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イタリア旅行(2)ローマ [旅行(ヨーロッパ)]

 ローマは、ガイドブックで見た「ピカソなど著名人が滞在した憧れのクラシックホテル」
というウェスティン・エクセルシールに泊まった。
ビュッフェスタイルの朝ごはんは、ケーキもあって豪華。
中国粥のコーナーがあり、御粥に入れるトッピングが何種類もあって、中国語で説明
がついていた。

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1、国立絵画館(バルベリーニ宮殿)

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左側が入口、ラファエロの「ラ・フォルナリーナ」の絵が目印。 
ここのことは、後日、別記事で。

2、ナヴォーナ広場
古代ローマの競技場跡なので、横に長い楕円形の広場。
17世紀に法王ウルバヌス8世が祝祭用の会場にするため、ベルニーニに改築を
命じ、大きな噴水が3つある形となった。
車進入禁止なので、広場内には、露店が出て、お土産用の絵を売っていた。

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写真の店「ai Tre Tartufi 1896」は、1896年創業のカフェ。
ジェラートが評判。暑いので、ジェラートは、すぐ溶けて、食べるのが大変。

3、ヴェネチア広場

真っ白で堂々とした巨大な建物、ヴィットーリオ・エマニエル2世記念堂が目をひく。、

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広場には、昔、ヴェネチア共和国の大使館だったヴェネチア宮がある。
ムッソリーニはここを執務室として使い、バルコニーで広場に向かって演説をしていた。
(下の写真、左のルネッサンス様式の建物)

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上の写真と同じ教会が下の写真にもあるが、教会の横にあるのが、トラヤヌス帝の
記念碑(柱)。106年(2000年前!)、トラヤヌス帝のルーマニア征服を記念した柱。
最初はトラヤヌス帝が柱の上にのっていたが、後に、ペトロ像に変わった。柱には、
戦争のようすの絵が彫られ、台座には碑文が書かれている。高さ8m。
つまり、この場所は、ローマ時代、トラヤヌス帝の政治の中心地だった。
実際、すぐうしろがフォロ・ロマーノになっていて、コロッセオも見える。

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4、フォロ・ロマーノ
手前のグレーの円柱は、トラヤヌス帝時代のもの。

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これは、別の日、タクシーの中から撮ったコロッセオ
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5、スペイン広場

夜、9時だというのに、この人出!
17世紀に、広場にスペイン大使館があったので、この名がついた。


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広場に通じる階段の上には、エジプトのオベリスクと教会が立っている。
この階段を映画「ローマの休日」では、アン王女がジェラートをなめながら降りてきた。
あまりにも大勢の人がジェラートを食べながら歩き、コーンを捨てるので、今は、
食べ歩き禁止になっている。

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6、トレビの泉

スペイン広場から徒歩で行ける。
古代ローマ時代に建設された水道の改修を記念して18世紀に造られたバロック様式
の噴水。夜はライトアップされ、美しい。ここも10時半なのに大勢の人。

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夜ごはんは、ガイドブックにのっていた店で。
サーディン(イワシ)、肉団子

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リゾットとパスタ(マカロニのクリームソース)

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イタリア旅行(1)ヴァチカン [旅行(ヨーロッパ)]

 イタリア6泊8日の旅をして、昨日、帰りました。

暑かったです!連日、35度、36度。ふぅ。
東京も灼熱地獄だったそうですね。
イタリアだからお買い物に観光、美術館と歩いてばかり。
夜8時過ぎまで明るいので、長く観光。たくさん歩いて足が疲れました。

1日目:
ローマに着いて、ホテルの前のヴェネト通り(Via Veneto)を歩きながら、食べる店
を探す。歩道にブースを設えた観光客目当てのおしゃれな店が並ぶ道。

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まず、スプマンテ(泡、イタリアのスパークリング)で乾杯。

前菜:ツナサラダ、パスタ:リガトーニのアマトリチャーナ、メイン:海老とイカのグリル
を一皿ずつ頼み、2人でシェアした。どれもおいしくて、適量だった。

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イカは長いまま串ざし。海老は、ガンベリ(赤海老)とスカンピ(手長海老)。
刻みイタリアンパセリがふってあり、下にレタスとトレビス(紫色のレタス)が
敷いてあった。レモンを絞って食べたが、とっても美味しかった。

2日目:
ヴァチカンへ行った。雲ひとつない青空。暑い。
ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂は、カソリックの総本山。大きい!
16世紀から建築工事が始まり、ミケランジェロも主任をつとめた。

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聖堂の内部見学のために、セキュリティチェックを受けるが、ずら~っと行列で、
待ち時間が長い。肩を出した服装の人は、聖堂にふさわしくないので、入場禁止。
あわてて、スカーフを買い、肩を覆う人もいた。

中にはいると、入口に衛兵が立っていた。この派手な制服は、ミケランジェロの
デザイン。つまり、500年間、ずっと着用されているデザイン。
ブロンズの大きな扉は、ベルリーニ作。

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はいると、すぐにあるのが、ミケランジェロの有名な「ピエタ像」
大理石の一枚岩から彫ったもの。
ピエタ像は、十字架から降ろされたイエスを抱くマリアの像。なんと優しい顔[ぴかぴか(新しい)]
壁も台座も大理石。
30年前に来たときは、そのまま見れたのだが、今は防弾ガラスのケースの中。

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広い聖堂だが、大勢、人がいるので、写真を撮るのが難しい。
中央に見える十字架のついたブロンズの天蓋は、ベルニーニ作で、
ねじれた柱が特徴。天蓋の下にペトロ(サン・ピエトロ)の墓がある。
一番奥、光輝く所に聖ペトロの司教座がある。
ミケランジェロ作のすばらしいクーポラ(円屋根)からは光が差し込む。

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バロックを代表する彫刻家ベルニーニ作のアレクサンデル7世の墓。
いろいろな種類、模様の大理石が使われている。
床もモザイク模様で、イタリアは大理石の豊富な国とわかる。

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[地下鉄]大聖堂の隣が、ヴァチカン博物館。外へ出て、露店の並ぶ道を歩いて行く。[晴れ]
ここのシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロの天井画を見るのが、最大目的。
礼拝堂は、一番奥。各部屋を見ながら進むので最低でも3時間かかる。行列でぞろぞろ
歩きながら見るので、私だけ早くというわけにいかない。暑くて大変だった。

中庭はこんなふう。
地球のような球体のオブジェがあった。奥に見えるのが大聖堂。

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エジプトの間、ギリシアの間とすすんで行くと、おやっ、急に見覚えのある絵
シャガールとフジタ。キリストに関係ある絵。

RomaVaticanChagall.jpg   RomaVaticanFujita.jpg 

マティスのロザリオの教会ステンドグラス下絵がある部屋は、一面マティスの壁紙。
そこにフォンタナの彫刻もあり、急に気持ちが20世紀になった。

RomaVaticantMatisse.jpg RomaVaticantFontana.jpg

そして、ようやくラファエロの間に到着。
4つ部屋があり、全部がラファエロとその弟子のフレスコ画。
「アテネの学堂」
ギリシアの哲学者たちが議論し集う構図。
中央右ブルーの服がアリストテレス、左の赤っぽい服の人はプラトン。

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「聖体の議論」 
中央が天上で神、キリストが台座に座り、左右にマリアとヨハネ。

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ラファエロ間をあとに、ようやく最後の部屋、システィーナ礼拝堂に到着。
ミケランジェロの壁画は、絵なのに立体感があって、すばらしい。圧倒されながら、見た。
撮影禁止なので、写真はなし。
「ノーカメラ、ノーフォート」って、大声で係の人が叫んでいても、あちこちでシャッター音と
フラッシュ。アジア系の人が多いんですよね。


ようやくランチ。博物館内のカフェテリアで。ピザ3種を2人でわけて食べた。
左は冷たいピザ。レタスとツナ。右は焼き立てピザ。サラミのと、ボルチーニ茸の。

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美術館のらせん階段(アンモナイトみたい)を降りて、外に出た。

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契丹(キッタン・草原の王朝)展 [展覧会(絵以外)]

 「チケットがあるから、きったん展、どう?」と、誘われた時は、きったん?

kittan.jpg [左斜め上] 彩色木棺の写真

 きったん=契丹は、10世紀にモンゴルの広大な草原で、栄えていた国の名前。
朝青龍、白鵬、旭天鵬のふるさと。
2003年、内モンゴル・通遼市のトルキ山で1000年前の古墓が発掘された。
発掘場所は、冷凍庫状態の湿度も適当にある山中だったので、埋められた
彩色木棺は、当時のままを保っていた。空気にふれると腐食してしまうので、
徐々に乾燥させ、発掘当時の輝きをよみがえらせるために、日本に運ばれ、
九州国立博物館の研究チームが修復作業をしてきた。そのため、日本でも
お披露目展覧会が開催されることになったという経緯。

 
 彩色木棺は、屋根や縁側がついた大きな御神輿のような御殿に収められていた。
屋根の軒下には、金の短冊が数10センチおきにぴらぴらっとついていた。
棺を開けた写真があったが、王と姫、2人の遺体で、夫々顔には黄金の仮面、
黒髪がそのままあり、琥珀を使った大きな首飾り、腰に金の飾り帯、めのうの儀杖、
エジプトのツタンカーメンと違うのは、草原の遊牧民に必需品の長靴だった。

 
 
 暗い中、目を凝らして眺め、少ない知識からモンゴルの歴史を考えてるうちに、
連日のオリンピックTV観戦がたたって、眠くなってしまった。中断して、お茶をした。
喫茶室はホテルオークラ担当だが、カジュアルな椅子・テーブルで、くつろげた。
契丹をイメージしたケーキが「おすすめケーキ」だった。桃がのっているチーズケーキ。
ジャムがサンドされていて相当甘いので、私向き。

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 出土品は、「ちらし」の写真をご覧ください。
唐の金属工芸文化を継承し、金属の薄い板を形に切り取り、漆器に貼った(平脱蒔絵)
がみごとだった。龍や獅子の模様が活き活きとしていて惹きつけられる。
遊牧民族なので「皮袋」の形の白磁があった。これはユニーク!(ちらし写真参照)
唐の影響で、陶器は色鮮やかな「三彩」もあった。

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 ※唐の滅亡(907年)から70年後、宋が中国を再統一するが、北方異民族「遼(契丹)」が
南下する。国内政治が安定した反面、軍事力が乏しかった宋は、毎年、金や銀を契丹に
贈って講和条約を結んだ。     

 こういうことを事前に知ってから見ればよかった。出土品だけ見るより、契丹が世界の中で、
どんな位置だったのか、宋との関わりがわかって、ようやく未消化な部分が埋まった。

 近くの都美術館の「マウリッツハイス美術館展」の人気に比べ、ひっそり静かだが、よい展覧会
だった。


チョン・ミョンフンとアジア・フィル [オペラ、コンサート、バレエ]

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アジア・フィルは、1997年にチョン・ミョンフンが作ったオーケストラで、
アジア諸国の友好を願い、アジア8か国の若い音楽家からなっている。

チョン・ミョンフンは、1953年ソウル生まれ。ピアニストとして74年にチャイコフスキー
コンクールで2位。その後指揮者としての活動を開始し、89年にパリ・オペラ座バスティーユ
の音楽監督に就任し、以来、オペラの指揮を中心に活動を行っている。

この日のプログラムは2つ。
シューベルトの交響曲7番 「未完成」
ベートーヴェンの交響曲3番 「英雄」

よく知っている曲なので、楽しかった。
横の張り出しているウィングのようになった2階席だったので、オーケストラ全体が
見渡せ、演奏ぶりが手に取るように見え、面白かった。
「未完成」は、冒頭8台のコントラバスが旋律を奏でると、音がじわっ、じわっと
沁みこんでくる。続いて、オーボエとクラリネット、2人の女性奏者の美しい旋律の競演。
第2楽章は、ホルンとファゴットで始まる。
CDで聞いていたときは、管楽器の音の種類をきちんと区別できていなかったが、、
実際、見ると、わかりやすい。[ハートたち(複数ハート)]

「英雄」は、指揮棒が大きく振られ、弦楽器がめいっぱい弾き、ベートーヴェンらしい
力強さ。壮大さ。聴いているだけでパワフルになれた。

会場はサントリーホールだった。ここも隣のANAインターコンチネンタルホテルでの
飲食が、チケットを見せると10%引き。[レストラン]
ビッシーソワーズ(冷たいジャガイモのスープ)、フィレステーキ、パン、チーズケーキ、
コーヒーというセットを頼んだ。ほどよい量で、値段は、3500円。(写真なし)


別の日、歌姫、Hさんと、維新號で飲茶ランチ。
海老の湯葉巻などの前菜の写真は忘れ。
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右はデザート。ココナッツミルクにタピオカのゼリー入り。
「ふたりのコンサート」の収支決算をしたので、向こうに紙が見えてます。


カム・フライ・アウェイ(ダンス・ミュージカル) [演劇、ミュージカル、Jazz]

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 フランク・シナトラの歌(ディジタル録音)とジャズのビッグバンド14名の生演奏に合わせて、
ダンサー14名が、歌の内容に合わせたダンスをするという内容。セリフはない。
アメリカでヒットした公演の世界ツァー、引っ越し公演。

ダンスがみごと。モダンダンスなので、ハイヒールで、時に素足で踊るが、リフティング
やターンなどは、クラシックバレエの動き。とにかくスピーディ。
スクリーンには、帽子をかぶったシナトラの横顔が映し出されていた。

シナトラの歌声って?と思うかたは、公式サイトを見てください。

Let's falling love [るんるん]の歌と共に、カップルができ、嫉妬があって、駆け引きがあり、
またハッピーになって、と、常に舞台に2,3組のカップルがいるので、目で追うのが
忙しい。スピーディな動き。生バンドの演奏は迫力がある[ハートたち(複数ハート)]  
NewYork,NewYork は好きな曲なので、特によかったし、Fly me to the moon は、
懐かしい。バンドだけの演奏が、ストーリーの終わりにあった。大ホールの2階席で、
ジャズライブを聴くことに最初、違和感があったが、すぐに溶け込んだ。ライブと同じく、
ドラムソロのあとは、大きな拍手があり、口笛をならす人もいて、客席も巻き込む楽しい
セッションだった。
最後は、My Way[るんるん]で、締めくくられた。

 7時からの公演だったので、その前に食事。ホールのある建物の 「カフェ・ドゥ・マゴ」
で待ち合わせた。簡単に食べられる「プレ・シアター・ディナー(ワイン・サラダ・ステーキ・パン・コーヒー)」
が、チケット提示で10%off。友達Mは、「お魚がいいわ」と、別のコースメニュー。

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私には、緑一色のサラダが来た。Mの前菜は金目鯛のカルパッチョ。
「取り換えてあげるわよ」。お~、なんて親切。

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来るはずのもう一名Fが来ない。携帯を見ると圏外じるし。「あら大変。外に行って
メールきてるか見てくる」と、M が外へ。お店の人にきいたら、あっさりと、「ここ、
携帯つうじないんですよ」。レストランで携帯通じないのは、不便ですよね。
無事、Fも来た。

終わったあとは、「まだ、ごはん食べてないの」というAにつきあって、私は、
白ワインとケーキを同じくドゥ・マゴで。プレ・シアター、アフター・シアター、
共にドゥ・マゴでした。

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 ※カム・フライアウェイは、12日まで、やっています。


ベルリン国立美術館展 [展覧会(西洋画)]

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 「ねぇ、西洋美術400年のお勉強しに行きましょう」と、美術好きの同僚が
言ってきた。「えっ、どこに?」「上野よ~」「西洋美術館の展覧会のこと?」
話題の「フェルメールの真珠の首飾りの少女」がある展覧会は、正式名称が、
”ベルリン国立美術館展、学べるヨーロッパ美術の400年” なのだ。

行ってみたら、タイトル通り、15世紀~18世紀まで各世紀の部屋別
展示だった。「これを順に見て行くと学べて、フェルメールもあるのね」

地味ながら、良い展覧会だった。
木彫をこんなにたくさん見たのは、初めて。

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●リーメンシュナイダーの「龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス」1490年頃。
倒されている龍の顔がユーモラス。一方、ゲオルギウスは苦悩の表情。
菩提樹の木に彫られているが、実に細かい。

木彫のほとんどは菩提樹だった。菩提樹という歌があるように、ドイツでは代表的な
木なのだろう。クルミ材も1つか2つあった。これは硬く、赤茶色。
ツゲ材の木彫の●エルハーフェン作の「シカ狩り」「イノシシ狩り」(1690年頃)は、
非常に細かく精巧な木彫レリーフ。ツゲは櫛で有名だけど、木彫に適している。
着色してある木像もあり、日本の仏像を思い起こすものもあった。

イタリアの彫刻は、大理石が多い。
●「聖母子とふたりのケルビム」 ドナテッロの工房 1460年頃
ケルビムとは智天使。ルネッサンス期の作品なので、古代回帰で、マリアが
それまでのキリスト教風でなく、ギリシア彫刻風。

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●バルトロメオ・ピントリッキオ「聖母子と聖ヒエロニムス」 テンペラ1500年頃
ヒエロニムスは、聖書のラテン語訳を完成させた人なので、ここでは、赤い枢機卿
の服装。ヒエロニムスの助言に従い、幼子イエスは、聖書に何かを書きこんでいる。
背景は、大気を感じさせる広大な風景。

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15,6世紀は宗教的な彫刻や絵が多いが、肖像画も描かれていた。

硬質で細密なデューラーの ●「ヤーコブ・ムッフェルの肖像」(1526年)
デューラーの友人で、ニュルンベルグ市長をつとめた人。
青筋の見える顔、白い襟の立ち具合、毛皮の上等な毛並みが正確に描かれて
いて、ひきつけられた。ドイツを代表する画家、デューラーならではの作品。

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もうひとり、ドイツを代表する画家クラーナハによる
●「マルティン・ルターの肖像」(1533年)
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宗教改革で有名なルター。クラーナハの筆になると、一見、柔和に見えるが、
目つきの険しさ、きりっと結んだ唇から、意志の強さが伺える。
●クラーナハの「ルクレティア」も展示されていた。
下半身が大きいクラナーハ体型。
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17世紀前半は、スペインが最も輝いていた時代だった。
ベラスケスは宮廷画家として活躍したが、初期には、こんな作品があった。
●3人の音楽家(1620年)
カラヴァッジョふうのドラマティックな絵。3人の楽師の視線はばらばら。こちらを
見ている少年と眼が合い、画面にひきこまれた。「少年の後ろに、交易でもたら
されたマダガスカル原産のキツネ猿がパンを持っている」と説明書きがあったので、
暗い画面を見つめて、特徴あるサルを確かめた。

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●ジョルダーノの「アルキメデス」(1650年)は、アルキメデスが金色の球体を
手に上方を見上げている比較的大きな絵。「なんで、この時代にアルキメデス?
ギリシア時代の人よね」 17世紀は、天文学や地誌学が発展した時代だったので、
アルキメデスが見直されていたらしい。

スペインに続き、世界の覇者となったのは、オランダ。
しかし、この間には、30年続いた戦争の時代があり、傭兵が大勢いた。
●レンブラント派の「黄金の兜の男」(1655年)
黄金の兜の輝きに対し、この苦渋に満ちた顔。時代の悲惨さを表しているとのこと。
以前は、レンブラントの傑作と言われていたのだが、研究の結果、本人ではなく、
弟子の作品とわかった。

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●レンブラント「ミネルヴァ」(1631年)
闇の中にぱっと浮かび上がる金髪、赤い服。裾の宝石と刺繍。
光と闇の対比がすばらしい。
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●ヤン・ステーンの「喧嘩するカードプレーヤー」(1664年)
オランダでは、市民生活を描いた絵が多いが、まさに、これはそのもの。
怒って立ち上がった2人のプレーヤーの後ろにけしかける連中、犬が手前で吠えている。

そして、お待ちかねの●フェルメール「真珠の首飾りの少女」(1665年)
順番に入れ替わって、前で見るようになっていた。
写真ではよく見えなかった少女のうっとりする表情、窓枠、鏡、ハタキ、中国の花瓶、
窓に光が差し込んで明るい。カーテンの黄色と少女の服の黄色が呼応している。

見ながら、勝手にドラマを作ってみた。彼女はお手伝いさん。無造作にハタキが
置かれ、掛け布がめくれているから、掃除を中断して、奥様の上着を着て、真珠の
首飾りをつけ、鏡を見て、「わぁ、きれい」とうっとりしている。

フェルメールで、終わりかと思ったら、まだ、18世紀の部屋があった。
秋に三菱一号館で展覧会が開かれる●「シャルダン」の「死んだ雉と獲物袋」

●ジョゼフ・シナール「レカミエ夫人の胸像」(1803年) テラコッタ
ダビッドが描いた長椅子に白い古代衣装で横たわる「レカミエ夫人」と同じ人物。
銀行家の奥様で、当時のサロンで有名な人だった。
この胸像からも気品が伝わってくる。
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イタリアのデッサン画の部屋もあり、ミケランジェロの習作、ボッティチェリの「神曲」の
挿絵など、そうそうたるものが展示されていた。

暑い日が続いているけれど、美術館の中にいると暑さを忘れます。
おすすめの展覧会です。

追記:この展覧会で、たくさんの木彫を見ながら、思い出したのは、「バルラハ展」のことでした。
ドイツにこういう木彫の歴史があるから、バルラハのような作品が生まれたのだな、と思いました。