ジャン=ジャック・エンネル美術館 [☆彡Paris 美術館]
11時頃、ポンピドゥー・センターへ行ったら、帰る人が何人も。
「本日、社会的状況により休みます」という貼り紙。
E宅に帰宅後、きいたら、「社会的状況は、たぶんストライキよ。年金改革
への抗議のストライキが多いから」
(数日前、日本のニュースでエッフェル塔がストで臨時休業と言ってました)
ポンピドゥーは広くて見るのに時間がかかるから、きょうは一日、ここで
過ごそうと決めて出て来たのに、困ったなぁ。
寒い日だったので、カフェに入り、コーヒーを飲みながら、ここから近くて
ミュジアム・パスが使える美術館を探した。
「ジャン=ジャック・エンネル美術館」、エンネルの絵はアカデミック、古典的。
暗い背景に浮かびあがる美しく高貴な雰囲気の裸の女性。しかも邸宅美術館。
ここに行こう!
「本日、社会的状況により休みます」という貼り紙。
E宅に帰宅後、きいたら、「社会的状況は、たぶんストライキよ。年金改革
への抗議のストライキが多いから」
(数日前、日本のニュースでエッフェル塔がストで臨時休業と言ってました)
ポンピドゥーは広くて見るのに時間がかかるから、きょうは一日、ここで
過ごそうと決めて出て来たのに、困ったなぁ。
寒い日だったので、カフェに入り、コーヒーを飲みながら、ここから近くて
ミュジアム・パスが使える美術館を探した。
「ジャン=ジャック・エンネル美術館」、エンネルの絵はアカデミック、古典的。
暗い背景に浮かびあがる美しく高貴な雰囲気の裸の女性。しかも邸宅美術館。
ここに行こう!
場所は17区。メトロの「マレゼルブ」駅で降りた。
知らない場所に行くには、スマホのGoogleMap が便利。
通りに面してるが、目印になるものがない、と思いながら歩いていたら、
フランスの旗が見えたので、国立美術館だから国旗とわかった。
知らない場所に行くには、スマホのGoogleMap が便利。
通りに面してるが、目印になるものがない、と思いながら歩いていたら、
フランスの旗が見えたので、国立美術館だから国旗とわかった。
平日の12時半だったので、お客さんが誰もいない。し~んと静まりかえった中、
スマホで写真を撮るとシャッター音がするので、躊躇する。
スマホで写真を撮るとシャッター音がするので、躊躇する。
こちらを見つめる美しい赤いドレスの女性の絵。背景、髪の色、ドレスが
赤茶色系で統一され、輪郭線がくっきり。自信にみちた表情、白い肌。
肩から腕の肉付きの良さ。近づいて見たら手にしたお盆の上に首、ということはサロメ!
右は「読書をする女」暗い背景に浮かぶ白い裸体が美しい。
赤茶色系で統一され、輪郭線がくっきり。自信にみちた表情、白い肌。
肩から腕の肉付きの良さ。近づいて見たら手にしたお盆の上に首、ということはサロメ!
右は「読書をする女」暗い背景に浮かぶ白い裸体が美しい。
Idylle(田園風景)1872年
「泣くニンフ」1884年
この建物は2階、3階の吹き抜けになっている。ランプのデザインが世紀末。
低い舞台の上にピアノが置かれているサロン。修復された今、コンサート
や集会にに使われているそうだ。
ここに、1800年末、芸術家たちが集まった。
この家は、エンネルの家でなく、有名な室内装飾家ギヨーム・デビュッフェの
住居なので、当時、最新流行だったのだろう。調度品もよく合っている。
エンネルは、この近所に住みサロンの常連だった。
この邸宅をエンネルの死後、姪が買い取り、作品を収蔵、のちにパリ市が買い取り
美術館になった。
や集会にに使われているそうだ。
ここに、1800年末、芸術家たちが集まった。
この家は、エンネルの家でなく、有名な室内装飾家ギヨーム・デビュッフェの
住居なので、当時、最新流行だったのだろう。調度品もよく合っている。
エンネルは、この近所に住みサロンの常連だった。
この邸宅をエンネルの死後、姪が買い取り、作品を収蔵、のちにパリ市が買い取り
美術館になった。
サロンを隔てて、グリーングレイだった壁の色と一転して、赤い壁の展示室。
ここは、イタリア時代の絵の展示。
エンネルは、1829年にアルザスの裕福な農家生まれ。幼い頃から絵が際立って上手だった。
パリに留学。ローマ賞を得て、ローマのメディチ荘にあったフランス・アカデミー
に派遣され、ティツィアーノ、コレッジョらのルネサンスの巨匠の絵に学ぶ。
だから、この部屋には模写作品がたくさんあった。その中で、少し毛色の異なる
作品、横1mのエンネル自身の大作。「ローマ メディチ家の庭園にて」1860年
テラスの奥に見えるドゥ オーモのシルエットから日没の時間帯なようで、
修道士や、 貴婦たちに光さす影がない。
ここは、イタリア時代の絵の展示。
エンネルは、1829年にアルザスの裕福な農家生まれ。幼い頃から絵が際立って上手だった。
パリに留学。ローマ賞を得て、ローマのメディチ荘にあったフランス・アカデミー
に派遣され、ティツィアーノ、コレッジョらのルネサンスの巨匠の絵に学ぶ。
だから、この部屋には模写作品がたくさんあった。その中で、少し毛色の異なる
作品、横1mのエンネル自身の大作。「ローマ メディチ家の庭園にて」1860年
テラスの奥に見えるドゥ オーモのシルエットから日没の時間帯なようで、
修道士や、 貴婦たちに光さす影がない。
ローマから帰国後、神話題材の女性の絵や肖像画で、世紀末のパリで大人気と
なった。絵の研究は続き、「田園風景」に見られた輪郭線がなくなり、スフマート
技法で背景と溶け合うようになったのが「泣くニンフ」「読書する女性」1884年
である。
なった。絵の研究は続き、「田園風景」に見られた輪郭線がなくなり、スフマート
技法で背景と溶け合うようになったのが「泣くニンフ」「読書する女性」1884年
である。
1871年、普仏戦争、フランスは3か月でドイツに敗れ、エンネルの故郷アルザスは、
ドイツに併合された。エンネルは、黒い喪服姿で赤白青のフランス国旗色の髪飾りを
つけた女性の絵を描き、右上に「彼女は待つ」と書き添えた。(写真が小さくて
見えないですね) 絵でアルザスのフランス復帰を待つと表現したのである。
代表作ともいわれている。
19世紀後半から世紀末にパリの画壇で活躍したアルザス生まれの
ジャン=ジャック・エンネル、その魅力に改めて気づかされた美術館だった。
ついつい絵に没頭してしまったが、次回、訪れたら、デビュッフェ好みの
調度品をじっくり眺めたい。
ジャン=ジャック・エンネル、その魅力に改めて気づかされた美術館だった。
ついつい絵に没頭してしまったが、次回、訪れたら、デビュッフェ好みの
調度品をじっくり眺めたい。