アルベール・カーン美術館の日本庭園 [☆彡Paris 美術館]
アルベール・カーン美術館は、パリの西の端にあるブーローニュの森の一角
にあり、奇抜な形の建物は隈研吾の設計。
にあり、奇抜な形の建物は隈研吾の設計。
玄関横は、京都の石庭風で、建物は正倉院の校倉造りを意識している。
アルベール・カーンは、フランス・アルザス地方出身のユダヤ人銀行家で
実業家。1860年、明治時代より少し前の生まれ。アフリカのダイヤや金への
投資で財を成した後、若い人たちに世界を旅し、異文化を体験してほしいと
奨学金を出し、各国の写真や映像を集めた。その夥しい数の写真作品が、
美術館に展示されている。
カーンは、日本を気に入り、二度訪日し、伝統的な日本庭園を造った。
庭園だけでなく、明治時代の家もある。写真の右奥が入口。
実業家。1860年、明治時代より少し前の生まれ。アフリカのダイヤや金への
投資で財を成した後、若い人たちに世界を旅し、異文化を体験してほしいと
奨学金を出し、各国の写真や映像を集めた。その夥しい数の写真作品が、
美術館に展示されている。
カーンは、日本を気に入り、二度訪日し、伝統的な日本庭園を造った。
庭園だけでなく、明治時代の家もある。写真の右奥が入口。
これは、表千家の16代家元千宗室から寄贈された茶室。京都から運ばれた。
お茶花によく使われる白い椿もあった。赤い椿もあったが、バラの花と
間違えるほど、花が大きかった。気候のせいなのだろう。
間違えるほど、花が大きかった。気候のせいなのだろう。
日本庭園の中心は池。
池には、赤い太鼓橋がかかり、柳と桜が配置されている。
桜は既に散ってるものが多かったが、満開の桜もあった。
池なのだが、堀を意識したかのように石垣が組まれている。
石を積んだ三角形の山は富士山?
石を積んだ三角形の山は富士山?
斜面に植えられたツツジは、もうすぐ咲いて、赤いじゅうたんの丘になる
のだろう。この庭の手入れのためにフランス人の造園家が日本で学んだ
とのこと。
のだろう。この庭の手入れのためにフランス人の造園家が日本で学んだ
とのこと。
日本庭園の他に、バラ園がみごとなフランス庭園、カーンの故郷アルザスの農家、
イギリス庭園などがあり、散歩には1時間以上かかるが、自然の中を歩くのは、
とても気持ちが良かった。
イギリス庭園などがあり、散歩には1時間以上かかるが、自然の中を歩くのは、
とても気持ちが良かった。
建物内の美術館部分の写真展示には、日本の明治時代のものや、フランスの植民地
のアフリカ各国のものなどが、カラーに変換され、20㎝平方くらいの大きさで、
横に20枚、縦に14枚、マス目状、格子のように壁面を飾っていた。
見始めると、興味は尽きず面白かった。
「世界平和、異文化共存」を願って作った美術館、アルベール・カーンの願いは、
ここに生きているということを強く感じた。
のアフリカ各国のものなどが、カラーに変換され、20㎝平方くらいの大きさで、
横に20枚、縦に14枚、マス目状、格子のように壁面を飾っていた。
見始めると、興味は尽きず面白かった。
「世界平和、異文化共存」を願って作った美術館、アルベール・カーンの願いは、
ここに生きているということを強く感じた。
隈研吾といえば、国立競技場ですね。
カッコイイ建物に、日本庭園、丁寧に作られていますね~。
本格的なお茶室、ここでお茶をたてる催しなども、あるのでしょうか^^
いろんな庭園を見て歩くのも楽しそうです。アルザスの農家って、どんな感じだろう。
「世界平和、異文化共存」、難しいテーマですね。
実現してほしいけれど、争いは一向におさまらず、、。
by おと (2024-04-07 05:06)
おとさん、そう、話題を呼んだオリンピックの国立競技場の設計です。
隈研吾は、木を使った日本の伝統美「和」の設計が得意で、サントリー美術館、根津美術館も代表作です。パンフを見てみましたが、「お茶会」に関しては記述なしでした。戸が閉まり部屋も見れなくなっています。アルザスの農家は、写真を撮ったのですが、うっそうとした木々に覆われ、建物の形が見えにくいので、のせませんでした。傾斜の少ない三角屋根の素朴な2階建て。ここも扉が閉まっていて中に入れません。外階段でも2階へ行けますが、2階の扉も閉まっていました。
初期の美術館が完成したのは1920年、それから100年経っても世界平和は、訪れず、この先、世界の勢力地図はどうなるのでしょう。
by TaekoLovesParis (2024-04-08 01:01)
異国で日本庭園に遭遇すると、無性に嬉しくなりやすね!
日本古来の美を、たくさんの国のかたに知っていただきたいでやすね!
by ぼんぼちぼちぼち (2024-04-08 13:09)
日本を気に入ってくださり、こうやって庭園まで作っているのですね。
本格的なお茶室では、お点前など茶会もされるのでしょうか。
by ナツパパ (2024-04-10 12:03)
日本庭園を造った動機が気になってwikiでアルベール・カーンその人について読んでみましたが、それに拠ると日本に投資していたとのことで、財界人の渋沢栄一、浅野総一郎や大倉喜八郎らと交流が有ったそうですね。日本庭園は1878年のパリ万博にも「出品」されて以降、当時の上流階級のジャポニサンの間では大いに評判となったそう。そんな流れから、プルーストの『失われた時を求めて』の作中、貴族の日本庭園の世話をする日本人庭師の話を思い出しました(さすがに、あの小説はちゃんとに読んではいませんけど^^;)。
この話のモデルが世紀末の粋人(変人?^^ゞ)で知られるモンテスキウ伯爵で、伯爵には住み込みお抱えの日本人庭師がいて・・・と云う話をアール・ヌーヴォー関連の本で読んだ記憶が有りまして、今回改めて調べてみたところその庭師は畑和助(ハタ・ワスケ)と云う横浜出身の人物で、パリ万博の日本庭園造営の為にパリへと派遣された後はモンテスキウの他ロートシルト家の庭師も勤め、生涯日本に戻ることなくフランスにて没します。その和助の兄は、浅野侯爵家が横浜・鶴見に持つ広大な別荘の庭園を管理していたそうです。もしかしたら、ですが浅野総一郎との付き合いがアルベール・カーンのこの日本庭園造園に様々な影響を及ぼしていたのかも・・・なんて具合に、造園の経緯を想像してしまいました(^^。※ご参考まで→(https://www.townnews.co.jp/0116/2013/07/04/194519.html)
by yk2 (2024-04-14 02:29)
すみません、上のお話の訂正です(汗)。
URLリンク先を読んでうっかり早合点してしまったのですが、浅野総一郎は爵位の世襲制度に疑問を感じていた為に叙勲を敢えて受けなかったそうです。じゃ、鶴見に別邸を構えた浅野侯爵家って?っと調べてみたら芸州浅野家の事らしく、和助の兄が関わったのはそちらであって、浅野総一郎ではない模様。ちゃんと判断区別できる様に書いてて欲しいわ、リンク先(苦笑)。
ってことで、アルベール・カーンが浅野と知り合って、日本で浅野からウチの別荘の庭を管理してるヤツの弟がパリにいて庭師しとる。戻ったら連絡してみ・・・みたいな展開じゃなかったってオチで、すみません(^^ゞ。
by yk2 (2024-04-14 08:25)
nice&コメントありがとうございます。
▲ぼんぼちさん、そうなんです!広い本格的日本庭園があるときいて、パリ中心部からは、少しとおいのですが行ってみました。予想以上にすばらしかったので、とって嬉しかったです。
▲ナツパパさん、気に入って下さって、私財をなげうってこんな立派な庭園を造ってくださるのは、嬉しいですね。お茶室は内部を公開してないので、外から眺めるだけでした。お茶会は何か大きな行事以外には期待できそうもないです。昔の民家に貼ってある障子紙が厚くて、透けないので、日本情緒がなかったです。
▲yk2さん、貼っていただいたリンク先、面白く読みました。ほぼ150年前にパリへ渡った天才庭師がいて、そのまま住み着いてしまったとは。モンテスキう伯爵を知らなかったので、ガレを支援とかホイッスラーによる金を使った肖像画のことも感心しながら読みました。建物にに展示されていた昔の写真の中に立派な服装の日本人たちとの記念撮影もあったから、その中に渋沢栄一や大倉喜八郎、浅野総一郎もいたのでしょうね。全く説明がついてないので、何が何だかわからなかったのです。
by TaekoLovesParis (2024-04-15 00:14)