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源氏物語の衣装展 [展覧会(絵以外)]

丸紅_源氏.jpg

昨年オープンした丸紅ギャラリー。
丸紅は、繊維が得意な商社から出発したので、
源氏物語の衣装、十二単を描写された文章から調べ、研究し、再現、現代に蘇らせた。
生糸を晒し、より、染め、織り、物によっては刺繍を施し、仕立てて再現。
これを実践女子大服飾学科の協力で6年かかって完成した。

まず、色が美しい。
実際に着て座っている時のようすなので、畳ニ畳分を使っている。
百人一首のお姫様の図を思い浮かべて下さい。雅な世界。
十二単なので、袖口から、十二の色の重なり合いが見えるが、淡く優しい日本的な色の組み合わせ。
一番上に着るものは、どっしりとした厚地感。絢爛豪華な刺繍が金糸、錦糸で施されていて、
圧倒される。
平安時代にこんな衣装を作る技術、審美眼、日本の
伝統文化は、素晴らしいと誇りにに思った。
12月28日まで。入場料500円,
丸紅_源氏_玄関.jpg
玄関ホールには、お正月飾りが置かれていた。

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日展 [展覧会(絵以外)]

東京では今日で終わりですが、この後、京都、名古屋、神戸、大阪と巡回する
「日展」に行った時の感想を。


会場は、六本木の新国立美術館。1階と2階、部門別にいくつもの部屋を使って
開催される大規模な展覧会。その年の入選作と会員の作品が展示されている。


1,彫刻部門

彫刻2.jpg

2,工芸部門

工芸2.jpg


工芸部門は、分野が多い。テーブルの上にあるのは陶芸作品や鋳金作品で、
壁にかかってるのは、絵でなく、染色、漆、織物などの作品。


左は鋳金作品で、カブトムシが生き生きと木を登り、上には細い線で
蝶が3羽描かれていた。夏の思い出のようなタイトルだった。
右は大樋年朗「絆の鳥」。年朗は金沢の大樋焼き第十代大樋長左衛門だが、
日展など大樋焼きにとらわれない作品を出す時は、年朗の名前を使っている。
年朗は、1か月前に95歳で亡くなったので、作者名に黒リボンがついていた。

かぶとむし.jpg大樋年朗2.jpg


左は織物。田中紀子「瀑布Ⅲ」世界三大瀑布のひとつ南米イグアスの滝。
滝の迫力と神々しさを織りのあらゆるテクニックを使って表現。
右は漆。赤堀郁彦「浮遊する固体」絵画のように見えるが、漆なので表面が
つるつる光っている。そのため写真に撮ると前にあるものが映ってしまう。

織物.jpg漆絵.jpg


左は人形。奥田小由女作品。奥田は昨年の文化勲章受章者。

奥田人形.jpg


彫刻部屋で、目に留まったのは、この人の表情。
蛭田二郎「異邦の女」。蛭田も彫刻界の大御所。日展では顧問。
戦火を逃れて、異国で借り住まいの女性にモデルになってもらった。
美しい異邦の女性の内面の表現をしたかった。

彫刻顔.jpg


日本画。とても広いので、大家の先生の作品だけをご紹介。
作者の作品へのコメントが、QRコードで読めるようになっていた。
土屋禮一「龍魚」(アロワナ)
龍を描くときの参考に役に立つので、アロワナを育て飼っている。
立派なレッドアロワナを見たので、大きな画面に泳がせてみた。
ryugyo.jpg


福田千恵「ガンダーラ」
空を見ては宇宙や自然のことを、平和な地球であることを願います。
たくさんの恩恵を受けて生かされてることを大切に、命終わるまで、
希望に向かって求め続けます。

仏_福田.jpg


村居正之「STAR」
アテネのアクロポリス。天に輝く星はこの丘の2500年の歴史を見守って
います。悠久の丘が主題です。

アテネ.jpg


洋画 こちらも数が多いので、大家の先生の作品だけをご紹介。
西房浩二「Smorzando」今年の総理大臣賞受賞作。
かなり横に広い静物画。今年は、風景画が少なく、静物画がおおかった。

静物画.jpg


全体として写実の人物画作品が多かった。
左:中山忠彦 タイトル不明。毎年、端正な美しい女性像が目を引く。
右:小灘一紀「大和は国のまほろば」
伊吹山の神を見くびり、草薙の剣を持たずに素手で山の神に立ち向かった
皇子。重傷を負いながらも、ふる里を思う皇子の高貴な姿。


naka山.jpgヤマトタケル.jpg






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三沢厚彦の「アニマルズ」展 [展覧会(絵以外)]

9月、会期終わりの「三沢厚彦アニマルズ展」、千葉市美術館に行った。
千葉市美術館は、昭和2年設立、旧川崎銀行・千葉支店のギリシア神殿ふうの
堂々たる建物を保存して改築された。列柱は渦巻模様のイオニア式。
昔の入り口に鎮座するのは、今回の展覧会・三沢厚彦の「ライオン」で、
丸の内仲通りに展示してあったとき、一目見て、好きになった彫刻。

8Chiba_Lion2.jpg

新しい入り口は、こちら。展覧会の案内がある。

0Chiba_Entrance.jpg

シャンデリアが輝く旧銀行の建物の1階メインホールは、今も残され、展示に
利用されている。
いきなり、馬に羽がはえた「天馬」、ペガサスの出現。
白いペガサス、木彫に白を塗ったもの。三沢作品。

2Chiba_HaneUma.jpg


展示室は8階なので、エレベーターで上に上がった。
白いクマの出迎え。壁の緑の木々の絵も三沢作品。

1Chiba_Shirokuma.jpg

クマは白だけでなく、いろいろな種類がいる。
どれも、ひょうきんで可愛い。正面を向き、起立のポーズで挨拶。

4Chiba_Kuma3.jpg

これは小さなクマだが、木を削った跡がはっきり見える作品。

5Chiba_KumaMokutyou.jpg

こちらは、フクロウ。これも小さい。削り跡のゴツゴツ感が、森の

のっしのっし歩くヒョウ。これは絵。

7Chiba_tora.jpg


ほかにも、いろいろあったのだが、撮影禁止だったので、OKのものだけを紹介。
今、三沢厚彦が凝っているのは、キメラ。ライオンの顔に羊の角、そして羽が
生えと、いくつもの動物の複合体。時空を飛び越えてやってくるイメージ。


三沢厚彦は、1961年生まれ。京都で生まれ、小さいころから仏像や寺社に親しみ、
東京芸大・同大学院で彫刻を学ぶ。動物をくすのき(樟)で彫り、油絵具で彩色する
アニマルズ・シリーズを制作・発表している。

これは、虎のフィギュア玩具。私のPCの上にのせてみた。
後ろにちらっと見えるのが、立っている白いクマ。
本物の三沢作品・白い虎に出会ったときの写真は、こちら。

Misawa_FigureTora.jpg


過去の展覧会の紹介記事ですが、ここに出てるのは、どれも可愛いです。

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マン・レイ展 [展覧会(絵以外)]

千葉県佐倉市の「DIC川村記念美術館」へ「マン・レイ展」を見に行った。
「どこかドライブに行きたいわ。千葉の車じゃないと行きにくい美術館は?」
M子さんの車で美術館へ。高速の佐倉で降りたら恵比寿から1時間ちょいで着いた。
DIC(旧大日本インキ)の研究所がある広大な土地なので、緑が多く気持ちが良い。

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開催中の企画展は「マン・レイ」展。
メトロノームの針に、こちらを見つめる目がついて面白い。

マン・レイは、1890年にアメリカ・フィラデルフィアに生まれ、30才でパリに行き、
50才まで過ごし、またアメリカに戻った。
絵画、写真、映画も制作したが、あっと驚く発想のオブジェ作品の数々が有名。
この展覧会では、オブジェと写真に的を絞って展示をしている。

チラシの裏側の作品を紹介。
セルフ・ポートレイト(ソラリゼーション)。1932年。
下は、「二人」1914年。24才の作品。ピカソっぽさがある。
この頃は絵画一筋の画家だった。キュビズムの時代の影響をうけている。
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「現代アートの父」とよばれるマルセル・デュシャンがニューヨークで個展をし、
さらにそこに住むようになった。マン・レイは彼を信奉し、彼の影響を受けた。
デュシャンは、天井から雪かきスコップを吊り下げ、作品「レディメイド」と
発表し、話題になり、さらに便器を展示して「泉」と称した。
デュシャンの影響大の作品が、下の図、03「ニューヨーク17」1917年。
傾いた摩天楼を万力で留めたもの。摩天楼はステンレスパイプ製。

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代表作と言われているのは、02「贈り物」Gift 1921年。
アイロンに釘を打ったもの。

06「アングルのヴァイオリン」1924年 
パリ時代の写真作品。アングルの絵画「ヴァルパンソンの浴女」を真似て、
恋人「モンパルナスのキキ」をモデルに撮影した写真に、この一筆書き。
ヴァイオリンに仕立ててしまう凄さ。写真を再撮影している。

マン・レイは同じタイトルで、少しづつ違った作品をいくつも制作している。
だから、アイロンに釘の「Gift」や「NewYork17」もそれぞれ複数ある。


01「ミスターナイフとミスフォーク」1944年
これ、どうやってもナイフで切れない、フォークでさせない、スプーンが必要。
笑いながら見れて面白かった。
鑑賞後はランチ。隣の建物のイタリアン・レストランへ。
以前に来た時、おいしかったので、今回もランチは、ここと決めていた。

千葉県素材の前菜、きれい!
温前菜:アオリイカのボイル、バジル、トマトソース添え。
パスタ:ボロネーゼ、ナスとツナのトマトソース。
主菜:千葉の漁港でとれた鯛のソテー。小松菜。ソースはマッシュルームのぺースト。
デザート:モンブランふう紫いものタルト

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食後は、常設展を見たあと、庭の散歩。噴水のある大きな池があり、芝生の手入れが
行き届いている。
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この目立つオブジェは、清水九兵衛の「朱甲面」1988年。
九兵衛は、清水家の養嗣子となり清水六兵衛を名乗り、陶芸を継ぐが、
東京芸大で彫刻を学んだ経歴と建築への興味から、陶芸を捨て、彫刻家となった。
京都平安神宮の鳥居の朱色を使った野外彫刻を多く残している。

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ガブリエル・シャネル展 [展覧会(絵以外)]

東京駅のそば、丸の内の三菱一号館美術館へ「ガブリエル・シャネル展」を
見に行った。予想通り、会場内は、ほぼ女性。男性はファッション業界人と
いう雰囲気の人のみだった。
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ガブリエル・シャネルの仕事に焦点を当てた回顧展。

ガブリエル・シャネル(1883~1971)は、20世紀で最も影響力があった女性デザイナー
なので、その名前は、大抵の人が知っていると思う。
チラシの写真のように本人も美しく、ドラマティックな生涯は、「ココ・シャネル」
(2008年)、ココ・アヴァン・シャネル(2009年)と映画にもなっている。
*ガブリエルが本名、愛称はココ

この展覧会は、パリ市立モード美術館で開催されたものの国際巡回展なので、
シャネルの仕事、つまり作品を年代順に展示している。



1966年春夏発表のドレス 。絹モスリンの軽やかさとスカート部分の
タック、何段にもなってゴージャス。身頃の軽やかさと対照的。
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これは、1930年~1935年頃の作品。
昼間着る服。花柄プリントの絹のモスリンのドレスに(見えにくいが)
裁断した花のモティーフをあしらっている。
chanel_daydress.jpg

このほかにも1930年代の服があったが、今でも着れそうな飽きのこない
すきいりとしたデザイン。 ただし、手仕事部分がすばらしい。フランスの
オートクチュールの技量の高さがわかる。下のイブニング用のケープ、1923年製
だが、首周りに毛皮があしわわれ、絹サテンの肩の部分には丁寧で豪華な刺繍。
裾周りにも刺繍。
chanelケープ.jpg

シャネルは、それまで女性がコルセットなど体を締め付ける下着をつけていた
ことに反発。動きやすくコルセットなしでも体が綺麗に見える服、上着が
カーデガンタイプののシャネル・スーツを考案した。
1965年、ウールツィード、下のブラウスは絹。
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1971年、テーラードのジャケットとスカート、絹クレープ。
ガラリットボタン。
シャネルテーラードピンク.jpg

初期の作品は、シャネル自身のデザインだが、1971年にシャネルが亡くなった後、
メゾンは低迷。1983年にカール・ラガーフェルトをデザイナーとして迎え、シャネルの
考えを取り入れた新しいデザインで再評価され、活気を取り戻した。
しかしカール・ラガーフェルトは2019年に亡くなり、現在は別のデザイナーである。

 シャネルは、服だけでなく、ジュエリー、香水、バッグ、靴もデザインし、それらも
大ヒットをした。シャネル N°5の香水は、マリリン・モンローの発言で有名になった。
写真のバッグと靴は、かなり長い間のロングセラーで、特にバッグは今でもデザイン
を変えたものが数種類、シャネルの定番である。私も20年以上使い、今のは2代目である。
chanel_Bag.jpg

 会場の三菱一号館美術館は、明治時代の赤レンガの重厚な三菱本社のビルを
利用しての建築なので、伝統と気品のシャネルの展覧会に雰囲気が合っていた。
中庭には、英国風ガーデンということで、バラが植えられ、彫刻が置かれている。
前に来たときは、ヘンリームーアの母と子の彫刻だったが、今回は、「羊の形」
という彫刻。見る角度によって、かなり違って見えて、面白かった。

羊の形.jpg

予約制ですが、私は4時半に行ったので、予約なしで大丈夫でした。
同行のM子さんは、「シャネルの服の人、いないのね」とがっかりしたご様子。
「夏にいい服がないのよ」といえど、バッグ、時計、指輪がシャネルだった。


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上野リチ展 [展覧会(絵以外)]

三菱一号館美術館で開催中の「上野リチ展」、15日(日)までで、時間帯によっては
入場制限もあるので、ホームページで確認してから、お出かけください。
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長引くコロナ、ロシアのウクライナ侵攻と、不安が拭えない日々。
ほっと一息つきたい時に眺めていたいレトロな「かわいい」デザイン。
それが上野リチのデザイン。彼女は1893年生まれ。今から130年前。
ウィーンの裕福な家庭に生まれたリチ(Felice Rix)は、ヨーゼフ・ホフマンと
コロマン・モーザーによって設立されたウィーン工房に学び、卒業後は、
工房で布や日用品のデザインを手掛けていた。花、鳥、魚などをモチーフにした
生命感あふれる色彩のかわいいデザインは人気があった。 
             ↓ 当時の作品 ↓

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リチは、当時ホフマンの建築事務所で働いていた京都出身の建築家・上野伊三郎と
結婚した。伊三郎と共に京都に住んだリチは、しばらくの間、京都とウィーンを往復する。
ウィーン工房の仕事を続けていたからである。

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リチは自分の作品を「ファンタジー」と言っていたそうだ。かわいさ満載。
左上の図は、スキー手袋。大きな花が真ん中に。全体は木の形。手首の所は
ウィーンだからか、チロリアンテープふう。
右上のプリント生地のデザインは代表作で、記念撮影用のパネルに使われていた。
(一番上の写真)

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「そらまめ」1928年

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面白かったのは、金箔の屏風絵「花鳥図屏風」。日本画の花鳥図でなく、
幾何学的模様で構成された花鳥図。「こんな屏風見たことない」だった。
ウィーンと京都を往復するリチならではの「西洋と日本の合体」である。


リチは、建築家の夫・伊三郎と共に、建築事務所を開設し、個人住宅や
店舗のインテリアも手掛け、斬新な空間構成は注目された。
伊三郎は、ブルーノ・タウトを招へいし、群馬県工芸所の所長に任命、
リチも嘱託職員として働いた。

1930年にウィーン工房を退職したリチは、群馬県の仕事と並行して、
京都市染織試験場の技術顧問となり、輸出用のプリント生地のデザインや
七宝を使った小物のデザインをした。

りちインテリア.jpg

リチ箱七宝.jpg


1950年代以降、第二次大戦後、リチ夫妻は、京都市立芸大で教鞭をとり、多くの
優秀なデザイナーを育てた。
最後の部屋に、晩年のリチがデザインをまかされた、日比谷の日生劇場のレストラン
「アクトレス」の内装の実物大の写真があった。このレストランは予約をしておくと、
劇の幕間の30分間くらいで食べられるよう、座るなり料理の皿が運ばれてきたので、
いいシステムだなと思った。角の端の席だったのは覚えていたが、内装を思い出せ
なかったので、写真を見ればわかるかと思ったが、、、あやふやなままである。


展覧会のグッズを売る部屋がでは、レジの前に長い列が出来ていた。
「そらまめ」のファイルを買った。もとのデザインから抜き出して大きくしたもの。

リチファイル.jpg


考えてみれば、19世紀から20世紀、激動の時代、戦争の時代だったのに、
リチのデザインは明るい色彩で、私たちを元気にする。しかも100年も前に
日本とウィーンを往復して仕事をする、キャリア・ウーマンのはしりだった。
仕事を続けながらも、後進を育て、、、
帰り道には、そんな上野リチの人生も気になった。

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