ウィーン・モダン(クリムト、シーレ世紀末への道) [展覧会(西洋画)]
国立新美術館で「ウィーン・モダン(クリムト、シーレ世紀末への道)」を見てから
かなりの時間が経ち、忘れていることだらけ。だからこそ、書いておかなくては、と、
*ミニ図録*を見ながら思い出し中。
(今回、通常の図録の他に、ミニ図録13.5×15×2㎝、1000円が販売されていた。かさばらず便利)
かなりの時間が経ち、忘れていることだらけ。だからこそ、書いておかなくては、と、
*ミニ図録*を見ながら思い出し中。
(今回、通常の図録の他に、ミニ図録13.5×15×2㎝、1000円が販売されていた。かさばらず便利)
クリムトとシーレの展覧会かと思って行くと、違う。
ウィーン・モダンのタイトル通り、1740年代から世紀末1900年代までの
ウィーン美術の変遷をたどる展覧会である。
最初の展示は、大きなマリア・テレジアの肖像画、上に息子の幼いヨーゼフ2世の像が
ついている。ここから始まる時代である、という暗示。
ヨーゼフ2世の時代は、啓蒙主義を取り入れた近代化の時代だった。
農奴制を廃止、病院を建設、王室の庭園だったプラター広場を市民に開放した。
そして、カソリック以外の宗教を容認したので、フリーメイソンは全盛期を迎えた。
「ウィーンのフリーメイソンのロッジ」という絵の右端には、モーツァルトと
「魔笛」の台本を書いたシカネーダーが描きこまれていた。
ウィーン・モダンのタイトル通り、1740年代から世紀末1900年代までの
ウィーン美術の変遷をたどる展覧会である。
最初の展示は、大きなマリア・テレジアの肖像画、上に息子の幼いヨーゼフ2世の像が
ついている。ここから始まる時代である、という暗示。
ヨーゼフ2世の時代は、啓蒙主義を取り入れた近代化の時代だった。
農奴制を廃止、病院を建設、王室の庭園だったプラター広場を市民に開放した。
そして、カソリック以外の宗教を容認したので、フリーメイソンは全盛期を迎えた。
「ウィーンのフリーメイソンのロッジ」という絵の右端には、モーツァルトと
「魔笛」の台本を書いたシカネーダーが描きこまれていた。
その後、ナポレオン戦争が起き、終結後の1814年が有名な「ウィーン会議」である。
「ウィーン会議の各国出席者たち」という会議室に全員集合の絵もあった。
ブルジョワたちの邸宅では、くつろぎの空間が誕生し、椅子も今までの権威的なもの
から、家具として軽い動かせるものになった。
「ウィーン会議の各国出席者たち」という会議室に全員集合の絵もあった。
ブルジョワたちの邸宅では、くつろぎの空間が誕生し、椅子も今までの権威的なもの
から、家具として軽い動かせるものになった。
銀器も装飾を排し、素材の本質を追求するシンプルな形になった。
左はベッヒェのティーセット。エンボス加工された銀。右はホフマンデザインのバスケット
左はベッヒェのティーセット。エンボス加工された銀。右はホフマンデザインのバスケット
当時人気の音楽家シューベルトの肖像画があり、
「ウィーンの邸宅で開かれたシューベルトの夜会」という絵もあった。
美しく着飾った大勢の人たちがシャンデリアの輝く部屋で、ピアノの前にすわる
シューベルトを囲む絵。
ブルジョワたちには、都会や田舎の風景画が好まれた。
田舎の風景では、ヴァルトミュラーの作品が多かったが、「バラの季節」
が光あふれる絵で、山間の畑ののどかさ、楽しそうな若い2人、いいなと思った。
田舎の風景では、ヴァルトミュラーの作品が多かったが、「バラの季節」
が光あふれる絵で、山間の畑ののどかさ、楽しそうな若い2人、いいなと思った。
都会、ウィーンのシュテファン教会、リング通り、国会議事堂などを描いたのは、
ルドルフ・フォン・アルトだった。
フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリザベートの時代となり、2人の肖像画があった。
当時の人気画家ハンス・マカルトは、皇帝夫妻の銀婚式を祝うパレードの演出を
任されたので、横3mの大きなデッサン画が2枚展示されていた。ネオ・バロックの
画風だが、見ていると、ウィーンの栄華が伝わってくる。
マカルト作の肖像画も何枚もあった。
「メッサリナの役に扮する女優シャルロット・ヴォルター」
社交場だった「マカルトのアトリエ」を描いた他の画家の絵もあった。
当時の人気画家ハンス・マカルトは、皇帝夫妻の銀婚式を祝うパレードの演出を
任されたので、横3mの大きなデッサン画が2枚展示されていた。ネオ・バロックの
画風だが、見ていると、ウィーンの栄華が伝わってくる。
マカルト作の肖像画も何枚もあった。
「メッサリナの役に扮する女優シャルロット・ヴォルター」
社交場だった「マカルトのアトリエ」を描いた他の画家の絵もあった。
クリムトは「旧ブルグ劇場の観客席」という絵に100人以上の人間を写真かと思える
ほど細かい線でていねいに描きこみ、皇帝から高く評価され、「皇帝賞」をもらった。
ウィーンでは万博が開かれ、日本は庭園を造営した。万博の記念品(グッズ)や
会場の絵柄の傘のお土産品が展示されていた。
ヨハン・シュトラウスの胸像があり、ワルツを踊る「宮廷舞踏会」の絵があった。
絵や工芸品を見ながら、ウィーンの歴史をたどっていく展覧会。
時はすすみ世紀末へ。
オットー・ヴァーグナーがウィーンの都市デザイン・プロジェクトを
いくつも提案し、絵画の分野では、クリムトに率いられた若い画家たちが
「ウィーン分離派」を結成した。
オットー・ヴァーグナーの「カール・エルガー市長の椅子」
市長の60才の誕生日を記念して,オットー・ヴァーグナーがデザインした。
ローズウッドに真珠母貝を加工したものをリベットのように象嵌細工。
実際、キラキラ輝いていた。座り心地は?
時はすすみ世紀末へ。
オットー・ヴァーグナーがウィーンの都市デザイン・プロジェクトを
いくつも提案し、絵画の分野では、クリムトに率いられた若い画家たちが
「ウィーン分離派」を結成した。
オットー・ヴァーグナーの「カール・エルガー市長の椅子」
市長の60才の誕生日を記念して,オットー・ヴァーグナーがデザインした。
ローズウッドに真珠母貝を加工したものをリベットのように象嵌細工。
実際、キラキラ輝いていた。座り心地は?
ヴァーグナーの建築模型がたくさんあり、これが絢爛豪華で金ピカ、美しいのだが、
実現には至らなかったものが多い。当時の新素材、アルミや鉄、ガラスを使った
機能的な「郵便貯金局メインホール」は写真展示だが、この建物は実現し、今も
使われている。
実現には至らなかったものが多い。当時の新素材、アルミや鉄、ガラスを使った
機能的な「郵便貯金局メインホール」は写真展示だが、この建物は実現し、今も
使われている。
ここで、ようやくクリムト作品が登場。
初期の作品「寓話」などは古典的な画風だが、1895年の「愛」から作風が変わる。
日本美術の影響といわれているが、画面両端に金箔を施し、表装のようにしている。
主題の「愛」のカップルは朦朧と描かれた人々の視線の先、白いドレスの女性が
浮き立つ。
「パラスアテナ」1898年
この絵を始めてみた人は、ドキッとするだろう。次にこの人は誰?
「パラスアテナ」はラテン語で、アテナ神。黄金の兜、手に金の棒を持ち、
金のうろこ模様の胸当て。胸当ての上には、人の顔?(ゴルゴン)がつき、
すざましい目力でこちらをみつめている。恐ろしさを覚えるのだが、このアテナ神は
男を惑わすファム・ファタルだそう。
クリムトのデッサンもたくさん展示されていた。
ウィーン分離派の画家たちというコーナーでは、目黒美術館で見たカール・モルや
コロマン・モーザーの絵があった。
次は、ポスターのコーナーで、お馴染みのクリムトのウィーン分離派のポスターもあった。
ココシュカの「夢見る少年たち」という自作の詩入りの木版画のリトグラフ8枚連作は、
以前、三越のウィーン展で見たと思う。
ベルトルト・レフラー「キャバレー・フレーダーマウスのちらし」
ウィーン分離派の画家たちというコーナーでは、目黒美術館で見たカール・モルや
コロマン・モーザーの絵があった。
次は、ポスターのコーナーで、お馴染みのクリムトのウィーン分離派のポスターもあった。
ココシュカの「夢見る少年たち」という自作の詩入りの木版画のリトグラフ8枚連作は、
以前、三越のウィーン展で見たと思う。
ベルトルト・レフラー「キャバレー・フレーダーマウスのちらし」
工芸品もあり、ヨーゼフ・ホフマンのブローチが3点あった。
ブローチの縁の象嵌は、オットー・ヴァーグナーの椅子にも通じるものがある。
ブローチの縁の象嵌は、オットー・ヴァーグナーの椅子にも通じるものがある。
次の部屋では、遠くからもはっきりわかる大きな絵にひきつけられる。
分離派のクルツヴァイル「黄色いドレスの女性」
分離派のクルツヴァイル「黄色いドレスの女性」
クリムトは28才年下のシーレの才能を高く評価していたが、シーレは若くして亡くなった。
シーレの絵は、クリムトとは違う画風。
自画像。 細い指先と視線に独特のものがある。
シーレの支援者で美術批評家レスラーの肖像画もあったが、やはり細い指先と視線が
めだっていた。その妻を描いた「イーダ・レスラーの肖像」は美しいが、冷たい視線が
気になった。
ゴッホに刺激されて描いた細長い絵「ひまわり」もあった。
最後に近い部屋には、クリムトが描いた恋人エミーリエ・フレーゲの等身大ほどの
細長い絵があり、撮影可能だった。ドレスはクリムトのデザイン。
それを使ったコンサートが丁度、終わったところだった。
ベーゼンドルファー社製で、細部にまでクリムトの趣向が見られる。
黒を背景に輝く抑えた金色、ここでもクリムトが時代の寵児だったことがわかる。
黒を背景に輝く抑えた金色、ここでもクリムトが時代の寵児だったことがわかる。
ここと合わせてお読みになると、私がさらっとしか書いていないクリムトへの理解が
深まりますよ。
深まりますよ。