SSブログ

映画「死と乙女」エゴン・シーレ [映画 (美術関連)]

2017年公開のオーストリア映画、DVDで見ました。

ちらし.jpg

「死と乙女」は、エゴン・シーレの半生を描いた伝記ドラマ。
なんとタイムリーな! シーレは28才で、流行のスペイン風邪で亡くなったのだ。
1918年、第一次世界大戦の末期のウィーン。暗い緊張感に覆われた時代。
スペイン風邪で重篤のエゴン夫妻を妹が訪ねる場面から始まる。
介護をする人はマスク必携。マスクは紐を耳にかけるのでなく、覆面のように
後ろできゅっと縛る。窓をさっと開けたりはコロナ対策と同じ。

エゴンはハンサムで、もて男という評判の通り、細面で目が魅力的。
ストーリーは1910年にさかのぼる。
20才のエゴンは16才の妹をモデルに裸体画を描き、絵には顧客がいる。
妹は兄を敬愛し仲が良い。
エゴンはアラブ系のダンサーに惚れ、画家仲間との
田舎への絵描き旅に
連れて行く。妹も同行し画家仲間のひとりと恋に。
モルダウ川での遊びや
サイクリングの場面が実に楽しそうだった。

ある日、エゴンは師と仰ぐクリムトに絵を見てもらいに行く。絵を気に入った
クリムトは買うと言ったのだが、シーレが断ると「僕の絵と交換しよう。
好きなのを1枚選べ」と言い、その場にいたモデルのヴァリを紹介し、
「ヴァリを描いてみたいか」と言う。
数日後、ヴァリが、モデル代はクリムト持ちで、とやって来る。
意気投合する2人。森を散歩する場面や雪の夜の場面など抒情的な映像。
2人は一緒に住み始めた。
 
Schiele_Cine.jpgSchiele_Walley.jpg
1914年、ヴァリはエゴンとの結婚を考えているが、アトリエの向かいに
住む姉妹と親しくなったエゴンは、姉妹の家に招かれ、中産階級の安定した
生活に魅力を感じる。第一次世界大戦が始まり、召集命令が来たエゴンは、
妹のほうにプロポーズをする。ヴァリは?
ヴァリには、「結婚できないけど、僕の絵にはきみが必要。愛してる。
結婚しても毎年、夏の休暇を一緒に過ごそう」、、、何たるエゴイスト。。
怒ったヴァリは、従軍看護婦に志願して戦場へ。

1915年、エゴンの個展会場、初日。妹がエゴンがいる会場の事務室に
「おめでとう」と言いに来る。
エゴンは無言で、ヴァリが戦地で亡くなったという知らせを妹に呈示し、
個展の作品リストの「男と乙女」Mann und Mädchen の「男」Mannの字を消し、
「死」Todとした。
その絵は、ヴァリとの最後の日、2人の姿を描いた思い出が詰まった絵だった。

以上が、省略部分も多いがあらすじ。

片時も絵の制作を忘れることがない、2人でベッドにいても、絵のための
ポーズを追求する強烈な画家魂が伝わってきた。

「死と乙女」の絵には、いろいろな解釈があるけれど、「男と乙女=
エゴンとヴァリ」なのだと、わかった。
ヴァリ役はが魅力的な女優なので、同情心が募る。
第一次世界大戦という時代を表すのに、音楽が効果的に使われていた。

死と乙女300.jpg

コロナ休暇中に見るのにぴったりだった。映画では触れてないけど、クリムトも
スペイン風邪で亡くなったそう。クリムトは出番が多くないけど、以前見た「クリムト」
の映画でと同じスモッグを着ていた。
昨年ウィーン・モダン(クリムト、シーレ世紀末への道」展を見て、クリムトや
シーレに親しみを感じているので、興味深く見ることができた。


この映画をご覧になったmozさんの解説と感想がわかりやすいので、おすすめです。

nice!(40)  コメント(8) 
共通テーマ:アート

レストラン・マリークロードとワイン [シャンパン・ワイン・ビール]

コロナでの外出自粛が続いているので、おいしかった思い出話です。


「マリークロード」は、70年代にフランス料理のレストランが六本木周辺に
出来始めた頃、開店した日本のフレンチレストランの草分け的な存在。
シェフの長尾和子さんは、食の都リヨンの有名レストランで修業した日本初の
女性シェフとして開店早々、新聞・雑誌にとりあげられた。

昔のことなので、記憶があやふやだが、広くないが、白を基調とした明るい
店だったと思う。友達と「この間行った『ビストロ・ド・ラ・シテ』よりこっち
の方がいいわね、なんて話したのは覚えている。



さて、それから月日は流れ、2018年。y から私の誕生祝いに、アロース・コルトン
を飲もうという嬉しいお誘い。ブルゴーニュ地方のアロース・コルトン村は
「ブルゴーニュで会いましょう」という映画の舞台になった有名なワイン村。
「アロース・コルトン、
名前は知ってるけど、飲んだことがない。飲んでみたいわ」
と、yと一緒に飲んだ時に言ったらしい。それも熱心に。(飲んでいるときに話した
ことを忘れる傾向あり)
しかも飲む場所はマリークロードですって!ここのお料理と飲みたかったワインを
一緒に、、まちがいなく至福の時。なんて
素晴らしいのでしょう。
私とyは、いつも赤と白2本を飲む。
お店に顔がきくyが1本持ち込んだ時があるが、
この日は、「誕生日だから」とお願いして、特別に前代未聞の2本の持ち込み。


Nag_Wine2_Corton_Rion.jpg
アロース・コルトンは赤ワインなので、「白はこれにした」とyが用意して
おいてくれたのは、ドメーヌ・リオンの「ニュイ・サン・ジョルジュ」2011年。
さっそく、白を開けて「乾杯」と飲み始める。


前菜1は、白イカと帆立のタルタル。人参のピュレに煎り酒を使ってるそうだ。
「ニュイ・サン・ジョルジュ」のラベルの一番下に「LES TERRES BLANCHES」
=白い大地と書いてあるように、石灰岩の多い土地なので、一口目でミネラルの
豊かさを感じる。バランスもよく端正。何のお料理でも合いそう。
実際、タルタル(刺身)とも、品よく合う。

Nag_1.jpg


前菜2は、ロールキャベツ、バルサミコソース
これにもドメーヌ・リオンの「ニュイ・サン・ジョルジュ」は、しっとり寄り添う。
少量生産で希少価値なのだそう。ワインに詳しいyがいろいろ説明してくれて、
知識がふえ、楽しかったのだけど、今は忘れてる。ゴメンナサイ

Nag_2.jpg

前菜3は、ひらめのカルパッチョ。きれいな色の大根の新品種。

Nag_3.jpg

スープ:カブのポタージュだったかしら。クリームを上にのせて。

Nag_4.jpg

魚料理:鯛のソテー、スライスアーモンドのせ
Nag_5.jpg
ここから、抜栓しておいた「アロース・コルトン」へ移る。2011年、造りては、
シモン・ビーズ。深い赤色。カシスの香り。しっとりと豊かで温かみのある味。
いける、いける!

肉料理:牛肉の赤ワイン煮
もちろん王道。赤ワインとこの料理。
天才醸造家といわれたシモン・ビーズの家を今はご主人亡き後、日本人の
奥さんが継ぎ、2008年からはビオ。

Nag_6.jpg


デザート:バースデイケーキ。苺できれいに飾って。
うれしいなぁ。これがあるから、年をとってもいいわ。

12024346884433.jpg


というわけで、美味しいディナーコースに、飲みたかったワイン。
楽しく嬉しい誕生日ディナーだった。
記事にするのが、こんなに遅くなったけど、メルシー、ムッシューy。



さかのぼること1年前、2017年。
同じく、マリークロードでのディナー。
写真が全部そろってないけれど、この時もおいしかった。
yが言うように、ここのお料理は、「優しい味」。
「年とると、フレンチは重いから」と敬遠されることが多いが、ここのお料理
だったら大丈夫。濃い味ではないが、一皿、一皿に、奥深い味付がなされ、
丁寧につくられたお料理。

それなのに、閉店は残念。長尾さん自身は、「やりたいことは全部やった」
というお気持ちなのでしょう。Happy Retire!


名称未設定 1のコピー.jpg
この時、飲んだのがパトリス・リオンのブージョ「VOUGEOT」の1erCru 2011年。
クロ・ブージョは特級GrandCru。そこの1erCruCru なので、ふくよかで、さらっと
飲めて、とても美味しかった。
これは赤ワインなので、抜栓して開くのを待つ間、まずは、とお店のシャンパン
「ローラン・ペリエ」をボトルで頼み、飲み始めたのだった。


Nag_Wine350.jpg


nice!(38)  コメント(13) 
共通テーマ:グルメ・料理

映画「アイリーン・グレイ 孤高のデザイナー」 [映画 (美術関連)]

コロナでの外出自粛の日々、DVDで見た美術関連の映画を記録しておきます。

アイリーン・グレイの名前を私が知ったのは、2017年秋に
ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」という映画を見たからである。
タイトルから、コルビュジエと共同設計者アイリーンがヴィラ(別荘)を建てる話
だと推測して、3週間後にパリでコルビュジエの「ラ・ロッシュ邸」を見る予定が
あったので、丁度良いと出かけた。
映画のことは、ラ・ロッシュ邸の記事で紹介してあるので、興味のあるかたはどうぞ。


この映画は、アイリーンの生涯の物語を俳優が演じるのではなく、作品の研究者や
関係者たちが、順番に登場して、アイリーンについて生涯を追いながら語る構成に
なっている。

生い立ち:アイリーンはパリで活躍したが、アイルランド生まれのアイルランド人。
アイルランド国立博物館のグレイ研究者ジェニファー・ゴフが、写真を交えて語る。
1878年に貴族出身の母と中流階級出身の画家の父との間に生まれ、5人兄弟の末っ子。
小さい頃住んでいた家が写真で紹介されたが、郊外のお城だった。
画家の父から自由奔放な生き方を、財産家の母から経済的自由を得たのだった。

アートの世界へ:
1900年に母とパリ万博を見物し、アートに目覚める。ロンドンのスレード美術学校で
学んだ後、パリのアカデミー・ジュリアンに通い、ロンドンの店で見た漆工芸(lacquer)
作品に惹かれ、パリに住んでいた日本人の漆職人、菅原精造に師事した。
無題.png
漆:アイリーンは、漆という伝統的な素材を使って、モダンデザインのものを制作した。
椅子やテーブルの足部分に漆を使ったり、スクリーン(間仕切り)の模様に使ったりし、
それらを展示・販売の店「JEAN DESERT」を1920年パリの一等地サントノーレに構え、
菅原を雇った。ノアイユ侯爵夫人、ジャック・ドゥセ(ファッションデザイナー)、
歌手ダミアなど当時の有名人が顧客として名を連ねる人気の店だった。
写真:漆塗りに銀箔が施された長椅子「カヌー」。
Aileen_LaquerChair.jpg
「アール・ヌーヴォーの美術」東京美術 P109より


アイリーンは、漆でスクリーン(間仕切り)も制作した。(V&Aのサイトで見れます)
映画の中で紹介されたMilkyWayという青い漆の上に真珠母貝が光るスクリーンは
美しかった。漆で青を出す方法は秘密だそう。

ジャック・ドゥセの紹介で、家のインテリアも頼まれ、家具をデザインするようになる。


スティール(金属):
家具にスティールを初めて使ったのは、マルセル・ブロイヤーと言われているが、アイリーンは
それより前1919年に、サテライト・ランプで使っていた。
スティールパイプを使ってデザインした軽くて動かしやすい椅子は、今では当たり前だが、
機能に注目したデザインの椅子はアイリーンが初めてである。デザイン性の高いモダンな
家具であっても使い心地を大切にする、それが現代でも支持される理由だろう。
スチールとガラスのサイドテーブル「E-1027」はニューヨーク近代美術館の永久コレクション
に収められている。


e-1027Chase.jpg

恋人、建築:

ルーマニア人の建築家で評論も手掛けていたジャン・バドヴィッチが恋人となる。
ドヴィッチは、アイリーンの店「JEAN DESERT」の外装を手掛け、評論家としての
幅広い交友関係からル・コルビュジエを始め、当時活躍のアーティストたちを
アイリーンに紹介した。さらに、建築やデザインの出版物をたくさん読み、時流を
知るようにすすめた。アイリーンは、バドヴィッチを通して、どんどん建築にはまって
行ったのである。

設計した家:
アイリーンは、ドイツのバウハウス、オランダのデ・スティル、時流のアールデコ
などのグループのどれにも属さなかったが、たくさんの出版物を読むことにより、
時代の先端の感覚が培われていた。そのため、さまざまなスタイルの作品を残している。
映画「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」で、取り上げられた家は、
アイリーンの設計で、バドヴィッチが客をもてなすための海辺の別荘だった。
コルビュジエは、嫉妬するほどアイリーンの才能を認め、デザイン出身のアイリーンが
製図を上手く描けるように、上達を願って仕事を与えた。


アイリーンは78才の時にペルーにある古い農場の小屋の改築を地元の建築技師と
組んで手掛けた。その家は太陽光が入り、風が吹き抜けることを趣旨とした自然と
調和できる家だった。現代の私たちのライフスタイルを100年も前に作りだして
いたのである。


最後に:ポンピドゥ・センターのキューレーターのクレオが、「コルビュジエが
近代建築の父なら、アイリーン・グレイは近代建築の母だった」と締めた。


バドヴィッチが亡くなった後、アイリーンは、デザインの表舞台から消えていった。
コルビュジエは別荘「E-1027」を自分の発案と言い、アイリーンの名を伏せた。
しかし、2009年に行われたサンローランの遺品オークションで、
アイリーンがデザインした「ドラゴン・チェアー」が1950万ユーロ(日本円28億円)
という史上最高値で落札されたことから、再び脚光を浴び、映画が2本制作された。


原題:Gray Matters (グレイに関すること)
2015年、アイルランド制作


追記:yk2さんが、コメントで、アイリーンが漆を習った菅原精造について詳しく
書いている研究論文を紹介してくださいました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssdj/63/6/63_6_57/_pdf
ここにアイリーンの作品の写真が掲載されています。

これを読むと、菅原精造は東京芸大で漆工を専攻したが、当時のカリキュラムは、
漆が仏像制作にも使われることから彫刻も学ぶようになっていた。彫刻の師は、
高村光雲で、実際に指導を受けている写真があった。菅原精造の墓には彫刻家、
漆芸家と刻まれている。
アイリーンは菅原精造と共に仕事をし、「カヌー」のような
長椅子を作る技術、家具制作を学んだと思われる。このことが後の建築への興味
につながっていった。




nice!(35)  コメント(6) 
共通テーマ:アート

元荒川のうなぎ [和食の店]

昨年のGWは、展覧会に行ったり、レストランに行ったり、、海にも出かけ、、
楽しかったけれど、今年の外出は近所のスーパーだけ。
DVDを見たり、本を読んだり、家の中の片付け、料理に庭仕事と、
内向的に過ごした。携帯はうちでは電波が悪く途切れるので、友達との近況報告
は家電だった。

そんな中、思い出したのは、昨年行った元荒川のうなぎ屋さん。
川は東京都の東部を流れ、埼玉県との県境になる地域もある大きな川。
元荒川は、名前の通り、昔は荒川の本流だった川。


「美味しいうなぎ屋だったので、もう一度、行ってみたい。元荒川の土手の夕陽が
きれいだし」と言われ、車でナビを頼りに出かけた。道が混んでいて、晴れでも
なかったので、着いた時は、もう、こんなだったが、水を満々とたたえた川の流れは
穏やかで、向こう岸まではかなりの距離があり、大きな木々が茂る林の向こうに町が
あるらしい。右手、はるか彼方にアーチ形の赤い橋が見えた。

川の土手は高い位置なので、見晴らしが良く気持ちが良い。

元荒川3.jpg


お目当てのうなぎ屋は「小島屋」。6時前だったが、予約でいっぱいとのこと。
隣の店、川魚料理・うなぎの「沖田家」は、10分待ってくれればOKとのこと。
「そこの神社でも見てきてくださいよ」と言われ、武蔵第六天神社をお詣りして、
戻った。由緒ある神社だったのかはわからない。
玄関で靴を脱いであがる昔ふうの造り。床の間のある個室に通された。
お通し、うな重、肝吸い、香の物という普通のコースを頼んだ。
焼き目が強く濃い目のたれ、関東風。美味しかった。
(写真を撮り忘れたので、お店の「食べログ」の写真をお借りした。)


沖田や.jpg


帰り際に友達が「ここに来るのに迷ったからお店のカードをください」
と言ったら、「カードはないので」とマッチをもらった。非常時に使う
かもしれないと取ってある。

沖田屋マッチ.jpg

nice!(40)  コメント(12) 
共通テーマ:グルメ・料理