「高麗茶碗」展 [展覧会(絵以外)]
高麗茶碗は、その名の通り、「高麗」=朝鮮渡来、朝鮮半島で焼かれた茶碗で
16世紀中ごろから日本の茶道で用いられた。朝鮮では日常づかいのものだったが、
茶人たちの目に叶い、抹茶茶碗として使われはじめた。
それ以前に茶道で使われていたのは、「唐物」=中国渡来である。
16世紀中ごろから日本の茶道で用いられた。朝鮮では日常づかいのものだったが、
茶人たちの目に叶い、抹茶茶碗として使われはじめた。
それ以前に茶道で使われていたのは、「唐物」=中国渡来である。
チラシの写真、右端は重要文化財「三好粉引」で、三井記念美術館の所蔵品である。
三井美はお茶茶碗の名品をたくさん持っているので、時々、茶碗の展覧会がある。
三井美はお茶茶碗の名品をたくさん持っているので、時々、茶碗の展覧会がある。
1、16世紀の井戸茶碗
チラシの左側のは、大井戸茶碗、銘「蓬莱」、藤田美術館の所蔵。
下は、大井戸茶碗の「有楽井戸」、東京国立博物館の所蔵。
チラシの左側のは、大井戸茶碗、銘「蓬莱」、藤田美術館の所蔵。
下は、大井戸茶碗の「有楽井戸」、東京国立博物館の所蔵。
「井戸茶碗」は、高麗茶碗の最高峰であり、井戸のように深い茶碗という意味である。
大井戸茶碗に対し、小ぶりの「小井戸茶碗」もある。
小井戸茶碗、「升屋井戸」(三井記念美術館)
大井戸茶碗に対し、小ぶりの「小井戸茶碗」もある。
小井戸茶碗、「升屋井戸」(三井記念美術館)
2、粉引、三島、刷毛目
白磁ふうの茶碗で、胎土に白土をかけた上に釉薬を施したもの。
粉引茶碗は、チラシ写真の右端。
三島茶碗は、胎土に細かな連続模様を押してから、白土を薄くかけたもの。
模様があるので、ひとめでわかる。
「唐三島茶碗」17世紀 (三井記念美術館)
白磁ふうの茶碗で、胎土に白土をかけた上に釉薬を施したもの。
粉引茶碗は、チラシ写真の右端。
三島茶碗は、胎土に細かな連続模様を押してから、白土を薄くかけたもの。
模様があるので、ひとめでわかる。
「唐三島茶碗」17世紀 (三井記念美術館)
他に16世紀のもので、私が好きだったのは、
「蕎麦茶碗」銘「花曇」赤い点と、グレーの雲がいいなぁ。モダンな感じで
16世紀のものとは思えない。
「蕎麦茶碗」銘「花曇」赤い点と、グレーの雲がいいなぁ。モダンな感じで
16世紀のものとは思えない。
1580年に千利休が、珍品を求め、ゆがみ茶碗を楽焼の楽長次郎に作らせた。
ゆがみを取り入れる傾向は、美濃焼にも受け継がれている。
17世紀(江戸時代)になると、茶道の好みの変化に合わせ、新規の高麗茶碗が多く登場した。
3、17世紀「御所丸茶碗」古田織部の考案のものは、古田高麗とよばれる。
16世紀の大井戸茶碗のシンプルさとは違う趣。
日本から朝鮮に、織部の沓型茶碗のお手本を送って焼かせた。
ゆがみを取り入れる傾向は、美濃焼にも受け継がれている。
17世紀(江戸時代)になると、茶道の好みの変化に合わせ、新規の高麗茶碗が多く登場した。
3、17世紀「御所丸茶碗」古田織部の考案のものは、古田高麗とよばれる。
16世紀の大井戸茶碗のシンプルさとは違う趣。
日本から朝鮮に、織部の沓型茶碗のお手本を送って焼かせた。
チラシの一番上、白地に黒い模様のは、三井記念美術館蔵の「御所丸茶碗」黒刷毛目。
ちょっと形がひしゃげてるのは、織部ふうだからだろう。
ちょっと形がひしゃげてるのは、織部ふうだからだろう。
4、御本茶碗
御本茶碗は、対馬藩が高麗茶碗をもとに贈答用に朝鮮で焼いたもの。軽妙な作行き。
形は大振りの筒型で、少し口が反りかえる
御本茶碗は、対馬藩が高麗茶碗をもとに贈答用に朝鮮で焼いたもの。軽妙な作行き。
形は大振りの筒型で、少し口が反りかえる
「御本立鶴茶碗」は、三代将軍家光が描いた立つ鶴の図が特徴。
琵琶色の地に白い鶴。将軍家のお正月にふさわしい気品ある作品。
琵琶色の地に白い鶴。将軍家のお正月にふさわしい気品ある作品。
5、半使(はんす)茶椀
半使とは朝鮮使節団の通訳のこと。通訳が朝鮮から日本が好む茶碗を対馬藩に持ち帰ったもの。
御本茶碗との区別は難しい。
絵半使割高台茶碗 (藤田美術館蔵)
半使とは朝鮮使節団の通訳のこと。通訳が朝鮮から日本が好む茶碗を対馬藩に持ち帰ったもの。
御本茶碗との区別は難しい。
絵半使割高台茶碗 (藤田美術館蔵)
薄い灰青色、生地もなめらかで薄手。高台に深い割れ目が入っている。
かなりたくさん展示されているので、見応えがあります。
12月1日まで。
展覧会のサイトで、きれいな写真が見れます。