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ジャン=ジャック・エンネル美術館 [☆彡Paris 美術館]

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11時頃、ポンピドゥー・センターへ行ったら、帰る人が何人も。
「本日、社会的状況により休みます」という貼り紙。
E宅に帰宅後、きいたら、「社会的状況は、たぶんストライキよ。年金改革
への抗議のストライキが多いから」
数日前、日本のニュースでエッフェル塔がストで臨時休業と言ってました
ポンピドゥーは広くて見るのに時間がかかるから、きょうは一日、ここで
過ごそうと決めて出て来たのに、困ったなぁ。
寒い日だったので、カフェに入り、コーヒーを飲みながら、ここから近くて
ミュジアム・パスが使える美術館を探した。
「ジャン=ジャック・エンネル美術館」、エンネルの絵はアカデミック、古典的。
暗い背景に浮かびあがる美しく高貴な雰囲気の裸の女性。しかも邸宅美術館。
ここに行こう!


場所は17区。メトロの「マレゼルブ」駅で降りた。
知らない場所に行くには、スマホのGoogleMap が便利。
通りに面してるが、目印になるものがない、と思いながら歩いていたら、
フランスの旗が見えたので、国立美術館だから国旗とわかった。

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平日の12時半だったので、お客さんが誰もいない。し~んと静まりかえった中、
スマホで写真を撮るとシャッター音がするので、躊躇する。

こちらを見つめる美しい赤いドレスの女性の絵。背景、髪の色、ドレスが
赤茶色系で統一され、輪郭線がくっきり。自信にみちた表情、白い肌。
肩から腕の肉付きの良さ。近づいて見たら手にしたお盆の上に首、ということはサロメ!

右は「読書をする女」暗い背景に浮かぶ白い裸体が美しい。

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Idylle(田園風景)1872年

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「泣くニンフ」1884年

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この建物は2階、3階の吹き抜けになっている。ランプのデザインが世紀末。

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低い舞台の上にピアノが置かれているサロン。修復された今、コンサート
や集会にに使われているそうだ。
ここに、1800年末、芸術家たちが集まった。
この家は、エンネルの家でなく、有名な室内装飾家ギヨーム・デビュッフェの
住居なので、当時、最新流行だったのだろう。調度品もよく合っている。
エンネルは、この近所に住みサロンの常連だった。
この邸宅をエンネルの死後、姪が買い取り、作品を収蔵、のちにパリ市が買い取り
美術館になった。

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サロンを隔てて、グリーングレイだった壁の色と一転して、赤い壁の展示室。
ここは、イタリア時代の絵の展示。
エンネルは、1829年にアルザスの裕福な農家生まれ。幼い頃から絵が際立って上手だった。
パリに留学。ローマ賞を得て、ローマのメディチ荘にあったフランス・アカデミー
に派遣され、ティツィアーノ、コレッジョらのルネサンスの巨匠の絵に学ぶ。
だから、この部屋には模写作品がたくさんあった。その中で、少し毛色の異なる
作品、横1mのエンネル自身の大作。「ローマ メディチ家の庭園にて」1860年
テラスの奥に見えるドゥ オーモのシルエットから日没の時間帯なようで、
修道士や、 貴婦たちに光さす影がない。

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ローマから帰国後、神話題材の女性の絵や肖像画で、世紀末のパリで大人気と
なった。絵の研究は続き、「田園風景」に見られた輪郭線がなくなり、スフマート
技法で背景と溶け合うようになったのが「泣くニンフ」「読書する女性」1884年
である。


1871年、普仏戦争、フランスは3か月でドイツに敗れ、エンネルの故郷アルザスは、
ドイツに併合された。エンネルは、黒い喪服姿で赤白青のフランス国旗色の髪飾りを
つけた女性の絵を描き、右上に「彼女は待つ」と書き添えた。(写真が小さくて
見えないですね) 絵でアルザスのフランス復帰を待つと表現したのである。
代表作ともいわれている。
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19世紀後半から世紀末にパリの画壇で活躍したアルザス生まれの
ジャン=ジャック・エンネル、その魅力に改めて気づかされた美術館だった。
ついつい絵に没頭してしまったが、次回、訪れたら、デビュッフェ好みの
調度品をじっくり眺めたい。

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