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大川美術館で松本竣介展 [日本の美術館]

12のことだが、群前県桐生市の「大川美術館」へ松本竣介展を見に行った。
ダイエーの副社長、マルエツの社長を務めた桐生市出身の大川氏の個人コレクション
美術館。近代の日本・海外の作家の作品が中心。松本竣介の絵画を多く持っている。
ますはCafeでランチ。
12月大川美術館.jpg

山の中腹にあるので眺めが良いが、この日は寒かったので、テラス席でなく中で。
入り口は目立たないが、看板があるのでわかった。

大川美術館入り口1.jpg
海外の作品は、ピカソ、ルオー、モディリアーニ、ローランサンなど有名どころが
揃っていて、
日本画は、野田英夫が多いが、速水御舟の掛け軸風縦長の柿の絵、
上村松園の「初雪」、
山口華陽の「双鶴」、伊藤深水の「京茶碗」が良かった。


松本竣介(1912-1948)は、戦中戦後の困難な時代にひたむきに生き、絵を描き、
戦後間もなく36歳で夭折した。身近な「風景」や「人」を中心に描き、温かみの
ある絵が多い。
20年くらい前、その頃の同僚に、大学での専攻は美術史だったという人がいて、
「松本竣介が、ちょっと暗いけど、一番好きなんです。心を打つものがあるんですよ」
その言葉が気にかかっていた。
盛岡の友達のところへ行ったときに寄った「県立美術館」で、「松本竣介と舟越保武」
コーナーがあり、作品がたくさん
あった。竣介の風景画は、有楽町、池袋といった馴染みの
場所の戦前。
素朴な風景。昔は、こんなだったの、と感心して眺め、抒情あふれる絵に
引き込まれた。


松本竣介と舟越保武は旧制盛岡中学の同級生。ここに作品がたくさんあるのも当然。
竣介は中学生の時、脳脊髄膜炎で聴力を失い、学業優秀だったが絵の道へ進むことになる。
17才で上京し、池袋の恩師の家の隣に住み、太平洋画会研究所に通った。耳が聞こえ
なかったので、徴兵されず、戦時中の
都会風景を描くことができた。

好んで描いたのは、お茶の水のニコライ堂。
「ニコライ堂の横の道」1931年
ニコライ堂の横の道.jpg
ニコライ堂を描いたものは、デッサンを含め6点ほどあった。


チラシに使われていた絵は「Y市の橋」1943
松本俊介.jpg

Y市の橋」は、制作年代は異なるが、同じタイトルのものが他に3点あるそうだ。
「Y市の橋」のためのデッサンも展示されていて、それには、車が描きこまれていた。
横浜駅辺りのデッサンも展示されていたので、Y市は横浜市だと思う。


もう一枚、チラシに使われておいたのは、「街」1938
かなり大きい絵。青に支配されたシャガール風の絵。夢がある街。
街.png

都会風景がテーマの展覧会だが、「自画像」1943年もあった。
自画像1943.jpg

1943年は亡くなった年なので、こんな若いまま亡くなったのだと残念に思う。
同じ、1943年、最後の作品は小さな作品で「建物」(青)だった。

竣介は、新宿区中井に居を構え、小説家の林芙美子と近くだったので、
交流があった。竣介のアトリエが再現されていたが、そこには、林芙美子から
もらった中国みやげの品も飾られていた。
左側に「Y市の橋」の絵、その横が「自画像」
12月大川美術館の林芙美子.jpg


大きな絵で目立ったいたのは、「立てる像」1942年
戦後の焼け野原に立っているのかと思ったら、42年だから戦中。
背景は自宅から近い高田馬場とのこと。しーんとした町を背景にすくっと立つ青年。
遠近感が無視されているので、町を背後に強く立っている若さが伝わる。
立てる像.jpg

大川美術館では、松本竣介展を4回に分けて開催し、最終回のこの時のテーマは、
「都会風景」だった。私は人物画よりも風景画が好きなので、いいなと思った
絵が多く満足な展覧会だった。桐生市まで足をのばした甲斐があった。

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