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美味しかった頂き物(10) [ケーキ、チョコ、和菓子、フルーツ]

しばらく記事を書いてなかった頂き物シリーズです。

1,マモン・エ・フィーユ
ちょっと前のことになりますが、神戸出身で大阪在のFさんからのお菓子。

字が小さいけど、 Maman et Fille  マモン・エ・フィーユという名前の神戸の店。
フランス語で「母と娘」の意味。お母さんの手作りのお菓子で育った娘がパリで
製菓を学び、開いた店。
チョコサブレ、半端なく美味しい!サブレはさくっが口の中でほろり、高級バター
の香りと味。間に挟まれてるガナッシュは高級チョコとすぐわかる。
この記事を書くためにお店のサイトを見たら、「28日から日本橋三越に催事で出店」
と書いてあった。三越劇場に「リア王」を見に行く予定なので丁度いい。
Gateau_Maman et fille.jpg


2,ゴディバのチョコレート
贈り物の定番、ゴディバチョコ。時々、夜ごはんをうちで一緒に食べる親友歌姫が、

「頂き物なんだけど、身体に悪いから、ここで一緒に食べるだけにしておく」
こんなに減ってるのは、数日後に来た友達と食べたから。
「あれ、ゴディバ、小さくなった?」「やっぱり?私もそう思ったけど確信がない」
早速、スマホで調べた友達が、「ゴディバジャパンっていつのまにか韓国企業に
なってる。株100%買収して、ん?もとはトルコっていう話もある」
吸収・合併の多い時代。製品の味と値段が同じならいいけど。
Godiva2024Aug2.jpg



以下2つの店のケーキは、頂き物でなく、私が買ったもの。


3,パティスリー レセンシエル L’ESSENTIELLE
茗荷谷、播磨坂通りに面してる店。名前は覚えられないから、袋を一緒に
写真に撮った。クリスマスの日に車で前を通ったら、待ってる人の列がお店の
外にまでつながってたので、美味しいんだろうなと思っていた。

ケーキが、サダハルアオキに似ている。調べてみたらオーナーパティシエは、
パリのサダハルで修業。すみずみまで工夫があるケーキで美味しかった。

Cake_L'essentiel.jpg



4,エーグル・ドゥ―ス
もう一軒、やはりいつも行列の店。目白のエーグル・ドゥ―ス。

ちょっと差し上げるのに、ここのクッキーはおいしいからいいんだけど、
待つのが難。夏の午後ならそれほど並ばないのでは、と行ってみたら、
並びは3人だけでよかった。行ったついでに自分用のケーキも買った。
夏だから冷たいチーズケーキとサクサクのパイ、中はカスタードクリーム
とオレンジのコンフィチュール。
AigleDouce2024Aug2.jpg



5,うさぎや
あじさいの季節に弟が「久しぶりに上野のうさぎやに行ったから」と
買ってきてくれた季節の和菓子。紫陽花という名前だと思う。緑のは笹?
ちらっと見えてるのは、看板商品のどら焼き。

24うさぎや_あじさい.jpg




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デ・キリコ展 [展覧会(西洋画)]

DeChirico_Tirashi.jpg

東京都美術館へ「デ・キリコ展」を見に行った。
行こうと思いながら、会期終わりになってしまったが、さほど混んでいなかった。

前記事「ピカソ美術館のピカソ以外の絵」で、キリコがピカソの依頼で描いた
レセプションホールの壁画を見ていて、暑くても行かなくちゃと出かけた。

とてもわかりやすい展覧会だった。[黒ハート]
回顧展の形で、年代を追って絵が展示されているので、キリコを知らない人でも
見終わると、奇妙に見える絵だがそれぞれの意図がわかると思う。

キリコは、両親はイタリア人だが、ギリシアで生まれ育つ。アテネの理工科学校に
通っていたが、17歳の時父が亡くなったので、家族でフィレンツェに移住。
ミュンヘン美術学校に入学、ニーチェに傾倒する。弟と共にパリへ移住。サロン・
ドートンヌに出品。アポリネールに認められ、画家としての順調なスタートを切る。


最初のコーナーは、
1.肖像画
肖像画のコーナーは、年代はいろいろでもどれもクラシックな写実絵画。
自画像はそばに本人の写真が展示されてたが似てる!彫りの深いイタリア男。
後に妻となる人の肖像は「秋」背景がオレンジがかった雲、夕焼けの空。
刺繍のある黒いドレスに黒のベレー帽、グレーパールのネックレス。


2、形而上絵画以前
「山上への行列」1910年 22歳の作品。若い時のもの。
黒い服の人々が山上へ続く葬列、三角形構図がドニの「カルヴァリの丘」
を思い出した。キリコの絵には宗教性がない。ただ事象だけ。

2-1、イタリア広場
イタリアに広場はたくさんあるけど、どれなのか、と考える必要はなかった。
形而上絵画のはじまりは、ここだと思う。
形而上絵画の意味は、「見慣れていたものがいつもと違ったように見える」とか
「日常の奥に潜む非日常」と言われている。
空想の世界が混じってるので、キリコの見てるイタリア広場には赤い塔がある。
そこに神話のアリアドネが画面を対角線に切って横たわる。
「沈黙の像」(アリアドネ)1913年 25才。
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イタリア広場の絵が5点あるので、キリコの思い浮かべている広場のようすが
想像できる。最後に綺麗な色で塗り分けられた「塔」1974年。後年の作品。
色が綺麗なので、グッズコーナーでクリアファイルを売っていた。


2-2 形而上的室内
想像の世界の室内画。つまりありえない静物画。
初期のものは単純だが、後年の作品は見ごたえがある。
「ダヴィデの手がある形而上的室内」1968年
「球体とビスケットのある形而上的室内」1971年

2-3 マヌカン
絵の上の人物の顔をマヌカンにする試み。匿名性だろう。
「予言者」1914~15年頃
チラシに使われている絵。イーゼルに向かって絵を描く画家はキリコ自身。
何を描こうとしているのだろうか。
「形而上的なミューズたち」1918年は、別のチラシの表紙になっていた。

これは「ヘクトルとアンドロマケ」1924年
ヘクトルとアンドロマケはギリシア神話の恋人どうし。トロイ戦争に出る前の別れ。
De_Chirico_Hector Andoromake.jpg

「南の歌」1930年頃
おやっと思わず足を止める優しい筆遣い。背景がルノワールふう。
ルノワールに似せて描いてみたそうだが、服のもようが建物で足が極端に短い。
DeChirico_Renoir.jpg

「不安を与えるミューズたち」1950年頃
DE_Chirico_2Muse.jpg

3,1920年代の展開
透明度の高い速描きという近代的油彩の技法を身につけて当時の流行シュルレアリスム
を絵に盛り込む。
「ホワイエのミューズたち」1926年 では、神殿の柱のような階段の柱頭にミューズの
スカートの襞が溶け込む。「え、どうなってるの?」とじっくり眺める。
「考古学者」1926年頃
茶色の背景に人体(考古学者)はベージュ。白い建物の絵が描かれた服。
白、ベージュ、茶の三色で描かれたシンプルな作品が新鮮に目に映る。

「谷間の家具」1928年 シュルレアリスム
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今回、特に見たかったのは、これ。ピカソ美術館にあった「剣闘士」の部分。
「剣闘士」1928年
DeChirico_Graadiator1926.jpg

試合形式で、審判がいる。剣闘士だが所作が優雅でバレエの動きのよう。
剣闘士は命がけなので、あらゆる心理が抜け落ちる。キリコがニーチェから
学んだ生の無意味の感情だろうか。


4,伝統的な絵画への回帰 ネオバロックへ
「菊の花瓶」1912年
端正に描かれた花瓶にいけられた菊の花々は美しかった。

ティツィアーノに倣って描いた裸婦が
「風景の中で水浴する女たちと赤い布」1945年
裸婦の顔がティツィアーノのとは異なり、かなり濃い顔。奥さんがモデル?


5, 新形而上絵画
「オデュッセウスの帰還」1968年
意表をつく作品で話題をよんだ。ありえないでしょ(笑)
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「オイディプスとスフィンクス」1968年
スフィンクスからの謎に頭をひねるオイディプスの頭部はマヌカン。
服には建物の絵。ギリシア神殿の柱頭にある渦巻模様が全体を引き締め、
古代へ誘うかのよう。
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「放蕩息子」1973年
息子をまちわびていたお父さんは、こんな姿に。。
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「闘牛場の剣闘士」1975年
キリコは、過去の自分の作品に手を加え、修正し、リメイクするのが
晩年だった。


6,挿絵

ジャンコクトーの「神話」のための版画連作。リトグラフ。
これらの版画からの着想で油彩「神秘的な水浴」1936年もあった。


「神秘的な水浴」1965年 は後年の完成形。
謎が多かったので、小道具の意味を関あげるためポストカードを購入。
De_Chirico_Suiyoku.jpg


7,彫刻
彫刻には晩年、とりくみ始めた。
「ヘクトルとアンドロマケ」1966年
横浜美術館にあるのは、同名だが、1973年のもの。


8,舞台芸術
オペラの衣装や舞台装置を手がけた。
衣装のスケッチだけでなく、実際の衣装が展示されていた。
「オテロ」第二幕、中庭のスケッチ、水彩もあった。


[黒ハート]充実していて面白い展覧会だった。

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ピカソ美術館でのピカソ以外の作品 [☆彡Paris 美術館]

今回、美術館に入ってすぐ、地下の部屋での展示はこれだった。
「えっ、これ、ピカソ?」「ちょっと違う気がするけど、」
説明書きがあったので、イタリアのジーノ・セヴェリーニ作品とわかった。
セヴェリーニは、ポンピドゥーセンターで「フューチャリズム(未来派)」
という展覧会を見て好きになった画家。イタリアなので楽しいし、色が明るい。
壁に椅子・テーブルをさくっと描いたのは、誰のアイディアなのだろう?


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これはピカソが、妻ジャクリーヌの寝室のためにセヴェリーニに依頼したもの。
タイトルは「音楽のレッスン」1928~29年
ギリシア古代建築の下でギターを弾く白い服のピエロとアルルカンの語らいは、
無意味な光景に見える。ギリシア建築にロココ調のワトー風ピエロを持ってきた
のはジャンルのフュージョンで、壁に描かれたモダンな白い椅子・テーブルとも
フュージョンしている。ぱっと見はクラシズムだがポストモダンへの前兆を
表している。
右の絵では、ピエロ3人がトランプに興じている。これも無意味?
SEverrini_MusiqueLecon.jpg Severrini2_droit.jpg
上の右のトランプピエロは、この壁面 ↓ を大きくしたもの。

Severrini2.jpg


別の壁面は、ピカソの家の客間を飾っていたデ・キリコによる「グラディエーター」
11枚の連作(1928年~1929年)。虐殺よりも武器を使わず戦う身振り、身体の動き
を重視して描いている。へなへなで弱々しい裸体は、アカデミックな手法で描かれて
いた時代の裸体と大違い。

Chirico.jpg

上部の絵は、馬の動き4か所を見ていくと、右端の馬は倒れ、同じ馬の時間の流れなのか
とも思える。こちらは、人体がすっきりと描かれ、まさにポーズをとっているかのよう。
デ・キリコは歴史上の戦争の絵を、緊張感のない人物のポーズで描き皮肉っている。Chirico_1.jpg


Chirico_2.jpg



ピカソは同時代の仲間の作品を持っていた。
審美眼に優れているので良いものばかりだ。

セザンヌ「5人の水浴」1877~1878年
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セザンヌ「シャトーノワール」1905年
Cezanne_ChateauNoir.jpg
  
マティス「マルグリット」1906~1907年

Mattise_Marguerita2.jpg


ピカソ美術館の中にのカフェは簡単なカフェだったので、外に出て、ゆっくりお茶が
できる店を探しながら帰り道を歩いた。5分くらいで、パリでは何軒かあるチェーン
「カフェ・リシャール」Cafe Richardがあったので、入った。
ミルフォイユもパリパリ、さくさく、間のクリームと合っておいしかった。
瓶に入ってるのはキャラメルソース。友達が頼んだチーズケーキにはベリーの
ソースだった。「ここはケーキが美味しいから、ピカソ美術館に来たときは、
ここにしましょ」
Comptoirs Richard,   45 Rue de Bretagne 75003
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ピカソ美術館・パリ [☆彡Paris 美術館]

食べ物の話が続いたので、今回は3月に行ったパリ「ピカソ美術館」の記事で。


ピカソ美術館は、17世紀の貴族の館を改修したものなので、門を入ると石畳みの
広い馬車回しになっていて城館の入口のよう。建物は3階建て。
柱や壁のレリーフは往時のままで、天井や階段の手すり、床のモザイクが美しい。

Piccaso_Escarrier.jpg

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所蔵作品は5,000点と多いので、毎回、何かのテーマに従っての展示をしている。
今回は、2027年3月12日まで「La collection Revoir Picasso」(作品を見直そう)

ピカソは1881年、スペインマラガの生まれ。
画家の父から絵の手ほどきをうけ、16歳でマドリッドの「全国美術展」で金賞をとるほど、
早熟の天才だった。1900年にパリに移住。翌年には画商ヴォラールが個展を開催してくれた。
画風から1904年までは、青の時代、1906年まではバラ色の時代と呼ばれる。
「自画像」1906年
SelfPortrait1906.jpg
1907年からアフリカ彫刻の時代、1909年からはキュビズムの時代である。
「ギター」1913年 ギター、新聞、水差し、トランプのエースの静物画 
Guitar.jpg
1917年からは新古典主義の時代。イタリアを訪れ、古典美術の素晴らしさに寝覚める。

ピカソは付き合う女性によって画風が変わっていくことでも有名。
キュビズムの時代の彼女の肖像画は、キュビズムで描かれていた。
1918年ロシアバレエ団の団員で、貴族でお金持ちの美人オルガと結婚。
オルガが「私を描くなら、私とわかるように描くこと」と言ったので写実に近い。
「ひじ掛け椅子にすわるオルガの肖像」1918年
Portrait de Orga.jpg

2人の間には、ポールという子供が生まれた。
「アルルカンに扮したポール」1924年
椅子の脚やポールの足がデッサンのままだが完成品。
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上流階級のオルガと結婚の後、華やかな生活をしたが、次第に飽き、10年後、
46歳の時、17歳のマリーテレーズを愛人にした。
「マリー・テレーズの肖像」1937年
Portrait de La_MarieTerese.jpg

同時進行で写真家ドラ・マールも愛人だった。
「泣く女」シリーズは、ドラ・マールがモデル。


1925年からピカソの画風はシュルレアリスムの時代で、人体をデフォルメする。
「海辺の人体」1931年
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1943年には、22歳の画学生フランソワーズ・ジローを愛人とし、
2人子供が生まれる。
「おもちゃのトラックで遊ぶ子供」背景もかわいらしい。
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「ボールで遊ぶクロードとパロマ」
パロマ・ピカソは、のちにティファニーのデザイナーとして名を成した。
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フランソワーズ・ジローは、南仏アンティーヴで、ピカソが陶芸制作をしている間、
自分の個展に向けて絵画制作を続けた。
「プロヴァンス風キッチン」 ピカソ似だが細く整然とした線がジローらしさか、と思う。
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ピカソは絵画の他に陶芸だけでなく、紙での仕事(ペーパーワーク)、彫刻も手掛けた。
「高い、高い!」と子供を持ち上げ、遊ばせる母親。実物大の紙作品。

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フランソワーズ・ジローが2人の子供を連れて出て行った後、ピカソを支えたのは、
若いジャクリーヌ・ロックだった。籍が入ったままだったオルガが亡くなり、結婚
できるようになったピカソは80才でジャクリーヌと結婚。91才で亡くなるまで一緒に
暮らした。
「腕を組むジャクリーヌ」1953年 (右上)
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↑ は牧神パン。
ドビュッシーの「牧神たちの午後への前奏曲」に1912年ロシアバレエ団のニジンスキーが
振り付けをして公演した。これにピカソがかかわったかはわからないが、
「牧神パンの笛」1923年 は名作である。新古典主義で描かれ背景はアンティーブの海。

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1923年、ロシアバレエ団の公演「パラード」は、サティの曲、ジャン・コクトー台本、
衣装・舞台装置ピカソで行われ、のちに妻となるダンサーのオルガとピカソは出会った。

制作をするピカソのようす、画風のちがうものが2つ並べられていて面白い。
左:「手にパレットを持つアーティスト」  右:「キャンバスの前のアーティスト」
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ピカソは、彫刻作品もいろいろと制作している。
ニューヨークの近代美術館では、「ピカソの彫刻展」という彫刻に限定した展覧会が
開催されたことがある。
「羊を抱く男」1943年

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今回、「ピカソ美術館に行きたいわ」と言い出したのは、E子だった。
「昨年、フランソワーズ・ジローが101才で亡くなったのよ。私たち、昔、
『ピカソとの日々』っていう本、読んだじゃない。で、懐かしくなって、本、
買ったのよ。あるわよ、そこに」 と言われてもフランス語じゃ簡単に読めない。


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パリ、友達の家で食べたり飲んだり [シャンパン・ワイン・ビール]

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3月18日、JALのヘルシンキ経由瓶でパリへ行った。
羽田発21:45で、翌日9:45にパリ着。
ゆっくり寝れるし、到着日の午後から活動ができる。
さらにヘルシンキの空港の乗り換えで、マリメッコ、イッタラ、ムーミンショップなどの
お店を見るのも楽しい。

GeisyaChoco.jpg

カフェテリアで、コーヒーとチョコ。
ここで売っているチョコも免税店で売ってるチョコも「Geisya」
桜の花が描かれた桜色の包装紙。
調べたら、フィンランドのチョコ会社で最大手のFazer社の商品。



初日は、E子のご主人のお墓参り。
夜ごはんのものを買いに、ダゲール通りRue Daguerre へ。
パン屋、ケーキ屋、魚屋、肉屋、チーズ屋、八百屋、果物屋などが並ぶ。
テイクアウトの総菜も充実している。チョコレートのアランデュカスの店も
あるし、カフェもあるので、買い物の帰りにはカフェで一休み。

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魚屋さんで買ったパエリア、魚介のマリネ。チーズ屋さんで買ったチーズで夜ごはん。
初日だからシャンパンをあける。COMTE DE SENNEVAL

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チーズ屋さんは、袋に書いてあるように1909年からやっている店ANDROUET。
買ったのは、期間限定の塩漬けの桜の葉を挟んだシェーブル(山羊)チーズ。
桜餅の葉っぱと同じタイプ。香りがあっさりしたシェーブルチーズによく合っていた。
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シャンパンの次は白ワイン。ブルゴーニュのコート・ド・ボーヌ

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2,Alexが来た日
シャンパンで乾杯。初日と同じ銘柄。COMTE DE SENNEVAL
チコリの生ハム巻、パテ3種。きゅうりと海老のマヨネーズサラダ。

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Alexの手土産のケーキ。この緑色のは、、と切ってみたらシュークリームだった。
緑色はピスタチオ。右はE子の好きなエクレア。

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3,サンセールワインの日

「あなたが好きだから」と、サンセール
 André Vatanを用意してくれていた。
サンセールでもAndré VatanのMoulin Bele ムーラン・ベルはピノノワールの赤。
帆立のバタ焼き、マッシュルーム添えにも合うけれど、この牛肉のステーキは、
かなり赤いので、赤ワイン無しでは食べにくいから、丁度よかった。

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4,アルザスワインの日

花の香りのゲベルツラミネール
鮭のソテーと。真ん中がオレンジ色なのは焼き加減が7分だから。

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5,サンセールの日part2

数日前と同じ作り手 André Vatanの違う種類 レ・シャルム Les Charmes
ソーヴィニヨンブランの柑橘やマスカットの香りとミネラルが調和して美味しい。
大好きなクロワッサンダマンド(左手前)と一緒に。
明日の朝用にと買って来たのだが、「焼きたてが一番」と夕方からワインとパン。

Pain_Sancerre.jpg



6,ケーキ
フランスでは、ケーキに白ワインの人も多いが、私とE子は紅茶。
いつもケーキは3個買う。それぞれ1個づつと半分づつにするもの。
私が右手前のサントノーレ、王冠をイメージした形。小さなシュークリーム、生クリーム、
下がパイだったりキャラメルがけだったり。E子は左のエクレア。奥のチョコレートケーキ
「オペラ」は半分ずつ。日本のより大きい。
たぶん、これは、14区アレジア駅そばの L
e pain au Naturel のもの。
EikoGateauOu.jpg

最初の方の写真のダゲール通りにある1730年からやっている老舗ケーキ屋Stohrer
で購入。私はサントノーレ、E子はチョコレートケーキ、半分にしたのはババオーラム
、日本名サバラン

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オリンピックが開催されているパリ [☆彡Paris 街歩き]

パリではオリンピック開催中。

競技会場に歴史的な建造物、名所旧跡が使われてるのが話題になっている。
だから、TVにちらっと映る建物を見ながら、「あそこね」と思い出している。
「規制が多くて、治安が悪いから来ない方がいいわよ。オリンピックはこっちの
TVだとフランス選手中心だから、日本でTV見たほうが面白いと思う」
その通り!毎日、日本選手の活躍をうちのTVで日本語の説明で見ています。

1,セーヌ川
開会式はセーヌ川を使って行われた。
選手団は、国ごとの船に乗って出場。参加選手が多い国は大きな船。少ない国は
いくつかまとめて小さな船。日本の騎手、アーチェリー江村美咲が金髪だったので、
はっきり見えた。男子の騎手はブレイキンの半井重行。
LaTourEffel.jpg

ここは好きな景色。エッフェル塔を背景にメトロ6号線がセーヌ川のビルアケム橋
を渡る鉄橋。その下が車や自転車用の橋。つまり2階建ての橋。
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メトロなのに外へ出て、しかも2階の専用陸橋でセーヌ川を渡るベルシ―橋の景観は、
Inatimyさんの写真をご覧ください。メトロ6号線は2回も鉄橋でセーヌ川を渡る!

このセーヌ川をトライアスロン競技の水泳部分に使い、水質検査でOKといえど水が
汚かったと選手から文句が出た。川なので水の流れも速く泳ぎにくかったそうだ。


2,アンバリッド
ルイ14世が作った退役軍人のための病院。尖塔には十字架が掲げられている。
下にいる人の大きさと比べると、建物大きさがわかると思う。金色のドーム屋根
はいろいろな所から見える。

Des Invarid.jpg

金色ドームの後ろに堂々たる建物。軍事博物館もこの中にある。
目の前は中庭。国に功績があった人の国葬が行われる場所。

DesInvarid_Court.jpg

見えにくいが、建物の右の角に設置されているのは、大砲。
DesInvaridCanon3.jpg

この中庭は、アーチェリー競技会場となった。
オリンピック委員会提供の写真によると、こんなふう。
Archery.png


3,グランパレ

アンバリッドの中庭を進むと出口があり、目の前がアレクサンドル3世橋。
金色の4本の橋柱が美しい。パリ万博の頃にロシアのアレクサンドル3世から友好
のしるしとして贈られたもの。

橋の左手に黒い尖塔付きの丸屋根、グランパレが見える。1900年のパリ万博会場として
建てられた荘厳な建物。内部は宮殿風でいろいろな展覧会に使われることが多いが、
今回フェンシングの競技会場になった。
アレクサンドル3世橋とグランパレ.jpg


4,コンコルド広場
コンコルド広場は、凱旋門からシャンゼリゼ通りをまっすぐ行った突き当り。
ルイ15世の騎馬像があったが、フランス革命時に取り払われ、マリーアントワネット
の断頭台が設置され革命広場となった。その後、ナポレオンがコンコルド広場
と名前を変えた。中央にあるオベリスクは、エジプトのルクソール神殿のもので、
エジプト王からの贈り物である。
この広場に特設会場が作られ、自転車BMXフリースタイル、スケボー、ブレイキン
が行われた。日本の湯浅あみがブレイキンで金メダルをとった。

PlacedeLaConcorde.jpg

この写真を撮った3月に工事が始まったので、フェンスが設置されている。


5,ヴェルサイユ宮殿

宮殿前の広い庭が馬術競技の会場になった。
日本チームは銅メダル。平均年齢41.5才なので、「初老ジャパン」と言っていたが、
競技を見ていたら、どの国も馬術はオジサン選手が主力。
(写真はオリンピック委員会提供のもの)
Olympic2024_Versaille.jpg


このほか、体操、バスケは、パリの北東部ベルシ―の会場で行われ、
サッカーの準決勝は、パリからは遠いワインで有名なボルドーのスタジアムで、
日本は3対0でスペインに負けた。決勝はパリのスタッド・プランツで行われスペインが優勝した。
大会最終日に近い日のマラソンは、パリ市庁舎を出発ののち、オペラ座、ヴァンドーム広場、
チュルリー公園、ルーヴル、、、でヴェルサイユに向かい、到着地はアンヴァリッド
というコース。日本の大迫は6位だった。

17日間の日程が終わる明日の閉会式の趣向も楽しみである。


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