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ポルトガルの古都エヴォラ(世界遺産) [旅行(ヨーロッパ)]

 前記事のつづき

 ワイナリーを後にした私たちは、すぐ近くのアズレージョ工房に案内された。
アズレージョとは、装飾タイルのことで、15世紀にアラブから伝わり、その後、
ポルトガル独特の色、模様のものになった。

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 製法は、粘土を伸ばして、正方形(長方形)にカットし、乾燥させ、下板を作る。
下絵を描き、色をつけ(写真上左)、窯にいれて焼く。(写真上右)
出来上がったものが[右斜め下]
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 高速を1時間ほど走り、エヴォラに着いた。[車(RV)]
エヴォラは、ローマ時代から栄え、中世も、学問や教会が発展している都市だった。
1584年には、日本から、キリシタン大名「大村純友」の命をうけ、天正遣欧少年使節が、
エヴォラの大聖堂(カテドラル)を訪問し、オルガンの腕前を披露したそうだ。

 「まず教会へ行きますか?」とガイドさんにきかれ、「ごはんが先。DomFoaguim
というレストランへ行きたいです」 欧州在の某音楽家のイチ押しという店。
ここ(アレンテージョ地方)の郷土料理がおいしいそうだ。Evora2.JPG

[右斜め上] 入り口

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EvoraE3.JPG    EvoraE7.JPG 

   上の写真の8品が、4人分のオードブルで、座るなり、瞬く間に運ばれてきた。
[右斜め上] ミートパイはひとり1個、ピメントの詰め物(プチトマトではない)2個、うずらゆで卵3個
上段の右は、イカ、身厚でおいしかった。

 メインはひとり一皿づつ頼んだ。結構多い。お肉料理は、
左:ポークのエスカロップ、つけあわせは、ポテトチップ。 右:子羊のワイン煮
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 ポルトガルのワインは安いので、グラスワインはなし。必ずボトル。
グラスワインは、アルコール分の多いポートワインだけ。
地元の人たちに愛されている店という雰囲気だった。
魚料理は、ムール貝、タコ、?(左)、鮭と海老、しいたけ(右)

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 刻みキャベツ、きゅうり、トマトのサラダ。日本の家庭料理っぽい。
(「野菜がない」とコメントで指摘され、載せるの忘れてたと思い出し、追加しました)

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 デザートは、オレンジジャムを巻いたロールケーキ、アイスクリーム添え、チョコ掛け。
見かけより、ずっとおいしかった。右の小さいタルトは、コーヒーについてくるお菓子。
すべてが「日本人にぴったりの味」で、しつこくなく、◎。量が多いので、デザートを
とったのは、私だけ。

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 ようやく観光。
16世紀に建てられたサンフランシスコ教会。。
5000体の人骨があるそうだが、私は見に行かなかった。

    StFrancisco.JPG

[右斜め下] 内部も天井が高く立派。                 おしゃれな回廊があった。                                 InteriaStFrancisco.JPGStFranciscoKairou.JPG

 エヴォラで一番有名な聖堂(カテドラル)は、12~3世紀の建物。
大きいので、全体の写真を写すのは、むずかしい。
ここに訪れた「天正遣欧少年使節」は4人だった。任務を終え、8年後に帰国すると、
秀吉によるキリスト教禁止令が発布されていたので、4人は予期せぬ運命を辿ること
になった。しかし、彼らの持ち帰った活版印刷機と西洋楽器は、日本人が見たことの
ないもので、その後の文化に貢献した。

   SEkairou.JPG

 [右斜め上]これは中庭。オリーブの木が植えられている。
   [右斜め下] カテドラルの屋上からは、リスボンの家々のオレンジ色の屋根、白い壁が見える。

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 ローマ時代に造られた「ディアナ神殿」 コリント様式。想像していたより小さかった。
古代の人々が石を積み上げて作ったのだから、感心する。

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 他にも中世の修道院、大学、教会があり、町全体が「世界遺産」指定の歴史地区。
ぶらぶらと小一時間、ときどきお土産屋をのぞきながら、散歩をした。

 夕方、帰途につく。リスボンの灯りが見えてきて、遠足も終わりとなった。

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