サン・ド二大聖堂・パリ [旅行(ヨーロッパ)]
3月31日 イースター(復活祭)の日。
午前中、パリの私の部屋のTVで教会のミサの中継を見ていたら、E子が、
「あ、やっぱり見てた、私も見てるのよ。ね、ご飯食べてから、サンドニの
大聖堂に行かない?サンドニは治安が悪いんで有名だから行ったことないんだけど、
、今日なら大丈夫だと思うわ。それに2人だし」
午前中、パリの私の部屋のTVで教会のミサの中継を見ていたら、E子が、
「あ、やっぱり見てた、私も見てるのよ。ね、ご飯食べてから、サンドニの
大聖堂に行かない?サンドニは治安が悪いんで有名だから行ったことないんだけど、
、今日なら大丈夫だと思うわ。それに2人だし」
正式名称は、サン・ドニ・バジリカ大聖堂。
バジリカとは、ローマ教皇から特に重要な教会堂と認められた教会堂。
昔は王室の修道院だったので、聖堂に歴代のフランス国王たちが埋葬されている。
パリ北部に隣接する街サン・ドニにあり、世界初のゴシック建築として有名。
写真の左側にも尖塔があったのだが、1800年代の落雷と大嵐により損傷したため
解体され、復元される予定である。
バジリカとは、ローマ教皇から特に重要な教会堂と認められた教会堂。
昔は王室の修道院だったので、聖堂に歴代のフランス国王たちが埋葬されている。
パリ北部に隣接する街サン・ドニにあり、世界初のゴシック建築として有名。
写真の左側にも尖塔があったのだが、1800年代の落雷と大嵐により損傷したため
解体され、復元される予定である。
サン・ドニという街の名前は、フランスの守護聖人サン・ドニに由来している。
伝説では、3世紀半ば、パリで最初の司教であったサン・ドニは、モンマルトルで
斬首されたが、首を刎ねられてもすぐには絶命せず、自分の首を持ってパリ郊外の
ここまで歩き息途絶えたそうだ。
「神は光なり」と言う『ヨハネによる福音書』にあるキリストの言葉を再現した建物。
神が住む天上の世界を地上に再現するために、高さと光を追求した。
12世紀のステンドグラス、このバラ窓は特に有名なのだが、午後の光が強すぎて写真が
ダメ。実際は息をのむほど色合いが美しく、ステンドグラスの窓は何か所もある。
神が住む天上の世界を地上に再現するために、高さと光を追求した。
12世紀のステンドグラス、このバラ窓は特に有名なのだが、午後の光が強すぎて写真が
ダメ。実際は息をのむほど色合いが美しく、ステンドグラスの窓は何か所もある。
マリア像。足下には捧げられた蝋燭が燈り華やか。
E子はカソリックの信者なので、「まぁ、きれいなマリア様」と
しばらく佇んでいた。
E子はカソリックの信者なので、「まぁ、きれいなマリア様」と
しばらく佇んでいた。
殉教した聖サン・ドニの等身大彫刻もあった。(写真なし)
礼拝堂の右横から、王家の墓所が始まり、ここからは有料エリア。
午後の強いバラ窓からの光で、白い大理石の墓が綺麗な色に染まる。
午後の強いバラ窓からの光で、白い大理石の墓が綺麗な色に染まる。
階段を降りると広い地下室。礼拝堂あり、記念彫刻あり、墓廟あり、納骨堂も。
日曜だったのでガイドさんがいて説明をしてくれた。
王家の墓なので荘厳で立派。墓廟の上に生前の祈祷姿の彫刻が置かれている。
中でも目立って立派なのが、イタリアのカッラーラ大理石製の「ルイ12世と
その妃アンヌ・ド・ブルターニュ」で、周りを囲む彫刻がすばらしい。
日曜だったのでガイドさんがいて説明をしてくれた。
王家の墓なので荘厳で立派。墓廟の上に生前の祈祷姿の彫刻が置かれている。
中でも目立って立派なのが、イタリアのカッラーラ大理石製の「ルイ12世と
その妃アンヌ・ド・ブルターニュ」で、周りを囲む彫刻がすばらしい。
「アンリ2世とその妃カトリーヌ・ド・メディシス」の墓廟も立派。
この写真では、上にのる夫妻の祈祷姿の彫像は後ろ向き。
カトリーヌ・ド・メディシスは、イタリア出身なので、母国のいろいろな色の
大理石を用いた墓廟で、ジェルマン・ピロンによる彫刻「美徳の寓意像」が四隅
に配置されていた。黒い大理石の彫刻、台座にはめ込まれている茶色の模様入り
大理石、後ろの柱の下半分の模様入り大理石と様々なものが使われている。
この写真では、上にのる夫妻の祈祷姿の彫像は後ろ向き。
カトリーヌ・ド・メディシスは、イタリア出身なので、母国のいろいろな色の
大理石を用いた墓廟で、ジェルマン・ピロンによる彫刻「美徳の寓意像」が四隅
に配置されていた。黒い大理石の彫刻、台座にはめ込まれている茶色の模様入り
大理石、後ろの柱の下半分の模様入り大理石と様々なものが使われている。
以上2つが特に立派な墓廟で、他はこれくらいの規模で夫妻で石棺に納められている。
ステンドガラスからの光で、石棺の上の石像の足がこちら向きで目立っていた。
ステンドガラスからの光で、石棺の上の石像の足がこちら向きで目立っていた。
このように、ルイ9世の時代以降の亡骸が、それぞれの石棺に収められて
いたが、フランス革命時に荒らされ、その結果、ごちゃまぜとなり、誰が
誰だか分からなくなってしまった。そのため、遺骸はまとめて埋葬され、
これらの石棺の中は空っぽ。
ブルボン家の納骨所もあり、そこにはルイ18世がパリのマドレーヌ墓地から
移させた兄ルイ16世とその妃マリー・アントワネットの遺骸が祭られ、2人の
彫像があった。ルイ16世とマリー・アントワネットの次男で、10歳で病死した
ルイ=シャルル(ルイ17世)の心臓も展示用ケースに収めされていた。背後の壁
の青が痛々しさを増し、写真を撮る気にならなかった。