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静岡県立美術館のロダン館 [日本の美術館]

三沢厚彦の動物の木彫の記事を書いていて思い出したのが、彫刻作品が充実してる
静岡県立美術館のこと。桜の季節に行ったので、ずいぶん時間が経っているが、
小高い丘の上にあり、木々に囲まれ、広々とした場所。入口から建物への道には、
彫刻の野外展示が点在し、これは、大西清澄の「なみの塔」1980年 ステンレス製sizuoka00.jpg


ここに来たのは2回目。
初めて来たときは、美術館目的でなく、何かの帰りに、こんな所に美術館が、
と立ち寄り、彫刻作品の充実ぶりに驚いたのだった。ロダンが30点ほど。
こんなにたくさんロダン作品があるのは、なぜ?とも思ったけど、時間が
なかったので、さくっと見て、「いつかもう一度」と思っていた。

静岡県立美術館、もちろん、絵画作品もあるし、企画展も時々開催しているが、
広く大きな「ロダン館」があるのが特徴。吹き抜け天井は楕円形のガラス張りで、
窓からも自然光がさしこむ。有名な「地獄の門」「考える人」がある。
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「考える人」が奥に見える。手前右は、「バスティアン・ルパージュ」1887年。
ロダンは、画家ルパージュと仲が良かったのだが、ルパージュは36才で亡くなった。
40代だったロダンは、ルパージュへのオマージュとしてこの作品を制作した。
実在の人物が亡くなっている場合、モデルがないので、彫刻は制作しにくいが、
親しかったので、思い出しながら制作したのだろう。野外で描くことが多かった
ルパージュなので、マントを着て、パレットを持った姿になっている。
左は、クロード・ロラン 1889年。
クロード・ロランは17世紀の風景画家。出身地ナンシー市からの依頼で制作。
200年も前に亡くなり、姿を見たことがない人物の肖像は難しかったらしい。
ロランが日の出、日没など光を背景にした風景をよく描いていたので、光の方向、
一点を見つめるポーズに決めたそうだ。



[双子座]ロダン(1840~1917) 14歳で工芸学校に入学したが、美術学校を出ていない。
24才から売れっ子の彫刻家Carrier Belleuseの下で助手として働き、ベルギーで
建築装飾の彫刻制作に加わり腕を磨いた。当時の流行、ロココの美しい雰囲気をもつ作品
「バラの髪飾りの少女」1870~1875年頃、テラコッタ。
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[牡牛座]ロダンは古典彫刻を見るためにイタリアへ行き、ミケランジェロの作品に
感銘を受ける。帰国後、サロンに出品。「青銅時代」が3位となるが、あまりにも
実際の人間に似ていたので、物議をかもした。その後、国家から「地獄の門」の
制作依頼を受け、彫刻家として成功した。

[蟹座]ロダンが素晴らしいのは、古来からの伝統彫刻を継承しながら、同時代の
象徴主義、表現主義的なものを取り入れた点である。たとえば、胴体部分だけの
トルソはロダンが創始者であり、ロダンと交流した者たちが、ロダンから受け継いだ
ものをもとに20世紀の彫刻表現を作り出した。
ロダンの助手だったブールデルの構築性、カミーユ・クローデルの風俗性、
ブランクーシの抽象性は、作風は異なるがロダンのコンセプトである、

ブールデルの構築性「アポロンの首」1909年 ブロンズ
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ブランクーシの抽象性「ポガーニ嬢Ⅱ」1925年 磨きブロンズ
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カミーユ・クローデルの風俗性「波」(複製)1897~1903年 ブロンズ

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マイヨールのトルソ「イル・ド・フランス」1921年 ブロンズ
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他に直接ロダンの薫陶を受けたわけではないが、20世紀を代表する彫刻家の作品
がいくつもあった。

レ―ムブルック「女のトルソ」1911年
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ジャコメッティ「横たわる女」1929年
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ヘンリ・ムーア「横たわる人体」 1977年

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ジャック・リプシッツ「母と子」1913年
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バルラハ「読書する僧たちⅢ」1932年
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ロダンとほぼ同時代人だが、独自の活躍をしたゴーギャン
「オヴィリ」(タヒチ語)1894~95年頃
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最後に、ロダンの助手をつとめたブールデルによる「ロダンの肖像」1909年
69歳のロダンの気性、精神性を表しながらも、幾何学的に構築をしている。
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再オープンの西洋美術館 [日本の美術館]

東京・上野にある国立西洋美術館は、長らく耐震工事をしていたが、先月、
再オープンした。大きな企画展は6月4日からだが、常設展は見れる。
大きく変わったのは前庭。植栽をなくし、開館当初の姿にしたそうだ。
さらに開館当初の正門は、上野公園の噴水側だったので、そちらの扉からも
入れるようになった。つまり、昔は、入ると、正面に「地獄の門」が見える
光景だったのだ。夕方、5時半、閉館前の写真。

西洋美術館地獄の門.jpg

ロダンの彫刻「考える人」の向こうがフェンスで、写真右端に上野公園に面した
西門(旧正門)が見える。閉館前、夕方の写真。

西洋美術館考える人.jpg


建物の中は変わらず、地下のロダンの彫刻群の部屋を通って、展示室へ進む。
展示されている絵と、絵の並びが大きく変わっていた。
まず、目に入るのが、
アンドレア・デル・サルト「聖母子」1516年頃、ポプラの板、油彩
アンドレア・デル・サルトは、ミケランジェロとラファエロがローマに活躍の場を移した後、
フィレンツェの盛期ルネサンスを牽引した。赤ん坊の筋肉質な足は彫刻を参考にしたらしい。

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クラーナハ「ゲッセマネの祈り」1518年 板、油彩
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キリストは、最後の晩餐の後、弟子たちを連れて、オリーヴ山に向かった。
山の麓、ゲッセマネの園で、キリストは祈りを始め、天使もやって来るが、
ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、3人弟子たちは眠りこけている。左上方には、
ユダに先導されてキリストを
逮捕に来た群衆の姿が見える。
左端、若くかわいい少年がヨハネだろう、他の2人はどっちがどっちかわからず。
ヴァザーリの「ゲッセマネの祈り」も展示されており、クラーナハのも加わった。


クラーナハ「ホロフェルネスの首を持つユディット」1530年頃 板、油彩

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美貌で敵の大将ホロフェルネスを誘惑、酔わせて斬首。故郷を救ったユディト。
おぞましい場面だが、絵の大きさが小ぶりなのが丁度よい。こちらを見つめる
ユディットの冷めた美しさに目がいく。


スルバラン「聖ドミニクス」1626年
縦2mの大きな肖像画
スルバラン.jpg

ドミニコ会修道院の創設者、聖人ドミニクスの肖像画。脇にいる首輪の立派な犬は
松明をくわえているので、聖人の背後にほのかな影ができている。
スルバランは、17世紀スペイン絵画を代表する画家で、プラド美術館に作品がたくさん
あり、白の使い方がすばらしい。静寂性、瞑想性は比類なし、と思う。


以上が、オールド・マスターで気になった作品。
写真は撮らずに見ていたのだが、突然、聞こえてきた幼児の大声。さらに走る。
両親が走るのは止めたが、大声は注意せず。係の人も注意せず。気を悪くした
私はティータイム。入館が3時半だったのに、ケーキをゆっくり食べ、見る時間
がなくなってしまった。間を飛ばして、19~20世紀の馴染みの作品へ。


ハンマースホイ「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」1910年

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これは、オールドマスターの部屋のエヴァリスト・バスケニス「楽器のある静物」
(1660年代後半)の向かいにあった。なぜここに?と思ったら、「楽器のある静物画」
という共通点で時代は異なるが呼応するように展示すると説明があった。
この絵には静寂さが満ちているけれど、静物画と捉えるのは、、と違和感。
ハンマースホイ展で、いくつも作品を見ると、妻イーダの後ろ姿と半開きの白い
背の高い扉は、何度も登場するので馴染みになる。


ベルト・モリゾ「黒いドレスの女性(観劇の前)」1875年
2019年新規収蔵作品
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ベルト・モリゾは画家だが、マネのモデルをつとめ、マネの弟と結婚した。
パリのオルセー美術館やマルモッタン・モネ美術館にはモリゾのが描いた絵が
たくさんあるが、日本で持っているところは少ない。

このドレスにそっくりのドレスを着たモリゾの肖像写真があることから、
モリゾが自分のドレスをモデルに着せて描いたものだろうと言われている。
白いオペラグラスを手に持ち、白い手袋、ドレスの白い花飾り、と黒のドレス
に白がアクセントになっている。


ルノワール「帽子の女」1891年
ルノワール.jpg

ルノワールは何回か画風を変えているが、これは印象主義から古典的傾向に戻った後
「真珠色の時代」に描かれた。さまざまな色彩が白と混じり合って真珠の輝きを放つ。


モネ「陽を浴びるポプラ並木」1891年
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モネは、同じモティーフを時間や構図を変えて描き、光と色彩を研究した。
この川沿いのポプラ並木も何回も描かれている。
青い空と白い雲、緑と黄色のポプラの木。明るく晴れやかな色彩である。


モネ「睡蓮」1916年 2m四方の大きな絵。

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これを制作した時は、睡蓮を描き始めてから20年が経っていたので、
もう描き慣れ、花や水面の影は、細部が大胆に省略されている。
これは後の抽象絵画にもつながると言われている。


彫刻は、ロダン「化粧するヴィーナス」1890年頃


中庭が見えるカフェ「睡蓮」

西洋美術館Café.jpg


新しく追加されたのは、どのようにして収集がなされていったのかを説明して
あるコーナーがあったこと。それによると、西洋美術館は、元々、松方コレクションを
展示するために作られたので、フランスの近代作品が中心だったが、1968年に
就任した山田智三郎館長の方針で、西洋美術全般の収集が始まった。その過程に
ついては、次回、行った時にもう一度、読みたい。

作品解説にQRコードが利用できるようになっているのも新しい試み。
解説には、日本語の他に中国語、ハングル語が表示されていた。


[黒ハート]常設展は、16世紀からの西洋美術作品、300点以上が見れて、500円と格安です。


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草間彌生美術館 [日本の美術館]

草間美術館1.jpg


バスに乗っていて見かけた建物、大胆な「白と黒の水玉」の壁面、草間彌生!
と思ったら、まさにそう、YAYOI KUSAMA MUSEUM と書いてあった。


ネットで調べたら、開館日は木金土日で事前予約必須。
先週の金曜、少し早く帰れる日だったので、最終回4時(4時半までに入場)を予約した。


私が、草間彌生作品を初めて見たのは、パリにある近代美術館「ポンピドゥー・センター」
で、だった。2000年当時、日本人の作品があることに驚いた。作品タイトルは「My Flower Bed」。
くすんだ赤の楕円形のモール地のお手玉をいくつもつなぎ合わせて、大きな花一輪に茎、

葉の部分は下に渦巻き、1mくらいの高さのインスタレーション。ちょっと薄気味悪かった。
初めて聞く名前で、この作品だから、NYで活躍しているのだろうと思った。


2004年、オープンして間もない六本木ヒルズの森美術館の見学がてら、「クサマトリックス」
という草間彌生展を見に行き、強烈な赤い水玉の世界を体験した。ポンピドーの俯いた一輪の花
と違って、生命力あふれる水玉だった。

その後、「草間かぼちゃ」を随所で見かけるようになる。


展覧会は、撮影禁止なのだが、
「この部屋はどうぞ写真を撮ってください」。入り口で渡された黄色い花一輪を
好きな場所に貼る参加型インスタレーション。

草間花の部屋.jpg


一番上の階には大きな花のインスタレーションが外に向けられている。
たぶん、近隣の他のビルから見えるようにだろう。

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時刻は5時過ぎ。窓の外の夕焼けが綺麗。それに目を奪われた。


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本が置いてあるコーナーの上の段に過去の展覧会のカタログ3冊。
下の段に関連書籍。「草間彌生物語」を読んで、草間が長野県松本市出身で大きな
種苗屋の娘。小さい時から花や植物の生長を見て育ったと知る。京都市立芸大で、
日本画を専攻。ジョージア・オキーフに憧れ、1957年、28才でニューヨークに渡り、
前衛アートに携わる。個展をして成功。ソフト・スカルプチャーを考案。性の開放の
時代だったので、男根のバリエーション作品も制作。しかし、数年後、時の流れで、
業界からスポイルされ帰国。精神を病み入院療養。その後、再び、元気に活躍。
常に時代と向き合った作品を作り続けている。


今回の企画展は「神秘と象徴の中間:草間彌生のモノクローム」
これが、図録の表紙。「天国へ上る階段」2019年
天国へ行くには、こんなにたくさんの複雑な階段。。

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同じ頃の作品「青春がやってきた」2019年
上の「まゆ」の中に人の顔が。。。たしかにこちらの方が明るくて未来を感じる。


Kusama_2021.jpg


この2点は、最新作。天国、神、宇宙が、最近の草間のテーマである。


モノクロという視点から集めた作品なので、古いものもある。
実際に見て良かったのは、それぞれの作品が実に緻密であること。
一本、一本の線、点、三角、、、だから見るのに時間がかかるし、面白い。
「自画像」1995年

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花 1985年は、日本画の構図を感じた。 

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モノクロームに着目している展覧会だが、白黒だけでなく、
他の色2色での表現もある。色鮮やかな2色。実際のサイズは1mの正方形


Kusama4mai.jpg


白と黒のモノクロも良いが、強烈な2色のほうが、パワーがあって好きだ。
何かを主張してる2色。
私がいいなと思ったのは、「宇宙の永遠の彼方は青色の祭りに燃えていた
この私が受け取った愛の光景 この瞬間のすべてを忘れないでね」

見た後で、明るい軽快な気持ちになる展覧会だった。


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京都国立近代美術館 [日本の美術館]

前記事「泉屋博古館」のあと、京都国立近代美術館に行った。
京セラ美術館に行きたかったが、展示替え休館中だったので、ここにした。
写真を撮り忘れたので、美術館のサイトからお借りしました。


京都近代美術館たてものLsize.png


右側に見えるのが、平安神宮の赤い大きな鳥居。手前は琵琶湖疏水。
もともと明治時代に内国勧業博覧会の会場として整備された場所で今は岡崎公園と
なっている。公園の中にこの近代美術館と京セラ美術館、動物園、モダンなシアターも
あり、開放的な芝生部分では人々がゆっくりと足を延ばしていた。


建物は、鳥居より高くしてはいけないという制約のもと、建築家・槙文彦による設計で、
外壁はポルトガル産の花崗岩のグリッドでグレーだが、中は、白い大理石の空間。
階段の上はガラス張りで、光が入り、ロビーは明るい。
階段の手すりが、鉄とガラスの組み合わせという近代建築の素材で、階段室の柱が
朱色やグレーなのは、モンドリアンを意識し、近代美術館にふさわしいものにという
設計者のコンセプトとのことだ。


常設展示室から見た。
掛け軸が並んでいるのが、京都らしい。
写真撮影可の掛け軸は、左から
●竹内栖鳳「遅日」大正7年(1918年)籠の上にとまっているカラスの姿がくっきりと
描かれ、色違いの2つの籠が軽快な感じ。表装との釣り合いが美しい。
動物画が得意な栖鳳。「斑猫」が代表作で重要文化財になっている。
●浅井忠「雪中馬」明治39年(1906年)雪の中、尻尾ももも強い風にあおられ、立ち往生
しているかのような馬。墨の筆遣いだけで表された馬の毛並み、脚、目、鼻。地味な作品
だが、見入ってしまう。
●福田平八郎「兎」大正5年(1916年)
初期、写実の時代の作品。兎の配置がリズミカル。中央の兎の他は、眠ったような目で
描かれ、脇役に徹してるかのようだ。

掛け軸3枚そ.jpg




 

次に企画展「発見された日本の風景 美しかりし明治への旅を見た。
日本の風景展のちらし.png


幕末から明治にかけて大勢の外国人画家たちが日本を訪れ、日本の美しい風景や珍しい風俗を描き、それを故郷への土産にしました。日本人画家たちはその影響を受け、その画技を学びながら、外国人に見せたい日本の風景や風俗を描いてはそれを外国人に土産として販売し、あるいは留学先で販売して資金にしました。こうして明治の日本を表現した油彩画や水彩画は永らく海外で愛好されてきました。本展覧会では、そのような作品を海外で収集し、帰国させた個人蔵の明治絵画コレクションをごらんいただきます。(美術館のサイトより)

この説明書きとチラシの絵に惹かれて、こういう展覧会は京都ならでは、と思い、
見に行った。明治時代の東京・上野不忍池、堀切菖蒲園、江の島、横浜、日光東照宮、
富士山、伊豆な、清水寺など、知ってる場所に興味を感じて見た。作家もヘレン・ハント、
五姓田義松、川村清雄、吉田博、吉田ふじを、ジョルジュ・ビゴー、チャールズ・ワーグマン
など、横浜美術館の「開港展」などで知った人たちの名もあったが、作品数が多く、
似たようなものも多いので疲れた。個人蔵のコレクションなので、同じ画家の作品が
続くと飽きる。
どんな絵があったのかは、出品リストを参照。
河合寛次郎の陶芸コレクションもあったが、点数が思ったほど多くなかった。

見終わったら、ライトアップが始まっていて綺麗だった。
美術館のガラス越しに撮った写真なので写りが悪いが、こんな感じ。

京都近代美平安神宮.jpg
駆け足だったが、久しぶりの美術館行きで楽しかった。


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泉屋博古館で木島桜谷展 [日本の美術館]

ようやく緊急事態宣言が解除され、旅に出れるようになった。
以前から、京都で展覧会を2つ見る日帰り旅をしたいと思っていたので、早速出かけた。

駅を降りて向かったのは、泉屋博古館(せんおく・はくこかん)。
住友家が秘蔵のコレクションを公開するために、京都別邸を改築して美術館にした。
「鹿ケ谷」という万葉的な名前の住所なので、山の麓の谷を想像したが、
京都駅から市バスで20分ほど。閑静なお屋敷街。落ち着いた静かな佇まいは東京の
五島美術館を思い出す。


建物正面は西洋美術館に似た雰囲気。日建設計の設計。
芝生の庭にあるのは、水が湧く井戸。「住友」の江戸時代の屋号が「泉屋」センオク
だったことから、それを象徴している。11代小川治兵衛作による作庭で東山を借景
にしている。


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企画展は、「木島桜谷 四季の金屏風」
木島桜谷は今までいくつか作品を見たが、東京の泉屋博古館で見た「燕子花の金屏風」
がシンプルながら堂々と立派だったのを覚えている。まさに現代の金屛風。

展覧会場入り口には、金屏風を仕舞っていた桐の箱が展示されていた。長い!
屏風収納箱.jpg


木島桜谷(コノシマ・オウコク 1877~1938)は、明治から昭和にかけての
京都画壇の重鎮。写生の技に秀でているが、屏風ではデザイン感覚も活きている。
今回は、春、夏、秋、冬、四季それぞれの金屏風が揃って展示されると、Web
の「泉屋博古館」のサイトで読み、それは魅力的!と、行きたくなった。
これらは、大正時代に住友家本邸新築に伴って制作された。従来の屏風より大きく、
金箔の分量も多いのだろうか、輝きに圧倒される。


季節柄、まず、秋の花、菊の金屏風が展示されていた。これは左隻。

《菊花図》左隻.jpg


冬:雪中梅花 右隻 
《雪中梅花》右隻.jpg


春:柳桜図 左隻

《柳桜図》左隻.jpg


夏:燕子花図 左隻

《燕子花図》左隻.jpg



若い頃の作品 猛禽波頭図 左隻
《猛鷲波濤図》左隻.jpg


屏風の他に、動物や風景の掛け軸の絵も展示されていた。
木島桜谷は、動物を描く名手として、近年、再評価されている。


「葡萄栗鼠」
真ん中にちょこんと栗鼠。葡萄をたらふく食べて満足顔なのが、近づいて見るとわかる。
葡萄の葉への光の当たり具合を葉の色を変えて美しく表現している。

《葡萄栗鼠》.jpg


10月23日~1月10日に京都「福田美術館」で、桜谷展「おうこくさん」が開かれ、
そちらには、動物の絵がたくさん出るようだ。



泉屋博古館のコレクションで価値あるものは、「中国の青銅器」で、常設。
世界でも名高いのだそう。

「き神鼓」きじんこ
今から3千年以上前、殷(商)の時代。
鰐皮を両面に張った太鼓の形をした器。上に奇怪な形をした2羽の鳥の飾りがつく。
内側が中空で厚み1~5ミリと非常に薄手の鋳造で、当時の高度な技術がわかる。
高さ82㎝。住友コレクションを代表する名品。

青銅器.jpg


「井仁ねい鐘」(せいじんねいしょう)。西周後期。
中国独特の漢字で「ねい」は「二」の下に「女」って書く漢字です。
(Inatimyさん、教えてくださってありがとう)

青銅器3.jpg


「鳥蓋こ壺」戦国時代前期・前5世紀 
瓢をかたどった器の上に、鳥の形の蓋がついている。器を傾けると鳥の嘴が開き、
なかのものを注ぐことができるいという趣向が凝らされている。出土数が少なく、
非常に貴重。

青銅器2.jpg


個人美術館で、それほど大きくないため、1時間半くらいで、企画展と
中国青銅器の両方が見れる。休憩室の前に、無料の飲み物提供マシンがある
ので、お茶を飲みながら、庭を眺め、静かな良い時間を過ごせた。




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横浜美術館(2) [日本の美術館]

横浜美術館所蔵の作品は、年代的に開港以来のもの、横浜にゆかりのある作家
のものを取り上げている。
前記事で、彫刻とヨーロッパ近代絵画を取り上げたので、ここでは、明治以降の
日本画と版画、工芸品、現代アートで、印象に残ったものについて書く。

1,平櫛田中
ひらぐし・でんちゅうと読む。木彫。「陶淵明」(帰去来)1946年
「帰りなんいざ 田園まさに荒れなんとす なんぞ帰らざる 歳月は人を待たず」
という有名な漢詩(405年成立)の作者の像。故郷に帰ろうとする強い気持ちが
表されている木彫は部屋の雰囲気を厳粛にする。平櫛田中は高村光雲に師事した。
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左の後ろにみえている掛け軸は、横山大観の「雲揺らぐ」1927年。水しぶき、水煙を
あげて落ちる白い瀑布。黒い部分は岩に木々。水墨画の素晴らしさに目を見張った。
後方右も大観で「江上舟遊」1921年。


2,下村観山 「小倉山」6曲1双 1909年
小倉百人一首の「小倉山 峰のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」
実際はもっと黄色っぽく輝く金屏風だった。
秋の木立に腰を下ろす貴族、藤原忠平。天皇の再訪まで紅葉よ、散らないでくれと
願っている。木の幹を色彩で描き分け、遠近感を出している。丁寧な写実。琳派の
雰囲気もある。

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横浜美術館のティールームは「小倉山」、この絵に因んで名付けたのだろうか。



3,菱田春草 「夏汀」1902年
春草はこの時期、大観と共に墨の輪郭線を描かない朦朧体で光や空気感を表現した。
水面に浮かんでいるような岩。一羽の鳥。夕陽の淡い光だろうか。

YokohamaHisida.jpg
菱田春草は、36才で亡くなったため、作品数が少ない。




4,今村紫紅 「伊達政宗」1910年
独眼竜として名を馳せた政宗。この肖像画でも片方の眼は閉じて描かれている。
政宗は、慶長遣欧使節団として支倉常長をスペインへ派遣し、ローマ法王にも
謁見させた。キリスト教禁止令が幕府から出る前ゆえ、正宗はキリスト教への
関心を公にしていたので、紫紅は肖像の背後に十字架を描いた。
紫紅は横浜市出身、やまと絵の伝統と南画の柔らかな筆致を学び、後期印象派の
色彩や構図を日本画に取り入れようとしていたが、35才で亡くなった。この絵にも
従来の伊達政宗の肖像画と異なるモダンさが感じられる。

Yokohama_今村紫紅.jpg



5,小林古径 草花(カーネーション) 1935年
面白い構図。
上から白い花、赤い花2輪、黄色い花と3色のカーネーションが風になびく。
古径は、今村紫紅らと新しい日本画を試みたが、渡欧後は、やまと絵の
伝統をひきつぐ写実の静物画をいくつも描いた。端正で明快、やさしい絵。

Yokohama_古径.jpg


横浜美術館には、版画が多く収められている。

6,ポール・ジャクレー
ジャクレーは、1899年、一橋大学のフランス語講師として来日した父と共に
3歳の時
から日本で暮らし、父の同僚の黒田清輝、久米桂一郎から油絵とデッサンを学び、
浮世絵の流れをくむ日本画も学んだ。日本文化が好きで、版画研究所を作り
浮世絵技法の多色木版画を制作した。彫師、摺師と共に研究所で暮らした。
ミクロネシアなど南洋諸島へ旅し、現地の人物を水彩に描き、版画にしている。
「オウム貝 ヤップ島」 1958年

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7,川瀬巴水 「東京十二題 こま形河岸 1919年」
幕末から現代までの日本版画の歴史をたどる「魅惑のニッポン木版画」展を
所蔵品で開催(2014年)するほど横浜美術館はたくさんの木版画を持っている。
大正時代、浮世絵の線や色彩を受け継ぐ「新版画」が絵師、川瀬巴水、吉田博ら
によって擁立された。川瀬は日本各地を旅し風景をスケッチ、版画にした。
静かな美しい日本の風景の佇まいは郷愁と情感がある。

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横浜生まれの木版画家「川上澄生ここを参照)、銅版画「長谷川潔」の作品は、
常設展でいつも見ることができるので、オススメです。


8,白髪一雄 「梁山泊」1962年
日本のアクションペインティングの創始者。体をロープで吊り、足で作品を制作。
作品はどれも大きい。アーティゾン美術館にも大きな作品がある

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9、宮川香山(3代)「青磁釉青華模様花瓶」1940~45年
初代宮川香山は、明治時代、輸出用陶磁器「真葛焼」のための窯を港に近い横浜に開いた。
さらに装飾を施した花瓶「高浮彫」を制作し、海外で評判になり、よく売れた。
後年は、清朝の磁器をもとに釉薬を研究し、このタイプの花器を制作した。
これは3代の作品である。
初代の作品のすばらしさは、yk2さんの記事をご覧ください。→ここをクリック


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10、吉村益信「大ガラス」1969年
部屋の中央にいるカラス。大きくて、リアル!
初めて見た人は、ほぼ全員、驚くと思う。
これは、1970年の大阪万博「せんい館」での展示用に作られ、「旅がらす」
というタイトルだった。濡れ羽色のからすの羽を繊維で再現したのだろう。
その後、吉村益信が、マルセル・デュシャンのガラス戸を使った作品「大ガラス」
にインスパイアされ、名前を「大ガラス」に変えた。

向こう側に見える大きな絵は、白い鳥2羽が暗い空を飛び、女性の右側にカラスが
たたずむという構図。不思議な世界観の絵だが、大ガラスと対応させているのだろう。

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