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ゲルハルト・リヒター「ある画家の数奇な運命」 [映画 (美術関連)]

「ある画家の数奇な運命」今、上映中の映画(東京では日比谷のシャンテシネのみ)。
大阪に引っ越した友達から、「ゲルハルト・リヒターの半生をモデルにした
とってもいい映画で、、、、、」と、感想を書いたメールをもらった。

ゲルハルト・リヒターは、最近、日本でも注目されるようになり、つい先日、ポーラ美術館が、
サザビーズのオークションで作品を30億円で落札した。(ゴッホのひまわりの落札価格は53億円)
2005年には、川村美術館と金沢の21世紀美術館で、回顧展が開催された。


東京近代美術館にも常設で作品がある。ここは写真撮影可。
「シルスマリア」2003年

近美_リヒター.jpg

シルスマリアは、スイスの有名なリゾート地。
「絵じゃなくて写真?でしょ」と思われる人が多いと思う。
実際に見ても、写真に見えるかも、、なぜなら、写真の上に筆で描き足したり
することによって、ぼやかした技法=フォト・ペインティングである。
リヒターが編み出した技法。

映画では、リヒターがどんなきっかけで、フォトペインティングを生み出したのかを
時代背景と共に、実に上手く見せてくれる。


私がリヒターを知ったのは、2002年、ニューヨークのMOMA(近代美術館)に
行ったとき、大規模な回顧展をしていたからだ。ナチスドイツの将校という
古い写真に線描きを加え、消したい過去にしたと思える作品が印象に残った。
対比的に、金髪で赤白の服を着た少女が後ろを向いた瞬間というまさに現代の写真
もあり、多様性に興味を持った。フォト・ペインティングだけでなく、"abstract"という
題名通りの抽象画がいくつもあった。(今回、ポーラ美術館が購入したのもabstractシリーズ)



映画は、「善き人のためのソナタ」の監督、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
が脚本、監督、制作をつとめた自信作で、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞にノミネートされた。
主演は、トム・シリング(ハッカーの映画「ピエロがお前をあざ笑う」で主役)、
妻にパウラ・ベーア(下の写真の中央)、妻の父に
セバスチャン・コッホ(下の右)

GLichter.jpg


監督は、リヒターにインタビューをし、映画化を快諾されたが、脚色部分と真実部分
を明らかにしないこと、という条件を申し渡された。だから、見ていてもどの部分
が、脚色なのかわからない。100%真実に見えた。

リヒターは、1932年、旧東ドイツのドレスデンで生まれた。
ナチス政権の時代である。
映画は、美術好きの叔母に連れられて、リヒター少年が「頽廃芸術展覧会」
に行くシーンから始まる。エミール・ノルデと思われる強烈な色の作品が見えた。
ある日、叔母は精神のバランスを崩したため、医者へ行くと、強制入院をさせられ、
収容所送りとなり、安楽死政策で殺されてしまう。
頽廃芸術展.png


場面は戦後になる。
リヒターは、美術大学へ進み、そこで出会った同級生のエリーと恋に落ち、付き合い
始める。両親に反対されるが、エリーの妊娠で2人は結婚。成績優秀だったリヒターは、
美大教授の勧めで社会主義の労働推進壁画描きの仕事をしていたが、社会主義国での
芸術の将来に行き詰まりを感じ、自由な西ドイツの芸術都市、デュッセルドルフに移住する。
(駅での検問シーンにハラハラしたが思いのほかすんなり移住できた。この翌年、
東西ベルリンの間に壁が出来、移住は不可能になる)


デュッセルドルフでリヒターは、革新的で有名な美術学校にはいる。そこでいろいろな人たち
と知り合い、ヨーゼフ・ボイスのパフォーマンス・アートの世界を見、体験し、表現芸術の
世界に親しむ。
(ボイスのフェルトと脂肪のパフォーマンスが丁寧に再現され、フェルト帽を被った姿も
実物にそっくりだった)
ポロックのようなアクション・ペインティングの制作を試みたりした後、
リヒターは、昔の写真の上に線を描いたりすることで、別の作品を生み出す試みに
没頭。フォト・ペインティングである。
ナチに安楽死させられた叔母と幼い自分が一緒に映っている写真も、フォト・ペインティング
によって新しい作品「叔母マリアンネ」となった。


妻エリーの父は、ナチスドイツで、産婦人科医として安楽死政策に関わっていた。
つまり、叔母の安楽死にサインをした人物だったのである。
そのため戦後、ソ連の捕虜となり収容所にいたが、収容所長の妻の難産の赤ん坊を無事、
出産させたことで恩赦、東ドイツの病院に職を得ていたのだが、所長が転勤になるので、
もう匿えないから、西へ移住したほうがいいと言われ、リヒターとほぼ同じ時期に
デュッセルドルフに来た。名医なので、ここでも病院長をしていた。

エリーの父は、リヒターの壁一面の大きな作品「叔母マリアンネ」を目の前で見る。

一瞬表情が変わる。戸惑い、怖れ、、。。音楽がなる。  ENDE



東ドイツから西に来たリヒターの芸術遍歴の話だけでは、3時間もの映画は難しいが、
エリーの父が絡むことによって、戦争の悲惨さ、数奇な運命というドラマになった。
それぞれの個所で、サスペンスふうな盛り上がりがあり、画面に引き込まれる。
長さを感じずに見れる作品で、監督の力量がすばらしい。



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ファブリックの女王 [映画 (美術関連)]

「ファブリックの女王」は、北欧を代表するファッションブランド「マリメッコ」
の創業者アルミ・ラティアの人生を描いたフィンランド映画である。

1951年、第二次大戦後のフィンランドで、アルミは斬新なデザインの生地会社
「マリメッコ」を立ち上げ、世界的なブランドへと成長させた。
生地のデザインのみならず、インテリア用品なども手掛け、人々のライフスタイル
を楽しく心地良いものに変えようとした。
私生活では夫との確執や恋人、事業家としての迷い、デザイナーなど従業員たち
との関係、妥協しないアルミには、次々、問題がおこる。
(この辺りの詳しいことは、下のコメント欄でyk2さんが補足してくださっています)

fablicMarimekko.jpg

この映画は、単に女優(ミンナ・ハープキュラ)がアルミの人生を演じるのでなく、
演劇の手法を取り入れ、アルミの人生の再現ドラマのメイキングにしている。
なかなか面白い趣向。
女優が、アルミはどうだったのだろう、どう表現したらよいのだろうと考えながら、
演出家と意見を交え、作品作りをしていくのが現在。そして、アルミに成り切って
ドラマをすすめる時は過去である。

しかし、現在だ、過去だと考えなくても、波乱万丈の人生に引き込まれていく。
監督は、巨匠ベルイマン監督のもと、プロデューサーを務め、自身も初期の
マリメッコ社で役員をしていたヨールン・ドンネル。
 
良い映画だと思うが、万人向きと言えるかどうか。。

1951年当時は、女性の服がシルクやウールだった時代で、コットンは普段着だった。
だから、マリメッコがフィンランド産コットンに大胆なプリントを施し、おしゃれ服
を作ったのは、画期的なことだった。そして、ケネディ大統領夫人が気に入ってくれた
ことから、アメリカでも人気となり、世界ブランドとなった。
マリメッコで代表的な柄は、赤い芥子の花を大きく描いたもの。
北欧らしい可愛さ、明るさ。
Marimekko.jpg

私が使ってるエプロンは、最近のマリメッコ製品。
油はねなどの汚れが目立たないので、エプロンとして実用的。
Apron2.jpg
      
フィンランド映画といえば、私はアキ・カウリスマキの暗い世界も好きでした。
最近、アキ・カウリスマキの映画の話題をききませんが、新作はないのかしら。

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9月、10月歌舞伎

久しぶりに歌舞伎座へ行った。
コロナのため、一演目ずつ、一日4回興行。
今までは、3演目で一等席が18000円だったが、一演目で8000円。
初めて見る人には、いい機会かもしれない。
演目は、「梶原平三誉石切」で、十月の初日。夕方の部。
Oct_kabuki.jpg

ソーシャル・ディスタンスで、1人置きにすわる。桟敷席は使わない。
係の人が「マスク着用、掛け声なし、拍手のみ」の看板を掲げている。
「松嶋屋~」とか「いよっ、御両人」の掛け声は、聞けない。
(主役が仁左衛門なので、屋号が松嶋屋)


Oct_Kabuki4.jpg


さて、話の筋書きは、

梶原平三景時(片岡仁左衛門)は、智勇そなえた平家方の武将。
鎌倉・八幡様の梅を見ながら酒盛りをしている大庭兄弟と梶原氏らの前に、青貝師の六郎太夫
(中村歌六)
と娘(片岡孝太郎)が訪ねて来て、大庭に家宝の刀を買ってほしいと言う
大庭は梶原に刀の目利きを頼む。
梶原は一目見て「稀代の名剣」と賞賛する。ならば、試し斬り
をと、囚人と六郎太夫の2つ胴斬りを命ぜ
られた梶原だが、囚人斬りのみで失敗。大庭兄弟は、
嘲けり立ち去る。梶原は父娘が刀を売るのは、源頼朝再挙の軍資金調達のためと見抜き、
二人にわざと試し斬りに失敗したこと、自分の本心は源氏方にあることを明かす。そして刀が
名剣である証拠に、神前の手水鉢を一刀両断にして見せる。
喜ぶ父娘に刀を買い上げる約束をして、連れだって屋敷へ帰って行くのだった


仁左衛門が堂々と役になりきって好演。もう少し、声が大きかったら文句なしなのだが。
歌六も上手く、彦こまれる舞台だった。

kabukiza_nizaemon.jpgkabukiza_k _karoku.jpg



1時間以上ある長いものはよいが、45分で終わるものも同じ料金なのは、いかがなものか、と思う。
あっという間に、終わってしまったのが、9月午前の部。
「寿曽我対面」(ことぶきそがたいめん)

曽我五郎に松緑
曽我十郎に錦之助
工藤左衛門に梅玉


話は、
源頼朝の信任が厚い工藤左衛門の屋敷での祝宴の場、大勢の大名が集まっている場で、
曽我五郎・十郎の兄弟が、左衛門に対面を願い出る。兄弟の父の命を奪ったのが左衛門
だったからだ。兄弟の面差しから曽我の縁者と気づいた左衛門。父の仇を討とうとする
兄弟に、左衛門は「今ではない。来たるべき時が来たら討たれよう」と諭される。


曽我兄弟の仇討の話は、日本三大仇討の一つと言われ、有名だが、歌舞伎の筋書きは、
実話とは違うとのこと。
私は、松緑の父、辰之助を贔屓にしていたが、40歳で亡くなってしまったので、
息子の松緑が気になる。松緑は父亡き後、数年後に、祖父(先代の松緑)
も亡くなり、芸を指導してくれる人をなくし、苦労したが立派に一人前になり、
今や堂々たる風格もついてきたと思う。

kabukiza2020Sep.jpg

一幕だけだと、気軽に見れるので、初めて歌舞伎を見るには、良い機会かも
しれない。(一等席8000円、二等席5000円、三等席3000円)


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