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松方コレクション展 [展覧会(洋画)]

6月11日からと会期が長かった「松方コレクション展」だが、もう明日で終了。
8月に行った時、同時に見れる「フィンランドの女性作家たち」展を見損ねたので、
先週、行ってみたら、チケット売り場が長い列。明日も並ぶかもしれませんね。

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これが、チラシにも使われているモネの「睡蓮」。普段、常設会場で見れる作品。
別バージョンのチラシに使われているのは、ゴッホの「アルルの寝室」(オルセー美術館蔵)
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松方幸次郎(1866~1950)は、総理大臣を務めた松方正義の息子で、エール大学で
法学修士号を修め帰国した。帰国後、父の親友の川崎氏に見込まれ、川崎造船所の
社長に就任した。第一次世界大戦の船舶の需要で会社は業績を急速に拡大し、松方は
ロンドンへ貨物船の売り込みに行き、ロンドンの画廊で絵画を購入し、イギリス人の
画家ブラングィンと知り合い、コレクションが始まった。ロンドンやパリで積極的に
美術品を買った松方の願いは、日本人のために美術館を作ることだった。

 ルノワール_アルジェリア.jpg
ルノワール「アルジェリア風のパリの女たち」(西洋美)

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ゴーガン「扇のある静物」(オルセー美術館)

松方の美術館構想をブラングィンが設計図にしていた。(西洋美)
回廊形式で真ん中に噴水があるもので、土地を麻布に買ってあったそうだ。
ヨーロッパに度々行っていた松方は、近代化が遅れている日本人に、西洋の暮らしを
絵を通して見せようとした。
美術館構想図.jpg

初期の頃、ロンドンで、松方が購入したのは、当時、人気があったラファエル前派の
エヴァリット・ミレー「あひるの子」(西洋美)
ミレー.jpg

松方は、造船業に携わり、海の絵を得意とするブラングィンと親しかったことから、
海の絵を多く買った。
興味深かったのは、ウジェーヌ゠ルイ・ジロー「裕仁殿下のル・アーヴル港到着」
1921年、昭和天皇が皇太子の時代。大型蒸気
船から海岸へ綱に貼られたいくつもの
小旗が渡され、大勢の人が海岸で出迎えている絵。
(1921年、のちの昭和天皇が皇太子時代、6か月間、ヨーロッパを訪問した。
日本の皇族のヨーロッパ訪問は初めてで、当時、大ニュースだった)

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ピサロ「ルーアンの波止場」

マネ嵐の海ベルン美.jpg
マネ「嵐の海」(ベルン美術館)


しかし、金融恐慌のあおりで、造船所は経営破綻となり、日本に到着したコレクションは
売られ*、ロンドンに残された一部は火災で焼失、パリにあったものはフランス政府に没収された。
*一部は現在、大原美術館、ブリヂストン美術館が所蔵)

manet_自画像.jpg
マネ「自画像」(ブリヂストン美術館)
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ドガ「マネとマネ夫人像」(北九州市立美術館)
マネが描かれた夫人の顔を気に入らないと、キャンバスを切断した作品。
ハンセンコレクションから購入、日本に送ったが売られた)

戦後、サンフランシスコ講和条約で、フランスにあるコレクションの返還が、
美術館を作るという条件付きで決まったが、フランス政府は、「アルルの寝室」
「扇のある静物」は重要美術品ということで返還に応じなかった。今回、
その2点が展示されている。

マティス長椅子に座る女バーゼル美.jpg 
マティス「長椅子に座る女」(バーゼル美術館)
これは、第二次世界大戦中、コレクションの管理費捻出のために、松方の許可を得て
管理を任されていた日置氏が売却したもの。フォービズムになる前のマティス作品。

ロダン美術館の開館にあたっては、多額の寄付をし、鋳造権を得た。
美術館の庭、地下ホールに、さまざまなロダンの彫刻があるのは、そのためである。


私が好きだった絵は、
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セガンティーニ「花野に眠る少女」
いつも常設で見ている「羊の毛刈り」もいいけれど、これは清々しくていい。
美しい緑、風がさらっと吹き、気持ちよさそう。

ムンク雪の中の労働者.jpg
ムンク「雪の中の労働者」
早くもムンクに目をつけていた松方氏の先見性に感心した作品。

 画像がないが、
ドービニーの「ヴィレールヴィルの海岸 日没」は、太陽が印象に残る横長の絵。
(三井住友銀行)

展覧会の最後は
2016年にパリで発見されたモネの「睡蓮、柳の反映」
破損が激しく、何の絵かわからないほどだが、全体の大きさはオランジュリー
美術館にある連作「睡蓮 柳」と同じ。
ディジタル復元した大きな映像が写しだされていた。


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ウィーン・モダン(クリムト、シーレ世紀末への道) [展覧会(洋画)]

立新美術館で「ウィーン・モダン(クリムト、シーレ世紀末への道)」を見てから
かなりの時間が経ち、忘れていることだらけ。だからこそ、書いておかなくては、と、
*ミニ図録*を見ながら思い出し中。
 (今回、通常の図録の他に、ミニ図録13.5×15×2㎝、1000円が販売されていた。かさばらず便利)

wienModernちらし.jpg

クリムトとシーレの展覧会かと思って行くと、違う。
ウィーン・モダンのタイトル通り、1740年代から世紀末1900年代までの
ウィーン美術の変遷をたどる展覧会である。

最初の展示は、大きなマリア・テレジアの肖像画、上に息子の幼いヨーゼフ2世の像が
ついている。ここから始まる時代である、という暗示。
wien_MariaTeresia.jpg
ヨーゼフ2世の時代は、啓蒙主義を取り入れた近代化の時代だった。
農奴制を廃止、病院を建設、王室の庭園だったプラター広場を市民に開放した。
そして、カソリック以外の宗教を容認したので、フリーメイソンは全盛期を迎えた。
「ウィーンのフリーメイソンのロッジ」という絵の右端には、モーツァルトと
「魔笛」の台本を書いたシカネーダーが描きこまれていた。

 

その後、ナポレオン戦争が起き、終結後の1814年が有名な「ウィーン会議」である。
「ウィーン会議の各国出席者たち」という会議室に全員集合の絵もあった。
ブルジョワたちの邸宅では、くつろぎの空間が誕生し、椅子も今までの権威的なもの
から、家具として軽い動かせるものになった。

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銀器も装飾を排し、素材の本質を追求するシンプルな形になった。
左はベッヒェのティーセット。エンボス加工された銀。右はホフマンデザインのバスケット
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当時人気の音楽家シューベルトの肖像画があり、
「ウィーンの邸宅で開かれたシューベルトの夜会」という絵もあった。
美しく着飾った大勢の人たちがシャンデリアの輝く部屋で、ピアノの前にすわる
シューベルトを囲む絵。


ブルジョワたちには、都会や田舎の風景画が好まれた。
田舎の風景では、ヴァルトミュラーの作品が多かったが、「バラの季節」
が光あふれる絵で、山間の畑ののどかさ、楽しそうな若い2人、いいなと思った。
wien_バラの季節ヴァルトミュラー.jpg


都会、ウィーンのシュテファン教会、リング通り、国会議事堂などを描いたのは、
ルドルフ・フォン・アルトだった。



フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリザベートの時代となり、2人の肖像画があった。
当時の人気画家ハンス・マカルトは、皇帝夫妻の銀婚式を祝うパレードの演出を
任されたので、横3mの大きなデッサン画が2枚展示されていた。ネオ・バロックの
画風だが、見ていると、ウィーンの栄華が伝わってくる。

マカルト作の肖像画も何枚もあった。
「メッサリナの役に扮する女優シャルロット・ヴォルター」
wien女優シャルロッテbyMacart.jpg

社交場だった「マカルトのアトリエ」を描いた他の画家の絵もあった。


クリムトは「旧ブルグ劇場の観客席」という絵に100人以上の人間を写真かと思える
ほど細かい線でていねいに描きこみ、皇帝から高く評価され、「皇帝賞」をもらった。
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ウィーンでは万博が開かれ、日本は庭園を造営した。万博の記念品(グッズ)や
会場の絵柄の傘のお土産品が展示されていた。
ヨハン・シュトラウスの胸像があり、ワルツを踊る「宮廷舞踏会」の絵があった。


絵や工芸品を見ながら、ウィーンの歴史をたどっていく展覧会。

時はすすみ世紀末へ。
オットー・ヴァーグナーがウィーンの都市デザイン・プロジェクトを
いくつも提案し、絵画の分野では、クリムトに率いられた若い画家たちが
「ウィーン分離派」を結成した。
オットー・ヴァーグナーの「カール・エルガー市長の椅子」
市長の60才の誕生日を記念して,
オットー・ヴァーグナーがデザインした。
ローズウッドに真珠母貝を加工したものをリベットのように象嵌細工。
実際、キラキラ輝いていた。座り心地は?

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ヴァーグナーの建築模型がたくさんあり、これが絢爛豪華で金ピカ、美しいのだが、
実現には至らなかったものが多い。当時の新素材、アルミや鉄、ガラスを使った
機能的な「郵便貯金局メインホール」は写真展示だが、この建物は実現し、今も
使われている。


ここで、ようやくクリムト作品が登場。
初期の作品「寓話」などは古典的な画風だが、1895年の「愛」から作風が変わる。
日本美術の影響といわれているが、画面両端に金箔を施し、表装のようにしている。
主題の「愛」のカップルは朦朧とした中にいる。

「パラスアテナ」1898年
wien_ParaseAthena.jpg
この絵を始めてみた人は、ドキッとするだろう。次にこの人は誰?
「パラスアテナ」はラテン語で、アテナ神。黄金の兜、手に金の棒を持ち、

金のうろこ模様の胸当て。胸当ての上には、人の顔?(ゴルゴン)がつき、
すざましい目力でこちらをみつめている。恐ろしさを覚えるのだが、このアテナ神は
男を惑わすファム・ファタルだそう。



クリムトのデッサンもたくさん展示されていた。
ウィーン分離派の画家たちというコーナーでは、目黒美術館で見たカール・モルや
コロマン・モーザーの絵があった。

次は、ポスターのコーナーで、お馴染みのクリムトのウィーン分離派のポスターもあった。
ココシュカの「夢見る少年たち」という自作の詩入りの木版画のリトグラフ8枚連作は、
以前、三越のウィーン展で見たと思う。
ベルトルト・レフラー「キャバレー・フレーダーマウスのちらし」

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工芸品もあり、ヨーゼフ・ホフマンのブローチが3点あった。
ブローチの縁の象嵌は、オットー・ヴァーグナーの椅子にも通じるものがある。

wienホフマンブローチ.jpg


次の部屋では、遠くからもはっきりわかる大きな絵にひきつけられる。
分離派のクルツヴァイル「黄色いドレスの女性」

wien黄色いドレスの女性.jpg


クリムトは28才年下のシーレの才能を高く評価していたが、シーレは若くして亡くなった。
シーレの絵は、クリムトとは違う画風。
自画像。 細い指先と視線に独特のものがある。
wien_シーレ自画像 (1).jpg

シーレの支援者で美術批評家レスラーの肖像画もあったが、やはり細い指先と視線が
めだっていた。その妻を描いた「イーダ・レスラーの肖像」は美しいが、冷たい視線が気になった。
wienシーレ_イーダの肖像.jpg

ゴッホに刺激されて描いた細長い絵「ひまわり」もあった。

最後近くの部屋には、クリムトが描いた恋人エミーリエ・フレーゲの等身大ほどの
御細長い絵があり、撮影可能だった。ドレスはクリムトのデザイン。
Wien_EmilyFrage.jpg

会場を出た国立新美術館のロビーには、クリムトが蓋に絵を描いたピアノがあり、
それを使ったコンサートが丁度、終わったところだった。
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ベーゼンドルファー社製で、細部にまでクリムトの趣向が見られる。
黒を背景に輝く抑えた金色、ここでもクリムトが時代の寵児だったことがわかる。

wienPiano_ClimtSignature.jpg

追記:
私は最終日近くに行ったので、記事を書かなかったけれど、都美術館でのクリムト展、
とてもよかったです。mozさんがくわしく記事をかいていらっしゃいます。

ここと合わせてお読みになると、私がさらっとしか書いていないクリムトへの理解が
深まりますよ。

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印象派への旅 海運王の夢 [展覧会(洋画)]

東京・渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムで「印象派への旅 海運王の夢」 バレル・コレクションを見た。
この展覧会は、福岡県立美術館からスタートしたので、それを見た友達Kuが、
マネのバラ、へブローの
ピンクのバラが良かった」とちらしと共に手紙を送ってきた。

「行ったら、感想、ブログに書くから」と返事したけど、遅くなって。。

tirashi.jpg
産業革命の時代、スコットランドのグラスゴーで海運業で成功したバレルBurrell(1861〜1958)
がコレクションをグラスゴー市に寄贈。
英国以外にコレクションを貸し出さないという条件つき
だったのだが、今回、改修工事のため、特別に日本にやってきた。

海運王オナシスは、マリア・カラスと別れた後、ケネディの未亡人オナシスと結婚し
話題になったが、海運で成功すると巨大な富を得るらしい。Burrell氏のコレクションは
西洋美術全般にわたる錚々たるものだが、今回は、印象派のみがやってきた。

有名な画家の良いものが一点づつ勢ぞろい。さらに仕事柄、海に関連する絵が多い。


0、ドガの「リハーサル」1874年頃  上のチラシに使われている絵。
リハーサル中の踊り子たち、衣装をつけて立ったままの踊り子の衣装を針を持ち繕う女性、
繕いの順番待ちの踊り子、指導の先生と、それぞれが異なる動き。練習場の風景の臨場感。
色彩も豊か。


1、ルノワール「画家の庭」1903年頃
まさにルノワール色

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2、セザンヌ 「倒れた果物籠」1877年
果物の絵は多いが、籠が倒れているのは、初めて見る。

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3、マネ「シャンパングラスの花」1882年
小さな作品なのだが、色彩がきれいで品がある。

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福岡展のチラシには写真があったのに、東京展のにはなかったのが、サミュレル・ジョン・ペプロー
の「バラ」。中国風の花瓶に入った何輪ものピンクのバラ、暗い背景で浮かび上がって見え美しい。
よく見ると、花瓶は後方にもうひとつあって、そこに入ってるバラもせりだし、全体で一塊のバラ
に見え豪華。ペプローはグラスゴー出身。
へブロー「薔薇」.jpg


同じくグラスゴーのジョゼフ・クロホールの「二輪馬車」は水彩画に見えない水彩画。
着飾った女性を乗せて止まった馬車を真横から描いていた。
当時のグラスゴーの街は、
このような雰囲気だったのだろうか。


ヤーコブ・マリス 「ペットの羊」1871年
かわいいの一言!
ヤーコブ・マリスは、オランダのハーグで活動したハーグ派の人。

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撮影可 ウィリアム・マクタガート 「海からの便り」1887年
浅瀬で子供たちが何かを採っている。この写真では小さくてわからないが、瓶と籠を
持った少女が、海の底をつついてる少年に話しかけている。何かとれたらしい。
マクタガートは、子供のいる海の絵をたくさん描いている。

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マクタガートの「満潮」=誰もいない浜辺に押し寄せる波の絵もあった。



4、ブーダン「トゥルーヴィルの海岸の皇后ウジェニー」1863年
これはチラシの裏表紙に使われていた絵。
19世紀半ばには、パリから近いトゥルーヴィルは、保養地として人気があった。
当時流行の裾が広がったドレスの女性たちの中心にいる白いドレスの女性がナポレオン3世の
皇后ウジェニー
。後景、海に近い所で水遊びをしている人々は、服装から庶民とわかる。

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5.撮影可 ブーダン 「ドーヴィㇽ 波止場」1891年
小さい作品ながら、美しい。青空、白い綿雲、白い帆の船。
ノルマンディー地方の港町ドーヴィㇽは、保養地として貴族が訪れていた。
ブーダンは、ノルマンディー地方の港町ルアーブルで育ち、戸外での制作を若きモネに
教えた。

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6、撮影可 シダネル「月明かりの入江」1928年
街並み、バラの庭など、花の絵のイメージが強かったシダネルだが、海の絵も!
船だけが停泊する誰もいない静かな海。月明かりの色合いが象徴派的。

Burrell_Cidanel.jpg

シダネルの「雪」、窓から見た白一色の世界もよかった。

7、撮影可 クールベ「マドモアゼル・オーヴ・ドゥ・ラ・オルド」1865年
めずらしいクールベの人物画

眼力の強い女性。日傘をさし、青いストライプの服、空の雲が夏を思わせる。


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8、ゴッホ「画商アレクサンダー・リード」(写真なし)
画商アレクサンダー・リードは、バレル氏などスコットランドの美術愛好家に、
この時代のフランス絵画を紹介した人物。ゴッホの弟で画商のテオと親しかった。


3つの部屋に分かれていて、最後の部屋が撮影可です!

30日までと、あと3日しかありませんが、巨匠作品が多いので楽しいと思います。

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ギュスターヴ・モロー展 [展覧会(洋画)]

東京・汐留の「パナソニック汐留美術館」で開催中のギュスターヴ・モロー展に行った。
日曜日の3時過ぎだったので、そんなに混まないだろうと思ったら、「1時間待ちです」
と言われてびっくり。23日までなので仕方なく並んで見たが、きちんとテーマに沿った
展示でとても良かった。

Moreau_tirashi.jpg


テーマは、「サロメと宿命の女たち」
その女に恋をした人、された人は破滅の道へ導かれる、それが宿命の女である。
つまり、とてつもない魅力、魔力を持った女性で、神話で語られることが多い。


たとえばサロメ。
サロメの母は、今はユダヤの王ヘロデの妻だが、元はヘロデの兄の妻。
サロメを連れて再婚した。それは「律法で許されない」と預言するヨハネ。
だから、サロメの母は、ヨハネをうとましく思っている。
ヘロデが宴で、サロメに、「踊れば、何でも好きなものを褒美にやろう」と言い、
サロメは、踊りの後、「ヨハネの首を褒美にください」と答えた。

「出現」

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ヨハネの首がサロメの前に現れた「出現」したところ。
実は、ヨハネの首は、サロメにしか見えていない。なぜなら、この絵で他の人たちは何の
驚きの表情もなく描かれている。首はサロメの見た幻なのである。
しかし、サロメは臆することなくヨハネを見つめ、射殺さんばかりの勢い。

絵の半分から上は背景である。ここに描かれた細い黒線が建物を立体的に見せる効果を
与えている。これは実際に絵を見ないとわからない。


「サロメ」
祈るようなポーズで,つま先で立つサロメ。
「ヘロデ王の前で踊るサロメ」のための習作。と言っても衣装がきちんと描かれ、
習作とは思えない。
moeau_Salome.jpg



他にも、サロメを描いたものだけで30点ほど。小品やデッサンが多い。
デッサンの中で良かったのは、「踊るサロメ(刺青のサロメ)のための習作。
モローはサロメの衣装のために、古代エジプトの女性像やインドの女神像などを参考に
したということがわかるデッサン。


サロメの他には、「トロイアの城壁の前に立つヘレネ」
「オイディップスとスフィンクス」
「ヘラクレスとオンファレ」
「セイレーン」(海で美しい歌声で男を誘惑する人魚)
「レダ」
「パテシバ」

と続き、お馴染みの「エウロペの誘拐」
白い雄牛に変身したゼウスは、侍女たちと海辺で遊ぶエウロペに近づき、エウロペが雄牛
に腰をかけた途端、ダッシュで海を駆け抜けクレタ島に向かった。
りりしいゼウス、見つめるエウロペもまんざらでない様子。誘拐とか略奪という言葉
が使われるシーンだが、そんな様子はない。モローなりの解釈なのだろう。

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「クレオパトラ」
「サッフォー」
「エヴァ」アダムとイブのイブ=エヴァ。
木の上から、りんごを差し出すアダムは線のみで描かれ、主人公はイブであることを
示している。イブの足の筋肉が女性っぽくないのが気になった(笑)
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「一角獣」チラシにも使われている絵。女性の衣装が細かくみごと。
モローは、「クリュニー中世美術館」で一角獣のタピストリーを見て、刺激を受け、
この絵を制作した。純潔の乙女にしか、なつかないという幻の動物「一角獣」。
一角獣は可愛らしく描かれ、上品な楽園という雰囲気。

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始めに「自画像」があった。24才の時だそう。
モローにとっての「運命の女性」ということで、母を描いたデッサン、恋人を描いた
デッサンが、最初にあった。
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「女性」が主人公の絵ばかり、モローらしいタッチのきれいな絵が多く、見応えが
ある。

*明日23日までです。(混雑状況を調べてからいらした方がいいと思います)
パナソニック美術館は常設でルオーの作品を展示している。
ルオーは、モローの一番弟子で、モロー亡き後、住居が、モロー美術館となったが、
初代館長を務めたのは、ルオーだった。


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福沢一郎展 [展覧会(洋画)]

連休のある日、絵が好きな友達から「福沢一郎展、面白そうだから行きましょう」
と誘われた。興味があったけど、誘っても、誰も行かないだろうな、
と思っていたので、
渡りに船、早速、近代美術館に出かけた。
ちらし.jpg

福沢一郎(1898~1992)

群馬県富岡市に生まれる。東京帝国大学文学部に入学するが、学校にはあまり行かず、
朝倉文夫に彫刻を習う。1924-31年にフランスに滞在、彫刻を3年学んだ後、絵画に
転向。当時、フランスで流行していたシュールレアリスムを日本に紹介し、その後は、
社会批判を絵画で表現した。
晩年、文化勲章を受章。


●上のチラシの絵、「煽動者」1931年
パリ時代の制作。ヒットラーはすでにナチスを結成。この2年後に首相となるが、
軍国主義や粛清の暗い気配が夜の街を覆う。憲兵たちは慌ただしく街中を走り、
煽動者である中央の人物が、メッセージを拡声器で吐き出している。
実際にパリにいた福沢は、ヒットラーの下に団結しようとするドイツを批判的に
見ることができたのだろう。


Poisson de Avril.jpg
●「四月馬鹿」Poisson d'Avril  1930
エイプリル・フールのこと。フランスでは、「4月の魚」といい、魚の形をした
お菓子を食べたりするので、食卓の上や天井からさがった籠に魚が描かれている。
友達は常設でこれを見たから、福沢一郎を知っていると言っていた。
グラスでなく、食卓のキャンドルで乾杯しちゃうなんて、、、しかも、後ろの人は、
ワイングラスをどこまで傾けたらワインがこばれるか、ってやってみてる?グラスの
軌道が点線で表されている。
イラスト的なタッチだが、やはり画力がすばらしい。フランス的センスの絵。


展示は、ほぼ年代順。この後の帰国後は、作風が変わる。
福沢_牛.jpg
●「牛」1936年
明るいピンクの大地に驚く。牛は、雄牛で手前のは怖いほどの顔つきでこちらを威嚇。
奥にいる人間たちは、争っている。ここから向こうは争いの場だから来るなという意思表示
なのだろうか。
よく見ると、牛にはいくつか穴があいている。なぜ? 説明書きによると、
「これは満州国を表現。見かけと現実は違う。つまり日本から見たイメージと現地での
実際は違う。現地は穴だらけでぼろぼろ。牛は威嚇でなく、苦痛の表情なのだとわかる。
深いなぁ。。


●「女」1937年 (写真なし)
マザッチョの「楽園追放」をモデルにイブを描いたもの。
イブが悲嘆にくれたようすは、名画「楽園追放」の構図を思い出す。


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●「船舶兵基地出発」1945年
福沢も他の画家同様、戦争画を頼まれて、何枚か描いた。3枚ほど展示されていた。
当然、どれも暗い色彩の画面であるが、勇敢に戦っていますというものだった。
これも荒巻く波の中、船をこいで基地を出発する兵隊。1945年、終戦の年、無事、
帰れるのだろうか、と、胸が痛む。国民映画の宣伝用スティール写真をもとに描いた。


福沢_敗戦群像.jpg

●敗戦群島 1948年
敗戦だったが、戦争は終わったということで、空の色が明るい。
三角形構図を作る人々は疲弊し、死の一歩手前。

 

福沢_トイペ戦争.jpg

●トイレットペーパー地獄 1974年
[彼らはなぜトイレットペーパーを奪い合うのか]
というキャプションが大きくついていた。
1974年なので、私にはわかる。
1973年、オイルショックによるデマ騒動。「トイレットペーパーがなくなる」。
それは大変とみんなが買いだめをしたため、店頭からトイレットペーパーがなくなった。
デマに翻弄される人々を描いている。

戦後、福沢の描く人間は、裸の原始的なものになってきた。群衆を表すには、それがいい
と思ったのだろう。
福沢は、戦後、南米・メキシコへ1年以上、長旅をした。そこで、がらっと作風が変わる。
原色中心の色合いに変わり、ステンドグラスのような作風。
旅ののち「文明批評としてのプリミティヴィズム」という展覧会を開催した。
その時の作品が ↓ である。「埋葬」1957年
撮影可能作品。


福沢_メキシコ.jpg


福沢は知的なユーモアによって、社会の矛盾や人びとの愚かな行いを諷刺的に笑いとばした。
それが、チラシのメッセージ「このどうしようもない世界を笑いとばせ」なのだ、と
見終わってわかった。

作品は103点あり、ていねいな説明がついているので、見るのに2時間かかったが、見応えが
あり、とても良かった。

5月26日(日)まで。
同時開催の「杉浦非水」展では、図案家・非水による商業ポスターや絵はがき、原画などが
展示されています。昔の三越のポスターなど、今見ても斬新で、おしゃれな面がありました。
こちらもおすすめです。



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フィリップス・コレクション展 [展覧会(洋画)]

タイトルが「全員巨匠!フィリップス・コレクション展」
フィリップス・コレクションは、アメリカで最も優れた私立美術館である。
その通り、全部、すばらしかった!
これはチケット。ドガ「稽古する踊り子」とセザンヌ「自画像」とスーラ「石割人夫」の絵。

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A4判のチラシの表にある絵の紹介写真は以下の3つ。
ピカソ「緑の帽子を被った女」1939年(寄贈された作品)
ゴッホ 「道路工夫」1889年
モネ 「ヴェトゥイユへの道」1879年

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そして、チラシの裏には、
アングル「水浴の女(小)」1826年
ボナール「犬を抱く女」1922年
ジャコメッティ「モニュメンタルな頭部」1960年、、他。

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これだけで、ぜひ、行かなくては!と思う。
アングルの「水浴の女(小)」は、ルーヴルにある「ヴァルパンソンの浴女」1808年
背景に、「トルコ風呂」1862年のように女性たちが描きこまれ、シーツの上にはベッドカヴァー
らしきものがあり、元の絵「ヴァルパンソンの浴女」のすっきりした白が失われているが、
濃い色の背景で裸婦自体が浮かび上がる。

先々月に見た「ボナール展」は、とても良かったが、こういうタイプのはなかった。
縦長の画面、背景の薄いブルーに、妻の髪、犬、テーブルのケーキという茶色の縦の線。
妻の服の赤に白のストライプも目に染みる。モダンな感じがする。ボナールの絵では、
しばしば猫が脇役として描かれているが、犬の登場する絵も多い。

ジャコメッティも好きな作家なので、2017年の展覧会に行った記事がある。

ゴーガンの「ハム」1889年
これもチラシにあったけれど、実物はリアル!横60センチと小さくないので、
ハムは実物より大きくてインパクト大。横にはコップに入ったワインとペコロス
(小さい玉ねぎ)。友達が「このハム、バイヨンヌ?」と少しおどけて訊いてきた。
さては、おなかが空いてるのね。薄切りにしたの
とワイン、、もう夜ご飯はこれに決まり?

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期待に違わず、どの絵もとても良かったが、面白かったのは展示方法だった。
フィリップス氏がコレクションした年代に沿って展示され購入年が記されている。

フィリップス氏はペンシルヴァニア州の鉄鋼王の孫。大学時代から美術に興味を持ち、
コレクションを始めた。妻も画家である。
最初に購入した絵は、シャルダンの「プラムを盛った鉢と桃、水差し」1728年、
26才の時であった。
chardan250.jpg

1、1920年代のコレクション

シャルダンの次に購入したのは、ドーミエの「三人の法律家」、モネ「ヴェトゥイユへの道」
2年後に、ドラクロワ「パガニーニ」
さらにシスレー「ルーヴシエンヌの雪」、クールベの「地中海」「ムーティエの岩山」、
モリゾ「二人の少女」、コンスタブル「スタウア河畔にて、マイヨール「女の頭部」

初期に気に入って購入したドーミエとクールベの作品は、私からすると、典型的な
ドーミエ、クールベではない。
ドーミエの「蜂起」は、制作が1848年以降とあるので、フランス革命での市民蜂起
だろう。ドーミエは労働者階級の生活を写実的に描いているのに、ブルジョワの
フィリップス氏が共感を持ったのが不思議だった。遠い国フランスでの出来事、
自由を愛するアメリカ人だからだろうか。
*クールベには風景画や狩りの場面が多いが、「地中海」は画面の上半分が緑がかった空、
下半分に雲と紺碧の海、波頭が一直線上に描かれている。空の大きさ、海の広さを感じさせる。
*ドラクロワ「パガニーニ」は、パガニーニの演奏姿。超絶技巧の演奏が評判だったが、
速い動きを捉えるのが上手なドラクロワゆえ、体を使っての演奏ぶりがわかる。
ドラクロワはヴァイオリンが上手だったから、手、指の位置が正確に描けているそうだ。


*ボナールの「犬を抱く女」は展覧会で見て気に入り、以後、ボナール作品を
ちょくちょく購入する。他2点が展示されていた。

2、1928年のコレクション
マネ「スペイン舞踊」、ボナール「棕櫚の木」、セザンヌ「自画像」、ヴュイヤール

「新聞」、
Bonard_Syuro.jpgボナール「棕櫚の木」


3、1930年代 理想の蒐集品
キュビズムの作品が続く。ピカソ?と思ったら、4点全部ブラックの作品。
フィリップス氏はブラック作品を「フランス的センスにあふれている」と気に入り、
7点の展示。全部で74点なのだから、そのうち7点は突出している。

スペインのファングリスの「新聞のある静物」もブラックに似た作風。
デュフィ「画家のアトリエ」、ゴッホ「アルルの公園の入り口」が良かった。
ゴヤ「聖ペテロの悔恨」、ピカソはブロンズの彫刻「道化師」


4、1940年前後の蒐集
第二次世界大戦の時代。アメリカ本土は戦場ではなかったので、蒐集を続け、
カンディンスキー「連続」を購入。楽譜をイメージする綺麗な色の初期の抽象画。
クレー、ココシュカ、マティス「サン=ミシェル河岸のアトリエ」も購入。


5、第二次世界大戦後
ゴーガンの「ハム」を購入したが、そのために、持っていたタヒチでの絵を売却。
作家の特色よりも、自分の好みを優先しての購入。
アングル「水浴の女(小)」は、ここにあった。


6、ドライヤーコレクションの受け入れと晩年の蒐集
コレクターのキャサリン・ドライヤーと知り合う。数年後、ドライヤーの死後、遺品の
寄贈の話があり、カンディンスキー「白い縁のある絵のための下絵」、フランツ・マルク
「森の中の鹿」、カンベンドンク「村の大通り」を受け取り、ブランクーシの彫刻は、
拒否をした。好みに合わなかったらしい。
Camppendock300.jpgカンベンドンク「村の大通り」


7、ダンカン・フィリップスの遺志
展覧会のサブタイトルは「A Modern Vision」。
フィリップス氏は、スーティン、ココシュカ、モランディなどを購入し、
アメリカでのモダン・アートの普及に努めた。
41才で自死したニコラ・ド・スタールの初個展も開催した。

フィリップス氏の死後も美術館フィリップ・コレクションへ良品の寄贈があり、
最後の部屋にあるピカソ3点、ロダンの彫刻、ドガ「リハーサル室での踊りの稽古」
は寄贈されたものである。


※追記

フィリップス・コレクション展は、2005年に国立新美術館で開催されました。
その時のりゅうさんの記事です。 
今回の出品作品とかなり重なっているので面白いと思います。


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