ベルナール・ビュフェ回顧展 [展覧会(西洋画)]
東急Bunkamuraのミュージアムに「ベルナール・ビュフェ回顧展」を見に行った。
ドアノーが撮影した30才の時の写真が展示されていたが、かなりイケメン。
ドアノーが撮影した30才の時の写真が展示されていたが、かなりイケメン。
ビュフェは、今年没後20年、独特の具象画でフランスを始め各国で人気を博し、
作品数も多い。2016年にパリ市立近代美術館で、回顧展が開催され話題になった。
日本では、静岡県、クレマチスの丘に「ベルナール・ビュフェ美術館」があり、
世界でただ一つのビュフェ美術館である。
コロナ禍で、海外から作品を借りるのが難しいため、静岡のビュフェ美術館の
所蔵作品を中心とした企画展である。
作品数も多い。2016年にパリ市立近代美術館で、回顧展が開催され話題になった。
日本では、静岡県、クレマチスの丘に「ベルナール・ビュフェ美術館」があり、
世界でただ一つのビュフェ美術館である。
コロナ禍で、海外から作品を借りるのが難しいため、静岡のビュフェ美術館の
所蔵作品を中心とした企画展である。
ビュフェは、1928年パリ生まれ。フランス国立高等美術学校に入学。20才で
権威ある賞を受賞し、脚光を浴びる。
権威ある賞を受賞し、脚光を浴びる。
「キリストの十字架降下」1948年
20才で早くも独特の細長い人物、幾何学的構成というビュフェスタイルを
確立している。キリストの十字架降下の話を現代に置き換えている。
悲嘆にくれているのはキリストの母マリア、肩を抱いているのはビュフェ自身。
確立している。キリストの十字架降下の話を現代に置き換えている。
悲嘆にくれているのはキリストの母マリア、肩を抱いているのはビュフェ自身。
肉屋の男 1949年
絵の説明に「ルーヴルにあるレンブラントの同主題の絵に影響されて描いた。
レンブラントに同じくビュフェも動物の皮を好んでいた。」と書いてあった。
「ロンドン・ナショナルギャラリー展」で見た「34才の肖像」で、レンブラントは
毛皮を着ているけど、、ルーヴルの毛皮の絵は、タイトルなんだろう?
絵の説明に「ルーヴルにあるレンブラントの同主題の絵に影響されて描いた。
レンブラントに同じくビュフェも動物の皮を好んでいた。」と書いてあった。
「ロンドン・ナショナルギャラリー展」で見た「34才の肖像」で、レンブラントは
毛皮を着ているけど、、ルーヴルの毛皮の絵は、タイトルなんだろう?
動物の皮は死してもなお存在感がある。一方、人間(自分)は、やせ細り、
壁と同化しそうな存在感のなさ。「存在の不安と不条理」と説くサルトルの
実存主義に通じるものがある。
当時は、サルトルの実存主義が大流行だった。
壁と同化しそうな存在感のなさ。「存在の不安と不条理」と説くサルトルの
実存主義に通じるものがある。
当時は、サルトルの実存主義が大流行だった。
1950年、ビュフェは、パートナーのピエール・ベルジュと南仏に古い農場を
借りて住んだ。(ピエール・ベルジュはビュフェと別れた後、イブ・サンローランと
一緒に住み、サンローランブランドを立ち上げた。財界や政治家に知り合いが多い)、
借りて住んだ。(ピエール・ベルジュはビュフェと別れた後、イブ・サンローランと
一緒に住み、サンローランブランドを立ち上げた。財界や政治家に知り合いが多い)、
拳銃のある静物 1955年
手紙の内容がなにだったのか?拳銃は手紙の上に置かれている。
手紙を抹殺したいのだろうか。
手紙の内容がなにだったのか?拳銃は手紙の上に置かれている。
手紙を抹殺したいのだろうか。
コクトーが詞を書き、プーランクが作曲のオペラ「人間の声」の本の
挿絵をビュフェが担当、挿絵(モノクロ)付きの本が展示されていた。
挿絵をビュフェが担当、挿絵(モノクロ)付きの本が展示されていた。
ニューヨーク37丁目 1958年
ビュフェの茶色と黒を基調とした色合いが、ニューヨークの摩天楼を
表現すると、少しレトロになる。この頃から強く太い線描きになった。
ビュフェの茶色と黒を基調とした色合いが、ニューヨークの摩天楼を
表現すると、少しレトロになる。この頃から強く太い線描きになった。
個展が成功し、多忙だった年、1959年。
モデルのアナベルと出会い、即結婚。
夜会服のアナベル 1959年
モデルのアナベルと出会い、即結婚。
夜会服のアナベル 1959年
1961年、チラシの絵「ピエロの顔」を描く。変装したビュフェの顔?
1962年、マルセイユのオペラ座の「カルメン」の舞台装置と衣装を頼まれた。
とても個性的な衣装で評判になった。モデルはアナベル。
「カルメン」 1962年
1962年、マルセイユのオペラ座の「カルメン」の舞台装置と衣装を頼まれた。
とても個性的な衣装で評判になった。モデルはアナベル。
「カルメン」 1962年
小さいミミズク 1963年
このミミズクは、赤ちゃん?毛も体も未発達。目がかわいい。
ビュフェは、カブトムシや蝶を観察して、精密に描いている。
それらも展示されていた。
背景に薄いブルーが使われているのは。珍しい。
ビュフェは、カブトムシや蝶を観察して、精密に描いている。
それらも展示されていた。
背景に薄いブルーが使われているのは。珍しい。
赤い花 1964年
非常にダイナミック。
非常にダイナミック。
1972年から写実的な風景画の連作にとりかかる。これまでと異なるアカデミックな
表現で描かれている。
ぺロス=ギレック 1973年
表現で描かれている。
ぺロス=ギレック 1973年
1980年代からビュフェは、私生活上での悩みが多くなり、苦悶の表情の自画像や
グロテスクと私には思える骸骨の絵があった。
その後、パーキンソン病で体が不自由になり、絵も描けなくなったので、自ら
命を絶ったのが最後である。
グロテスクと私には思える骸骨の絵があった。
その後、パーキンソン病で体が不自由になり、絵も描けなくなったので、自ら
命を絶ったのが最後である。
全部で作品数は80点。回顧展なので、ほぼ年代順の展示。
説明もわかりやすいので楽しかった。1時間ほどで気楽に見れる。
説明もわかりやすいので楽しかった。1時間ほどで気楽に見れる。
追記:若い頃のビュフェのパートナーだったピエール・ベルジュは、のちに
サン・ローランのパートナーとなり、ブランドを立ち上げた。サンローランと
共に築いたフランス絵画やアンティークのコレクションは質の高さで話題になった。
サン・ローランのパートナーとなり、ブランドを立ち上げた。サンローランと
共に築いたフランス絵画やアンティークのコレクションは質の高さで話題になった。