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永遠の都ローマ展 [展覧会(西洋画)]

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東京都美術館で開催中の「永遠の都ローマ展」に行った。
ローマ展としては、2009年に「古代ローマ帝国の遺産展」が西洋美術館であった。
(その時の記事は、こちら)。それははローマ+ポンペイに的を絞った展覧会で、
今回は、ローマのカピトリーノ美術館のコレクション展。今年は明治政府が、
ローマに岩倉具視使節団を派遣して150年、これに因む企画。


カピトリーノ美術館のお宝は、チラシにあるように、カピトリーノのヴィーナス。
少し恥じらいを含んだ肢体は、どの角度から見ても美しいので、台にのせられた
姿をぐるりと一周してみることができるように、部屋の中央にある。

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もうひとつの目玉作品は、威風堂々の「コンスタンティヌス帝の巨大彫刻」。
頭だけで1.8m。出品作は、複製だが、その大きさと重量感に驚く。

そのままの形で残ってはいないので、大きな足や手は別に展示されている。
強いまなざしに圧倒される。コンスタンティヌス帝はキリスト教を公認し、
第2のローマとして、コンスタンティノープルに遷都をした。


Constannthinusu_Arm.jpg


ローマを作ったのは、オオカミに育てられてロムルス・レムス兄弟との
言い伝えがあるので、オオカミの乳を飲むロムルス・レムルスの彫刻があった。
修復したのだろう、光り輝くほど綺麗だった。

RomlusLemlus.jpg


写真はないが、私が惹きつけられたのは、大理石の彫刻「豹と猪の群像」。
太った猪より、ずっと体の小さい豹が猪の体の下に入りこみ、首をがぶっ、
の瞬間。弱点をわかっているのだ。迫力ある彫刻だった。


13世紀初頭の美しいモザイク。「ローマ教会の擬人像」。
隣に「教皇グレゴリウス9世の肖像」のモザイクもあった。

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BC1世紀頃 「イシスとして表わされたプトレマイオス朝皇妃の頭部」
  (注:イシスはエジプトの女神)

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ハドリアヌス帝時代後期:デュオニソスの頭部
女性の頭部は他にも、あったが、どれも、髪型が凝っていて面白い、と
思ったけど、ん?デュオニソスはワインの神。男でしょ。調べたら、デュオニソス
は、両性具有のようにやさしい顔立ちで描かれることが多いのだそう。

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皇帝アウグストゥスの肖像。(1世紀初頭)
アウグストゥスはローマ帝国の初代皇帝。シーザーの養子。

クレオパトラとアントニウスの艦隊を破り、エジプトを併合、絶大な権力を持ち、
全土に平和をもたらし人民からも尊敬された。
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カラカラ帝の肖像 (212年)
カラカラ帝の大浴場で有名な皇帝だが、暴君ネロよりもひどいと言われて
いるそう。悪そうな顔つき。

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トラヤヌス帝.png

ローマの中心部で、ひときわ高い柱が、トラヤヌス帝記念柱。30m、台座を入れると38m。
柱には、トラヤヌス帝がルーマニアと戦って勝利した時の様子が彫られている。その一部分
のレプリカが展示されていて、撮影可だった。




カピトリーノ美術館は、世界的に最も歴史の古い美術館で、ルネサンス時代に
教皇シクストゥス4世が、ローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したのが起源であり、
18世紀にはローマの名家からの絵画も加わった。


絵画は、さほど多くない。
ピエトロ・ダ・コルトーナ「教皇ウルヴァヌス8世の肖像」1624~27年頃
ウルヴァヌス8世は領土を拡大し、教皇国家を史上最大のものにした。
ガリレオに自説を撤回させたが、学問と芸術の擁護者だった。
2本の指を立ててるのは、祝福のしるしである。

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ドメニコ・ティントレット「キリストの鞭打ち」1590年代
ひときわ、迫力があって目立っていた絵。

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カラヴァッジョ派の画家「メロンを持つ若者(嗅覚の寓意)」1629年
カラヴァッジョの画風と思ったら、弟子なんですね。

Carabajjo.jpg


私が好きだったのは、グイド・レーニの「ルクレツィア」、
アンニバレ・カラッチの「悔悛の聖フランチェスコ」


最後のコーナーは、「カピトリーノ美術館と日本」との関係。
明治時代、美術教材として、ローマ時代の石膏像のレプリカが使われ、
日本人・小栗が制作した「欧州夫人アリアンヌ半身」というのもあった。

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テート美術館展・LIGHT光 [展覧会(西洋画)]

Tate_Tirashi.jpg

暑い夏が9月まで続き、展覧会に行く気が失せていたら、友達から、
「何か見に行きたい」と言われ、行ったのが、「テート美術館展」Light光。
見たけれど、記事を書くのをさぼってたら、もう終わってしまいました。
今、何か展覧会へ行きたい人へのおすすめは、デイヴィッド・ホックニー展です。

さて、「テート美術館展」Light光 とあるように、作品は全部、テート美術館の
もので、「ターナー、印象派から現代へ」とサブタイトルがついている。
撮影可のものが多かったので、出品リストの順に記憶に残ってるものをご紹介。
Room1
<宗教的な主題を光と闇によって表現した18世紀末のイギリスの画家たちの絵>
●ジョージ・リッチモンド「光の創造」1826年
聖書の創世記1章3節 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
神は光を昼と名付け、闇を夜と名付けた  その場面だろうか。
不思議な絵で、ひきつけられたが、「光の創造」というタイトルで納得。
Richmond_The Creation  of Light1826.jpg


●ウィリアム・ブレイク「アダムを裁く神」1795年
ブレイクは、日本でも有名な詩人で、大江健三郎をはじめ、多くの人に
影響を与えてるが、画業もすばらしいと知り、多才に驚く。
WilliamBlake_God Judging Adam.jpg


●ウィリアム・ターナー「光と色彩(ゲーテの理論)大洪水の翌朝 創世記を書くモーセ」
文豪ゲーテの「色彩論」から影響を受けたターナーは、「すべての色彩は光と
闇との組み合わせ」というゲーテの理論を具現化、大気の効果、光と闇を描いた。
4Turner_Light and Color from the Gothe's theory.jpg

●ジョン・マーティン「ポンペイとヘルクラネウムの崩壊」1822年
横253㎝の大きな絵。噴火する火山、手前に逃げる人々、中心部に神殿や円形劇場
など建物が見える。
JohnMartin_Pompeii.jpg


Room2
<ターナーと並ぶイギリスを代表する風景画家コンスタブルとラファエロ前派の画家たち>
●ジョン・コンスタブル「ハリッジ灯台」1820年 小さい作品
白い灯台、白い雲、白い波頭。波頭は絵の具を散らして表現。
5Constable_LightHouse.jpg
コンスタブルの「イギリスの風景」という連作、銅版画もあった。


●ジョン・ブレット「ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡」1871年
きれいな絵。光の効果と感情に訴える本質を表現。またブレットは天文学者
でもあったので、科学的な観点をもって対象にアプローチした。
JohnBrett_The British Channel seen from theDorsetsCriff.jpg


●ジェームス・アボット・マクニール・ホイッスラー「ペールオレンジと緑の黄昏」
1866年 スペインと南米の間に起きた戦争の舞台となったチリの港町バルバライゾ
の海辺の風景。穏やかな海と船を照らす光の表現のために青、緑、灰色の淡い色を
用いた。好きな作品。
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●フィリップ・ウィルソン・スティーア「ヨットの行列」1892年
帆に風をはらむヨットを大きな船から眺める人々。
スティーアはイギリス人だが、王立美術学校に入学できなかったので、パリへ
行き、カパネルの下で学んだが、ロンドンへ戻り、印象派のスタイルで海岸の
風景を描いた。後、ターナー、コンスタブルに倣い写実的な画風に転向した。
Steer_Yocht.jpg

●シスレー「春の小さな草地」1880年
9Sisley.jpg

●ピサロ「水先案内人がいる桟橋、ル・アーヴル、朝、霧がかった雲天」1903年
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●ジョン・エヴァレット・ミレイ「露に濡れたハリエニシダ」1889年
Millais_harienisida.jpg

Room3
<室内に差し込む光の絵>
ハマスホイが2点とウィリアム・ローゼンスタイン「母と子」だけ。


Room4 撮影禁止 (私はあまり興味を持てない部屋だった)
ターナーの「遠近法の講義のための図解」シリーズ。水彩画。
その他、デッサンやゼラチンシルバー・プリントなど。


Room5
<現代美術、抽象>

●カンディンスキー、●マーク・ロスコ、●ゲルハルト・リヒター
目に留まったのは、明るい色彩の幾何学模様の繰り返し●ブリジット・ライリー。
「ナタラージャ」1993年
昨年、川村美術館で、ブリジット・ライリー展を見たので、すぐわかった。
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Room6
<インスタレーション>
●デイヴィッド・バチェラー「私が愛するキングクロス駅」2002年
蛍光で光る箱が高く積まれてる。キングクロス駅がタワーに?
右横に置かれてる色とりどりの箱も彼の作品。
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●ピーター・セッジリー「カラー・サイクルⅢ」1970年
カラー・サイクルの名前通り、照明により次々と色が変わる。

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●オラファー・エリアソンの「黄色vs紫」は公開時間限定なので見れなかった。

●ジェームズ・タレル「レイマー、ブルー」1969年 
LEDライトを使った光の作品。撮影禁止。
直島にある「地中美術館」のジェームズ・タレル作品、日没から夜への空を照明で
眺めるものが感動的ときいてるので、いつか行きたいと思っている。


●ブルース・ナウマン「銀と白色光の廊下」撮影禁止


Room7
●オラファー・エリアソン「星くずの素粒子」2014年
巨大なミラーボール。ミラーボールが動くと、壁を照らす光と影が動く。
きれい。宇宙空間のような感覚も。
18OlaferEliasson.jpg

2020年に東京都現代美術館で、オラファー・エリアソン展があり、とても良かった。
その時の記事は、ここをクリックです。

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デイヴィッド・ホックニー展 [展覧会(西洋画)]

デイヴィッド・ホックニー展を東京都現代美術館へ見に行った。
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デイヴィッド・ホックニーの明るい色彩の楽しい絵はイラストのようでもあり、
ちょっと視点が変わっていて明快。60年代、アメリカンポップアートが全盛
の時代に活躍をしていたので、アメリカ人と思っていたら、英国人と今回わかった。
現在86才。ずっと第一線で新しい試みをしながら活躍しているのは、すばらしい。

東京都現代美術館はホックニーの作品をかなり持っているので、1996年に
「デイヴィッド・ホックニー版画展」を開催している。今回は、往年の作品から、
最近のものまで、ジャンルも油彩画、版画、貼り絵、コラージュ、アイパッドで
描いた動画と多岐にわたり、見飽きない。実際、見ていて楽しかった。

第一室は、「春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年」
横10mの大きな絵であることが写真からわかると思う。スマホでのみ撮影可。
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右側の3枚は、玄関の横の景色、12か月をアイパッドで描いたもの。この後に3枚が続く。
逆側にも6枚で12か月分。色彩で季節の変化が見てとれる。


次の部屋は、「ノルマンディの12か月」。2019年からノルマンディに住んだ彼は、
全長90m、絵巻物に見立てた大作を描いた。雪がとけた早春の景色。ここから始まる。
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見ていると、鳥の声が聞こえてきそうな春の景色だった。


ノルマンディの12か月が終わったあとに、実際にアイパッドで描いてる動画9枚。
この動きがそれぞれ独立しているが、最後に一枚の絵として完成する。
絵が達者でないとできない芸当。写真上が描き始め、下が完成形。
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ここまで見終わったところで、3階に移動して、若い頃の作品を見るコース。
代表作の「スプリンクラー」もあった。

これには驚いた。立体的で、部屋のセットを作ってあるのかと思えるほど。
「額に入った花を見る」
F11_T0maUAEljmx.jpg


「スタジオにて、2017年12月」これは圧巻。
3000枚の写真をフォトグラメトリという技術を使って作られてた作品。
不思議なことに本物の写真以上に立体感があり、スタジオを上から眺めている
気分になる。フラアンジェリコの「受胎告知」似の絵がスタジオ内正面に飾られ
ているのは何か意味が?


日本から影響を受けて作成した「龍安寺の石庭を歩く」1983年もあった。

ご本人の最近の「自画像」は、黄色地に黒とオレンジ色のチェックという
目立つスーツ姿で椅子に座っている。エルトン・ジョンに似てるような。
実際の写真もあり、そちらのほうがこの「自画像」よりいいと私は思うけど(笑)


最初から最後まで楽しめます。おすすめ。
展覧会のサイトはこちら。







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憧憬の地ブルターニュ展 [展覧会(西洋画)]

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東京・上野の西洋美術館へ「憧憬の地ブルターニュ」展を見に行った。
一か月くらい前に、損保美術館で見たのも「ブルターニュ」展で、
ブルターニュのカンペール美術館から借りて来たもの中心であった。
西洋美術館のは、国内美術館の作品が大半で、オルセーからの借りもの3点
という構成。国内のなら、いつでも見れるという気がするが、ブルターニュ主題で、
まとめて見れるのは面白い。しかも展示作品数160点と、とても多い。


「憧憬の地ブルターニュ」
なぜブルターニュは、憧れられるのかというと、ブルターニュ地方は、
フランスの西の端で、英国海峡をはさんで英国と近い位置で、祖先はケルト人である。
英語で、英国をグレートブリテンと言い、ブルターニュをリトルブリテンと呼ぶほど
である。そして1532年にフランスに併合されるまでは、ブルターニュ公国という
独立国であったため、独自の文化、生活様式を持つ。

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第一章 ブルターニュ地方の景観
ブルターニュは三方が荒い海に面し、海岸線は断崖が連なり、波が岩に砕ける。
モネの作品2つ。「嵐のベリール」1886年(オルセー美術館)
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「ポール=ドモワの洞窟」1886年 (茨城県近代美術館)
光を浴びる岩肌、海の水が無数の色の筆で置かれている。美しい絵。
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モネは、この2点が描かれたベリール島(Belle-Ile美しい島の意味)に3か月ほど
滞在し、約40点の作品を描いた。東京・アーティソン美術館にも「雨のベリール」
という作品がある。
英国のターナーも、中世にブルターニュ公国の首都として栄えたナントに2日間
滞在し、「フランスのヴェネツィア」と呼ばれるナントの水路の賑わいを描いている。
「ナント」1829年(ナント歴史博物館)
30×44cmの小さな水彩だが、実に細かく描かれていて、大気の様子もわかる。
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第二章 風土にはぐくまれる感性
野生と原始性を追求したゴーガンは、ブルターニュ地方のポン=タヴェンに滞在し、
ブルターニュ独特の風土、民族衣装の人たちの生活を革新的な様式で描いた。
ゴーガンに賛同する画家たちがポン=タヴェンに住むようになり、ポンタヴェン派
と呼ばれた。
一番上の写真:展覧会の立て看板は、ゴーガン「海辺に立つブルターニュの少女たち」
1889年 西洋美術館( 松方コレクション)


ゴーガン「ブルターニュの農婦たち」1894年(オルセー美術館)
白い頭巾にエプロンは、当時のブルターニュの民族衣装。
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ベルナールは、ゴーガンを慕って、ポン=タヴェンに移住し、それまでの
点描を捨て、輪郭線をはっきり描くクロワゾニズムの手法を推し進めた。
「ポン=タヴェンの市場」1888年(岐阜県美術館)
ブルターニュ独特の白い頭巾姿の人が多い。

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セリュジエ「ブルターニュのアンヌ女公への礼賛」1922年(ヤマザキマザック美術館)
中世の壁掛けの織物(タピ)を絵に表したような図柄。
アンヌはブルターニュ公爵家に生まれ、フランス王シャルル8世、ルイ12世と結婚、
ブルターニュ女公を名乗った。ブルターニュでは格別に人気がある歴史上の人物。
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第三章 「土地に根を下ろす:ブルターニュを見つめ続けた画家たち」
ブルターニュで生まれ育った画家たちは、土地の自然や風俗を描き「バンド・ノワール」
とよばれた。バンド・ノワールは黒の集団という意味だが、黒=暗い絵?ピンと来ない
ネーミング。代表格は、シャルル・コッテ
「悲嘆、海の犠牲者」1808年~09年(西洋美術館・松方コレクション)
上半身裸で中央に横たわる海の犠牲者、嘆く親族・縁者たち、あたかもキリストの死の
ような構図で、犠牲者に聖性をもたせる効果。コッテの代表作で、数年後に描かれた
ほぼ同じものがオルセー美術館にある。
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同じく「バンド・ノワール」のメンバーであるリュシアン・シモンは明るく楽しい
集いを非常に美しい色彩で描いている。
「庭の集い」1919年 (西洋美術館・松方コレクション)
赤い天蓋の下の舞台で芝居や踊りをする子供たち。観客としてそれを見つめる大人たち。
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同じくリュシアン・シモンの
「ブルターニュの祭り」1919年(西洋美術館・松方コレクション)
伝統的で有名な「パルドン祭り」だろうか。
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ブルターニュ育ちではないが、モーリス・ドニもこの地に魅せられ作品を残している。
「花飾りの船」1921年 愛知県立美術館
ぱっと明るい色彩の絵。アマンジャンと児島虎次郎の仲介でコレクター大原孫三郎の
注文に応じた絵。中央にドニの息子2人、再婚相手のエリザベツが紫陽花で飾られた船
に座り、船には日本の旗も。右端の船の女性はブルターニュの白い頭巾姿。
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ドニは、キリスト教の信仰に篤く、大勢の子供がいる家族を度々絵に描いた。
「若い母」1919年 (西洋美術館・松方コレクション)
聖家族の図柄をもとにした構図。

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版画家アンリ・リヴィエールもブルターニュに魅せられ、連作「ブルターニュ風景」
を制作した。リヴィエールは日本の浮世絵に興味を持ち、多色版画の作品を多数制作
している。

連作「ブルターニュ風景」より「ロネイ湾(ロキヴィ)」1891年 (西洋美術館)
青い空と海。なだらかな海岸線のやさしい風景にブルターニュの服装。
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「美しきブルターニュ地方」より「トレブルに停泊する船」1902年 (西洋美術館)
呼応する白い波の配置が面白い。深い海の色合いが波の白を一層引き立たせている。

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第四章 「日本発、パリ経由、ブルターニュ行 日本出身画家たちのまなざし」
ブルターニュは、日本でも注目され始めていたので、日本人画家たちも
ブルターニュへ向かった。黒田清輝、藤田嗣治、坂本繁二郎、岡鹿之助、山本鼎、
小杉未醒らがブルターニュを描いた作品が展示されていた。
今、見ても、さほど古い感じがしないのは彼らの技量ゆえと思う。初めて聞く名前の
画家の絵でも、いいなと思うものがいくつかあった。

久米桂一郎「林檎拾い」1892年 (久米美術館)
6年間のフランス留学の集大成の作品。サロンに出すことを念頭に制作。
頭に白いものをかぶり、木靴を履き、当時のブルターニュの服装。リンゴから
作る発泡酒、シードルはブルターニュの特産品。
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岡鹿之助「信号台」1926年 (目黒区美術館)
いつ見ても端正な岡鹿之助の絵。

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最後に、屏風があった。西洋の題材を日本の屏風に取り入れる試みが面白い。
映り込みがある写真ですみません。
BretagneByoubu.jpg

追記:yk2さんから、この屏風に「説明がない」というコメントが入りました。
疲れて、最後、説明を省略して記事を終わりにしたのだけど、小杉未醒が
お気に入りyk2さんは、がっかりなさったようで、説明がないのは不憫と、
代わりに説明をしてくださってるので、お読みください。

小杉未醒はこの頃は洋画家でしたが、のちに日本画に転向し、名も「放庵」と
改めました。
小杉未醒「楽人と踊り子」1921年(茨城県近代美術館)
左の楽人が吹いているのは、ブルターニュ地方のオーボエに似た楽器「ボンバルド」
で、合わせて踊る女性は白い頭巾に木靴とブルターニュ地方の服装です。<終>


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「ブルターニュの光と風」展 [展覧会(西洋画)]

「ブルターニュの光と風」展を新宿・損保ジャパン美術館へ見に行った。
ブルターニュは、フランスのブルターニュ地方、西の端で、イギリスとも近い場所。
中心都市は、Rennes(レンヌ)。3月に私がフランス国鉄のストで行き損ねた所。
フランス革命(1789年)前までは、独立した王国だったため、独特の文化を持って
いて、酪農が盛んでバターとガレットなどの焼き菓子が特産品。
この展覧会は、下の地図の左端Quinper(カンペール)美術館からの作品が中心で、
訴えかけてくる絵一枚、一枚への興味を通して、ブルターニュの歴史や文化に
触れることができた。


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この展覧会のメイン・ビジュアル、ポスターに使われている絵はこれ。
ドラマティック。海に飛び込んだ恋人を、、、ではなかった。
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横2.5mの大きな絵。
アルフレッド・ギユ「さらば」1892年

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父と子。嵐に遭遇し転覆した船。海に落ちた息子、息途絶えてる息子に人工呼吸。
必死で息を吹き込む父。全身全霊で救おうとする父。青白く、もう死んでいるかの
ような息子。襲い掛かる波、見ていても息が詰まる絵。大画面での迫力。
作者ギユGuillouは、コンカルノー出身。パリでカパネルに学ぶ。サロン出展の後、
故郷で漁師たちの日常生活を描いた。

ここで思い出すのは、アーティゾン美術館のモネ「雨のベリール」
ベリールは、ベル・イル島のこと。ブルターニュの海岸の沖合にある島で、
荒々しい海景をモネは気に入って、3か月滞在し何枚もの絵を描いた。
モネの作ではないが、
テオドール・ギュダン「ベル=イル沿岸の暴風雨」1851年

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大西洋の荒海に面したブルターニュ。
テオフィル・デイロール「鯖漁」1881年
大きな櫂を3人の漁夫がこぎ、たくさんかかった鯖がはねている様子、波のうねり、
飛沫が臨場感あり。遠方のオレンジ色の日没の光が画面全体を包み込む。
デイロールは、パリで「さらば」のギユに出会い画家の道を目指し、カパネルに学ぶ。
ギユの妹と結婚、コンカルノーに移住した。
フィロール鯖釣り.jpg



明るく穏やかな日の海の絵もあった。
オーギュスト・アナスタジ「ドゥアルヌネの渡し船の乗り場」1870年
クロード・ロランの絵に出てきそうな海辺、歴史画の海辺と思った。
これも横130㎝の大きな絵。女性たちがブルターニュの民族衣装姿である。

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歴史をたどるという観点からすると、この聖母子はイコンのような古風さだが、
背景は描かれた1890年代のパンマール地域である。不思議な絵。
リュシアン・デュルメール「パンマールの聖母」1896年

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顔の輪郭が、瓜二つの聖母子。ブルターニュの白い頭巾をかぶっている。
「デュルメールが好き」という友達と一緒だったので、「これ、デュルメールよ」
と話しかけたら、浮かぬ顔だった。デュルメール独特のメランコリックな優雅さが
ないからだろう。ちなみにデュルメールは、師匠ラファエル・コランを通じて、
ブルターニュを知り、パンマールには旅で訪れたのである。



ブルターニュは酪農で有名な土地なので、青空の下、牧草地も大きく広がる。
空を描いては天下一品のブーダンの弟子だったモネが、出身地ル・アーヴルに
近い「ルエル」の景色を描いた画業初期の作品。ポプラ並木はモネの創作。
若い頃から、ポプラ並木が気に入ったモチーフだったとわかる。
ブーダンの「ルエル」と思われる「ノルマンディの風景」(1854~57年)も展示されていた。
モネ「ルエルの眺め」1858年

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1886年夏、ゴーギャンは、異郷ともよばれていたブルターニュの自然と昔ながらの
風俗に惹かれ、ポンタヴェン村に移住し、ベルナールやセリュジエらと画家コミュニティ
を作り、太く明確な輪郭線と平坦な色面構成を特徴とする「ポンタヴェン派」を生み出し、
絵画史上の新しい風となった。
ポール・ゴーギャン「ブルターニュの子供」1889年

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ポール・セリュジエ「水瓶を持つブルターニュの若い女性」1892年
不自然な しなった体の表現とエプロンの小花模様は、浮世絵の影響だそう。

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エミール・ベルナール 版画「水瓶を持つブルターニュの若い女性」1886年

ベルナール版画.jpg
ゴーギャンの教えをセリュジエがパリに持ち帰ったことが、ボナールやドニによる
「ナヴィ派」の誕生につながり、印象派にかわる新しい表現となったので、
「ポスト印象派」ともよばれる。

自邸に礼拝堂を作るほどキリスト教信仰が深かったドニは、古くから伝わる
宗教儀式「パルドン祭」のようすを描いた。画家たちに人気の主題だったが、
ドニの絵は、視点が近く、参加者のひとりが撮った写真のようである。
モーリス・ド二「フォルグエットのパルドン祭」1930年
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時代は変わり、印象派に対抗するかのように暗い色づかいをする集団
「バンド・ノワール」が現れた。彼らはクールベの写実主義に影響を受けていた
ので、クールベの「波」(愛媛県立美術館)がそばに展示してあった。
「バンド・ノワール」の中心人物は、シャルル・コッテで、ブルターニュに
定期的に滞在し制作をした。シャヴァンヌを敬愛し、象徴主義と写実主義を
融合させた画風であった。

シャルル・コッテ「海から逃げる漁師たち」1903年頃
妖しい雲行きから嵐の到来を察知し、船を片づけ海から去る漁師たち。
画面全体に自然の驚異、人間の小ささが表現されている。小さくて見えないが
船の赤い帆がアクセントになっている。
シャルル・コッテ.jpg


明るい画面でブルターニュを写実的に描くのは、リュシアン・シモン。
パリ生まれで、アカデミー・ジュリアンで学ぶ。妻がブルターニュ出身だったことから移住。
ブルターニュの人々の暮らしを描いている。
リュシアン・シモン「じゃがいもの収穫」1907年

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銅板画家だったアンドレ・ドーシェは、やはり画家の姉がリュシアン・シモンと結婚
したことから、ブルターニュに通い、「バンド・ノワール」のメンバーと交流した。
背丈の高い松の木と白い雲。実際に見るとはっきりとした輪郭線で描かれ、版画の
雰囲気。浮世絵ふうなのは、ジャポニズムに影響を受けた版画家アンリ・リヴィエール
の作品にも関心を持っていたからだろう。
アンドレ・ドーシェ「ラニュロンの松の木」1917年

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最後は、ピカソのような明るい絵。
自ら生み出した点ならぬ格子線で表現する方法で描いているが、あまりに制作に
時間がかかるので、この技法は、その後、使われなかった。
ピエール・ド・ブレ「ブルターニュの女性」1940年

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この展覧会は巡回する。次の福島県立美術館のチラシはこれだった。
ギユの「さらば」より、こちらのほうが、ブルターニュのイメージなのだろう。
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スイス・プティパレ美術館展 [展覧会(西洋画)]

新宿駅西口から徒歩5分、SOMPO美術館へ「スイス プチ・パレ美術館展」を
見に行った。ゴッホの「ひまわり」があることで有名な美術館。入り口前に
撮影用の大きなパネルがあったので、その写真を。


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展示は「プチ・パレ美術館」の1880年から1930年の作品65点と、同時代の
損保美術館所蔵の作品13点である。美術館の創設者が、有名でない才能ある
画家の作品を積極的にコレクションしたので、初めて見る画家のものも多く
面白かった。作品数は、さほど多くないので、疲れずに見れる。


展示は年代順になっている。
まずは印象派から。ファンタン=ラトゥールの「ヴェーヌスの身繕い」1880年、
ルノワール「詩人アリス・ヴァリエール=メルバッハの肖像」1913年
晩年のルノワールはリューマチに悩み、あまり肖像画を引き受けなかったのだが、
彼女を見たとたん、描く意欲が湧き、白いサテンのドレスを着せて描いたそうだ。
大きな絵。
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カイユボット「子どものモーリス・ユゴーの肖像」1885年
絵画収集家ポール・ユゴーの息子モーリス。子供の肖像にはあまり使われない
黒を使っている。あまり可愛くないので印象に残る。
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新印象派
アンリ=エドモン・クロス「糸杉のノクチューン」1896年
糸杉5本。船5隻。踊る女性たち5人。リズミカルで律動的。
ブルーとピンクの点描が美しい装飾的な絵。
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アシール・ロージェ「花瓶の花束」
初めて知る名前の画家。かなり大きな絵で赤が目に飛び込んでくる。
赤いダリアは花びらが点描で描かれ黒の輪郭線で縁どられている。
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ナビ派とポン・タヴァン派
チラシに使われているドニの「休暇中の宿題」1906年
休暇は夏休みとわかる明るい光。赤い格子の服やテーブルクロス、それらが
光でキラキラし、顔にも赤い光が映る。幸せそうな家庭の一コマに花瓶の花々
が明るさを際立たせる。
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新印象派からフォーヴィスムまで
デュフィ「マルセイユの市場」1903年
26才の作品。厚塗りでフォーヴィスムの時代。
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フォーヴィスムからキュビスムまで
マリア・ブランシャール「静物」1917年
この画家も初めてきく名前。丸いテーブル、四角いトレイの上に置かれた
4つのモチーフ。コーヒーポット、コーヒーカップとスプーン、あとは、何だろう。
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ジャン・メッツァンジェ「スフィンクス」1920年
メッツァンジェの自転車競技のおじさんの絵 (パリ・ポンピドーセンターで見た未来派展)
がユーモアが感じられ、好きなのだけど、
これは、アテネの女神が軽々とスフィンクスを持ち上げてる絵。何を暗示してるのだろう。
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ポスト印象派とエコール・ド・パリ
スタンラン「猫と一緒の母と子」1885年
女の子のショコラ・ショー(ココア)を欲しそうに見つめる猫。
でも、熱いからあぶないわと、ココアを抱え込む。
スタンランの描く猫はどれも可愛い。

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ユトリロ「ノートルダム」1917年
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写真はないが、ユトリロの母で画家のシュザンヌ・ヴァラドン「コントラバスを弾く女」
1908年 もあった。
ヴァロットンの「身繕い」1911年 
机に肘をつき手鏡を見つめる少女は、スマホをいじってる現代の少女に見えた。
少女が生き生きしている。

キスリング「サンートロペのシエスタ」1916年
フォービスム時代の絵なので、色合いがひどく明るい。テーブルに突っ伏して
寝るおかっぱ頭の女性は、いつもキスリングが描くタイプ。

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スイス「プチ・パレ美術館」は、創設者が1998年に亡くなってからずっと
休館中とのこと。才能がありながら、当時世に知られてなかった画家の作品
を積極的にコレクションに加えたそうなのでアンリ・マンギャン、ルイ・ヴァルタ、
ジャン・ピュイ、アルベール・デュボワ=ピエ、シャルル・カモワン、アンドレ・ロート
らの作品も各2枚はあるので、20世紀美術が好きな人には、特におすすめ。

10月10日まで開館中。

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