松方コレクション展 [展覧会(西洋画)]
6月11日からと会期が長かった「松方コレクション展」だが、もう明日で終了。
8月に行った時、同時に見れる「フィンランドの女性作家たち」展を見損ねたので、
先週、行ってみたら、チケット売り場が長い列。明日も並ぶかもしれませんね。
これが、チラシにも使われているモネの「睡蓮」。普段、常設会場で見れる作品。
別バージョンのチラシに使われているのは、ゴッホの「アルルの寝室」(オルセー美術館蔵)
松方幸次郎(1866~1950)は、総理大臣を務めた松方正義の息子で、エール大学で
法学修士号を修め帰国した。帰国後、父の親友の川崎氏に見込まれ、川崎造船所の
社長に就任した。第一次世界大戦の船舶の需要で会社は業績を急速に拡大し、松方は
ロンドンへ貨物船の売り込みに行き、ロンドンの画廊で絵画を購入し、イギリス人の
画家ブラングィンと知り合い、コレクションが始まった。ロンドンやパリで積極的に
美術品を買った松方の願いは、日本人のために美術館を作ることだった。
ルノワール「アルジェリア風のパリの女たち」(西洋美)
ゴーガン「扇のある静物」(オルセー美術館)
松方の美術館構想をブラングィンが設計図にしていた。(西洋美)
回廊形式で真ん中に噴水があるもので、土地を麻布に買ってあったそうだ。
ヨーロッパに度々行っていた松方は、近代化が遅れている日本人に、西洋の暮らしを
絵を通して見せようとした。
初期の頃、ロンドンで、松方が購入したのは、当時、人気があったラファエル前派の
エヴァリット・ミレー「あひるの子」(西洋美)
松方は、造船業に携わり、海の絵を得意とするブラングィンと親しかったことから、
海の絵を多く買った。
興味深かったのは、ウジェーヌ゠ルイ・ジロー「裕仁殿下のル・アーヴル港到着」
1921年、昭和天皇が皇太子の時代。大型蒸気船から海岸へ綱に貼られたいくつもの
小旗が渡され、大勢の人が海岸で出迎えている絵。
(1921年、昭和天皇が皇太子時代、6か月間、ヨーロッパを訪問した。日本の皇族のヨーロッパ訪問は初めてで、
当時、大ニュースだった)
ピサロ「ルーアンの波止場」
マネ「嵐の海」(ベルン美術館)
しかし、金融恐慌のあおりで、造船所は経営破綻となり、日本に到着したコレクションは
売られ*、ロンドンに残された一部は火災で焼失、パリにあったものはフランス政府に没収された。
(*一部は現在、大原美術館、ブリヂストン美術館が所蔵)
マネ「自画像」(ブリヂストン美術館)
ドガ「マネとマネ夫人像」(北九州市立美術館)
マネが描かれた夫人の顔を気に入らないと、キャンバスを切断した作品。
(ハンセンコレクションから購入し、日本に送ったが、後に売却)
戦後、サンフランシスコ講和条約で、フランスにあるコレクションの返還が、
美術館を作るという条件付きで決まったが、フランス政府は、「アルルの寝室」
「扇のある静物」は重要美術品ということで返還に応じなかった。今回、
その2点が展示されている。
マティス「長椅子に座る女」(バーゼル美術館)
これは、第二次世界大戦中、コレクションの管理費捻出のために、松方の許可を得て
管理を任されていた日置氏が売却したもの。フォービズムになる前のマティス作品。
ロダン美術館の開館にあたっては、多額の寄付をし、鋳造権を得た。
美術館の庭、地下ホールに、さまざまなロダンの彫刻があるのは、そのためである。
私が好きだった絵は、
セガンティーニ「花野に眠る少女」
いつも常設で見ている「羊の毛刈り」もいいけれど、これは清々しくていい。
美しい緑、風がさらっと吹き、気持ちよさそう。
ムンク「雪の中の労働者」
早くもムンクに目をつけていた松方氏の先見性に感心した。
画像がないが、
ドービニーの「ヴィレールヴィルの海岸 日没」は、太陽が印象に残る横長の絵。
(三井住友銀行)
展覧会の最後は
2016年にパリで発見されたモネの「睡蓮、柳の反映」
破損が激しく、何の絵かわからないほどだが、全体の大きさはオランジュリー
美術館にある連作「睡蓮 柳」と同じ。
ディジタル復元した大きな映像が写しだされていた。
質の高い作品ばかりのコレクションですばらしかった。散逸したものものが
集められ展示されていると、焼失したものが惜しまれる。