SSブログ

神奈川県立近代美術館・鎌倉別館 [日本の美術館]

 今年の1月、戸塚でのコンサートに行く前に、隣の駅、鎌倉まで足を延ばして行ってみた。
場所は、鶴岡八幡宮から北鎌倉方面に鎌倉街道を少し歩いた所。道路に面した建物。
門を入ると、芝生のスロープになった庭があり、現代彫刻が置かれ、さながら彫刻庭園。
敷地がさほど広くないので、すぐ目に入る建物は、箱型の低層でコルビュジエふう。
それもそのはず、
大高正人氏の設計で、氏は西洋美術館の設計をした前川国男の弟子で、
前川はコルビュジエの弟子。陽がさして明るい日で、彫刻がいきいきと見えた。

井上玲子カゲボウシ1988.jpg

左:井上玲子 カゲボウシ 1988年
右:渡辺豊重 SWING86-01 1986年


犬の唄柳原義達1983.jpg

柳原義達 犬の唄 1983年


白い建物の1階は、ロビーとカフェ。カフェの大きい窓からは庭が見えて気持ちよさそう。
展示室は階段を上がって2階。
私が行ったときは、リニュアル記念展として「ふたたびの近代」という所蔵品展をしていた。
その中から、主だったものをご紹介。この美術館の所蔵品なので、
今後も見る機会があると思う。
撮影禁止なので、チラシに掲載されていた写真を使用した。


●古賀春江(この名前、女性っぽいけど男性です)「窓外の化粧」1930年
古賀春江というと思い浮かぶのは、国立近代美術館にある「海」。当時の流行の水着で片手
をあげた女性がまず目に入る。横には海。シュールというより空想の世界。一度見たら
忘れないと思う。
この絵も舞台が海だが、「海」ほどの不思議感はなく、楽しさが際立つ。
神奈川県近美の「葉山館」で、古賀春江展が開催されたことがある。古賀は38才で亡くなった。

鎌倉_古賀春江.jpg


●松本竣介「立てる像」1942年
36才で亡くなった松本の代表作。戦中の暗い時代、都会を背景に仁王立ち。
しっかり生きていこうとする自画像。

鎌倉_松本俊介.jpg


●岸田劉生 「童女図(麗子立像)」1923年
劉生が「余の肖像画の中で最もすぐれたもの」と日記に書いているそうだ。
この表情、なんか笑えるなぁ。「寒山捨得」の絵からヒントを得たと聞けば納得。
鎌倉_岸田劉生.jpg


●高橋由一 「江の島図」1876年
高橋由一は、「鮭」の絵が有名な日本で初めての洋画家。
「江の島」は鎌倉のすぐそばの海岸。島まで干潮時には歩いて行けたとわかる絵。
しかも大勢の人。当時から人気観光地だったとわかる。
いつも橋をわたっているけれど、今でも歩ける?。この美術館にふさわしい絵だと思った。
鎌倉_高橋由一.jpg


●鏑木清方「お夏清十郎物語 第2図」1939年
「お夏清十郎」は歌舞伎の演目。鏑木清方は最近、「築地明石町」の絵が見つかったと
話題になった。鎌倉に住居があったので、現在はそこが「鏑木清方美術館」になっている。

鎌倉_鏑木清方.jpg


●福沢一郎 「よき料理人」1930年
ユーモアに富んだ絵の福沢一郎。国立近代美術館での展覧会が面白かったことを思い出す。
鎌倉_福沢一郎.jpg


●阿部展也 「R-50」1970年
初めて聞く名前だった。シュルレアリスム、幾何学的抽象と画風を変えながら、最後は
イタリアで暮らし、海外美術の動向を日本に伝えた功績がある。
色がきれいなイタリアっぽいデザイン画
鎌倉_阿部.jpg


●山口逢春の掛け軸 濃い紫色の朝顔、縦にすくっと伸び、下の方の葉が花と
同色で大きかったのが印象に残った。

●最後に
この美術館がある鎌倉は風光明媚、海と山が近く、歴史ある古都なので、
光を求めて画家が、佇まいに魅せられて文学者が住居を構えた。
黒田清輝は材木座に別荘を持ち、岸田劉生は長谷に住み、小倉遊亀、前田青
鎌倉、平山郁夫は二階堂、鏑木清方は材木座から雪の下、伊東深水は山ノ内と
それぞれ、市内の各地に住んだ。
文学者では、「鎌倉文士」という言葉があるように、川端康成、久米正雄、高見順、
国木田独歩、大佛次郎など、枚挙に暇がない。

●大きい美術館ではないけれど、寛げる雰囲気で、所蔵品の質が高いので、
おすすめです。(駅から私には遠かったので、タクシーで行きました)

●ここは別館なので規模が小さいけれど、神奈川県立近代美術館・葉山館が本館、
大きな美術館です。どんな美術館なのかは、yk2さんの記事を参考にどうぞ。

nice!(41)  コメント(27) 
共通テーマ:アート

PARIS-BRUXELLES BRUXELLS-PARIS展 [☆彡Paris  展覧会]

コロナ・ウィルスで外出禁止の日々、以前、行った展覧会の図録を見たりしています。
その中で、面白かったものをとりあげてみました。
1997年、パリ、グランパレでの展覧会「パリーブリュッセル、ブリュッセルーパリ」

Hyoushi.jpg


図録の表紙は、George Lemmen "La plage à Heist-1891" の部分。
George Lemmen(1865~1916)は、新印象派の画家で、ベルギーで生まれ育ち活動した。

ベルギーは1830年に独立を宣言。
産業革命がヨーロッパで一番早く起こったため、経済的に繁栄をし、ここで取り上げる
1848年から1914年は、芸術にすぐれたものが多く登場した時期である。
フランスでも、1848年の2月革命を経てナポレオン3世が即位、政治的に安定をし、
1867年には日本も参加した万博が開催され、芸術的活動が活発に行われた。

パリにはオペラ座、ブリュッセルには劇場が出来、列車で往来する人もふえた。
1897年には、ブリュッセルで万博が開催された。「ベルエポック」の時代である。
これは双方が繁栄していた
パリとブリュッセルの文化的結びつきを見せる展覧会である。

当時の優雅で美しい女性を描いた大きな絵2枚。マネの「バルコニー」1868年
下は、ジェームス・ティソ「LL嬢の肖像」1864年(展覧会図録の裏表紙)

Manet_Balcon.jpg


PARIS-BRUXELLES_tissot.jpg


(1)リアリスム(写実)絵画から印象派へ

当時、人気があったのは、市民の生活を描いた絵だった。ブルジョワ階級だけでなく、
普通の市民を描いたものが登場した。
この展覧会ならではの展示方法は、ブリュッセル画家(Bruxelles)とパリ画家(Paris)
の同じシーンでの作品を並べ比較していることだ。


庶民の暮らしの絵
Bruxelles
(左)Henri Braekeleer 「窓辺にて」または「アントワープの教会」1872年
Braekeleerは、アントワープで生涯を送った人気の画家だった。フェルメールの影響
をうけ、部屋に人物がひとり、窓辺という絵が多い。

Paris
(右)ギュスターヴ・クールベ「プルードンと子供たち、1853年」1865年
クールベは、社会主義思想家のプルードンを崇拝し、肖像画を描きたかったのだが、
プルードンはモデルになるのを嫌がった。1965年、彼が亡くなった年に、クールベは
「記念碑として肖像画を描きたいので」とジャーナリストに手紙を書き、撮った写真を
使わせてもらい、これを描いた。

働く人Corbet.jpg


ブルジョワの暮らしの絵
Paris
(左)アルフレッド・ステヴァンス「ピンクの服の女性」1866年
ステヴァンスは、ブリュッセルで育ち、パリで学んだ。優美なドレスの女性の絵を描き人気があった。
ジャポニズムに影響され、中国のものも好きだったので、大きい絵で見ると、戸棚は中国製、
花瓶も中国製、女性が手に持っているのは、ひな人形とわかる。
Bruxelles
(右)ジェームズ・アンソール「牡蠣を食べる人」1882年
アンソールは、ベルギーのオステンドに生まれ、ブリュッセルの王立美術学校に通った3年
以外はずっとオステンドで暮らした。これは22才の時の作品で、オステンドのブルジョワ
階級の人の日常を鮮やかな色彩で描いている。

Courbet_Be.jpg


屋外での絵
Paris
(左)マネ「ラテュイユ親父の店」1879年 サロン入選作品
描かれた3人の表情からセリフが聞こえそう。
Bruxelles
(右)エミール・クラウス 「そり遊びをする子供たち」1891年
エミール・クラウスは、ベルギーの印象派、新印象派の中心的存在。アントワープの
王立美術学校で学ぶ。パリでも活動をし、多くの画家と交流した。
2013年に日本で展覧会が開催され、この絵も展示されていた。

Manet_Claus.jpg

海での絵
Bruxelles
(左)テオ・フォン・レイセルベルへ「自分のヨットでのシニャック」1896年
レイセルベルへはベルギー第3の都市ゲントで生まれ、ブリュッセルの王立美術学校で
学ぶ。パリの印象派展に出品されたスーラの「グランドジャット島、、」を見て、ベルギーに
点描を導入。スーラとの親交を深め、パリに移住した。

Paris
(右)ジョルジュ・スーラ「ポール=アン=ベッサンの外港 満潮」1888年
新印象派の創始者スーラは、この絵を描いた3年後に31才で亡くなった。青地に濃紺の額縁も
スーラが作ったものである。

Reiselberuhe_Soula.jpg


点描
この時代のブリュッセル、パリ、両者の絵画での大きな出来事は、点描の出現だったので、
31歳で亡くなったスーラの後継者シニャックを取り上げていた。
横4m縦3mの大きな絵が現れる。
(左)ポール・シニャック「調和の時代」1893年~95年 
シニャックはスーラから大きな影響をうけたが、スーラ亡き後は、明るい色の点描になった。
海とヨットを愛し、サントロペに居を構え、海辺の景色を多く描いた。

(右)ポール・シニャック「日傘の婦人」1893年
シニャックが色彩に対して卓越した才能を持っていることがわかる作品。
モデルは妻。ピサロのまた従妹である。この絵は、オルセー美術館所蔵で、チケットに
使われていたことがある。

Signac2のコピー.jpg


(2) 象徴主義
この時代のブリュッセル、パリ、両者の絵画での大きなもう一つの出来事は、象徴主義
で、
神秘的なテーマを扱った凝った絵や幻想的なものが、ブリュッセルから広がって行った。
代表格は、フェルナン・クノップフである。(2018年末、パリでのクノップフ展の記事あり)

(左)フェルナン・クノップフ「見捨てられた町」1904年
中世に繁栄した都市ブルージュをセピア色で描いている。
(右)オディロン・ルドン「キリスト」1880年
ルドンはパリで活動。
50才までほとんど色彩を使わない表現だった。モノクローム
で象徴主義文学から精神的な想像力を広げた作品に特徴がある。

クノップフとルドン.jpg


(左)ポール・ゴーギャン「ミステリアスであれ」1890年 菩提樹の木彫、多色塗り
ゴーギャンのタヒチの家の壁をかざっていた5枚のパネルのうちの1枚。
図案化された顔と泳ぐ人の背中、その間にあるアール・ヌーヴォー的曲線で表された波、海草が
混然としている。
(右)ジェームス・アンソール「悲しみの人」L'homme de douleur 1891年
悲しみの人=A man of sorrow は、磔刑のキリストのことである。15世紀の画家
Albrecht Boutsの同じタイトルの絵に倣って描かれた。
アンソールは、初期は印象派っぽい作品を描いていたが、(上に絵あり)1880年代半ばから
仮面や骸骨が登場する絵を描き始めた。

Gaugun_Unsor400のコピー.jpg


★★

この展覧会は、1843年から1914年のパリとブリュッセルに焦点を当ててるので、
その時代の絵画だけでなく、彫刻、家具も展示され、建築は写真、模型の展示だった。
(3)彫刻
ロダンは、パリで生まれ、彫刻家を志し、美術学校を受験するが3回失敗。
室内装飾の職人として働き、ブリュッセルの建築現場へ仕事に行き6年間暮らした。
その間に、イタリア旅行をし、ミケランジェロの彫刻に衝撃を受け、「青銅時代」を
作成し、彫刻家として評価を得た。生身そっくりの彫刻と評判だったので、モデルが
ポーズをとっている写真も展示されていた。
(左)青銅時代 1875年   (右)ダイアナDiane 1875年 大理石で優美。
Rodinのコピー.jpg


(4)アール・ヌーヴォー
工芸の分野では、アール・ヌーヴォーが生まれた。
特に2回のパリ万博に出品されたガレの作品をきっかけとして、ガラス工芸が花開いた。
(左)エミール・ガレ "Flambe d'eau 1900年" 水のフランベ 1900年のパリ万博出展作品。
(右)ドーム兄弟 "Le Deuil violet des colchiques" イヌサフラン模様、紫の死別の悲しみ 1893年
ドーム兄弟は父がガラス工場を経営していた。ガレの成功を目にして、兄弟2人は、
これまでのガラス製品と違う芸術性が高く、わかりやすいものを作り大人気となった。


Dome_Galles_2.jpg


アール・ヌーヴォー様式は、インテリアにも取り入れられた。
(左)アレクサンドル・シャルパンティエ「音楽用 譜面台」1901年
弾力性にすぐれたハンガリーのトネリコの木が使われている。
オルセー美術館には、アレクサンドル・シャルパンティエの内装による
アール・ヌーヴォー様式の部屋も展示されている。
(右)アルフォンス・ミュシャ La Nature 1900年 ブロンズ(青銅)に銅と金。
照明で金も銀もピカピカ光り、すばらしい。ここにだけ、人だかりができていた。
これは正面の写真だが、顔は横から見た方が美しいと思った。
ミュシャはチェコで生まれ、パリで女優サラ・ベルナールの芝居のポスターを制作、大人気となった。

Muha_artneuveau.jpg


(左)エクトル・ギマール 扉の取っ手 1897年 鉄と真鍮で鋳造
ギマールはパリのメトロの門のデザインで有名。鋳鉄で曲線を描くなど、自由自在な
形を作った。
(中)アンリ・ヴァン・ド・ヴェルド 椅子 1898年 padoukの木
ヴァン・ド・ヴェルドはベルギー生まれ。アール・ヌーヴォーの特徴でもある曲線を
使った椅子は、自邸のために作られたが、ドイツ、ベルギー、フランスのデザイナー
たちに手直しされ広まった。

 ヴァン・ド・ヴェルドに関しては、yk2さんの「オルセー美術館のアール・ヌーヴォーに詳しく書かれています。
(右)ロートレック 「Divan Japonaise」1892年

Divan Japonaise(ディヴァン・ジャポネーズ)という名前の店のポスター。
ロートレックはパリで活躍した画家だが、ポスターも手掛け、この作品をはじめとして名作が多い。


Chase_Afficherのコピー.jpg


この展覧会が開催された1997年は、まだパソコンでインターネット接続に時間がかかり、
プロバイダーの課金が高い時代だった。
美術知識も少なかった頃だが、企画展の面白さに気づいたのがこの展覧会である。以来、
パリに行く日程が決まると、グランパレ、プティパレ、オルセーなどの企画展をチェック
する楽しみができ、私にとっては、思い出深い展覧会である。

nice!(40)  コメント(16) 
共通テーマ:アート

パリのキッシュ [Paris レストラン・カフェ]

2017年末、1週間のパリ滞在旅、Mと。
Mとは3度目のパリ旅。
部屋を別々に取ったので、毎日、朝ご飯のダイニングルームで8時に待ち合わせる。
アイパッド持参で、1時間かけて、その日の予定を決める。ビュッフェスタイルの
朝ごはんは、いろいろなものがあるので、うれしくて、たくさん食べてしまうから、
いつもランチは、「軽くキッシュにしましょう」

[るんるん]
1、オルセー美術館のカフェテリアは、最上階、名物の大時計の裏という場所。
2階に豪華なインテリアのレストランもあるが、こちらは、カジュアルなカフェテリア。
通路と隔てるのは、オレンジ色の網のような柵。お皿にもこのオレンジの網模様。
注文をきくなり、持ってきてくれるのが、パンとナイフ・フォークのセット。割り箸の
袋のようなのに入っていて、テーブルセッティングが不要。これも同じ網模様。
食事をしているすぐ後ろが通路なので人が通るし、隣のテーブルとの間隔が近い。
長居をする場所でないから、いいのだろう。
左:サーモンキッシュ 右:キッシュ・ロレーヌ(ベーコン、ハム、玉ねぎ、チーズ)


名称未設定 2のコピー.jpg

Orsey_Cafeteria.jpg



2、「ル・ボン・マルシェ」Le Bon Marche 世界で一番古いデパート。
パリで一番高級なデパート。ギャラリー・ラファイエット、プランタンと格が違う。
ここの食料品はお土産にも便利。お惣菜は美味しいので、買って、ホテルの部屋で
食べる時もある。

3階にあるローズベーカリー「Rose Bakery」
ロンドンが本店らしい。オーガニックなもの、身体によいものを使ったケーキが何種類も。
窓辺には、はちみつの瓶が並べてある。ここに座って外を眺めていると、パリ!って思う。
ケーキだけでなく、キッシュもあり、美味しかった。
Paris_GM.jpg
Paris_GM_Quische.jpg

オーガニックなので、おすすめの飲み物は、いろいろな種類の野菜ジュース。

Paris_GM_jus.jpg



3、有名なカフェ、ドゥ・マゴ(Les Deux Magot)
渋谷の東急Bunkamuraに支店があるが、パリが本店。
上品でおいしいキッシュ! サラダも緑一色ではない。
Paris_LesDeuxMagot_Quische.jpg

前菜やサラダがメニューにいくつもあったので、カニとアボガドのサラダを
頼んだ。丸く型でくり抜いてある。下がカニのむき身、上がアボガドペースト。
香草をたくさん載せてある。カニとアボガドは合う取り合わせ。美味しかった。

Paris_LesDeuxMagot_Club.jpg

平日の2時頃だったが、結構な混雑。この店もテーブルが隣と近い。
インテリアは豪華だが、Cafeだから雰囲気はカジュアル。皆、寛いでいる。

Paris_LesDeuMagot5.jpg



4、ホテル・サン・レジ(Hotel San Regis) の隣のカフェ
Mが、「この前、来た時、泊まったホテル サン レジの隣のカフェのキッシュが
美味しかったから、もう一度食べに行きたいわ」と言うので、行ってみた。
柔らかめで、ふんわりと美味しかった。

Paris_Quische_HotelStRegis.jpg


写真は無いけれど、初日の夜、7時過ぎの到着だった。

マイレージでファーストクラスだったMは、「機内食のステーキが美味しかったし、
あまり、おなかがすいてないから、軽くカフェにしましょう」と言うので、有名な
カフェ・ロトンドへ行き、キッシュ頼んだ。やっぱり、パリのキッシュは美味しいと思った。

nice!(43)  コメント(17) 
共通テーマ:グルメ・料理