源氏物語の衣装展 [展覧会(絵以外)]
これを実践女子大服飾学科の協力で6年かかって完成した。
百人一首のお姫様の図を思い浮かべて下さい。雅な世界。
圧倒される。
日展 [展覧会(絵以外)]
「日展」に行った時の感想を。
開催される大規模な展覧会。その年の入選作と会員の作品が展示されている。
壁にかかってるのは、絵でなく、染色、漆、織物などの作品。
左は鋳金作品で、カブトムシが生き生きと木を登り、上には細い線で
蝶が3羽描かれていた。夏の思い出のようなタイトルだった。
右は大樋年朗「絆の鳥」。年朗は金沢の大樋焼き第十代大樋長左衛門だが、
日展など大樋焼きにとらわれない作品を出す時は、年朗の名前を使っている。
年朗は、1か月前に95歳で亡くなったので、作者名に黒リボンがついていた。
滝の迫力と神々しさを織りのあらゆるテクニックを使って表現。
右は漆。赤堀郁彦「浮遊する固体」絵画のように見えるが、漆なので表面が
つるつる光っている。そのため写真に撮ると前にあるものが映ってしまう。
蛭田二郎「異邦の女」。蛭田も彫刻界の大御所。日展では顧問。
戦火を逃れて、異国で借り住まいの女性にモデルになってもらった。
美しい異邦の女性の内面の表現をしたかった。
作者の作品へのコメントが、QRコードで読めるようになっていた。
土屋禮一「龍魚」(アロワナ)
龍を描くときの参考に役に立つので、アロワナを育て飼っている。
立派なレッドアロワナを見たので、大きな画面に泳がせてみた。
空を見ては宇宙や自然のことを、平和な地球であることを願います。
たくさんの恩恵を受けて生かされてることを大切に、命終わるまで、
希望に向かって求め続けます。
村居正之「STAR」
アテネのアクロポリス。天に輝く星はこの丘の2500年の歴史を見守って
います。悠久の丘が主題です。
西房浩二「Smorzando」今年の総理大臣賞受賞作。
かなり横に広い静物画。今年は、風景画が少なく、静物画がおおかった。
全体として写実の人物画作品が多かった。
左:中山忠彦 タイトル不明。毎年、端正な美しい女性像が目を引く。
右:小灘一紀「大和は国のまほろば」
伊吹山の神を見くびり、草薙の剣を持たずに素手で山の神に立ち向かった
皇子。重傷を負いながらも、ふる里を思う皇子の高貴な姿。
三沢厚彦の「アニマルズ」展 [展覧会(絵以外)]
千葉市美術館は、昭和2年設立、旧川崎銀行・千葉支店のギリシア神殿ふうの
堂々たる建物を保存して改築された。列柱は渦巻模様のイオニア式。
昔の入り口に鎮座するのは、今回の展覧会・三沢厚彦の「ライオン」で、
丸の内仲通りに展示してあったとき、一目見て、好きになった彫刻。
利用されている。
いきなり、馬に羽がはえた「天馬」、ペガサスの出現。
白いペガサス、木彫に白を塗ったもの。三沢作品。
白いクマの出迎え。壁の緑の木々の絵も三沢作品。
どれも、ひょうきんで可愛い。正面を向き、起立のポーズで挨拶。
今、三沢厚彦が凝っているのは、キメラ。ライオンの顔に羊の角、そして羽が
生えと、いくつもの動物の複合体。時空を飛び越えてやってくるイメージ。
東京芸大・同大学院で彫刻を学ぶ。動物をくすのき(樟)で彫り、油絵具で彩色する
アニマルズ・シリーズを制作・発表している。
これは、虎のフィギュア玩具。私のPCの上にのせてみた。
後ろにちらっと見えるのが、立っている白いクマ。
本物の三沢作品・白い虎に出会ったときの写真は、こちら。
マン・レイ展 [展覧会(絵以外)]
「どこかドライブに行きたいわ。千葉の車じゃないと行きにくい美術館は?」
M子さんの車で美術館へ。高速の佐倉で降りたら恵比寿から1時間ちょいで着いた。
DIC(旧大日本インキ)の研究所がある広大な土地なので、緑が多く気持ちが良い。
メトロノームの針に、こちらを見つめる目がついて面白い。
マン・レイは、1890年にアメリカ・フィラデルフィアに生まれ、30才でパリに行き、
50才まで過ごし、またアメリカに戻った。
絵画、写真、映画も制作したが、あっと驚く発想のオブジェ作品の数々が有名。
この展覧会では、オブジェと写真に的を絞って展示をしている。
チラシの裏側の作品を紹介。
セルフ・ポートレイト(ソラリゼーション)。1932年。
下は、「二人」1914年。24才の作品。ピカソっぽさがある。
この頃は絵画一筋の画家だった。キュビズムの時代の影響をうけている。
「現代アートの父」とよばれるマルセル・デュシャンがニューヨークで個展をし、
さらにそこに住むようになった。マン・レイは彼を信奉し、彼の影響を受けた。
デュシャンは、天井から雪かきスコップを吊り下げ、作品「レディメイド」と
発表し、話題になり、さらに便器を展示して「泉」と称した。
デュシャンの影響大の作品が、下の図、03「ニューヨーク17」1917年。
傾いた摩天楼を万力で留めたもの。摩天楼はステンレスパイプ製。
アイロンに釘を打ったもの。
パリ時代の写真作品。アングルの絵画「ヴァルパンソンの浴女」を真似て、
恋人「モンパルナスのキキ」をモデルに撮影した写真に、この一筆書き。
ヴァイオリンに仕立ててしまう凄さ。写真を再撮影している。
マン・レイは同じタイトルで、少しづつ違った作品をいくつも制作している。
だから、アイロンに釘の「Gift」や「NewYork17」もそれぞれ複数ある。
これ、どうやってもナイフで切れない、フォークでさせない、スプーンが必要。
笑いながら見れて面白かった。
鑑賞後はランチ。隣の建物のイタリアン・レストランへ。
以前に来た時、おいしかったので、今回もランチは、ここと決めていた。
温前菜:アオリイカのボイル、バジル、トマトソース添え。
パスタ:ボロネーゼ、ナスとツナのトマトソース。
主菜:千葉の漁港でとれた鯛のソテー。小松菜。ソースはマッシュルームのぺースト。
デザート:モンブランふう紫いものタルト
行き届いている。
九兵衛は、清水家の養嗣子となり清水六兵衛を名乗り、陶芸を継ぐが、
東京芸大で彫刻を学んだ経歴と建築への興味から、陶芸を捨て、彫刻家となった。
京都平安神宮の鳥居の朱色を使った野外彫刻を多く残している。
ガブリエル・シャネル展 [展覧会(絵以外)]
見に行った。予想通り、会場内は、ほぼ女性。男性はファッション業界人と
いう雰囲気の人のみだった。
ガブリエル・シャネル(1883~1971)は、20世紀で最も影響力があった女性デザイナー
なので、その名前は、大抵の人が知っていると思う。
チラシの写真のように本人も美しく、ドラマティックな生涯は、「ココ・シャネル」
(2008年)、ココ・アヴァン・シャネル(2009年)と映画にもなっている。
*ガブリエルが本名、愛称はココ
この展覧会は、パリ市立モード美術館で開催されたものの国際巡回展なので、
シャネルの仕事、つまり作品を年代順に展示している。
1966年春夏発表のドレス 。絹モスリンの軽やかさとスカート部分の
タック、何段にもなってゴージャス。身頃の軽やかさと対照的。
これは、1930年~1935年頃の作品。
昼間着る服。花柄プリントの絹のモスリンのドレスに(見えにくいが)
裁断した花のモティーフをあしらっている。
このほかにも1930年代の服があったが、今でも着れそうな飽きのこない
すきいりとしたデザイン。 ただし、手仕事部分がすばらしい。フランスの
オートクチュールの技量の高さがわかる。下のイブニング用のケープ、1923年製
だが、首周りに毛皮があしわわれ、絹サテンの肩の部分には丁寧で豪華な刺繍。
裾周りにも刺繍。
シャネルは、それまで女性がコルセットなど体を締め付ける下着をつけていた
ことに反発。動きやすくコルセットなしでも体が綺麗に見える服、上着が
カーデガンタイプののシャネル・スーツを考案した。
1965年、ウールツィード、下のブラウスは絹。
1971年、テーラードのジャケットとスカート、絹クレープ。
ガラリットボタン。
初期の作品は、シャネル自身のデザインだが、1971年にシャネルが亡くなった後、
メゾンは低迷。1983年にカール・ラガーフェルトをデザイナーとして迎え、シャネルの
考えを取り入れた新しいデザインで再評価され、活気を取り戻した。
しかしカール・ラガーフェルトは2019年に亡くなり、現在は別のデザイナーである。
シャネルは、服だけでなく、ジュエリー、香水、バッグ、靴もデザインし、それらも
大ヒットをした。シャネル N°5の香水は、マリリン・モンローの発言で有名になった。
写真のバッグと靴は、かなり長い間のロングセラーで、特にバッグは今でもデザイン
を変えたものが数種類、シャネルの定番である。私も20年以上使い、今のは2代目である。
会場の三菱一号館美術館は、明治時代の赤レンガの重厚な三菱本社のビルを
利用しての建築なので、伝統と気品のシャネルの展覧会に雰囲気が合っていた。
中庭には、英国風ガーデンということで、バラが植えられ、彫刻が置かれている。
前に来たときは、ヘンリームーアの母と子の彫刻だったが、今回は、「羊の形」
という彫刻。見る角度によって、かなり違って見えて、面白かった。
予約制ですが、私は4時半に行ったので、予約なしで大丈夫でした。
同行のM子さんは、「シャネルの服の人、いないのね」とがっかりしたご様子。
「夏にいい服がないのよ」といえど、バッグ、時計、指輪がシャネルだった。
上野リチ展 [展覧会(絵以外)]
入場制限もあるので、ホームページで確認してから、お出かけください。
長引くコロナ、ロシアのウクライナ侵攻と、不安が拭えない日々。
ほっと一息つきたい時に眺めていたいレトロな「かわいい」デザイン。
それが上野リチのデザイン。彼女は1893年生まれ。今から130年前。
ウィーンの裕福な家庭に生まれたリチ(Felice Rix)は、ヨーゼフ・ホフマンと
コロマン・モーザーによって設立されたウィーン工房に学び、卒業後は、
工房で布や日用品のデザインを手掛けていた。花、鳥、魚などをモチーフにした
生命感あふれる色彩のかわいいデザインは人気があった。
↓ 当時の作品 ↓
結婚した。伊三郎と共に京都に住んだリチは、しばらくの間、京都とウィーンを往復する。
ウィーン工房の仕事を続けていたからである。
左上の図は、スキー手袋。大きな花が真ん中に。全体は木の形。手首の所は
ウィーンだからか、チロリアンテープふう。
右上のプリント生地のデザインは代表作で、記念撮影用のパネルに使われていた。
(一番上の写真)
面白かったのは、金箔の屏風絵「花鳥図屏風」。日本画の花鳥図でなく、
幾何学的模様で構成された花鳥図。「こんな屏風見たことない」だった。
ウィーンと京都を往復するリチならではの「西洋と日本の合体」である。
店舗のインテリアも手掛け、斬新な空間構成は注目された。
伊三郎は、ブルーノ・タウトを招へいし、群馬県工芸所の所長に任命、
リチも嘱託職員として働いた。
京都市染織試験場の技術顧問となり、輸出用のプリント生地のデザインや
七宝を使った小物のデザインをした。
優秀なデザイナーを育てた。
最後の部屋に、晩年のリチがデザインをまかされた、日比谷の日生劇場のレストラン
「アクトレス」の内装の実物大の写真があった。このレストランは予約をしておくと、
劇の幕間の30分間くらいで食べられるよう、座るなり料理の皿が運ばれてきたので、
いいシステムだなと思った。角の端の席だったのは覚えていたが、内装を思い出せ
なかったので、写真を見ればわかるかと思ったが、、、あやふやなままである。
「そらまめ」のファイルを買った。もとのデザインから抜き出して大きくしたもの。
リチのデザインは明るい色彩で、私たちを元気にする。しかも100年も前に
日本とウィーンを往復して仕事をする、キャリア・ウーマンのはしりだった。
仕事を続けながらも、後進を育て、、、
帰り道には、そんな上野リチの人生も気になった。