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ピカソ美術館でのピカソ以外の作品 [☆彡Paris 美術館]

今回、美術館に入ってすぐ、地下の部屋での展示はこれだった。
「えっ、これ、ピカソ?」「ちょっと違う気がするけど、」
説明書きがあったので、イタリアのジーノ・セヴェリーニ作品とわかった。
セヴェリーニは、ポンピドゥーセンターで「フューチャリズム(未来派)」
という展覧会を見て好きになった画家。イタリアなので楽しいし、色が明るい。
壁に椅子・テーブルをさくっと描いたのは、誰のアイディアなのだろう?


Severrini.jpg

これはピカソが、妻ジャクリーヌの寝室のためにセヴェリーニに依頼したもの。
タイトルは「音楽のレッスン」1928~29年
ギリシア古代建築の下でギターを弾く白い服のピエロとアルルカンの語らいは、
無意味な光景に見える。ギリシア建築にロココ調のワトー風ピエロを持ってきた
のはジャンルのフュージョンで、壁に描かれたモダンな白い椅子・テーブルとも
フュージョンしている。ぱっと見はクラシズムだがポストモダンへの前兆を
表している。
右の絵では、ピエロ3人がトランプに興じている。これも無意味?
SEverrini_MusiqueLecon.jpg Severrini2_droit.jpg
上の右のトランプピエロは、この壁面 ↓ を大きくしたもの。

Severrini2.jpg


別の壁面は、ピカソの家の客間を飾っていたデ・キリコによる「グラディエーター」
11枚の連作(1928年~1929年)。虐殺よりも武器を使わず戦う身振り、身体の動き
を重視して描いている。へなへなで弱々しい裸体は、アカデミックな手法で描かれて
いた時代の裸体と大違い。

Chirico.jpg

上部の絵は、馬の動き4か所を見ていくと、右端の馬は倒れ、同じ馬の時間の流れなのか
とも思える。こちらは、人体がすっきりと描かれ、まさにポーズをとっているかのよう。
デ・キリコは歴史上の戦争の絵を、緊張感のない人物のポーズで描き皮肉っている。Chirico_1.jpg


Chirico_2.jpg



ピカソは同時代の仲間の作品を持っていた。
審美眼に優れているので良いものばかりだ。

セザンヌ「5人の水浴」1877~1878年
Cezanne_5Beniyoirs.jpg

セザンヌ「シャトーノワール」1905年
Cezanne_ChateauNoir.jpg
  
マティス「マルグリット」1906~1907年

Mattise_Marguerita2.jpg


ピカソ美術館の中にのカフェは簡単なカフェだったので、外に出て、ゆっくりお茶が
できる店を探しながら帰り道を歩いた。5分くらいで、パリでは何軒かあるチェーン
「カフェ・リシャール」Cafe Richardがあったので、入った。
ミルフォイユもパリパリ、さくさく、間のクリームと合っておいしかった。
瓶に入ってるのはキャラメルソース。友達が頼んだチーズケーキにはベリーの
ソースだった。「ここはケーキが美味しいから、ピカソ美術館に来たときは、
ここにしましょ」
Comptoirs Richard,   45 Rue de Bretagne 75003
Picasso_CafeRichard.jpg




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ピカソ美術館・パリ [☆彡Paris 美術館]

食べ物の話が続いたので、今回は3月に行ったパリ「ピカソ美術館」の記事で。


ピカソ美術館は、17世紀の貴族の館を改修したものなので、門を入ると石畳みの
広い馬車回しになっていて城館の入口のよう。建物は3階建て。
柱や壁のレリーフは往時のままで、天井や階段の手すり、床のモザイクが美しい。

Piccaso_Escarrier.jpg

Picassso_Escarierre2.jpg

所蔵作品は5,000点と多いので、毎回、何かのテーマに従っての展示をしている。
今回は、2027年3月12日まで「La collection Revoir Picasso」(作品を見直そう)

ピカソは1881年、スペインマラガの生まれ。
画家の父から絵の手ほどきをうけ、16歳でマドリッドの「全国美術展」で金賞をとるほど、
早熟の天才だった。1900年にパリに移住。翌年には画商ヴォラールが個展を開催してくれた。
画風から1904年までは、青の時代、1906年まではバラ色の時代と呼ばれる。
「自画像」1906年
SelfPortrait1906.jpg
1907年からアフリカ彫刻の時代、1909年からはキュビズムの時代である。
「ギター」1913年 ギター、新聞、水差し、トランプのエースの静物画 
Guitar.jpg
1917年からは新古典主義の時代。イタリアを訪れ、古典美術の素晴らしさに寝覚める。

ピカソは付き合う女性によって画風が変わっていくことでも有名。
キュビズムの時代の彼女の肖像画は、キュビズムで描かれていた。
1918年ロシアバレエ団の団員で、貴族でお金持ちの美人オルガと結婚。
オルガが「私を描くなら、私とわかるように描くこと」と言ったので写実に近い。
「ひじ掛け椅子にすわるオルガの肖像」1918年
Portrait de Orga.jpg

2人の間には、ポールという子供が生まれた。
「アルルカンに扮したポール」1924年
椅子の脚やポールの足がデッサンのままだが完成品。
PIcassoSonFisPuuro.jpg
上流階級のオルガと結婚の後、華やかな生活をしたが、次第に飽き、10年後、
46歳の時、17歳のマリーテレーズを愛人にした。
「マリー・テレーズの肖像」1937年
Portrait de La_MarieTerese.jpg

同時進行で写真家ドラ・マールも愛人だった。
「泣く女」シリーズは、ドラ・マールがモデル。


1925年からピカソの画風はシュルレアリスムの時代で、人体をデフォルメする。
「海辺の人体」1931年
Figures au bord de la mer.jpg

1943年には、22歳の画学生フランソワーズ・ジローを愛人とし、
2人子供が生まれる。
「おもちゃのトラックで遊ぶ子供」背景もかわいらしい。
Picasso_SonFis.jpg

「ボールで遊ぶクロードとパロマ」
パロマ・ピカソは、のちにティファニーのデザイナーとして名を成した。
Claud et Paroma jouait au ballon.jpg


フランソワーズ・ジローは、南仏アンティーヴで、ピカソが陶芸制作をしている間、
自分の個展に向けて絵画制作を続けた。
「プロヴァンス風キッチン」 ピカソ似だが細く整然とした線がジローらしさか、と思う。
FranssoiseGiroud.jpg


ピカソは絵画の他に陶芸だけでなく、紙での仕事(ペーパーワーク)、彫刻も手掛けた。
「高い、高い!」と子供を持ち上げ、遊ばせる母親。実物大の紙作品。

Papier.jpg


フランソワーズ・ジローが2人の子供を連れて出て行った後、ピカソを支えたのは、
若いジャクリーヌ・ロックだった。籍が入ったままだったオルガが亡くなり、結婚
できるようになったピカソは80才でジャクリーヌと結婚。91才で亡くなるまで一緒に
暮らした。
「腕を組むジャクリーヌ」1953年 (右上)
Picasso_Jaquline.jpg


↑ は牧神パン。
ドビュッシーの「牧神たちの午後への前奏曲」に1912年ロシアバレエ団のニジンスキーが
振り付けをして公演した。これにピカソがかかわったかはわからないが、
「牧神パンの笛」1923年 は名作である。新古典主義で描かれ背景はアンティーブの海。

Flute de Pans.jpg


1923年、ロシアバレエ団の公演「パラード」は、サティの曲、ジャン・コクトー台本、
衣装・舞台装置ピカソで行われ、のちに妻となるダンサーのオルガとピカソは出会った。

制作をするピカソのようす、画風のちがうものが2つ並べられていて面白い。
左:「手にパレットを持つアーティスト」  右:「キャンバスの前のアーティスト」
Picasso_SaFemme.jpg

ピカソは、彫刻作品もいろいろと制作している。
ニューヨークの近代美術館では、「ピカソの彫刻展」という彫刻に限定した展覧会が
開催されたことがある。
「羊を抱く男」1943年

Statue.jpg


今回、「ピカソ美術館に行きたいわ」と言い出したのは、E子だった。
「昨年、フランソワーズ・ジローが101才で亡くなったのよ。私たち、昔、
『ピカソとの日々』っていう本、読んだじゃない。で、懐かしくなって、本、
買ったのよ。あるわよ、そこに」 と言われてもフランス語じゃ簡単に読めない。


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ポンピドゥーセンターのドイツ表現派から1920年代まで [☆彡Paris 美術館]

 ポンピドゥーセンターの常設展示は5階から順に下へ降りながら見るようになっている。
今回のまず最初の展示は、レジェの大きく明るい絵だった。
1_フェルナン・レジェ「2羽のオウムとのコンポジション」
オウムが2羽、いるのが見えますか?
ここでレジェが描いてる人物は、腕がキュビズムの円錐形を脱し丸みをおび、
お人形のように太くて可愛い。右側に見える高いビルは都市文明の象徴か。
明るいキュビズムになっている。
1_Leger_2羽のオウムとのコンポジション.jpg

2 アルベール・マルケ「Nu au divan長椅子の裸婦」1914
マルケは仲良しだったマティスと共に、最初のフォーヴィスム展に出品したが、
穏やかな色調を好んだためフォーヴから離れる。たくさん描いた風景画は静かで美しい。
人物画には力強さがみられる。

2マルケ_Nu au divan長椅子の裸婦1914.jpg

 余談:アルベール・マルケと「青騎士」メンバーのアアウグスト・マッケに
フランツ・マルク。ほぼ同年代。名前が似てて間違えることが多い。
マルケはフランス人で、「青騎士」のマッケとマルクはドイツ人。


3,ヤウレンスキー_「Byzantineria」 1913
Alexej von Jawlensky(1865~19 41)ロシア出身、「青騎士」メンバー。
かなり強烈な人物画。ビザンティンだからモザイクふう、それともイスラムの女性?
3Jawlensky_Byzantineria1913.jpg



4,マティス 「白とバラ色の頭部」 1914年
モデルは長女。キュビズム。「金魚鉢のある室内」と同じくアトリエと窓、室外
を融合させようと試みていた。
4Matisse_.jpg


5,アルベルト・マグネリ AlbertoMagnelli_「Exprosion Lylique」1918
マグネリはイタリア・フィレンツェ出身。正式な美術教育を受けていないが、
画家となるためパリにやってきて、ピカソ、レジェに出会う。
絵のタイトルは、叙情的な爆発。大きな絵。
5AlbertoMagnelli_Exprosion Lylique1918.jpg


6,アルベール・グレーズ(1881~1953)
セザンヌに影響を受け、景色にキュビズムを取り入れた作品。題名忘れ。
"The Tree" (French: L'Arbre) 1910 (Inaimyに教えて頂きました)
西洋美術館にグレーズの「収穫物の脱穀」という3mの大きな絵があるのだが、
キュビズムで何が描いてあるのかわからない。よく見ると中央に収穫をしている
農夫の姿が見えるような。。
6AlbertGrase_.jpg


7,クプカKupca
クプカはチェコの出身。
きれいな色の大きな絵なので目に留まる。タイトルわからず。
"Lignes animées" 1920/1933 (Inaimyに教えて頂きました)
以前の記事でも、クプカを取り上げている。
7Kupuca.jpg


8,RobertaGonzalez 無題
ロベルタ・ゴンザレスはフランス系スペイン人。
父は彫刻家フリオ・ゴンザレス。ピカソのカタロニア芸術に影響を受けた。
4月から来年5月10日までポンピドゥーセンターで「ロベルタ・ゴンザレス回顧展」
を開催中。前記事「アートとモードの対話展」で、イッセイ・ミヤケの服と
並んで展示された絵の作者アンス・アルトゥングと結婚していた。いろいろな
タイプの絵があるので、回顧展は行ってみたい。
8RobertaGonzalez無題.jpg


9.マルセル・ブロイヤー「食堂用の机と椅子」1926
ポンピドゥーは、絵だけでなく、家具も展示している。
マルセル・ブロイヤーは、ハンガリー生まれ。バウハウスで学び指導もした家具デザイナー。
モダニズムの旗手。パイプを使った椅子が大ヒット。アメリカへ帰った後、設計士として
公共建築に携わった。パイプの椅子はバウハウスで同僚のカンディンスキーが褒めたので、
この部屋にカンディンスキーの絵と一緒に展示されているのだろう。

Kandinsky.jpg



10 YvesTanguy_「Le Phare」(灯台)
イヴ・タンギー(1900~1955)はシュルレアリスムの画家。
20歳の時、軍隊で詩人で脚本家のジャック・プレヴェールと知り合い
映画製作に携わる。キリコの絵に刺激を受け独学で絵を学ぶ。
これは、幼い頃の寓話で、灯台へ枕木の道を歩いて登ろうとしている絵。
枕木にはピカビアの影響で実際のマッチ棒を用い、遠くに見える紙の船は、
ルネ・クレールの短編映画「幕間」からの引用である。自分は皮を
はがれた人として血管が見える姿。

11YvesTangy_Phare車のヘッドライト.jpg


11.Georges Blaque_Le duet 1937
ピカソと共にキュビスムの作家として知られているブラック(1882~1963)の
後期の作品。幾何学的な絵画から色彩豊かなスタイルへ転換した時代。
向き合って座る2人の女性。大きなモチーフの明るい壁紙の前にいる女性は歌い手。
手にドビュッシーの楽譜を持つ。暗い影の中にいる女性はピアノと一緒にいる。
閉ざされた空間の中だが、色のコントラストと明暗による影の対比で温かい雰囲気を
醸し出している。ブラックは音楽好きだった。

12Blaque_Le duet Piano.jpg


12.Picasso_NatureMort au tete antique「古代ギリシア彫刻の頭部がある静物画」1925
ピカソ(1881~1973)は、長い生涯、何度も画風を変えたが、キュビズムの提唱者
として知られている。
この絵は、第一次大戦中に訪れたイタリアで古典彫刻に惹かれたのち、シュルレアリスム
グループに加わった頃のもの。静物画という昔からあるジャンルに石膏像の顔を持ち込むのは
衝撃的だったはず。暗い茶色と黒に対する白のコントラスト。ギターと楽譜、石膏像の頭部
が対称の位置に置かれている。正面にはギリシア風の花瓶。花瓶に石膏像の顔立ちが線で
描かれる。2次元のような3次元のような。。不思議な絵。
12Picasso_NatureMort au tete antique1925.jpg


13.GastonChaissac_Personage1962
ガストン・チェイサック(1910~1964)フランス・Avallonの靴屋の息子。
独学。画風はアール・ブリュットまたはアウトサイダー。デビュッフェに
大いに褒められた。

13GastonChaissac_Personage.jpg


最後に、
次の記事は、今、注目の斬新なデザイナー「イリス・ヴァン・ヘルペン」のファッションショー。
「アートとモードの対話展」でも、作品は出ていました。水着くらい布地部分が
少ない服です。一緒に展示されたのは、シャガール「エッフェル塔の花嫁、花婿」

p9_Iris van Notten Chagalle.jpg


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アルベール・カーン美術館の日本庭園 [☆彡Paris 美術館]

アルベール・カーン美術館は、パリの西の端にあるブーローニュの森の一角
にあり、奇抜な形の建物は隈研吾の設計。
kumaKengo.jpg

玄関横は、京都の石庭風で、建物は正倉院の校倉造りを意識している。
ArbertKahn.jpg


アルベール・カーンは、フランス・アルザス地方出身のユダヤ人銀行家で
実業家。1860年、明治時代より少し前の生まれ。アフリカのダイヤや金への
投資で財を成した後、若い人たちに世界を旅し、異文化を体験してほしいと
奨学金を出し、各国の写真や映像を集めた。その夥しい数の写真作品が、
美術館に展示されている。
カーンは、日本を気に入り、二度訪日し、伝統的な日本庭園を造った。
庭園だけでなく、明治時代の家もある。写真の右奥が入口。
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これは、表千家の16代家元千宗室から寄贈された茶室。京都から運ばれた。

AlbertKahn_Chasitu.jpg

お茶花によく使われる白い椿もあった。赤い椿もあったが、バラの花と
間違えるほど、花が大きかった。気候のせいなのだろう。

AlbertKahn_CamelBlanc.jpg

日本庭園の中心は池。

AlbertKahn7.jpg

池には、赤い太鼓橋がかかり、柳と桜が配置されている。

あlべrtKahn3.jpg


桜は既に散ってるものが多かったが、満開の桜もあった。

AlbertKahn_Sakura.jpg

池なのだが、堀を意識したかのように石垣が組まれている。
石を積んだ三角形の山は富士山?

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斜面に植えられたツツジは、もうすぐ咲いて、赤いじゅうたんの丘になる
のだろう。この庭の手入れのためにフランス人の造園家が日本で学んだ
とのこと。

AlbertKahn_Tsutsuji.jpg


日本庭園の他に、バラ園がみごとなフランス庭園、カーンの故郷アルザスの農家、
イギリス庭園などがあり、散歩には1時間以上かかるが、自然の中を歩くのは、
とても気持ちが良かった。


建物内の美術館部分の写真展示には、日本の明治時代のものや、フランスの植民地
のアフリカ各国のものなどが、カラーに変換され、20㎝平方くらいの大きさで、
横に20枚、縦に14枚、マス目状、格子のように壁面を飾っていた。
見始めると、興味は尽きず面白かった。
「世界平和、異文化共存」を願って作った美術館、アルベール・カーンの願いは、
ここに生きているということを強く感じた。



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ジャン=ジャック・エンネル美術館 [☆彡Paris 美術館]

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11時頃、ポンピドゥー・センターへ行ったら、帰る人が何人も。
「本日、社会的状況により休みます」という貼り紙。
E宅に帰宅後、きいたら、「社会的状況は、たぶんストライキよ。年金改革
への抗議のストライキが多いから」
数日前、日本のニュースでエッフェル塔がストで臨時休業と言ってました
ポンピドゥーは広くて見るのに時間がかかるから、きょうは一日、ここで
過ごそうと決めて出て来たのに、困ったなぁ。
寒い日だったので、カフェに入り、コーヒーを飲みながら、ここから近くて
ミュジアム・パスが使える美術館を探した。
「ジャン=ジャック・エンネル美術館」、エンネルの絵はアカデミック、古典的。
暗い背景に浮かびあがる美しく高貴な雰囲気の裸の女性。しかも邸宅美術館。
ここに行こう!


場所は17区。メトロの「マレゼルブ」駅で降りた。
知らない場所に行くには、スマホのGoogleMap が便利。
通りに面してるが、目印になるものがない、と思いながら歩いていたら、
フランスの旗が見えたので、国立美術館だから国旗とわかった。

Hennel_EnFace.jpg


平日の12時半だったので、お客さんが誰もいない。し~んと静まりかえった中、
スマホで写真を撮るとシャッター音がするので、躊躇する。

こちらを見つめる美しい赤いドレスの女性の絵。背景、髪の色、ドレスが
赤茶色系で統一され、輪郭線がくっきり。自信にみちた表情、白い肌。
肩から腕の肉付きの良さ。近づいて見たら手にしたお盆の上に首、ということはサロメ!

右は「読書をする女」暗い背景に浮かぶ白い裸体が美しい。

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Idylle(田園風景)1872年

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「泣くニンフ」1884年

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この建物は2階、3階の吹き抜けになっている。ランプのデザインが世紀末。

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低い舞台の上にピアノが置かれているサロン。修復された今、コンサート
や集会にに使われているそうだ。
ここに、1800年末、芸術家たちが集まった。
この家は、エンネルの家でなく、有名な室内装飾家ギヨーム・デビュッフェの
住居なので、当時、最新流行だったのだろう。調度品もよく合っている。
エンネルは、この近所に住みサロンの常連だった。
この邸宅をエンネルの死後、姪が買い取り、作品を収蔵、のちにパリ市が買い取り
美術館になった。

Hennel_Chambre2.jpg


サロンを隔てて、グリーングレイだった壁の色と一転して、赤い壁の展示室。
ここは、イタリア時代の絵の展示。
エンネルは、1829年にアルザスの裕福な農家生まれ。幼い頃から絵が際立って上手だった。
パリに留学。ローマ賞を得て、ローマのメディチ荘にあったフランス・アカデミー
に派遣され、ティツィアーノ、コレッジョらのルネサンスの巨匠の絵に学ぶ。
だから、この部屋には模写作品がたくさんあった。その中で、少し毛色の異なる
作品、横1mのエンネル自身の大作。「ローマ メディチ家の庭園にて」1860年
テラスの奥に見えるドゥ オーモのシルエットから日没の時間帯なようで、
修道士や、 貴婦たちに光さす影がない。

Hennel4.jpg


ローマから帰国後、神話題材の女性の絵や肖像画で、世紀末のパリで大人気と
なった。絵の研究は続き、「田園風景」に見られた輪郭線がなくなり、スフマート
技法で背景と溶け合うようになったのが「泣くニンフ」「読書する女性」1884年
である。


1871年、普仏戦争、フランスは3か月でドイツに敗れ、エンネルの故郷アルザスは、
ドイツに併合された。エンネルは、黒い喪服姿で赤白青のフランス国旗色の髪飾りを
つけた女性の絵を描き、右上に「彼女は待つ」と書き添えた。(写真が小さくて
見えないですね) 絵でアルザスのフランス復帰を待つと表現したのである。
代表作ともいわれている。
Henner_Alsas.jpg


19世紀後半から世紀末にパリの画壇で活躍したアルザス生まれの
ジャン=ジャック・エンネル、その魅力に改めて気づかされた美術館だった。
ついつい絵に没頭してしまったが、次回、訪れたら、デビュッフェ好みの
調度品をじっくり眺めたい。

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ギュスターブ・モロー美術館 [☆彡Paris 美術館]

ギュスターブ・モロー美術館は、有名なデパート「ギャラリー・ラファイエット」
から歩いて15分くらいで、モローの邸宅をそのまま美術館にしているので人気がある。

何年か前にパリに一緒に行った友達は、モロー美術館特集が載っているJALの機内誌を
「ここ、また行きたいわね」と手紙を添えて、送ってくれた。
今回は、行った(次の記事予定)美術館があっけなく終わったので、ここに来てみた。

モローの邸宅だったので、住宅街にある。
古き良き時代のパリという感じの石畳の緩い坂道を上るとモローの看板。
玄関を入ると、すぐに階段が見える。この螺旋階段はモローの設計だそう。
階段の周りにも絵がびっちり架けられている。
Morot_Escalier.jpg
階段を上がり、2階のモローの居室だった部分をさらっと見た後、
さらに階段を上がると、3階、4階は吹き抜けになっている大展示室。

Morot_Chambre.jpg
モローの絵は大きいものが多い。中でも、中央にある正方形の絵「求婚者たち」
が最大。この写真では絵のようすがわからないと思うが、トロイ戦争の英雄
オデュッセウスが戦いから帰ったところ妻に求婚する男108人が屋敷に上がり
込んでいたので、怒り狂い矢を放っている場面。中央、戦いの女神アテナは、
白い光に囲まれている。屋敷は、パルテノンふうで豪華。ストーリーを知って
いて見ると、神話の絵は面白い。

オデュッセウスが故郷に帰る旅は何年もかかった。途中、海では、美しい歌声で
航海中の人々を誘惑し、海に引きづりこむセイレーンの誘惑にも負けなかった。
「セイレーン」
Morot_Seirene.jpg


モローは裕福な家庭に生まれ、幼少のころから神話の世界に親しんでいた。
画家として、早くから認められ、23才の時には、フランス政府から注文を
受けるほどで、後年には官立美術学校の教授も勤めた。生活のために絵を
売る必要がなかったので、手許にあるたくさんの絵を見せるため、家を
美術館にするようにと遺言をし、ルオーが初代館長となった。
だから、この美術館は、所蔵品が多く、所狭しと絵が架けられている。

左:「レダ」 レダに言い寄る白鳥に化けたゼウス
右:「プロメテウス」ギリシャ神話 プロメテウスは、人間に「火」を与えたため
ゼウスの怒りを買い、山の岩に繋がれ、ハゲタカに身体を啄ばまれる罰を与えられた。
Morot_Leda2.jpgMorot_Promete2.jpg


左:「出現」ユダヤのヘロデ王の義理の娘サロメ、祝宴で客の前で踊った褒美に
ヘロデ王の再婚をとがめ牢に入れられている預言者ヨハネの首を所望。首が
出現したところ。それまでの画家は首が皿に載って運ばれてくる形で描いていたが、
突然、首だけが出現するところが、象徴主義のモロー。モローの代表作の一つで、
サロンに出品され好評だった絵。背景の壮麗な宮殿も丁寧に描かれている。
オルセー美術館の同名の作品は、背景が小さめでサロメが大きい。
右:「踊るサロメ」入れ墨姿で踊るサロメ。横に立つのは従者で中央後ろにヘロデ王が
見える。
Morot_Appearance2.jpgMorot_SalomeDancent.jpg


「一角獣」明るい色彩なので、描かれているものが明快にわかる。

Morot_Unicon.jpg


十字架のキリスト
Morot_Christ.jpg


額に絵の名前がついているものが大作で、そうでないものは、番号だけが置かれ、
作品名がまとめて別の所に表示されていた。
こんな風景画を描いていたこともあったのね、と眺めた。詩情がある風景画が
神話画に繋がっていくのだろう。
MorotXX.jpg


デッサンもあり、展示されている作品数が非常に多いので、モロー好きの人は、
たまらなく楽しいと思う。
モローに興味がなくても、邸宅、モローの居室、調度品が面白いかと思う。

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