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パフェと手作りデザート [ケーキ、チョコ、和菓子、フルーツ]

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仕事再開。久しぶりは疲れる。「コーヒーじゃなくてパフェ!に行きましょ」
お店の座席は半分以上あいていたが、「密にならないようと少しお待ちください」
と言われ、入り口横の椅子で待った。


ラデュレ6月パフェ.jpg


「ラデュレは、いつも混んでるけど、今なら大丈夫じゃなーい」と
入った。暑い日だったので、錫のグラスに、なるほど冷たさが保たれると
思った。


友達がケーキを持ってきてくれた。
私の甘いもの好きは、知れ渡っているので、ケーキを頂くことが多くて嬉しい。

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[ダッシュ(走り出すさま)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)][ー(長音記号1)]


外出自粛期間中は、時間もたくさんあったので、ケーキを作った。
いつもご近所から、頂き物をしているので、お返し週間だった。

レモンパイ

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冷たいチーズケーキ

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パウンドケーキ(くるみとオレンジピール)
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自分用に買ったのは、ピカールの冷凍マカロン

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虎屋の季節の羊羹(抹茶)12㎝くらいの竿ものなので、一人で食べる
ときには丁度良い。

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友達からもらった「寒天と塩えんどう豆」に黄な粉、餡、黒蜜をのせて。
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買い物はレジで並んで大変なので、家にあるもので自分で作っていた。
コーヒーゼリー 生クリームをかけて。

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ババロア、残った白身をメレンゲにして上にのせてみた。
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オレンジをくりぬいてゼリーをつめた
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杏仁豆腐でなく、牛乳ゼリーとフルーツ

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友達が「今日、何、作ったの?私はこれ」と写真を送ってくれるのも、
刺激になっていた。



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映画「セザンヌと過ごした時間」 [映画 (美術関連)]

コロナでのオンライン仕事は終わり、出勤が始まったけれど、時差通勤
なので、ほっとしています。今日から県をまたいでの移動も可とのこと
ですが、復帰は徐々になんでしょうね。
梅雨に向かう季節、マスクは暑くて嫌だけど仕方ないですね。


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「セザンヌと過ごした時間」、原題は「Cezanne et Moi」セザンヌと私。
私=文学者のエミール・ゾラ 。ゾラをギヨーム・カネ、セザンヌを
ギヨーム・ガリエンヌという演技に定評のある2人が演じている。

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「セザンヌとゾラが同級生って知ってた?」ときかれたことがある。
さらにその時、「ゾラの小説、読んだことある?」「昔、読んだわ。居酒屋とか
テレーズ・ラカン」と答えたが、内容を覚えてない。
フランスの19世紀末を代表するような文豪と画家が昔から親友だったとは!

セザンヌは、南フランスのエクス=アン=プロヴァンス地方の裕福な銀行家の
息子。一方、ゾラの父はイタリア人のダム技術者だったが、ゾラが7才の時、
亡くなり、母子家庭で貧しく、学校で虐められていたのを1年上のセザンヌが助け、
仲良くなる。水遊びをしたり、ウサギを仕留めたり、自然の中での楽しそうな
少年時代。この辺りの映像が美しい。

18才でパリに出たゾラは、大手出版社(アシェット社)で働きながら、作家を
めざす。セザンヌも画家を目指してパリに出、サロンに挑む。
セザンヌに画家仲間が集まる居酒屋に
連れて来られたゾラは、美しいお針子の
ガブリエルを紹介される。
どぎまぎするゾラをよそ目に、セザンヌは、
「ガブリエル、俺の絵のモデルにならないか」と言う。
父からの仕送りで裕福なセザンヌ対貧しいゾラ。

しかし数年後には、
ゾラ(40才)は作家として成功。ガブリエルと結婚しパリ郊外に立派な家を
構えている。
セザンヌは絵がサロンに入選せず、故郷のエクスで過ごしていたが久しぶりに
ゾラを訪ねてくる。画家をモデルにしたゾラの新刊に対しセザンヌは、
「モデルは俺だろ。
取材費がいらなくて済んだな。あの本で俺を抹殺するつもりか」
と食ってかかる。
売れない画家生活が長く、偏屈になったセザンヌ。
ここで、過去に戻り、2人のそれまでの20年間が年代を追って描かれる。
父から送金をとめられたセザンヌは、故郷エクスで、光あふれる絵の制作に
没頭する日々だった。若いモデルのオルタンスと同棲し、子供もいるが、
厳格な父には内緒。
(オルタンスをモデルに絵を描くセザンヌ)
Cezanne et Olivia400.jpg
ようやくセザンヌの絵は、サロンに入選。
ゾラ夫妻や画家仲間とピクニックへ行ったりと楽しいひととき。
(マネの”草の上の昼食”が思い浮かぶようなシーン)
CezannnePicnic.jpg

ゾラ夫妻(右)とゾラの母、オルタンスと楽しいひととき。
セザンヌと450.jpg


入選はしたものの、セザンヌの絵は売れず、貧乏暮らしは続く。
小説が大ヒットしたゾラは美術評論も多く手掛けていた。世間から非難された印象派の絵や
マネの
「草の上の昼食」を擁護する文章を発表すると、セザンヌは(印象派とみられて
いるのに)「自分は印象派でなく、マネは嫌いだ」と言い放つ。小さい時からの
交流で、セザンヌのひねくれている所がわかっているから、ゾラは怒るよりもあきらめ顔。

2人は、しばしば文学対絵画の議論をする。
「夜中に起き上がって、赤を青に描きかえる苦しみが、きみにわかるか」
「僕も1語に苦しむ。駄文ではないかと悩む。きみは本を読まない。ただ批判する」
「文学と絵は共通点があるけれど、本は安いから売れる、絵は高い」
当時の画家たちが脇役で出てくるのが面白い。ピサロ、マネ、ルノワール、、。
会食の話題にも、バジールが戦争で亡くなったとか、メデュース号の筏とか、
語られる。

ゴッホの絵で有名な「タンギー爺さん」は絵の具を扱う画商で、セザンヌに
絵の具を融通してくれたり、絵を売る試みをしてくれた。
そして終に、画商ヴォラールが、買い手がたくさんいるから個展をしようと
150点の絵を高い値段で引き取ってくれた。セザンヌはヴォラールの肖像画を
描きながら、ゾラへの想いを語る。
「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」1899年

Cezanne_Ambroise_Vollard.jpg

ゾラは、「きみは横柄で喧嘩っぱやい。うんざりだよ。だから成功しない」
と歯に衣着せぬ言葉を投げたこともあったが、大抵は「きみは天才だから」
とセザンヌを励まし続け、資金援助もしていた。
2人は、お互いに家庭状況をわかっているので、家族のことについて語り合う
場面が、何回かあり、それがストーリーを盛り上げていた。

私は、このDVDを4回見た。2回見た後に、ゾラとセザンヌの実際の生涯をWiki
などで読み、そこで知ったことを考えながら見た。見る度にわかることがふえてくるし、
それぞれの人の気持もわかる。そして、ゾラとセザンヌ役の2人の演技がとても上手い
ことに改めて感心した。

<付録>
ゾラは美術評論でマネの絵をほめていた。
マネによる「エミール・ゾラの肖像」1868年

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うちで飲んだり食べたりpart3 [シャンパン・ワイン・ビール]

この前の「うちで飲んだり食べたり」は、今、思えばコロナの初期、
3月11日と18日だった。あの頃は、「こうして、うちで飲んでいるうちに
時が経ち、コロナも収束」と楽観的に考えていた。
ところが、それから約3か月間、「外出自粛要請」もあり、皆、自粛。


[むかっ(怒り)]
6月11日(木)東京アラート解除。
このニュースを聞くなり、M子さんとT子がうちに来ることになった。
T子は、高輪ゲートウェイという新駅が山手線に出来たので、「あなたのうちに
簡単に行けるようになったわ」と言っていた。
食べ始めてから、写真!と気づく。

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「こうやって飲むのが日常だったのに、全く会えなかったわね。長かったー」
とシャンパンで乾杯。2本目は、アルザスのピノグリ。ドメーヌ・ロウはお気に入り。
T子が「この間、ケンダル・ジャクソンのワイナリーへ行ったので、Grand Reserve
(特級)のを買ってきたから」と持参。
あまーい、豊かな香り。刺激がなくマイルドで上品。おいいわねーとするする
飲めたので、「あら、もうない」と4本目をあけた。



[晴れ]
1年の半分は、ハワイで暮らすT子から、「ハワイはレストランも全部、閉まったので、
日本のほうが普通に暮らせそうだから、予定より早めに帰国します」とLINEが来た。
その翌日、閣議でアメリカからの入国者は、3月26日から入国後、2週間様子観察のため、
指定場所に2週間隔離とのニュース。あわてて、「すぐ帰って来て」とLINE。

翌日25日に帰国。「間に合った。アメリカに比べると入国審査がゆるくて、検疫質問表
を書いただけ。
なんにも調べないから拍子抜け」とLINE。
「落ち着いたら飲もうね。外は無理かしら」なんて言ってるうちに外出自粛。
私たち、80日間、この日を待っていたわけね。


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パンは、T子が、がみの食パンを買ってきてくれた。
M子さんは、麻布十番のスーパー「ナニワヤ」の焼き豚。焼き豚はここのが一番
おいしい。Tが「ナニワヤはローストビーフが最高よ。日本一かも。売りきれるから、
予約して焼いておいてもらわないと
」と教えてくれる。
M子さんは鱧のちくわも。紀伊国屋で売ってるけど、いつもあるわけじゃ
ないん
ですって。これ、2分の1サイズ。


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[台風]

東京アラート発令の自粛期間中、出かけたのは数回。それも運動のため歩きで
神楽坂のフランスパンの店「パン・デ・フィロゾフ」へ。携帯のmapで調べると、
4.6km. 1時間近くかかる。
この店の店主は、元ドミニク・サブロンJapanのチーフ。ドミニク・サブロンは、パリの
友達の家の近くに本店があるので、パリに行くと買う店。
左側、赤ワインで煮たセミドライのいちじく、くるみ、ピーカンナッツなどが入って
いて、もっちりとした生地で美味しい。右は白ワインで煮たドライりんご、緑のレーズン、
クルミ入り。行った甲斐がある美味しさだった。

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神楽坂から足を延ばして、飯田橋駅まで歩き、パリの冷凍食品の店「ピカール」へ。
前回、マカロンが美味しかったので、今回は、エクレアを買った。小ぶりなので、
3~4本はいける。

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自粛期間中はパンを食べることが多かった。
これはJohann(ヨハン)のオリーブ入りパン。歩いて行ったデパートの地下で
ハム、コンビーフ、などの盛り合わせを買って合わせた。

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別の日、M子さんが、今、一番気にいってる広尾に新しく出来たパン屋
「トリュフ・ベーカリー」のパンを届けてくれた。
右上の白トリュフのパンが看板商品だそう。バターロールの形、トリュフの香りが
強すぎず、丁度いい。左はシナモンロール。下のオリーブのパンが絶品!
切り口を見ていただくとわかるように、オリーブが丸のままごろごろ。

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これに合わせたのは、サラダ。うちにあった素材を使って、色とりどりに
並べてみた。中心にある花は食べられる。上にある葉っぱも食べる。
ナスタチウムという名前。かぼちゃ、チーズ、生ハム、ブロッコリー、サーモン
ソテーのほぐし身、きゅうり、プチトマト、ゆで卵、アボガド、プチトマト(黄)、
蒸したチキンのほぐし身。下にレタス敷。13品目サラダ。

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沖縄のきび糖を頂いたので、くるみを入れてパウンドケーキにした。
きび糖なので、しっとりとして美味しかった。

2020Coronaきびケーキ.jpg


自粛期間中は、いろいろと料理をした。スーパーでの買い物が並ぶので大変
だった。材料がそろわなくても、お客様料理ではないから、気にしないと、
思っていても、やはり不満だった。


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映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」 [映画 (美術関連)]

コロナでの外出自粛の日々、DVDで美術関連の映画を見ました。

ゴーギャンは、ゴッホの耳切り事件の後、ブルターニュ地方のポンタヴェン
に滞在し、仲間と共に制作をした。その後、タヒチ島へ行き2年間暮らした。
パリに戻り、金銭の用意をして、再びタヒチに行き、死ぬまでそこで暮らした。
この映画は、最初のタヒチ滞在の2年間の記録になっている。

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株式の仲買人として生計をたて、趣味で絵を描いていたゴーギャンだが、
作品がサロンに入選、画家を本業にしようと考えていた。そんな矢先、
株が大暴落、失職。
1891年、パリのCaféで絵の仲間2人と飲んでいる場面。
「お金がない、絵が売れない」「ドガの友人はポリネシアにツテがあるそうだ」
ゴーギャンは「パリは腐ってる、パリには描くべき顔も風景もない」と叫び、
わずかな資金でも暮らせる南の島ポリネシアのタヒチへ単身向かった。
家族をパリに残したまま。(注:ポリネシアはフランスの植民地)


次はタヒチの場面。
村の店へパリの妻からの手紙を受け取りに来たゴーギャンは、「タヒチには
行きません。実家から帰るように言われてるので、離婚します」という文面
にショックを受け、心臓発作で倒れ、フランス人医師のもとに運ばれた。
糖尿病もあるので入院させられたが、勝手に退院し、一人、馬に乗って川沿い
の道をタラバオ海峡めざして歩く。パパイヤを取って食べ、川では魚を捕まえ
ようとするが上手くいかず、飢えと疲れで倒れ、担ぎ込まれた家の娘、テフラ
に一目惚れ。父親に「テフラが気に入ったなら、連れてっていいよ」と言われ、
一緒に馬に乗り、タラバオへ。道中の景色がのどかで美しい。
「タヒチの風景」

Gauguin_-_Tahitian_Landscape.jpg

海で泳いだり、子供たちと遊んだり、テフラをモデルに絵を描く日々。
テフラにフランス語を教え、テフラから土地の神や風習を習いながら、
2人の楽しい生活。
テフラはゴーギャンのことが大好きなので、モデルをしていても、
ちょっかいを出してきたりする。
みずみずしさが溢れていた。


ある日、フランス人医師が、体調はどうかと尋ねて来た。
描いている途中の絵(下の写真)を見て、「タヒチのヴィーナスだ。美しい!」
と絶賛。ゴーギャンは、「ヴィーナスでなく、イブだよ。原始の女性。野蛮で
あどけなく、美しい。彼女と此処に来て生き返った」と目を輝かせて答える。
「イア オラナ マリア」(マリア礼賛)

il orana maria.jpg

フランス人医師は、描きためてあった絵に見入る。
「メランコリー」(赤い服の女性)
Gauguin_Femme a la robe Rouge.jpg

「アレオイの種」

Gauguinアレオイの種.png


どれもテフラがモデルの絵。
「一日中、絵を描き、周りと調和して暮らしている。最高さ。
でも、パリからの仕送りが来ない」と医師に言う。

パリからの仕送りが来ないので、貧しさが募っていく。
絵を描くカンバスを買えないので、木枠にキャンバス地を貼って自分で制作。
日曜日、白い服で教会から帰る人々を見たテフラが、「白い服がほしい」
と言っても買ってあげられない。
お金を得るために、山で木を切って木彫を作り、観光客に売るが、安く
たたかれて、ほとんど収入にならない。

家に戻ってみると、テフラが蝋燭もつけずにベッドの上で泣いている。
悪い霊が来たと怖がっているのだった。
「マナオ・トゥパパウ」(死霊が見ている)
(The_Spirit_of_the_Dead_Keep_Watch).jpg


こういう暗い場面のあとは、ぱっと明るい海。
村人と一緒に夕食用の魚釣りをするゴーギャン。

テフラが熱を出した。医者が来て「流産だ」と告げる。
「家へ帰りたい、お母さんに会いたい、おばあちゃんに会いたい」と
泣きじゃくるテフラ。力になれないゴーギャン。
絵の具を買うお金もなく、絵が描けないゴーギャンは、病弱の体なのに、
日雇いの力仕事に出ている。流産以来、元気がないテフラ。

医師が、フランスからの召喚状を持って来た。本国に戻らなければならない。
ゴーギャンの健康を案じての措置だった。

「帰国することになった」と告げると、「知ってたわ」とテフラは、
引き出しから絵筆を出し、ゴーギャンに渡し、モデルの椅子に座る。
最後の絵を描く。「テフラの祖先」

G-_Tahamaha_hat_viele_Vorfahren_-_1893.jpg

泣きそうになるのをこらえるテフラ。愛おしいという表情で見つめながら、
絵筆をすすめるゴーギャン。

帰国の港に、テフラは送りに来なかった。じっと港を、今にテフラが来るの
では、と姿を探すゴーギャン。~幕~。

字幕が出る。
パリに持ち帰った41点のタヒチの絵の評価はわかれた。その後、ゴーギャン
はタヒチに戻ったが、テフラには2度と会わなかった。


出演:ヴァンサン・カッセル(ゴーギャン) ツィーイ・アダムス(テフラ)
2017年制作 102分 フランス映画 原題:Gauguin_Voyage de Tahiti


パリで見た「ゴーギャン展」の記事です。回顧展なので、展示作品が多く、
とてもいい展覧会でした。


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