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横浜美術館の常設(1) [日本の美術館]

横浜美術館は、1989年の開館。堂々とした横長の広い建物が評判になった。
開館以来32年が経過、リニューアル工事に入り2023年度まで休館になる。

横浜美術館の特徴は、蒐集作品に現代美術が多いことである。ここで見た作品が
きっかけで、名前を知ったアーティストも多く、私の現代美術への興味が深まった。
蒐集作品は他に、横浜ゆかりのもの、開港関連のもの、版画、写真が多い。

入り口のホールでまず目につくのは、彫刻。
1,ジョルジョ・デ・キリコの「ヘクトルとアンドロマケ」1973年

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ヘクトルがトロイの戦いに出る前、妻アンドロマケと別れを惜しむ場面。
へクトルは戦死して英雄となるが、アンドロマケは。。
キリコが第一次世界大戦で、戦場から病院へ移された時の不安な状況を
同名の絵に描き、後に彫刻が制作された。

2,アンドレ・マッソン「砂漠のモニュメント」1941年
椅子にすわる人間に襲い掛かる鳥?
アンドレ・マッソンは、第一次世界大戦にフランス兵として従軍、
重症を負い2年間入院生活を送る。その後、シュルレアリスム運動に参加した。

Yokohma_AndreMasson砂漠のモニュメント.jpg 


3,オシップ・ザッキン 「オルフェウス」1948年
ギリシア神話の竪琴を持つ吟遊詩人オルフェウス。
上半身が竪琴と一体化してしまったオルフェウス。それでも口を開けて歌い続けている。
パリの「ザッキン美術館」に行った時、原型が庭にあった。
キュビズムとギリシア彫刻の融合をめざした作品。

Yokohama_zakkin.jpg


*以上3点の彫刻の綺麗な写真は、yk2さんのブログをご覧ください。


展示室は2階なので、エスカレーターで上がる。上がった所にあるのが、
4,イサム・ノグチ「真夜中の太陽」
1970~89年
黒と茶色の御影石で出来ている。
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この「真夜中の太陽」の左の方が企画展、右の方が常設展、手前が日本画という
部屋割りだったと思う。

5,ハンス・アルプ「成長」
1938年
人の体を表している。エネルギーが体の内側から体を持ち上げていくようす。
見る角度によってかなり違って見える。
彫刻の横の壁には、同じくハンス・アルプの絵画「瓶と巻きひげ」が架けてあった。

YokohamaArp.jpgYokohama_Arp髭.jpg

ハンス・アルプは、「ダダ」の中心的存在だった。「瓶と巻きひげ」は、ミロに似た
可愛さがあるが、ヒゲや唇、瓶やフォーク、皿など身近なものから新しい形を作り
あげるというアルプの作品づくりの特徴が表れている。


6,ダリ「幻想的風景、暁、英雄的正午、夕べ」1942年
化粧品で成功したヘレナ・ルビンシュタインから依頼された3面壁画。大きい!
ヘレナの人生を一日に例えている。左は若き日、中央は成功した女性、大きく手足を広げ、
地上にしっかりと立つ。風景と肖像画を融合させた絵。右は老境の夕暮れ。
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7、ルネ・マグリット「王様の美術館」1966年
山高帽の男のシルエット。胴体部分に森と山の景色。普通なら遠景景色が、
近景になっている。マグリットの絵は、いつも不思議な部分があり、それが魅力。

YokohamaMagrid2.jpg


8,ジョージ・グロッス(George Grosz) szはドイツ語ではß
「エドガーアランポーに捧ぐ」1918年
グロッスは20世紀最大の風刺画家。ベルリン生まれだがファシズムに反対し、
共産党に入るがロシアの一党独裁を見て幻滅し、アメリカへ亡命。ダダの系譜。
大胆な構図と強烈な色彩の絵。画法よりも題材にユニークさがある。
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9,オットー・ディクス 「仔牛の頭部のある静物」1926年
ディクスは第一次大戦に従軍。戦後のドイツ社会を辛辣に風刺、反戦作品を
制作した。ドレスデンのアカデミーの教授になるがナチにより公職追放され。
頽廃芸術展に作品が多く展示された。
古典的技法に倣った細密な絵。仔牛の半開きの眼が大量虐殺の時代を物語る。

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ジョージ・グロッス、オットー・ディクスの作品は、パリのポンピドーセンターで
いつも見かけるので、私は馴染みがあるが、日本で見る機会は少ない。


以上、挑戦的なシュルレアリスムやダダの作品を見てくると、普通の作品にほっとし、
優しさ感じる。

10,ブラック 「画架」1938年
ピカソと共にキュビズムに没頭したブラックだが、第一次大戦に従軍、重傷を
負ったのち、調和と中庸を旨とするフランス絵画の伝統へ回帰していった。
絵の中のパレットは骸骨のイメージに重ね合わされ、第二次大戦前の不穏な
心象が読み取れる。
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11、フジタ 「腕を上げた裸婦」1923年
1920年代前半、フジタはパリで、裸婦を描くのに「乳白色」を用いて評判になった。
さらに面相筆を用いて細い線描きを加え、絵肌の美しさは比類なきものだった。
しかし、後に、軍部の委嘱で戦争画を描くことになる。
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[牡牛座]日本画、版画、工芸品については、次回の記事にします。

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