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アーティゾン美術館の「空間と作品展」 [展覧会(西洋画)]

友達を前記事の「デ・キリコ展」に誘ったら、「暑いのに上野から歩く都美術館
は嫌。それより改装してから行ってないブリヂストンに行きたいわ。」
(注:ブリヂストン美術館は改装後アーティゾン美術館と改名)
ブランクーシ展のあとは、何をやってるのだろう?と調べたら「空間と作品」展。
古今東西、様々な分野の所蔵品で空間を作って展示。見せられかたが違うと、
違ってみえるという意図。今まで見たことがない所蔵品を見れる良い機会。



1Severini.jpg


数回前の記事「ピカソ美術館のピカソ以外の作品」で話題にしたセヴェリーニの
「金管奏者」がメインビジュアルに使われていた。!(^^)!


最初の部屋には「円空」の木彫りの仏像。広い空間に2体だけの展示。
2体のうち、背の低いほうが愛嬌のある顔で好き。彫りも木の肌も美しいままの姿。
江戸時代 高さ66㎝
仏像だから作られた当初はお寺に収められた?と来歴を考えてしまう。
スクリーンショット 2024-08-27 143616.png


次の部屋は、ピサロの雪景色の「冬」131㎝から始まり、春、夏、秋と四方の壁に
一枚づつの展示。ピサロの四季部屋。元々は、ある銀行家が自宅のリビングの壁面
の絵をピサロに注文。年月を経て今は日本のここに。

次のコーナーにピカソ「腕を組んですわるサルタンバンク」1923年があり、
「ご自由にお座りください」と鑑賞用のソファーがある。この絵は、いろいろな
人の所有を経て、ピアニストのホロヴィッツが入手。ニューヨークの自宅の居間
に飾っていた。ソファーに座って眺めていたのだろう。


奥は畳敷きの日本間で、応挙の2間の襖。「竹に狗子波に鴨図」
靴を脱いで畳にあがり、近くで見れる。
応挙ふすま絵竹林に犬.jpg
竹の根元でじゃれて遊ぶ犬たち9匹がかわいい。上部に金泊の波がうねる。
鴨は左端に描かれているが見えにくい。


その次のコーナーの壁にはセザンヌの小さな静物画「鉢と牛乳入れ」が掛かり、
棚に中国・唐時代の小さい「三彩万年壺」が置かれ、ザオ・ウーキーのリトグラフ
「無題」が隣の壁面に。上には小さなイランの陶板「多彩人物草花紋タイル」。
脈略がない多国籍のコーナー。

こんなふうにいくつかコーナーが設置され、誰かの部屋のように設えてある。
撮影禁止が多いが、下の写真の場所は手前の机の所の椅子にすわって眺めるように
なっていて、そこから撮影可。近くによって見れないので何の絵かわからない。
カタログによると正面は三岸節子の絵で、右は山口長男の絵。
サイドボードはエットレ・ソットサス作品で、左棚の上の小さい鳥の彫刻は、
フランソワ・ポンポンの「しゃこ」

2第三室.jpg

普段、展示しにくい小さい作品を見せる良い機会なのだろう。
以上が6階の「空間と作品」会場。




5階:作品の持ち主  4階:額に注目
まず、青木繁が何点もあり、古賀春江が2点並ぶ。
左が「遊園地」1926年、右が「素朴な月夜」1929年

3古賀春江.jpg

右「素朴な月夜」は、川端康成の旧蔵品で、床の間に飾って鑑賞していたのだそう。

古賀春江は今回、他の2か所にもあった。

カンディンスキー「2本の線」「3本の菩提樹」、ポロック「ナンバー2」、
カサット「娘に読みきかせるオーガスタ」、「岡田三郎助「臥裸婦」「婦人像」、
ビゴー「日本の女」、安井曾太郎「F夫人像」「玉虫先生像」、クレー「島」、
ブランクーシ「接吻」、ピカソ「道化師」他6点、ルノワール「ジョルジェット嬢」
「少女」、ヴラマンク「色彩のシンフォニー2」などなど。
印象派の作品は以前の別記事で見てください。

初めて見たのはジョージア・オキーフ「オータム・リーフⅡ」1927年
ほんとうはもっとビロードのような色で感触。写真は平面的になってしまう。
残念。
14Okief.jpg

最近の収蔵品と大きく書いてあったが2009年の新所蔵。15年前。
ロートレック「サーカスの舞台裏」1887年
モノトーンで表した舞台裏。ピエロが馬に何か指図をする舞台前の緊張感。
右上から白い光が差し込む。そこが舞台なのだろう。
4_Rautrec Circus3.jpg


ロートレックは、4階にも一点「騎手Ⅰ」1899年リトグラフ
この絵をひきたたせる額を今回の展示用に選んだと書いてあった。
目立つ馬の尻と同じ色のシンプルなのが合うということだろう。
13Lautrec_Cheval.jpg



マティスは9点もあった。今まで見たことがなかたのは、赤い作品2つ。
左「オダリスク」1926年 右「石膏のある静物」1927年
人物画が多かったマティスだが、南仏ニースに移ってからの1920年代は静物画を多く描いた。
そのためにセザンヌの静物画を購入し研究していたとのこと。

5Matisse3.jpg 7Mstisse2.jpg


日本画がいろいろあったのは予想外だった。
前田の「風神雷神」1949年。
さらに青邨が所有していた伝 俵屋宗達《伊勢物語図色紙 彦星》(17世紀)を併置。


竹内栖鳳「鰹図」1927年頃
見ただけで鰹とわかる太り具合。戻り鰹だろう。

6_Gyosyuu.jpg


酒井抱一 / 鈴木其一 「夏図(十二ヶ月図の内)」3幅対 江戸時代(19世紀)
酒井抱一が中の絵を描き、弟子の其一が表装部分の花を大胆に描いた師匠と弟子の
コラボ作品。中の絵は遊び心に満ち楽しい。

豊臣秀吉の書翰、鳥獣戯画の断筒を新たに表装したものもあった。


藤田嗣治「猫のいる静物」1886年

8Foujita.jpg


牛島憲之 「タンクの道」1955年
画面いっぱいに静けさが漂う。額との一体感で強く遠近法を感じる。
府中市美術館に「牛島憲之記念室」があるので、美術館のそばに住んだことがある
私には馴染みの作家。

12Ushijima2.jpg


今までとは違った視点での展示法なので、この美術館に行ったことがある人でも
新鮮な感じで楽しめると思う。

10月14日まで。


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デ・キリコ展 [展覧会(西洋画)]

DeChirico_Tirashi.jpg

東京都美術館へ「デ・キリコ展」を見に行った。
行こうと思いながら、会期終わりになってしまったが、さほど混んでいなかった。

前記事「ピカソ美術館のピカソ以外の絵」で、キリコがピカソの依頼で描いた
レセプションホールの壁画を見ていて、暑くても行かなくちゃと出かけた。

とてもわかりやすい展覧会だった。[黒ハート]
回顧展の形で、年代を追って絵が展示されているので、キリコを知らない人でも
見終わると、奇妙に見える絵だがそれぞれの意図がわかると思う。

キリコは、両親はイタリア人だが、ギリシアで生まれ育つ。アテネの理工科学校に
通っていたが、17歳の時父が亡くなったので、家族でフィレンツェに移住。
ミュンヘン美術学校に入学、ニーチェに傾倒する。弟と共にパリへ移住。サロン・
ドートンヌに出品。アポリネールに認められ、画家としての順調なスタートを切る。


最初のコーナーは、
1.肖像画
肖像画のコーナーは、年代はいろいろでもどれもクラシックな写実絵画。
自画像はそばに本人の写真が展示されてたが似てる!彫りの深いイタリア男。
後に妻となる人の肖像は「秋」背景がオレンジがかった雲、夕焼けの空。
刺繍のある黒いドレスに黒のベレー帽、グレーパールのネックレス。


2、形而上絵画以前
「山上への行列」1910年 22歳の作品。若い時のもの。
黒い服の人々が山上へ続く葬列、三角形構図がドニの「カルヴァリの丘」
を思い出した。キリコの絵には宗教性がない。ただ事象だけ。

2-1、イタリア広場
イタリアに広場はたくさんあるけど、どれなのか、と考える必要はなかった。
形而上絵画のはじまりは、ここだと思う。
形而上絵画の意味は、「見慣れていたものがいつもと違ったように見える」とか
「日常の奥に潜む非日常」と言われている。
空想の世界が混じってるので、キリコの見てるイタリア広場には赤い塔がある。
そこに神話のアリアドネが画面を対角線に切って横たわる。
「沈黙の像」(アリアドネ)1913年 25才。
DEChirico_Ariadone.jpg


イタリア広場の絵が5点あるので、キリコの思い浮かべている広場のようすが
想像できる。最後に綺麗な色で塗り分けられた「塔」1974年。後年の作品。
色が綺麗なので、グッズコーナーでクリアファイルを売っていた。


2-2 形而上的室内
想像の世界の室内画。つまりありえない静物画。
初期のものは単純だが、後年の作品は見ごたえがある。
「ダヴィデの手がある形而上的室内」1968年
「球体とビスケットのある形而上的室内」1971年

2-3 マヌカン
絵の上の人物の顔をマヌカンにする試み。匿名性だろう。
「予言者」1914~15年頃
チラシに使われている絵。イーゼルに向かって絵を描く画家はキリコ自身。
何を描こうとしているのだろうか。
「形而上的なミューズたち」1918年は、別のチラシの表紙になっていた。

これは「ヘクトルとアンドロマケ」1924年
ヘクトルとアンドロマケはギリシア神話の恋人どうし。トロイ戦争に出る前の別れ。
De_Chirico_Hector Andoromake.jpg

「南の歌」1930年頃
おやっと思わず足を止める優しい筆遣い。背景がルノワールふう。
ルノワールに似せて描いてみたそうだが、服のもようが建物で足が極端に短い。
DeChirico_Renoir.jpg

「不安を与えるミューズたち」1950年頃
DE_Chirico_2Muse.jpg

3,1920年代の展開
透明度の高い速描きという近代的油彩の技法を身につけて当時の流行シュルレアリスム
を絵に盛り込む。
「ホワイエのミューズたち」1926年 では、神殿の柱のような階段の柱頭にミューズの
スカートの襞が溶け込む。「え、どうなってるの?」とじっくり眺める。
「考古学者」1926年頃
茶色の背景に人体(考古学者)はベージュ。白い建物の絵が描かれた服。
白、ベージュ、茶の三色で描かれたシンプルな作品が新鮮に目に映る。

「谷間の家具」1928年 シュルレアリスム
De_Chirico_TanimanoKagu.jpg


今回、特に見たかったのは、これ。ピカソ美術館にあった「剣闘士」の部分。
「剣闘士」1928年
DeChirico_Graadiator1926.jpg

試合形式で、審判がいる。剣闘士だが所作が優雅でバレエの動きのよう。
剣闘士は命がけなので、あらゆる心理が抜け落ちる。キリコがニーチェから
学んだ生の無意味の感情だろうか。


4,伝統的な絵画への回帰 ネオバロックへ
「菊の花瓶」1912年
端正に描かれた花瓶にいけられた菊の花々は美しかった。

ティツィアーノに倣って描いた裸婦が
「風景の中で水浴する女たちと赤い布」1945年
裸婦の顔がティツィアーノのとは異なり、かなり濃い顔。奥さんがモデル?


5, 新形而上絵画
「オデュッセウスの帰還」1968年
意表をつく作品で話題をよんだ。ありえないでしょ(笑)
DEChirico_Odhusseus.jpg

「オイディプスとスフィンクス」1968年
スフィンクスからの謎に頭をひねるオイディプスの頭部はマヌカン。
服には建物の絵。ギリシア神殿の柱頭にある渦巻模様が全体を引き締め、
古代へ誘うかのよう。
DE_Chirico_OydeppusSphinx.jpg


「放蕩息子」1973年
息子をまちわびていたお父さんは、こんな姿に。。
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「闘牛場の剣闘士」1975年
キリコは、過去の自分の作品に手を加え、修正し、リメイクするのが
晩年だった。


6,挿絵

ジャンコクトーの「神話」のための版画連作。リトグラフ。
これらの版画からの着想で油彩「神秘的な水浴」1936年もあった。


「神秘的な水浴」1965年 は後年の完成形。
謎が多かったので、小道具の意味を関あげるためポストカードを購入。
De_Chirico_Suiyoku.jpg


7,彫刻
彫刻には晩年、とりくみ始めた。
「ヘクトルとアンドロマケ」1966年
横浜美術館にあるのは、同名だが、1973年のもの。


8,舞台芸術
オペラの衣装や舞台装置を手がけた。
衣装のスケッチだけでなく、実際の衣装が展示されていた。
「オテロ」第二幕、中庭のスケッチ、水彩もあった。


[黒ハート]充実していて面白い展覧会だった。

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永遠の都ローマ展 [展覧会(西洋画)]

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東京都美術館で開催中の「永遠の都ローマ展」に行った。
ローマ展としては、2009年に「古代ローマ帝国の遺産展」が西洋美術館であった。
(その時の記事は、こちら)。それははローマ+ポンペイに的を絞った展覧会で、
今回は、ローマのカピトリーノ美術館のコレクション展。今年は明治政府が、
ローマに岩倉具視使節団を派遣して150年、これに因む企画。


カピトリーノ美術館のお宝は、チラシにあるように、カピトリーノのヴィーナス。
少し恥じらいを含んだ肢体は、どの角度から見ても美しいので、台にのせられた
姿をぐるりと一周してみることができるように、部屋の中央にある。

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もうひとつの目玉作品は、威風堂々の「コンスタンティヌス帝の巨大彫刻」。
頭だけで1.8m。出品作は、複製だが、その大きさと重量感に驚く。

そのままの形で残ってはいないので、大きな足や手は別に展示されている。
強いまなざしに圧倒される。コンスタンティヌス帝はキリスト教を公認し、
第2のローマとして、コンスタンティノープルに遷都をした。


Constannthinusu_Arm.jpg


ローマを作ったのは、オオカミに育てられてロムルス・レムス兄弟との
言い伝えがあるので、オオカミの乳を飲むロムルス・レムルスの彫刻があった。
修復したのだろう、光り輝くほど綺麗だった。

RomlusLemlus.jpg


写真はないが、私が惹きつけられたのは、大理石の彫刻「豹と猪の群像」。
太った猪より、ずっと体の小さい豹が猪の体の下に入りこみ、首をがぶっ、
の瞬間。弱点をわかっているのだ。迫力ある彫刻だった。


13世紀初頭の美しいモザイク。「ローマ教会の擬人像」。
隣に「教皇グレゴリウス9世の肖像」のモザイクもあった。

13-7.gif


BC1世紀頃 「イシスとして表わされたプトレマイオス朝皇妃の頭部」
  (注:イシスはエジプトの女神)

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ハドリアヌス帝時代後期:デュオニソスの頭部
女性の頭部は他にも、あったが、どれも、髪型が凝っていて面白い、と
思ったけど、ん?デュオニソスはワインの神。男でしょ。調べたら、デュオニソス
は、両性具有のようにやさしい顔立ちで描かれることが多いのだそう。

Dhionyusos.jpg


皇帝アウグストゥスの肖像。(1世紀初頭)
アウグストゥスはローマ帝国の初代皇帝。シーザーの養子。

クレオパトラとアントニウスの艦隊を破り、エジプトを併合、絶大な権力を持ち、
全土に平和をもたらし人民からも尊敬された。
August.jpg


カラカラ帝の肖像 (212年)
カラカラ帝の大浴場で有名な皇帝だが、暴君ネロよりもひどいと言われて
いるそう。悪そうな顔つき。

karakra.jpg


トラヤヌス帝.png

ローマの中心部で、ひときわ高い柱が、トラヤヌス帝記念柱。30m、台座を入れると38m。
柱には、トラヤヌス帝がルーマニアと戦って勝利した時の様子が彫られている。その一部分
のレプリカが展示されていて、撮影可だった。




カピトリーノ美術館は、世界的に最も歴史の古い美術館で、ルネサンス時代に
教皇シクストゥス4世が、ローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したのが起源であり、
18世紀にはローマの名家からの絵画も加わった。


絵画は、さほど多くない。
ピエトロ・ダ・コルトーナ「教皇ウルヴァヌス8世の肖像」1624~27年頃
ウルヴァヌス8世は領土を拡大し、教皇国家を史上最大のものにした。
ガリレオに自説を撤回させたが、学問と芸術の擁護者だった。
2本の指を立ててるのは、祝福のしるしである。

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ドメニコ・ティントレット「キリストの鞭打ち」1590年代
ひときわ、迫力があって目立っていた絵。

Tintret.jpg

カラヴァッジョ派の画家「メロンを持つ若者(嗅覚の寓意)」1629年
カラヴァッジョの画風と思ったら、弟子なんですね。

Carabajjo.jpg


私が好きだったのは、グイド・レーニの「ルクレツィア」、
アンニバレ・カラッチの「悔悛の聖フランチェスコ」


最後のコーナーは、「カピトリーノ美術館と日本」との関係。
明治時代、美術教材として、ローマ時代の石膏像のレプリカが使われ、
日本人・小栗が制作した「欧州夫人アリアンヌ半身」というのもあった。

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テート美術館展・LIGHT光 [展覧会(西洋画)]

Tate_Tirashi.jpg

暑い夏が9月まで続き、展覧会に行く気が失せていたら、友達から、
「何か見に行きたい」と言われ、行ったのが、「テート美術館展」Light光。
見たけれど、記事を書くのをさぼってたら、もう終わってしまいました。
今、何か展覧会へ行きたい人へのおすすめは、デイヴィッド・ホックニー展です。

さて、「テート美術館展」Light光 とあるように、作品は全部、テート美術館の
もので、「ターナー、印象派から現代へ」とサブタイトルがついている。
撮影可のものが多かったので、出品リストの順に記憶に残ってるものをご紹介。
Room1
<宗教的な主題を光と闇によって表現した18世紀末のイギリスの画家たちの絵>
●ジョージ・リッチモンド「光の創造」1826年
聖書の創世記1章3節 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
神は光を昼と名付け、闇を夜と名付けた  その場面だろうか。
不思議な絵で、ひきつけられたが、「光の創造」というタイトルで納得。
Richmond_The Creation  of Light1826.jpg


●ウィリアム・ブレイク「アダムを裁く神」1795年
ブレイクは、日本でも有名な詩人で、大江健三郎をはじめ、多くの人に
影響を与えてるが、画業もすばらしいと知り、多才に驚く。
WilliamBlake_God Judging Adam.jpg


●ウィリアム・ターナー「光と色彩(ゲーテの理論)大洪水の翌朝 創世記を書くモーセ」
文豪ゲーテの「色彩論」から影響を受けたターナーは、「すべての色彩は光と
闇との組み合わせ」というゲーテの理論を具現化、大気の効果、光と闇を描いた。
4Turner_Light and Color from the Gothe's theory.jpg

●ジョン・マーティン「ポンペイとヘルクラネウムの崩壊」1822年
横253㎝の大きな絵。噴火する火山、手前に逃げる人々、中心部に神殿や円形劇場
など建物が見える。
JohnMartin_Pompeii.jpg


Room2
<ターナーと並ぶイギリスを代表する風景画家コンスタブルとラファエロ前派の画家たち>
●ジョン・コンスタブル「ハリッジ灯台」1820年 小さい作品
白い灯台、白い雲、白い波頭。波頭は絵の具を散らして表現。
5Constable_LightHouse.jpg
コンスタブルの「イギリスの風景」という連作、銅版画もあった。


●ジョン・ブレット「ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡」1871年
きれいな絵。光の効果と感情に訴える本質を表現。またブレットは天文学者
でもあったので、科学的な観点をもって対象にアプローチした。
JohnBrett_The British Channel seen from theDorsetsCriff.jpg


●ジェームス・アボット・マクニール・ホイッスラー「ペールオレンジと緑の黄昏」
1866年 スペインと南米の間に起きた戦争の舞台となったチリの港町バルバライゾ
の海辺の風景。穏やかな海と船を照らす光の表現のために青、緑、灰色の淡い色を
用いた。好きな作品。
12Whistler.jpg

●フィリップ・ウィルソン・スティーア「ヨットの行列」1892年
帆に風をはらむヨットを大きな船から眺める人々。
スティーアはイギリス人だが、王立美術学校に入学できなかったので、パリへ
行き、カパネルの下で学んだが、ロンドンへ戻り、印象派のスタイルで海岸の
風景を描いた。後、ターナー、コンスタブルに倣い写実的な画風に転向した。
Steer_Yocht.jpg

●シスレー「春の小さな草地」1880年
9Sisley.jpg

●ピサロ「水先案内人がいる桟橋、ル・アーヴル、朝、霧がかった雲天」1903年
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●ジョン・エヴァレット・ミレイ「露に濡れたハリエニシダ」1889年
Millais_harienisida.jpg

Room3
<室内に差し込む光の絵>
ハマスホイが2点とウィリアム・ローゼンスタイン「母と子」だけ。


Room4 撮影禁止 (私はあまり興味を持てない部屋だった)
ターナーの「遠近法の講義のための図解」シリーズ。水彩画。
その他、デッサンやゼラチンシルバー・プリントなど。


Room5
<現代美術、抽象>

●カンディンスキー、●マーク・ロスコ、●ゲルハルト・リヒター
目に留まったのは、明るい色彩の幾何学模様の繰り返し●ブリジット・ライリー。
「ナタラージャ」1993年
昨年、川村美術館で、ブリジット・ライリー展を見たので、すぐわかった。
15Riley.jpg


Room6
<インスタレーション>
●デイヴィッド・バチェラー「私が愛するキングクロス駅」2002年
蛍光で光る箱が高く積まれてる。キングクロス駅がタワーに?
右横に置かれてる色とりどりの箱も彼の作品。
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●ピーター・セッジリー「カラー・サイクルⅢ」1970年
カラー・サイクルの名前通り、照明により次々と色が変わる。

19PeterSedgley_ColorCycle.jpg

●オラファー・エリアソンの「黄色vs紫」は公開時間限定なので見れなかった。

●ジェームズ・タレル「レイマー、ブルー」1969年 
LEDライトを使った光の作品。撮影禁止。
直島にある「地中美術館」のジェームズ・タレル作品、日没から夜への空を照明で
眺めるものが感動的ときいてるので、いつか行きたいと思っている。


●ブルース・ナウマン「銀と白色光の廊下」撮影禁止


Room7
●オラファー・エリアソン「星くずの素粒子」2014年
巨大なミラーボール。ミラーボールが動くと、壁を照らす光と影が動く。
きれい。宇宙空間のような感覚も。
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2020年に東京都現代美術館で、オラファー・エリアソン展があり、とても良かった。
その時の記事は、ここをクリックです。

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デイヴィッド・ホックニー展 [展覧会(西洋画)]

デイヴィッド・ホックニー展を東京都現代美術館へ見に行った。
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デイヴィッド・ホックニーの明るい色彩の楽しい絵はイラストのようでもあり、
ちょっと視点が変わっていて明快。60年代、アメリカンポップアートが全盛
の時代に活躍をしていたので、アメリカ人と思っていたら、英国人と今回わかった。
現在86才。ずっと第一線で新しい試みをしながら活躍しているのは、すばらしい。

東京都現代美術館はホックニーの作品をかなり持っているので、1996年に
「デイヴィッド・ホックニー版画展」を開催している。今回は、往年の作品から、
最近のものまで、ジャンルも油彩画、版画、貼り絵、コラージュ、アイパッドで
描いた動画と多岐にわたり、見飽きない。実際、見ていて楽しかった。

第一室は、「春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年」
横10mの大きな絵であることが写真からわかると思う。スマホでのみ撮影可。
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右側の3枚は、玄関の横の景色、12か月をアイパッドで描いたもの。この後に3枚が続く。
逆側にも6枚で12か月分。色彩で季節の変化が見てとれる。


次の部屋は、「ノルマンディの12か月」。2019年からノルマンディに住んだ彼は、
全長90m、絵巻物に見立てた大作を描いた。雪がとけた早春の景色。ここから始まる。
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見ていると、鳥の声が聞こえてきそうな春の景色だった。


ノルマンディの12か月が終わったあとに、実際にアイパッドで描いてる動画9枚。
この動きがそれぞれ独立しているが、最後に一枚の絵として完成する。
絵が達者でないとできない芸当。写真上が描き始め、下が完成形。
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ここまで見終わったところで、3階に移動して、若い頃の作品を見るコース。
代表作の「スプリンクラー」もあった。

これには驚いた。立体的で、部屋のセットを作ってあるのかと思えるほど。
「額に入った花を見る」
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「スタジオにて、2017年12月」これは圧巻。
3000枚の写真をフォトグラメトリという技術を使って作られてた作品。
不思議なことに本物の写真以上に立体感があり、スタジオを上から眺めている
気分になる。フラアンジェリコの「受胎告知」似の絵がスタジオ内正面に飾られ
ているのは何か意味が?


日本から影響を受けて作成した「龍安寺の石庭を歩く」1983年もあった。

ご本人の最近の「自画像」は、黄色地に黒とオレンジ色のチェックという
目立つスーツ姿で椅子に座っている。エルトン・ジョンに似てるような。
実際の写真もあり、そちらのほうがこの「自画像」よりいいと私は思うけど(笑)


最初から最後まで楽しめます。おすすめ。
展覧会のサイトはこちら。







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憧憬の地ブルターニュ展 [展覧会(西洋画)]

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東京・上野の西洋美術館へ「憧憬の地ブルターニュ」展を見に行った。
一か月くらい前に、損保美術館で見たのも「ブルターニュ」展で、
ブルターニュのカンペール美術館から借りて来たもの中心であった。
西洋美術館のは、国内美術館の作品が大半で、オルセーからの借りもの3点
という構成。国内のなら、いつでも見れるという気がするが、ブルターニュ主題で、
まとめて見れるのは面白い。しかも展示作品数160点と、とても多い。


「憧憬の地ブルターニュ」
なぜブルターニュは、憧れられるのかというと、ブルターニュ地方は、
フランスの西の端で、英国海峡をはさんで英国と近い位置で、祖先はケルト人である。
英語で、英国をグレートブリテンと言い、ブルターニュをリトルブリテンと呼ぶほど
である。そして1532年にフランスに併合されるまでは、ブルターニュ公国という
独立国であったため、独自の文化、生活様式を持つ。

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第一章 ブルターニュ地方の景観
ブルターニュは三方が荒い海に面し、海岸線は断崖が連なり、波が岩に砕ける。
モネの作品2つ。「嵐のベリール」1886年(オルセー美術館)
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「ポール=ドモワの洞窟」1886年 (茨城県近代美術館)
光を浴びる岩肌、海の水が無数の色の筆で置かれている。美しい絵。
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モネは、この2点が描かれたベリール島(Belle-Ile美しい島の意味)に3か月ほど
滞在し、約40点の作品を描いた。東京・アーティソン美術館にも「雨のベリール」
という作品がある。
英国のターナーも、中世にブルターニュ公国の首都として栄えたナントに2日間
滞在し、「フランスのヴェネツィア」と呼ばれるナントの水路の賑わいを描いている。
「ナント」1829年(ナント歴史博物館)
30×44cmの小さな水彩だが、実に細かく描かれていて、大気の様子もわかる。
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第二章 風土にはぐくまれる感性
野生と原始性を追求したゴーガンは、ブルターニュ地方のポン=タヴェンに滞在し、
ブルターニュ独特の風土、民族衣装の人たちの生活を革新的な様式で描いた。
ゴーガンに賛同する画家たちがポン=タヴェンに住むようになり、ポンタヴェン派
と呼ばれた。
一番上の写真:展覧会の立て看板は、ゴーガン「海辺に立つブルターニュの少女たち」
1889年 西洋美術館( 松方コレクション)


ゴーガン「ブルターニュの農婦たち」1894年(オルセー美術館)
白い頭巾にエプロンは、当時のブルターニュの民族衣装。
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ベルナールは、ゴーガンを慕って、ポン=タヴェンに移住し、それまでの
点描を捨て、輪郭線をはっきり描くクロワゾニズムの手法を推し進めた。
「ポン=タヴェンの市場」1888年(岐阜県美術館)
ブルターニュ独特の白い頭巾姿の人が多い。

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セリュジエ「ブルターニュのアンヌ女公への礼賛」1922年(ヤマザキマザック美術館)
中世の壁掛けの織物(タピ)を絵に表したような図柄。
アンヌはブルターニュ公爵家に生まれ、フランス王シャルル8世、ルイ12世と結婚、
ブルターニュ女公を名乗った。ブルターニュでは格別に人気がある歴史上の人物。
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第三章 「土地に根を下ろす:ブルターニュを見つめ続けた画家たち」
ブルターニュで生まれ育った画家たちは、土地の自然や風俗を描き「バンド・ノワール」
とよばれた。バンド・ノワールは黒の集団という意味だが、黒=暗い絵?ピンと来ない
ネーミング。代表格は、シャルル・コッテ
「悲嘆、海の犠牲者」1808年~09年(西洋美術館・松方コレクション)
上半身裸で中央に横たわる海の犠牲者、嘆く親族・縁者たち、あたかもキリストの死の
ような構図で、犠牲者に聖性をもたせる効果。コッテの代表作で、数年後に描かれた
ほぼ同じものがオルセー美術館にある。
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同じく「バンド・ノワール」のメンバーであるリュシアン・シモンは明るく楽しい
集いを非常に美しい色彩で描いている。
「庭の集い」1919年 (西洋美術館・松方コレクション)
赤い天蓋の下の舞台で芝居や踊りをする子供たち。観客としてそれを見つめる大人たち。
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同じくリュシアン・シモンの
「ブルターニュの祭り」1919年(西洋美術館・松方コレクション)
伝統的で有名な「パルドン祭り」だろうか。
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ブルターニュ育ちではないが、モーリス・ドニもこの地に魅せられ作品を残している。
「花飾りの船」1921年 愛知県立美術館
ぱっと明るい色彩の絵。アマンジャンと児島虎次郎の仲介でコレクター大原孫三郎の
注文に応じた絵。中央にドニの息子2人、再婚相手のエリザベツが紫陽花で飾られた船
に座り、船には日本の旗も。右端の船の女性はブルターニュの白い頭巾姿。
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ドニは、キリスト教の信仰に篤く、大勢の子供がいる家族を度々絵に描いた。
「若い母」1919年 (西洋美術館・松方コレクション)
聖家族の図柄をもとにした構図。

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版画家アンリ・リヴィエールもブルターニュに魅せられ、連作「ブルターニュ風景」
を制作した。リヴィエールは日本の浮世絵に興味を持ち、多色版画の作品を多数制作
している。

連作「ブルターニュ風景」より「ロネイ湾(ロキヴィ)」1891年 (西洋美術館)
青い空と海。なだらかな海岸線のやさしい風景にブルターニュの服装。
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「美しきブルターニュ地方」より「トレブルに停泊する船」1902年 (西洋美術館)
呼応する白い波の配置が面白い。深い海の色合いが波の白を一層引き立たせている。

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第四章 「日本発、パリ経由、ブルターニュ行 日本出身画家たちのまなざし」
ブルターニュは、日本でも注目され始めていたので、日本人画家たちも
ブルターニュへ向かった。黒田清輝、藤田嗣治、坂本繁二郎、岡鹿之助、山本鼎、
小杉未醒らがブルターニュを描いた作品が展示されていた。
今、見ても、さほど古い感じがしないのは彼らの技量ゆえと思う。初めて聞く名前の
画家の絵でも、いいなと思うものがいくつかあった。

久米桂一郎「林檎拾い」1892年 (久米美術館)
6年間のフランス留学の集大成の作品。サロンに出すことを念頭に制作。
頭に白いものをかぶり、木靴を履き、当時のブルターニュの服装。リンゴから
作る発泡酒、シードルはブルターニュの特産品。
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岡鹿之助「信号台」1926年 (目黒区美術館)
いつ見ても端正な岡鹿之助の絵。

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最後に、屏風があった。西洋の題材を日本の屏風に取り入れる試みが面白い。
映り込みがある写真ですみません。
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追記:yk2さんから、この屏風に「説明がない」というコメントが入りました。
疲れて、最後、説明を省略して記事を終わりにしたのだけど、小杉未醒が
お気に入りyk2さんは、がっかりなさったようで、説明がないのは不憫と、
代わりに説明をしてくださってるので、お読みください。

小杉未醒はこの頃は洋画家でしたが、のちに日本画に転向し、名も「放庵」と
改めました。
小杉未醒「楽人と踊り子」1921年(茨城県近代美術館)
左の楽人が吹いているのは、ブルターニュ地方のオーボエに似た楽器「ボンバルド」
で、合わせて踊る女性は白い頭巾に木靴とブルターニュ地方の服装です。<終>


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