)]

東京・渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムで
「印象派への旅 海運王の夢」 バレル・コレクションを見た。
この展覧会は、福岡県立美術館からスタートしたので、それを見た友達Kuが、
マネのバラとへブローのピンクのバラが良かった」と、2つの写真が載ったちらしと
手紙を送ってきた。
「行ったら、感想、ブログに書くから」と返事したけど、遅くなって。。

tirashi.jpg
産業革命の時代、スコットランドのグラスゴーで海運業で成功したバレルBurrell(1861〜1958)
がコレクションをグラスゴー市に寄贈。
英国以外にコレクションを貸し出さないという条件つき
だったのだが、今回、改修工事のため、特別に日本にやってきた。

海運王オナシスは、マリア・カラスと別れた後、ケネディの未亡人オナシスと結婚し
話題になったが、海運で成功すると巨大な富を得るらしい。Burrell氏のコレクションは
西洋美術全般にわたる錚々たるものだが、今回は、印象派のみがやってきた。

有名な画家の良いものが一点づつ勢ぞろい。さらに仕事柄、海に関連する絵が多い。


0、ドガの「リハーサル」1874年頃  上のチラシに使われている絵。
リハーサル中の踊り子たち、衣装をつけて立ったままの踊り子の衣装を針を持ち繕う女性、
繕いの順番待ちの踊り子、指導の先生と、それぞれが異なる動き。練習場の風景の臨場感。
色彩も豊か。


1、ルノワール「画家の庭」1903年頃
まさにルノワール色

Barel_.jpg


2、セザンヌ 「倒れた果物籠」1877年
果物の絵は多いが、籠が倒れているのは、初めて見る。

Burrell_Cezanne.jpg


3、マネ「シャンパングラスの花」1882年
小さな作品なのだが、色彩がきれいで品がある。

Burrell_Manet.jpg


福岡展のチラシには写真があったのに、東京展のにはなかったのが、サミュレル・ジョン・ペプロー
の「バラ」。中国風の花瓶に入った何輪ものピンクのバラ、暗い背景で浮かび上がって見え美しい。
よく見ると、花瓶は後方にもうひとつあって、そこに入ってるバラもせりだし、全体で一塊のバラ
に見え豪華。ペプローはグラスゴー出身。
へブロー「薔薇」.jpg


同じくグラスゴーのジョゼフ・クロホールの「二輪馬車」は水彩画に見えない水彩画。
着飾った女性を乗せて止まった馬車を真横から描いていた。
当時のグラスゴーの街は、
このような雰囲気だったのだろうか。


ヤーコブ・マリス 「ペットの羊」1871年
かわいいの一言!
ヤーコブ・マリスは、オランダのハーグで活動したハーグ派の人。

Burrel_Yagi.jpg


撮影可 ウィリアム・マクタガート 「海からの便り」1887年
浅瀬で子供たちが何かを採っている。この写真では小さくてわからないが、瓶と籠を
持った少女が、海の底をつついてる少年に話しかけている。何かとれたらしい。
マクタガートは、子供のいる海の絵をたくさん描いている。

Burrell_WiiliamMcTaggart_A Message from the sea.jpg

マクタガートの「満潮」=誰もいない浜辺に押し寄せる波の絵もあった。



4、ブーダン「トゥルーヴィルの海岸の皇后ウジェニー」1863年
これはチラシの裏表紙に使われていた絵。
19世紀半ばには、パリから近いトゥルーヴィルは、保養地として人気があった。
当時流行の裾が広がったドレスの女性たちの中心にいる白いドレスの女性がナポレオン3世の
皇后ウジェニー
。後景、海に近い所で水遊びをしている人々は、服装から庶民とわかる。

Burrell_Boudin_Kaigan.jpg


5.撮影可 ブーダン 「ドーヴィㇽ 波止場」1891年
小さい作品ながら、美しい。青空、白い綿雲、白い帆の船。
ノルマンディー地方の港町ドーヴィㇽは、保養地として貴族が訪れていた。
ブーダンは、ノルマンディー地方の港町ルアーブルで育ち、戸外での制作を若きモネに
教えた。

Burrell_Baudin.jpg


6、撮影可 シダネル「月明かりの入江」1928年
街並み、バラの庭など、花の絵のイメージが強かったシダネルだが、海の絵も!
船だけが停泊する誰もいない静かな海。月明かりの色合いが象徴派的。

Burrell_Cidanel.jpg

シダネルの「雪」、窓から見た白一色の世界もよかった。

7、撮影可 クールベ「マドモアゼル・オーヴ・ドゥ・ラ・オルド」1865年
めずらしいクールベの人物画

眼力の強い女性。日傘をさし、青いストライプの服、空の雲が夏を思わせる。


Burrell_Courbet.jpg




8、ゴッホ「画商アレクサンダー・リード」(写真なし)
画商アレクサンダー・リードは、バレル氏などスコットランドの美術愛好家に、
この時代のフランス絵画を紹介した人物。ゴッホの弟で画商のテオと親しかった。


3つの部屋に分かれていて、最後の部屋が撮影可です!

30日までと、あと3日しかありませんが、巨匠作品が多いので楽しいと思います。

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ギュスターヴ・モロー展 [展覧会(西洋画)]

東京・汐留の「パナソニック汐留美術館」で開催中のギュスターヴ・モロー展に行った。
日曜日の3時過ぎだったので、そんなに混まないだろうと思ったら、「1時間待ちです」
と言われてびっくり。23日までなので仕方なく並んで見たが、きちんとテーマに沿った
展示でとても良かった。

Moreau_tirashi.jpg


テーマは、「サロメと宿命の女たち」
その女に恋をした人、された人は破滅の道へ導かれる、それが宿命の女である。
つまり、とてつもない魅力、魔力を持った女性で、神話で語られることが多い。


たとえばサロメ。
サロメの母は、今はユダヤの王ヘロデの妻だが、元はヘロデの兄の妻。
サロメを連れて再婚した。それは「律法で許されない」と預言するヨハネ。
だから、サロメの母は、ヨハネをうとましく思っている。
ヘロデが宴で、サロメに、「踊れば、何でも好きなものを褒美にやろう」と言い、
サロメは、踊りの後、「ヨハネの首を褒美にください」と答えた。

「出現」

moreau_apperance.jpg


ヨハネの首がサロメの前に現れた「出現」したところ。
実は、ヨハネの首は、サロメにしか見えていない。なぜなら、この絵で他の人たちは何の
驚きの表情もなく描かれている。首はサロメの見た幻なのである。
しかし、サロメは臆することなくヨハネを見つめ、射殺さんばかりの勢い。

絵の半分から上は背景である。ここに描かれた細い黒線が建物を立体的に見せる効果を
与えている。これは実際に絵を見ないとわからない。


「サロメ」
祈るようなポーズで,つま先で立つサロメ。
「ヘロデ王の前で踊るサロメ」のための習作。と言っても衣装がきちんと描かれ、
習作とは思えない。
moeau_Salome.jpg



他にも、サロメを描いたものだけで30点ほど。小品やデッサンが多い。
デッサンの中で良かったのは、「踊るサロメ(刺青のサロメ)のための習作。
モローはサロメの衣装のために、古代エジプトの女性像やインドの女神像などを参考に
したということがわかるデッサン。


サロメの他には、「トロイアの城壁の前に立つヘレネ」
「オイディップスとスフィンクス」
「ヘラクレスとオンファレ」
「セイレーン」(海で美しい歌声で男を誘惑する人魚)
「レダ」
「パテシバ」

と続き、お馴染みの「エウロペの誘拐」
白い雄牛に変身したゼウスは、侍女たちと海辺で遊ぶエウロペに近づき、エウロペが雄牛
に腰をかけた途端、ダッシュで海を駆け抜けクレタ島に向かった。
りりしいゼウス、見つめるエウロペもまんざらでない様子。誘拐とか略奪という言葉
が使われるシーンだが、そんな様子はない。モローなりの解釈なのだろう。

moreau_Europe.jpg


「クレオパトラ」
「サッフォー」
「エヴァ」アダムとイブのイブ=エヴァ。
木の上から、りんごを差し出すアダムは線のみで描かれ、主人公はイブであることを
示している。イブの足の筋肉が女性っぽくないのが気になった(笑)
moreau_Eva.jpg

「一角獣」チラシにも使われている絵。女性の衣装が細かくみごと。
モローは、「クリュニー中世美術館」で一角獣のタピストリーを見て、刺激を受け、
この絵を制作した。純潔の乙女にしか、なつかないという幻の動物「一角獣」。
一角獣は可愛らしく描かれ、上品な楽園という雰囲気。

moreau_ikkakuju.jpg


始めに「自画像」があった。24才の時だそう。
モローにとっての「運命の女性」ということで、母を描いたデッサン、恋人を描いた
デッサンが、最初にあった。
moreau_selfportrait.jpg


「女性」が主人公の絵ばかり、モローらしいタッチのきれいな絵が多く、見応えが
ある。

*明日23日までです。(混雑状況を調べてからいらした方がいいと思います)
パナソニック美術館は常設でルオーの作品を展示している。
ルオーは、モローの一番弟子で、モロー亡き後、住居が、モロー美術館となったが、
初代館長を務めたのは、ルオーだった。


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おいしかった頂き物(3) [ケーキ、チョコ、和菓子、フルーツ]

まずはパリ土産チョコ。
1、アラン・デュカス。これは、パリでも人気。昨年、クリスマスにパリに行った時、
「ギャラリー・ラファイエット」のグルメ館に行ったら、デュカスのチョココーナーは、
人だかり。結構いい値段だったが、皆さん、クリスマスプレゼントにご購入。


おみやげチョコDucas.jpg


2、パトリック・ロジェ
この鮮やかなブルーの箱が目印です。日本にお店がないけれど、パリで人気の店。
パトリック・ロジェは、MOF(フランス最高チョコレート職人の賞)をもらって脚光を
浴びた人。受賞のチョコが、深緑色のマーブル「アマゾン」。半円形、ドーム型。
チョコで中がライム味のキャラメル。
パリに行くと買いに行っているので、「おみやげ、何がいい?」
と、きかれ頼んだ。

詰め合わせの他に、自分で、一粒、一粒、選んで買える。四角いのはプラリネで、
すごーく、サクサクした食感。ナッツが細かく砕かれてパフのようになっている

おみやげPatrikRoger.jpg


3、ゴディバはいつもパッケージがかわいいので、頂くとうれしい。

おみやげGODIVA.jpg


4、ヨックモックの限定品というクリームサンド。

おみやげyokmok.jpg


5、クッキーは、ここのが美味しかった。

「ブルトンヌ」 バター味がしっかり。
1か月位前の日経新聞・日曜版に「手土産人気」が出ていて、No1だった。
写真はないが、焼き菓子の「カヌレ」が外側がぱりっと中はしっとり、で美味しいので、
時々、買って帰る。小田急新宿店と東武池袋店で販売。

クッキーブレトン.jpg


美味しかった頂きもの(2)はこちら → 


美味しかった頂きもの(1)はこちら → 


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ルート・ブリュック展 [展覧会(絵以外)]

東京ステーションギャラリーで開催中の「ルート・ブリュック展」に行った。
ルート・ブリュック(Rut Bryk) はフィンランドを代表する女性の陶芸家で、
1916年生まれなので、もう亡くなっている。 

北欧なので、綺麗な色彩で温かみのある素朴な作品、どれもがよかった。
フィンランドといえば、ムーミンが有名。素朴さ、愛らしさに通じるものが
あるような。。
ライオンのふりのロバ (1).jpg
チラシに使われている「ライオンに化けたロバ」、石膏に絵を彫って型を作り、泥漿を流しこみ、
釉薬を、、鋳込み成形というらしい。
イソップ童話で、ロバがライオンの皮を拾って、被ってみると、動物たちがライオンと間違えて
こわがって逃げるので、面白くて、ヒヒーーンとないて見せたら、とたんにロバだとバレたと言う話。
だから、ロバが、おなかに入ってるのだが、暗くて、お腹のロバは見えにくかった。
タテガミの宝石ふうの飾りは写真より実物がずっと豪華で立体感あり。
茶色のモノクロ作品もあり、これは、おなかのロバがはっきりわかる。花模様もかわいい。
ライオンのふりのロバ茶色 (1).jpg

ルート・ブリュックの両親は早くに離婚。蝶の研究者だっ父と暮らした。
ヘルシンキの美術工芸学校でグラフィック・アートを学んだ後、アラビア製陶所に入社。
絵付けの仕事をしたりした。幸せなイメージのやさしい絵。
「コーヒータイム」1945年
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「スグラフィート」という掻き落とし技法を同僚カイピアイネンから学び、制作した
「結婚式」1944年 シャガールふうの絵。
Rut_結婚式.jpg


イタリアへ旅し、初期のルネサンス芸術に触れた後の作品は宗教的なものが多い。
「母と子」
Rut_母と子.jpg

「最後の晩餐」この作品で、ミラノ・トリエンナーレでグランプリ受賞。
釉薬を用いて盛り上がった立体感と線。ステンドグラスのように見え、宗教的主題にふさわしい。
Rut_最後の晩餐.jpg

「東方の三博士」1944年 テーブルの天板。アラビア社と家具メーカーが共同で木製家具に
陶板をはめ込んだものを作った。
Rut_3人の博士.jpg

鳥のシリーズを作り始める。
Rut_鳥.jpg
これは陶器 ↓
Rut_陶器の鳥.jpg


大好きだった父が亡くなった後、父の研究課題の蝶をモチーフとした作品を制作した。
ホンモノと羽根のもようが同じ蝶の作品は、父が残した標本を見ながらの制作。
Rut_蝶.jpg
サブタイトルが「蝶の軌跡」とあるように、蝶シリーズの作品はたくさんあって、色も美しい。
会期の初めは、写真撮影OKだったのが、シャッター音がうるさいとの苦情が出て、撮影場所は
制限されていた。蝶のコーナーは色が綺麗なので、写真が撮れたら良かったのだが。
以降の写真は、チラシの裏に出てたもの。

ルート・ブリュック、後半の人生は、作風ががらりと変わり、立体に関心が移っていく。
始めは、こんなかわいい立体を進出させたもの、後退させたもの、大小の大きさで、
リズミカルに模様を描いた壁面用のパネル。
Rut_球.jpg

小さなタイルに模様をつけ釉薬で装飾、それらを組み合わせて作り上げた立体「都市」。
壁面でなく、床置き。
展示する場所によって、タイルのパーツを入れ替えると、様々な都市を表現することが
できるというアイディア。建築模型のようなものなので、かなり大きな作品。
Rut_都市.jpg

立体を組み合わせた幾何学的な作品は、北欧の自然の純粋な美しさを表現しているそうだ。
最後の方の壁面作品は、昔のレンガを残した東京ギャラリーステーションの壁面にとても
合っていた。
何年もかけて制作した最後の作品「流氷」は、フィンランド大統領の私邸の壁面を飾って
いるそうだ。国民的作家ならでは、であろう。
[ハートたち(複数ハート)]温かいものが伝わってくる良い展覧会でした[ハートたち(複数ハート)]
東京では、明日16日が最終日ですが、この後、伊丹、岐阜、久留米と巡回します。

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世紀末ウィーンのグラフィック [展覧会(絵以外)]

目黒美術館で開催されている「世紀末ウィーンのグラフィック」展、9日までなので、
あわてて見に行った。
アパレル会社創設者が自分のコレクションを京都国立近代美術館に寄贈したものである。

世紀末のウィーンを代表する作家は、クリムトであろう。そして、ウィーン、クリムトが
キーワードの大きな展覧会が2つ、現在開催されている。国立新美術館での「ウィーン展」、
東京都美術館での「クリムト展」である。

私が以前に見たもので、よかったのは、高島屋での「ウィーン世紀末展」
パリ・グランパレでの「クリムト・シーレ・モザー・ココシュカ」(1(2)

それらに比べると、これはグラフィックが中心なので、華やかさはないが、「分離派」が
好きだったら、おすすめ。点数が多いので、じっくり眺めると、結構、時間がかかるが面白かった。

これは、入り口

目黒_ウィーン入り口.jpg


入ってすぐが、クリムトの「ウィーン分離派の蔵書票」(1900年頃)
本で見る機会が多かったが、実物は、これとほぼ同じ大きさ。

クリムト_蔵票.jpg


1895年、パリで起こった「アールヌーヴォー」は、国境を越えて、ヨーロッパ全土に
広がった。ウィーンでは、1897年に「時代にはその芸術を、芸術には自由を」という
目標のもと、グスタフ・クリムト、ヨーゼフ・ホフマン、コロマン・モーザーらが、
「ウィーン分離派」を結成し、旧来の歴史主義に挑戦した。
  分離派=Secession ラテン語からの造語 正式名称はオーストリア造形芸術協会

これは、全部「ウィーン分離派展」のカタログ。
左上:ヨーゼフ・ホフマン装丁「第10回分離派展カタログ」
左下:コロマン・モーザー装丁「第13回分離派展カタログ」
右の2つは、コロマン・モーザー装丁「第8回分離派展カタログ」
ネクタイ?と思える大きさのカタログ。装丁だけでなく形もユニーク。

目黒wien.jpg


周囲がアールヌーヴォー模様で囲まれているお洒落な楽譜もあった。

目黒ウィーン楽譜.jpg


分離派は、「ヴェル・サクレム」(ラテン語:聖なる春)という機関誌を刊行した。
コロマン・モーザー「ヴェル・サクレム」のためのオリジナル版画 1902年
大胆な線と木版の彫りをいかした印象に残る作品。
ヴァロットンの木版画時代もこの頃だったかしらと頭に浮かぶ。

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カール・モル「ホーエ・ヴァルテの住宅(コロマン・モーザー邸)」)
「ヴェル・サクレム」のためのオリジナル版画 1903年

目黒ウィーン_カールモル.jpg

カール・モルは画家で、「分離派」の創設メンバー。クリムトが1905年に分離派を離れたのちも
「分離派」を支え、ゴッホのウィーン展覧会を開催した。書斎での自画像には、ゴッホの絵が見える。

ヨーゼフ・ホフマンは建築家で家具デザインもした。
コロマン・モーザーは、ホフマンの弟子である。
木版画は「分離派」の芸術家たちに重要視された。絵画よりも安いため一般の人が
購入でき、生活の中で身近なものになった。当時、ヨーロッパでは日本の多色刷り木版画が
人気で、「分離派」の版画にも取り入れられた。
  (日本の多色刷版画は彫りと刷りが分業だが、ウィーンでは制作者がすべてを行った)
オスカー・ココシュカ「山麓で羊といる少女」1906年
目黒ココシュカ.jpg


クリムトとシ-レのデッサン画が展示されてる部屋があり、見応えがあった。
「ウィーン大学の大広間天井画」を描くためにクリムトは、宣誓のポーズや、下向きの手だけ
とかローマ風の長い法衣の立ち姿など、いくつものデッサンをした。そのデッサン画を見ながら、
天井画のためには、おびただしい数のデッサンが必要だったことを実感した。
この展覧会で、一番良かったのは、シーレのデッサン。デッサンだが薄い鉛筆書きではなく、
もうそれで完成品の絵になっていた。線がいきいきとして力
強くすばらしかった。
会期の初めには、写真撮影OKだったのに、シャッター音がうるさいからと撮影禁止になっていて、
残念。


次の部屋は、ウィーン工房、図案集。

目黒wen.jpg

上:フリードリッヒ・ケーニッヒ「ミューズ礼賛」 1901年
下:フェルディナンド・アンドリ「天使と2人の人物」1905年頃
中央に天使を配し、両脇に人物というこの構図のものが、数点あった。
当時、流行ったのだろう。

目黒ウィーン2女.jpg


同じような構図を使う、図案の研究がなされるようになった。
デザインの工房が1903年に、ヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーによって設立され、
ウィーン工芸学校もデザインの教育改革がなされた。


モーザーの図案

目黒ウィーン_もざー模様.jpg


カール・オットー・チェシュカ「キャバレー、フレーダー・マウス上演本の表紙第1号」1907年
(下の黒白のもの)
モーリツ・ユンク「キャバレー、フレーダー・
マウス上演本の表紙第2号」1907年

目黒ウィーン_キャバレー.jpg


ポスターやカレンダーという日常生活に関わるグラフィックの制作も盛んにおこなわれた。
テオドール・ツアシェ「第6回国際自動車展のポスター」1906年

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ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユンクニッケル「三羽の青い鸚鵡」
非連作「シェーンブルンの動物たちよりより」 1909年
  (ウィーンのシェーンブルン宮殿には動物園があり、世界最古の動物園である)

目黒ウィーン_3羽のおうむ.jpgエルンスト・シュテール「湖」1906年

一見、版画に見えないフェルディナンド・アンドリの「座る農婦」、立て膝という
ポーズ、実りの畑が印象に残った。


ここでは、取り上げなかったが、「分離派」は建築の分野に後に残る良い作品が多かった。
代表格オットー・ヴァーグナー関連の習作やスケッチがあり、アドルフ・ロースの
家具で構成された部屋があった。

「分離派」に興味のある人には、面白い展覧会。入場料も800円と安い。
6月9日(日)まで。


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杉浦非水展 [展覧会(絵以外)]

杉浦非水(1876~1965)、その名を初めて聞く人も多いだろう。
私は、yk2さんの記事、「吉田博とアンリ・リヴィエールと同時代の日本版画の作家たち2
で、「杉浦非水」の昔の三越のシンプルで明快な広告を見て、古さを感じさせないデザイン
が記憶に残った。

この展覧会は、近代美術館の一角(一部屋)で開催されていたので、前々記事の「福沢一郎展」や
「コレクション展」を見ると、入場無料で見れるシステムだった。

非水_看板.jpg


展覧会は、「イメージコレクター・杉浦非水展」というタイトル。
非水は、東京美術学校の日本画科に入学するが、油絵科の教授・黒田清輝がフランスから
持ち帰ったアールヌーヴォーの写真や書籍を見て感銘を受け、黒田邸に通い模写、図案家
を志した。卒業後、三越のポスター制作の仕事に携わり、商業美術の分野を発展させた。
ヨーロッパに遊学の後、教え子らとポスター研究会を作り、多摩美術大学の創設に
加わり初代校長となった。図案家としての制作の傍ら、図案芸術を広めるという功績を
残した。
「三越銀座店 四月十日開店」のポスター(1930年)
都市生活への憧れを喚起する百貨店というイメージのポスター。
着物姿が大半の時代、この女性の服装は大変モダンなしゃれたものだっただろう。

非水_三越ぎんざ.jpg


展覧会のチラシは、これ。

非水_ちらし.jpg

なんで、こんなにいろいろなものが、、と思ったが、見終わってわかった。
「イメージコレクター・杉浦非水展」というタイトル。
コレクションしたもの(インプット)から、作品をつくる(アウトプット)という
作業に焦点を当てた展覧会なのだった。
左上のほうにある馬の写真は、このポスターの馬に使われたのだろか。
「戦後の用意」逓信省(現・郵政省)のポスター (1915~19年)

非水_貯金広告.jpg

日清、日露戦争の後、1910年、日本は韓国を併合。
その時代に日本交通公社の依頼で作った観光客用の「KEIJYO、CHOSEN の地図」(1913年)
と「JAPAN」(たぶん地図)1910~20年代
アールヌーヴォーの影響だろうか。この時代の作品は、花、山など自然をモチーフにしたものが
多く、かわいい感じにまとめている。

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ヤマサ醤油(1920年代)
パターンが2つある。
非水_ヤマサ醤油.jpg


地下鉄開業(1927年)
これは私が一番好きな広告。遠近法と影絵での細長い人々が当時は斬新だっただろう。
下の地下鉄広告には、みっしりと人が描きこまれ、押すな押すなの大盛況というイメージを
伝えている。
非水_地下鉄.jpg


台湾の観光案内「FORMOSA TAIWAN」(1928年)
FORMOSAは欧米諸国で使われていた台湾の別称。

非水_台湾旅案内.jpg


日立冷蔵庫(1933年)

非水_日立冷蔵庫.jpg


非水は図案としてのモチーフを、組み合わせて使った。同じものに変化を加え、
再利用することもあった。
上の白クマを17年後の「AUROLA」(1950~60年代)の広告図案に用いた。
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同じポーズの踊る人のモチーフの使用例
左:雑誌「帝劇」に掲載された三越の広告図案(1920年代)
右:第25回光風会展覧会出品作「ピエロ」(1938年)

非水_ピエロ2つ.jpg


今でこそ、インターネットを介して多くの写真や絵を手に入れることができるが、
非水の時代には、多くの資料を持つことが図案家の財産だった。それらを組み合わせて
新しい図案を作っていった非水は、作品集、図案集を出版した。
ポスターから図案へと活動が広がり、多摩美術大学の校長と教育者になった非水は、
工芸活動のひとつとして図案をとらえるようになっていった。
この展覧会の図録の表紙は、これである。三越で帯のために考えた図案。

非水_表紙.jpg


工芸家の渡邊素舟は、非水の図案の特質を「線における形の単純化」と述べ、
「日本の伝統的な装飾図案はみな絵画的図案であったが、欧州の新芸術が輸入されると
図案の様式が急転した」そして、非水が具体的な図案を提示したと功績をたたえている。

非水が校長を勤めた多摩美術大学図案科の機関誌「デセグノ」(エスぺランド語で
デザインを意味する)の内容は、商業美術、工芸美術、産業工芸まで含み、日本の図案
からデザインへの展開のようすを見ることができる。
「デセグノ」が開かれて展示されているページを見て驚いた。早くに亡くなったので
私は会ったことがない親戚の執筆ページだったのである。

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