吉原展 [展覧会(日本の絵)]
「歌舞伎が好きなあなたなら、絶対面白いはず」と浮世絵好きの
友達から誘われて行った。
吉原は、江戸時代、幕府公認の遊郭で、場所は浅草。浅草寺の北1キロ、
周りを堀に囲まれた横330m、奥行き250mの四角い閉ざされた場所だった。
四方を塀と堀に囲まれ、入口が大門ひとつだったので、遊女たちは
遊郭外に出ることができなかった。
武士も刀を預けるしきたりを持ち、遊女たちは、古典、書道、茶道の教養を
身に着け、琴や三味線の芸事で客をもてなした。
歌舞伎の「助六」に出てくる三浦屋の「揚巻」、舞踊の演目にもなっている
「高尾大夫」(太夫とは、最高の格の遊女)らの美しさは浮世絵に描かれた。
だった。今回、大英博物館から何枚もの浮世絵が里帰りをしているのが、本展
のウリ。どれも外国人に選ばれて購入されただけあって美しい。
絵巻なので横に長い。丹念に描かれ描写がみごと。実に多くの人が描かれて
いる。座敷で宴会が開かれ、男芸者(たいこもち)たちが笑い転げ、台所では
お膳の支度と、賑わいが伝わってくる。解説によると、英一蝶は客として吉原に
来ていたが、話術巧みなので、男芸者として人気があったが、客に迷惑を
かけた罪で三宅島に流された。島で吉原を思い出しながら描いた作品だそう。
さきほど、大夫は最高の格の遊女と書いたが、江戸中期には、大夫は減り、
庶民は近づけない高峯の花の花魁てだが、花魁行列を見ることはできた。
禿(かむろ)という花魁見習いの子供や妹分の遊女を連れ、大名行列の
ように歩いて、茶屋にお客を迎えに行くのが花魁行列で、毎夕、行われていた。
花魁は帯を前に結ぶのが特徴。
勝川春潮「吉原仲の町図」1789~1801年 大英博物館
でみられ、吉原の利権を大いに脅かしたので、吉原は大掛かりな季節の催しを
春の桜のために、3月の間だけ桜が移植された。その賑わいを描いた大きな絵、
(横1.5m、縦1m)喜多川歌麿「花の吉原」米国コネチカット州ワズワース・
アテネウム美術館からの借り物が、緻密で色も美しくすばらしかった。いったい
ここに何人の人が描かれているのだろう。しかも一人、一人が美しい。
一部分が上の写真のチラシに使われている。
俄は、即興芝居のこと。
非日常で贅沢な演出だったので、多くの庶民が、吉原見物に出かけた。
各店が25歳で亡くなった花魁「玉菊」の供養で灯篭を飾る「玉菊灯籠」
も華やかで夏の風物詩となった。そうした吉原の様子が浮世絵師たちに
よって描かれ、江戸の文化となり伝承されていく。
遊女の一日を時間ごとに描いた喜多川歌麿の十二枚の作品がわかりやすく
美しく面白かった。「青楼十二時 続卯の刻」から始まり、寅の刻まで、
十二支での時刻ごとの遊女の身支度の場面の浮世絵。身の回りの世話を
する禿の姿がかわいい。
「青楼七小町 玉屋内花紫」1794年頃 千葉美術館
台東区根岸の家で一緒に住み、創作に励んだ。「遊女と禿図」「吉原月次風俗図」
が展示され、抱一画、香川が書の合作「紅梅図」のパネルもあった。
遠くに富士山、前に広がるのは吉原田んぼ。向こうに鷲大明神社の「酉の市」へ
参る人々の列が描かれている。よく見ると熊手を担いでる人がいるそうだ。
畳の上に女性のかんざしが置かれていることから、ここは吉原と想像できる。
高橋由一は西洋画で花魁を描いた「花魁」1872年
修復されて初公開。
着物の模様も浮かびあがるほどに立体感がある。
河鍋暁斎「文読む美人図」1888年
帯無し、髪も結い上げる前でくつろぐ姿。着物と髪型で遊女とわかる。
最後に辻村寿三郎制作の人形と吉原の模型があり、ここだけ撮影可だった。
予想以上に面白く、江戸の文化を知ることができ、良い展覧会だった。
と書いてあって、?と思ったら、女性の人権侵害と言われるのを恐れてのことだそう。
*参考
開幕前日に行われた報道内覧会では、本展学術顧問である法政大学名誉教授の田中優子によるステイトメント「『大吉原展』開催にあたって:吉原と女性の人権」が配布された。
田中はステイトメントにおいて「遊廓を考えるにあたっては、このような日本文化の集積地、発信地としての性格と、それが売春を基盤としていたという事実の、その両方を同時に理解しなければならない、と思っています。そのどちらか一方の理由によって、もう一方の事実が覆い隠されてはならない、と思います。本展覧会は、その両方を直視するための展覧会です」とし、4月から施行される「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律(女性支援新法)」が売春する女性への扱いを「更生」から「福祉」へスタンスを変える法改正であるものの、いまだ女性だけが罪を問われる一方的な状況に対し「この展覧会をきっかけに、そのような今後の、女性の人権獲得のための法律制定にも、皆様に大いに関心を持っていただきたい」と発信している。なお、展示の内容はもとの予定から変更はない。
町田市立国際版画美術館 [展覧会(日本の絵)]
多い。浮世絵、新版画(大正~昭和の木版画)だけでなく、デューラー、レンブラント、
ゴヤ、マティスなど海外の作品も多い。どんなものを所蔵しているかは、ここ*を
クリックしてみてください。
所蔵品を全部一度に公開することはなく、企画展で少しずつ展示している。
の訪問なので5年ぶり。
「パリのモダン・ライフー1900年の版画、ポスター展」(3月12日まで)
1,新収蔵作品展
草間弥生の「こんにちは」1989年 スクリーンプリントは、色鮮やかなかわいい
作品だが、写真撮影禁止。
岸田劉生「鷹匠」大正~昭和初期は、当時流行った「大津絵」。これも撮影禁止。
(1)川瀬巴水(1883~1957)霧之朝(四谷見附)
「新版画」の騎手「巴水」は、日本全国を旅して風景をスケッチをし、東京に戻って
版画を作成するという制作スタイルだった。
これは昭和初期の霧の朝の四谷見附からの風景。
見附は小高い丘で、霧におおわれた朝の街並みが、遥か彼方に見える。
手前の松との対比がダイナミック。
銅板画家の浜口は、東京美術学校中退の後、フランスに渡り活動。
これはパリ時代の制作で、心象風景を表現したもの。
(3)瑛九(1911~1960)「スケート」リトグラフ
前衛芸術家の瑛九は、写真作品、油彩、版画などを作成した。
スケートをしている様子を抽象と具象の中間の様式で制作。
鶴の脚のようなのが、スケート靴を履いた足?
イラストレーターの和田は、多摩美大卒業後、広告制作会社に入社。
軽妙洒脱なイラストで多くの雑誌や本に作品が掲載される売れっ子だった。
コウモリ(bat)を帽子(hat)でつかまえようと追いかける紳士。
作品は16枚展示され、どれもユーモア満載で面白かった。
京都をベースに国際的に活躍した木版画家。京都工芸繊維大で学び、
幕末浮世絵に惹かれ、職人から伝統木版の技法を学ぶ。独特の色彩の
多色刷り木版で、国内外で受賞を重ねる。日本とは違う素朴で強靭な
韓国の紙を使っての作品制作を行った。
東京百景 王子紙の博物館 木版 8版17色
写真はないが、近江八景シリーズを韓国の紙を用いて描いた。
次に、万葉シリーズを手掛けた。
夕波千鳥(柿本人麻呂)木版 八女紙
近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ
この歌に合わせて描いた絵による木版画。
白い波、白い千鳥の配置が現代に通じるデザインだと思った。
(1)エヴァヌプール(1872~99)「広場にて」
ベルギー出身の画家でギュスターヴ・モローに師事。パリの風景や人物を
描いたが、27才で亡くなった。5色の色版、版画。
お母さんに手をひかれながらも、地面の上の何かが気になっている女の子の
ようすがほほえましい。
「ソルウェイグ」
タイトル「ソルウェイグ」の意味はわからないけど、列車の窓から街を
眺めてるので、この街の名前かしら。ものすごく細かい描写。
列車のインテリアが全部アールヌーボー。一等車でしょうね。
ラ・ペヴィニエールは、当時パリにあったミュージックホールで、兵隊ものの
コメディが有名だった。客のコミカルな表情をとらえて描いているのが面白い。
領主夫人が馬にまたがって闊歩していた時代。真横を向いて馬にという
スタイルが中世風。緑が鮮やか。
エッチングでキュビズムに影響をうけた作品は時代に大きな影響を与えた。のちに
神坂雪佳展 [展覧会(日本の絵)]
18日で終わるので、汐留のパナソニック美術館へ「神坂雪佳展」を見に行った。
このかわいい犬の絵とか下の金魚の絵は、どこかで見たことがある人もいると思う。
この金魚は、丸い金魚鉢に入ってるので、凸面の効果でこんなふうに見える。
これ、一度見たら、忘れられない。
神坂雪佳(1866-1942)は、明治から昭和にかけ、京都を中心に活躍した図案家・画家。
16才で四条派の絵画を学び、23才で図案家の岸光景に師事し、「琳派」に惹かれる。
34才の時、英国グラスゴーの国際博覧会の視察に出かけ、アールヌーヴォーの時代の
ヨーロッパ各地の美術工芸を見てまわり、日本古来の装飾芸術の素晴らしさを再認識し、
「琳派」の研究に励んだ。
この展覧会では、雪佳が手本とした琳派の本阿弥光悦や尾形光琳、乾山、酒井抱一らの
名品を見せ、次に、古典と近代的発想を融合させ、美術と意匠(デザイン)の二つの分野を
往来した多彩な作品を展示していた。
左)琳派、抱一とほぼ同時代人の「中村芳中」の「月に萩鹿図」
右)尾形乾山「唐子図筆筒」
神坂雪佳の弟、神坂祐吉は蒔絵師。
雪佳が下絵を描き、弟が蒔絵作品に仕上げた硯箱「帰農之図蒔絵巻煙草箱」
兄弟でお互いよくわかってるので、粗い下絵でも祐吉は見事な作品に仕上げている。
農夫の顔に大きな貝を嵌めた祐吉の仕事で全体がひきたっていた。
神坂雪佳の図案で、河村静山作の「菊花透し彫り鉢」
乾山ふう。これは鉢なので、茶道の茶わんよりずっと大きい。
いろいろな角度から見れる展示になっていた。
図案家としての雪佳の木版画作品には、のびやかで単純化された美しさがある。
「春の田面」(百々世草より) 下は「奈良の鹿」
木版画集「百々世草」は海外でも人気が高く、2001年にはエルメスの雑誌「LE MONDE D`HERMES」
の表紙「八つ橋」が採用された。
十二か月
四季の草花、動物などをモチーフに、ユニークな構図感覚で絵画や屏風作品を制作した。
「杜若図屏風」は、光琳作品を参考に白い花を加えている。
「
「春草」、「紫陽花」(十二か月草花図より)
思う。おすすめの展覧会ですが、18日(日)までで、土日は、予約をしたほうが確実だと
思います。
浮世絵・江戸絵画名品選(ヤマタネ美術館) [展覧会(日本の絵)]
展示品全部が所蔵品で構成されている。
ここの浮世絵コレクションは、保存状態が良いので綺麗ときいていたが、その通り、
とても江戸時代のものとは思えない鮮やかさだった。
風俗画、美人画など。絵の横にわかりやすい説明がパネルで展示されている。
鈴木春信「梅の枝折り」1767年(前期展示)
振袖姿なのに、肩車をしてもらって白い梅の枝を折るとは、、なんてお転婆なのでしょう、
と笑いがこみ上げる。しかも細い腕。武家屋敷の横縞の塀に対し、振袖の袖柄は縦縞。
塀の模様が粋な印象を残す。
写真はないが、
鳥居清長の「武家の若殿と乳母、2人の侍女」も楽しい。
若殿は5才くらいの幼児。乳母が傘をさしかけ、付き人2人が周りを囲んで
お出かけ。小さい時から殿は別格なのです。
北斎「富嶽三十六景 凱風快晴」(前期展示)
「浮世絵ではお馴染み「広重の「東海道五十三次、日本橋 朝之景」(前期展示)
鐘が七つを打つと(四時)、手前の木戸が開かれ、朝が始まる。
朝焼けの空が背景だが、雲のない版もあるそうだ。
日本橋から始まって、日之出(品川)、六郷渡舟(川崎)、神奈川、、と見ながら、
「日之出って、日の出桟橋のこと?」とか「遊行寺って、あの坂の、駅伝で」
「箱根の山、この断崖絶壁、大げさ」等々、話声ひとつしない会場だったので、
心の中でつぶやいた。
東海道五十三次の後半28枚が展示される。
ここでは、著作権のこともあるので、チラシに掲載されている絵の
写真だけをのせている。
きっかけで、絵の蒐集を行うようになったので、琳派作品も充実している。
琳派作品のコーナーでは、金屏風がずらっと並び、華やか。
伝 俵屋宗達「槙楓図」17世紀。 緩やかな孤を描く槙の幹。緑の槙に対し赤い楓。
やまと絵中心だった当時、この装飾性が人気となった。
隣に酒井抱一の「秋草鶉図」19世紀
アーモンド形の月。秋草の茂る草むらに五羽の鶉。細く鋭い薄の葉が
画面全体に伸びる。
宗達の絵と光悦の書の共作「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」17世紀
中央に鹿が一頭。光悦の美しいくずし文字が五行ほど入る
「こころなき 身にもあはれは しられけり 鴫立つ澤の 秋の夕暮れ」
酒井抱一の十二か月花鳥図から「菊に小禽図」「芦に白鷺図」も美しい。
輿の中から御簾を上げて、道端の菊を眺める官女2人。
無彩色に近いので、写真では見えにくいが、近くに寄って見ると、菊の花も
官女の顔もわかる。
伏見人形は、京都の伏見で作られていた郷土人形。
七体の布袋様が描かれている。
唐子たちの無心に遊ぶ、じゃれ合う姿は、可愛さに、芦雪の描く犬と
共通のものを感じた。
わからなかった。
する展覧会だった。8月29日(日)まで。
東京近代美術館で好きな作品 [展覧会(日本の絵)]
私が行った平日は、すいていて、予約なしで入れた。
「眠り」という企画展を開催していたが、私は時間もなかったので、常設コレクションだけを見た。
常設コレクションは、「撮影禁止」と書いてあるもの以外は撮影可。
季節に合わせて入れ替えがあるので、初めて見る作品がいくつもあった。
一匹の猫がアクセントになっている。
風景を描いているが、絵の構造としては、ただ樹木を並べた静物画のようでもあるので、
神秘的な雰囲気を醸し出している。
右:小林古径「りんご」1942年
リンゴが3つ。色も置かれかたもさまざまで三種三様。
桃のようなリンゴ、黒いリンゴ、梅の実のようなリンゴ、着想が面白い。
しかも古径なので、リンゴは端正に描かれている。
アルティショは、アーティチョークのこと。
絵の中に黄色い本を描くのはゴッホがしばしば行っていた。ゴッホは自分が好きな
作家の本のタイトルを書いたのだが、藤島は自分のサインを書き込んでいる。
藁ぶき屋根の家をたくさん描いている向井潤吉にしては、珍しい花の絵。
梅原龍三郎「薔薇図」1940年
梅原は晩年のルノワールに学び、大きな影響を受けた。
ルノワール風の色彩の薔薇の絵。
花瓶に活けた花は、外からの光で形が判別できない。「書斎」というタイトルから
わかるように花の横には本が積まれ、その向こうに画家本人のシルエットが浮かぶ。
須田は、京大で美学や美術史を教える研究者でもあったので、自分らしさを表す書斎を
このように描いた。
坂本の作品は、このブルーと茶色の淡い色彩で表されることが多いので、
見たとたん、「坂本繁二郎」と思った。
坂本の馬の絵の隣にあったのが、この馬の絵。
作者の名前、初めて聞いた名前で、覚えることができなかった。
*これを読んだ友達が、さきほど、「あいみつ」と教えてくれました。
靉光(あいみつ)1907年~46年 「馬」1936年 目が光っているのが見えますか?
他の作品「目のある風景」や「鳥」でも、目に特徴があった。
タイトル通り争う猫、体当たりで宙に舞うものまでいて、顔つきも怖い。
全部で15匹? 修復が済んでの展示と書いてあった。
円山応挙から近代京都画壇へ [展覧会(日本の絵)]
ほとんど忘れているが、京都展開催中なので、図録をたよりに記録しておく。
十字型に四面の展示、すなわち、一面に2×2でコーナーを作る。部屋の再現。
これだと裏表、32枚の絵が見える。
写生画で名を馳せ、それまでの狩野派に代わって、京都画壇の中心となった。さらに
、応挙や蕪村に師事した呉春によって四条派が結成された。円山・四条派は、脈々
と続き、長沢芦雪、岸駒、松村景文、竹内栖鳳、上村松園など多くの画家を輩出した。
美方郡香美町にある。
「松に孔雀図」墨一色で描かれているが、光の当たり具合によって、松の葉が緑がかって見え、
孔雀が青味を帯びて見える。応挙は、松を原料とする松煙墨と植物性油脂を原料とする油煙墨
を使い分け、金箔の効果も計算に入れていた。
会場では、このように展示されていた。
この「松に孔雀図」の裏側は、呉春の描いた「群山露頂図」で、蕪村ふうの南画的表現で
題名通り、霧に包まれた連なる山の頂のみを描いている。見る人に別の峰から見ている
ように思わせるのだろうか。同じく呉春の「四季耕作図」は牧歌的で、木の描き方が応挙譲り。
襖絵の「少年行」は、山本守礼作で、漢詩からの題材。山道を鞍を銀で飾った若者2人が、
山の中腹にて、目指す女たちのいる酒場方向を眺める図。「あと少し」と言ってるかのよう。
「使者の間」という客間なので、大乗寺から依頼のテーマなのではと想像されている。
応挙の「写生図」(部分)みごとな描写。
長沢芦雪の「薔薇蝶狗子図」
蝶は薔薇の枝の一番上。犬5匹は、それぞれじゃれ合ったり、すましたり。
芦雪のころんとした犬が愛くるしい。
こちらの犬は、かまってほしい表情。「僕、ひとりでいいもん」
これは右隻。
右隻と左隻の間、つまり中央、ここでは左端に水の落ちる渓流がある。2頭は渓流の対岸に
いる虎に向かって吠えている。大迫力の画面。岸竹堂は虎図を得意とした「岸駒」の弟子。
森狙仙 「雪中灯篭猿図」 猿は森派を代表する画題。
上の方にいる猿が枝をゆすったことで、細かい雪がぱらぱらと落ちている。
降り積もった雪を塗り残しで表現しているのは、応挙の技法に倣ったのだろう。
の枝、下に椿、牡丹、水流と個性的。左隻では藤の枝ぶりに応挙門下らしさを感じた。
左隻に、夕暮れなずむ時の唐崎の松みごとな枝ぶりを堂々と描いているが、
朝もや、夕やみが、絵全体に紗をかけたようで幻想的だたt。
描いている。松に雪が積もる表現は、応挙の国宝「雪松図」(三井記念美術館)と
同じ外隈の技法が使われている。
上村松園 「羅浮仙女図」
唐の時代物語に出てくる仙女である。松園は、円山派の画家たちが描いた唐美人図を
参考にして、一時期は、唐美人を多く描いた。
応挙「江口君図」
縦1mある大きな絵。美人画が少ない応挙だが、これは優品として知られている。
謡曲「江口」に登場する遊女が普賢菩薩となって象に乗って登場する場面を描いている。
品が良く優しい雰囲気なのが笑えた。
「これ、見たかった」という作品が続々出てきた。日本の作家たちなので、いずれまた
どこかで見る機会があるだろう。