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イータリー(EATALY) 原宿店 [レストラン(イタリアン、スペイン)]

イータリーは、イタリア発のカフェ、レストラン、マーケットがある店で、
原宿駅前の新しい商業ビル「ウィズ」3階にある。
テラス席から、原宿駅、明治神宮の木々が目の前に見え、風が通る。
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明るくカジュアルで小じゃれた店。ここに来るのは2度目。
前はテラス席でお茶をして、大きなマリトッツオを食べた。

今回は日曜日の午後、レストランでピザとパスタをとって友達とシェアした。
ピザは、マルガリータとカニとズッキーニのハーフ&ハーフ(半分ずつ)。
薄い生地のピザは、パリッとして引きがあり美味しい。チーズも癖がなく
いける。イタリアのコーラの広告がテーブル上にあったので頼んだら、
売り切れとのこと。アイスティにした。

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このパスタ、コルツェッティは、卵黄のみを使ってるのか、鮮やかな黄色で驚く。

見た目は、黄色いジャガイモ(インカの目覚め)みたいだが、もちもち感は、
まさに手打ちパスタ。アサリのソースがよくからみ、ひじょうに美味!

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デザートは、ティラミス、ジェラート、ピスタチオのセミフレッドという3択。
ピスタチオが好きなので、セミフレッド(アイスケーキ)にした。
ピスタチオ色で地味だけど、濃厚で満足。


店内のマーケットでは、オリーブオイル、バルサミコ、パスタ、ハム、チーズなど、
高級で美味しそうなイタリア食材を売っていた。
生ハムを2種類、買った。塩味が強すぎず、肉の味がして美味しかったが、値段は
安くない。
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原宿の他に、日本橋三越新館の地下、東京駅地下にも店舗があるそうだ。



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上野リチ展 [展覧会(絵以外)]

三菱一号館美術館で開催中の「上野リチ展」、15日(日)までで、時間帯によっては
入場制限もあるので、ホームページで確認してから、お出かけください。
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長引くコロナ、ロシアのウクライナ侵攻と、不安が拭えない日々。
ほっと一息つきたい時に眺めていたいレトロな「かわいい」デザイン。
それが上野リチのデザイン。彼女は1893年生まれ。今から130年前。
ウィーンの裕福な家庭に生まれたリチ(Felice Rix)は、ヨーゼフ・ホフマンと
コロマン・モーザーによって設立されたウィーン工房に学び、卒業後は、
工房で布や日用品のデザインを手掛けていた。花、鳥、魚などをモチーフにした
生命感あふれる色彩のかわいいデザインは人気があった。 
             ↓ 当時の作品 ↓

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リチは、当時ホフマンの建築事務所で働いていた京都出身の建築家・上野伊三郎と
結婚した。伊三郎と共に京都に住んだリチは、しばらくの間、京都とウィーンを往復する。
ウィーン工房の仕事を続けていたからである。

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リチは自分の作品を「ファンタジー」と言っていたそうだ。かわいさ満載。
左上の図は、スキー手袋。大きな花が真ん中に。全体は木の形。手首の所は
ウィーンだからか、チロリアンテープふう。
右上のプリント生地のデザインは代表作で、記念撮影用のパネルに使われていた。
(一番上の写真)

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「そらまめ」1928年

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面白かったのは、金箔の屏風絵「花鳥図屏風」。日本画の花鳥図でなく、
幾何学的模様で構成された花鳥図。「こんな屏風見たことない」だった。
ウィーンと京都を往復するリチならではの「西洋と日本の合体」である。


リチは、建築家の夫・伊三郎と共に、建築事務所を開設し、個人住宅や
店舗のインテリアも手掛け、斬新な空間構成は注目された。
伊三郎は、ブルーノ・タウトを招へいし、群馬県工芸所の所長に任命、
リチも嘱託職員として働いた。

1930年にウィーン工房を退職したリチは、群馬県の仕事と並行して、
京都市染織試験場の技術顧問となり、輸出用のプリント生地のデザインや
七宝を使った小物のデザインをした。

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1950年代以降、第二次大戦後、リチ夫妻は、京都市立芸大で教鞭をとり、多くの
優秀なデザイナーを育てた。
最後の部屋に、晩年のリチがデザインをまかされた、日比谷の日生劇場のレストラン
「アクトレス」の内装の実物大の写真があった。このレストランは予約をしておくと、
劇の幕間の30分間くらいで食べられるよう、座るなり料理の皿が運ばれてきたので、
いいシステムだなと思った。角の端の席だったのは覚えていたが、内装を思い出せ
なかったので、写真を見ればわかるかと思ったが、、、あやふやなままである。


展覧会のグッズを売る部屋がでは、レジの前に長い列が出来ていた。
「そらまめ」のファイルを買った。もとのデザインから抜き出して大きくしたもの。

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考えてみれば、19世紀から20世紀、激動の時代、戦争の時代だったのに、
リチのデザインは明るい色彩で、私たちを元気にする。しかも100年も前に
日本とウィーンを往復して仕事をする、キャリア・ウーマンのはしりだった。
仕事を続けながらも、後進を育て、、、
帰り道には、そんな上野リチの人生も気になった。

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再オープンの西洋美術館 [日本の美術館]

東京・上野にある国立西洋美術館は、長らく耐震工事をしていたが、先月、
再オープンした。大きな企画展は6月4日からだが、常設展は見れる。
大きく変わったのは前庭。植栽をなくし、開館当初の姿にしたそうだ。
さらに開館当初の正門は、上野公園の噴水側だったので、そちらの扉からも
入れるようになった。つまり、昔は、入ると、正面に「地獄の門」が見える
光景だったのだ。夕方、5時半、閉館前の写真。

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ロダンの彫刻「考える人」の向こうがフェンスで、写真右端に上野公園に面した
西門(旧正門)が見える。閉館前、夕方の写真。

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建物の中は変わらず、地下のロダンの彫刻群の部屋を通って、展示室へ進む。
展示されている絵と、絵の並びが大きく変わっていた。
まず、目に入るのが、
アンドレア・デル・サルト「聖母子」1516年頃、ポプラの板、油彩
アンドレア・デル・サルトは、ミケランジェロとラファエロがローマに活躍の場を移した後、
フィレンツェの盛期ルネサンスを牽引した。赤ん坊の筋肉質な足は彫刻を参考にしたらしい。

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クラーナハ「ゲッセマネの祈り」1518年 板、油彩
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キリストは、最後の晩餐の後、弟子たちを連れて、オリーヴ山に向かった。
山の麓、ゲッセマネの園で、キリストは祈りを始め、天使もやって来るが、
ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、3人弟子たちは眠りこけている。左上方には、
ユダに先導されてキリストを
逮捕に来た群衆の姿が見える。
左端、若くかわいい少年がヨハネだろう、他の2人はどっちがどっちかわからず。
ヴァザーリの「ゲッセマネの祈り」も展示されており、クラーナハのも加わった。


クラーナハ「ホロフェルネスの首を持つユディット」1530年頃 板、油彩

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美貌で敵の大将ホロフェルネスを誘惑、酔わせて斬首。故郷を救ったユディト。
おぞましい場面だが、絵の大きさが小ぶりなのが丁度よい。こちらを見つめる
ユディットの冷めた美しさに目がいく。


スルバラン「聖ドミニクス」1626年
縦2mの大きな肖像画
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ドミニコ会修道院の創設者、聖人ドミニクスの肖像画。脇にいる首輪の立派な犬は
松明をくわえているので、聖人の背後にほのかな影ができている。
スルバランは、17世紀スペイン絵画を代表する画家で、プラド美術館に作品がたくさん
あり、白の使い方がすばらしい。静寂性、瞑想性は比類なし、と思う。


以上が、オールド・マスターで気になった作品。
写真は撮らずに見ていたのだが、突然、聞こえてきた幼児の大声。さらに走る。
両親が走るのは止めたが、大声は注意せず。係の人も注意せず。気を悪くした
私はティータイム。入館が3時半だったのに、ケーキをゆっくり食べ、見る時間
がなくなってしまった。間を飛ばして、19~20世紀の馴染みの作品へ。


ハンマースホイ「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」1910年

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これは、オールドマスターの部屋のエヴァリスト・バスケニス「楽器のある静物」
(1660年代後半)の向かいにあった。なぜここに?と思ったら、「楽器のある静物画」
という共通点で時代は異なるが呼応するように展示すると説明があった。
この絵には静寂さが満ちているけれど、静物画と捉えるのは、、と違和感。
ハンマースホイ展で、いくつも作品を見ると、妻イーダの後ろ姿と半開きの白い
背の高い扉は、何度も登場するので馴染みになる。


ベルト・モリゾ「黒いドレスの女性(観劇の前)」1875年
2019年新規収蔵作品
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ベルト・モリゾは画家だが、マネのモデルをつとめ、マネの弟と結婚した。
パリのオルセー美術館やマルモッタン・モネ美術館にはモリゾのが描いた絵が
たくさんあるが、日本で持っているところは少ない。

このドレスにそっくりのドレスを着たモリゾの肖像写真があることから、
モリゾが自分のドレスをモデルに着せて描いたものだろうと言われている。
白いオペラグラスを手に持ち、白い手袋、ドレスの白い花飾り、と黒のドレス
に白がアクセントになっている。


ルノワール「帽子の女」1891年
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ルノワールは何回か画風を変えているが、これは印象主義から古典的傾向に戻った後
「真珠色の時代」に描かれた。さまざまな色彩が白と混じり合って真珠の輝きを放つ。


モネ「陽を浴びるポプラ並木」1891年
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モネは、同じモティーフを時間や構図を変えて描き、光と色彩を研究した。
この川沿いのポプラ並木も何回も描かれている。
青い空と白い雲、緑と黄色のポプラの木。明るく晴れやかな色彩である。


モネ「睡蓮」1916年 2m四方の大きな絵。

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これを制作した時は、睡蓮を描き始めてから20年が経っていたので、
もう描き慣れ、花や水面の影は、細部が大胆に省略されている。
これは後の抽象絵画にもつながると言われている。


彫刻は、ロダン「化粧するヴィーナス」1890年頃


中庭が見えるカフェ「睡蓮」

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新しく追加されたのは、どのようにして収集がなされていったのかを説明して
あるコーナーがあったこと。それによると、西洋美術館は、元々、松方コレクションを
展示するために作られたので、フランスの近代作品が中心だったが、1968年に
就任した山田智三郎館長の方針で、西洋美術全般の収集が始まった。その過程に
ついては、次回、行った時にもう一度、読みたい。

作品解説にQRコードが利用できるようになっているのも新しい試み。
解説には、日本語の他に中国語、ハングル語が表示されていた。


[黒ハート]常設展は、16世紀からの西洋美術作品、300点以上が見れて、500円と格安です。


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