万世橋駅 [車・飛行機など]
小さな模型列車がトンネルをくぐり抜け、野原を走り、鉄橋をわたるジオラマを
飽きずに眺めていた。
そして、帰りに近くの「万惣フルーツパーラー」で、フルーツポンチを食べさせて
もらえるのが特別なことだった。
それから年月が経ち、2006年に交通博物館は大宮に移転、万惣は閉店した。
先日、お茶の水に用事があって出かけた時、交通博物館の跡地がどうなってるのか
行ってみようと思った。歩いて10分くらいなはず。
万世橋脇のJR線路の高架下、印象深い赤レンガの連続アーチの高架下が商業施設になり、
出来立てビールが飲めるブリュワリーがあるときいていた。惹かれるけど、ひとりで飲む
勇気はない。
ここが万世橋。下を神田川が流れる。写真の左側、レンガの所が商業施設の入り口。
丁度、中央線が通過して行くところだった。ホームに立って、ここに昔、駅があったのねと
眺めていると、また、次の中央線が通過。そうだと、写真を撮る。
中央線の万世橋駅があったことを知らなかった。
神田の「やぶそば」「まつや」が好きだった父のお供をしていたので、万世橋、昌平橋、
須田町、淡路町など、神田の地名には郷愁を覚える。
入り口前の広場に、「旧交通博物館」「旧万世橋駅舎」のモノクロ写真がパネルで置かれて
たので、まさにここね、と思った。感慨にふけるよすがになるものは何もなかった。
この写真、レンガのアーチの最初の部分がビールのブリュワリー、次のアーチは何かの店、
、とアーチが続く。背後に見える左右に茶色が入ったビルが、元交通博物館。
万世橋駅は、中央本線の始発駅として開業。
赤レンガの商業施設マーチエキュートの中に、昔の駅の資料展示室があった。
ミニチュアの模型で見ると、赤レンガに白い大理石のすばらしい駅舎。
東京駅に似てる!それもそのはず、東京駅と同じ辰野金吾の設計。しかも万世橋駅の
完成は1912年。東京駅の完成は1914年。東京駅は、万世橋駅の発展形だった。
東京駅はオランダのアムステルダム駅を真似たと言われてきたが、近年の建築史家の研究
によると、アムステルダム駅と東京駅では建築様式が異なるので他人のそら似なのだそう。
美しい万世橋駅だったが、関東大震災で倒壊。
中央線が東京駅まで開通したことなどにより、万世橋駅は使われなくなり、駅舎の跡地に
3階建ての交通博物館が建てられたのだった。
ロードスター展 [車・飛行機など]
行こう」と誘われた。場所は神奈川県の新子安のマツダのRDセンター。
遠いけれど、高速を使うと簡単に行ける。
帰りにキリンのビール工場でできたてビール飲めるから、も甘い誘い文句。
ロードスター(外国での名前は mx-5) は、外国でも人気があり、100万台突破記念
イベントは世界各地で行われたので、世界中の1万人のサインが集まったのだそう。
1989年発売当初のモデル。
時代が同じせいか、内装が当時、私が乗っていたBMWのZ3によく似ていて懐かしい。
排気量が大きくなり、ボディが大型化し、重量も重くなったので、3ナンバーに。
この建物でクラフトビールを飲みながら、軽く食べることが出来るのだが、
「レストランはあっち」と言われたので、気持ちの良い緑の中を通って行った。
かなり広いビアホール。出来立ての生ビールが美味しい。おなかも空いてたから、
ハマポークのトンカツとニシンとポテトサラダを頼んだ。友達はハンバーグライスと
オニオンリングで、コーラ。「私は運転なので飲みません」というテーブルに置く
カードが駐車場出口で渡される。
散歩に丁度良いが、暑い日だったので、散歩は無し。
工場見学を土日もやっているので、ふらりと行っても見学ができるとのこと。
大人が遊べる場所。
JAL羽田整備工場見学と機内食 [車・飛行機など]
Eは、ごく最近、ANAのに行って面白かったので、今度はJALにと思ったそう。
「見学は無料だけど、事前申し込みが必要だから、やっておきます」
初めに部屋でDVDを見たあと、話を聞き、格納庫に移動して説明を聞きながら見学。
説明係の人はJALのOB.
撮影自由なので、みんなカメラやスマホで撮る。
特注なので、1台8000万円。
飛行機は地上で後退できないので、バックをするには、トーイングカーが必要になる。
「侍ブルーの機体が離陸します」と言われ、カメラを向けたら、「違いました。
この次です」
羽田では飛行機が分刻みで離陸し、ピーク時には、1分に1台以上。
それでも、時間の正確さは世界一とのこと。
昔のポスター、制服、コックピット、ビジネスやファーストのシートなどが展示されていた。
昔のポスターで、「あれっ?」と注目したのは、これ。上村松園の「序の舞」
今、芸大美術館でやっている「東西美人画の名作」展のポスターに使われている絵。
私の部屋にあるカレンダー(日経おとなのOFF付録)もこの絵。
それまで北極回りだったヨーロッパ路線に、モスクワ経由が就航した時のポスター。
以前、TVの番組で、高橋真麻が、「ファーストのラウンジっていうのは特別なんです。
食べ物だって全然違います」と案内していた。12月の旅の同行Mはファーストクラス。
ラウンジは一名同伴OKなので、ファーストのラウンジに連れて行ってもらった。
重視でゴージャス感は少ない。シャンパンのおつまみも、こじゃれてはいるが、
驚くほどではなかった。
アミューズ(突き出し)は、さつまいも、カリフラワー、トマト、ラディッシュに
クスクスとヘルシー。前菜も鴨のローストと生ハムがのってるけど野菜のサラダ。
メインは、写真も撮り忘れてるから、何だったか忘れ。デザートにピエール・エルメの
なんだったか。。。夜食にキッシュと中華風つゆそば。
日野オートプラザ [車・飛行機など]
日野オートプラザは、日野自動車の見学用展示館。
以前に、電車の中の広告で見て、おもしろうそう、いつか行こうと思っていた。
駅からタクシーで10~15分と書いてあるので、車で行った。カーナビがないから
地図だけがたより。「ねぇ、この辺なんだけど、建物見えない?」 「見えない」
広い場所で角地だから、すぐわかると思ったのに。。
ぐるぐる回った末、コンビニできいてようやくわかった。
オートプラザの周りは、立派な道が数本できて、新興住宅地に変貌していたのだ。
7年前購入の地図には、出ていない道路や宅地。
ようやく到着。まず、喫茶室へ。チキンライス+コーヒーで500円。 社食価格。
展示場は吹き抜け。2階から1階の展示車を見ながらスロープを降りる。
天井に飛行機の模型が飾ってあるのは、昔、飛行機も作っていたからだそう。
ボンネット型の昔のバス。向こうに見えるのは、日野ルノー4CV.
右の白い車は、1964年発売の日野コンテッサ。ミケロッティのデザイン。
1917年、国産トラックの草分け。陸軍仕様自動貨車。
屋根がなくて、幌。
旧車のミニカーがたくさん展示してあった。
日野自動車は、消防自動車、トラック、バスを造っている。
黄色いトラックには「日本通運」の文字。緑のトラックには「福山通運」と書いてあった。
本物の消防自動車は、屋外に展示。1997年まで実際に沖縄で使われていた車。
左端は、1997年パリ・ダカールラリーで優勝したトラック。8000ccながら、20000ccクラスの車を
おさえての優勝で快挙と話題になった。かなり大きい。特にタイヤが大きい。
左から2番目、青い車は、ボンネット型トラック。
低公害技術のエンジンがいくつも展示してあった。
私には、懐かしい車がたくさんで楽しかった。
「F1疾走するデザイン」展 [車・飛行機など]
同じフロアのアートギャラリーで開催中の「F1疾走するデザイン」を見た。
この展覧会は、初めてF1グランプリが開催された1950年から年代順に、
その時代の花形レーシングカーの実物を展示している。
当時の最新のテクノロジーとデザインから、車の進歩が見てとれる。
まず目に入るのが、ロイヤル・ブリティッシュ・グリーン(深緑)色のすっきりした車体。
1950年代の名車クーパーT51。 2500cc
それまでフロントエンジンだったものが、リアミッドシップエンジンになった画期的な車。
エンジンを後ろにすると、コックピットの下にドライブシャフトを通さなくてすむので、
ドライバーの席が低くなる。それにより空気抵抗が減少し、コーナリング性能も向上した。
次にこの車が展示されていた。
1960年代の名車、ブラバムBT20(英国)
3000cc、V8
シンプルな車体で軽量化、低燃費になったため、燃料搭載量も少なくなり、
スタート時の重量が軽くなることで、有利になった。 タイヤも太くなっている。
以下、写真がないけれど、順に説明
1970年代の名車、チーム・ロータス(英国)
タイヤとサスペンションに工夫をして、直線コースではなく、カーブのコーナリングで差を
つけることを目指して設計された。3000cc、V8.黒の車体。
1980年代の名車、マクラーレン・ホンダ(英国)
ホンダの1500cc、ターボエンジンを搭載し、マクラーレンの設計。
車体が低いので、コース特性にすばやく反応でき、天才アイルトン・セナとプロスト
の才能もあって成功した。赤と白の車体。
1990年代の名車、ウィリアムズ・グランプリ(英国)
ルノーのエンジン3500cc、V10を搭載。
コンピュータ制御と油圧でサスペンションが自動で動き、車体の姿勢を保てる
ハイテクの車。イギリス人のマンセルがこれに乗って優勝した。
2004年のB・A・Rホンダ、2005年のフェラーリ、ルノーの実車も展示されていた。
2005年夏、パリのルノーのショールームで「歴代ルノー名車展」を見た。
最新のF1マシン、青と黄色の「ルノーR25」が、壁にかけてあった。
ロケットのよう。ミラーやステアリングも先鋭的。レーサーは実物大の写真。
こちらは「ルノーRE20」
1979年にフランスグランプリで優勝。
ターボエンジンの幕開けを切った車で、ドライバーJPジャブイーユはフランス人、
エンジンのルノー、オイルのelf、タイヤのミシュラン、すべてがフランス製の自慢の車。
「F1疾走するデザイン」展は、東京オペラシティ・アートギャラリーで、6月29日まで開催。
フランス国立自動車博物館 (2) [車・飛行機など]
☆ きのうの続きです。
◆1900年以前の車
↑の左の写真、この優雅な貴婦人のような幌のついた車はベンツなのです。
右の写真もベンツ。どちらも形がエレガント。
実際に使われていた時代の大きな写真パネルが後に置いてあります。
↓ の写真のように大きい車(ダイムラー)と小さい車、サイズはいろいろだったようです。
●1900年万博で発表されたベンツ
1900年にパリで万博が開かれました。その時、ベンツが今までの馬車のイメージを一新した
この車を発表して大評判だったそうです。
現在の車に近い形ですものね。背景に当時の万博会場の写真を使ってます。
エッフェル塔はこの万博のために建てられたのです。
↓の写真、同じ時代のプジョーです。ここではベンツの先進性がはっきりわかりますね。
◆パリ→北京、アジアへの旅
1931年にシトロエーンのジープがシルクロードを走って北京まで行きました。イラン→イラク→アフガニスタンと山道続きなので当時は命がけのロードだったのです。
写真の図はシルクロード全行程です。
帰国後、ロードの成功を記念して展示会が開かれました。そのようすを
ブースで再現していました。
鳥居は中国のイメージ。鳥居の奥に完走したジープがおいてあるのが見えますか?
カブール(アフガニスタン)で買った民族衣装や靴、金のピストル、パイプなども展示してありました。アジアとの交流の少なかった当時はとても珍しかったのでしょうね。
◆レーシングカー
全部で14台。赤がフェラーリ、青がブガッテイです。これだけ並ぶと壮観。
観客席は写真のパネル。がら空きで、ここには私しかいませんでした。
いっぷくさんのブログで、
http://blog.so-net.ne.jp/basilst/2006-07-16
この2色のミニカーを見て、自動車博物館をブログに、と思ったのでした。