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シェ・ソワ(練馬区氷川台) [レストラン(フレンチ)]

ブログでお付き合いがあるナツパパさんが、毎年、結婚記念日にいらっしゃってる
レストラン「シェ・ソワ」。その記事を読んで、「美味しそう、実家に近い」と
コメントを書いたら、「感想をききたいので、いらしてみてください」との返事。
1月に実家の弟夫婦とランチに行ってみた。
弟の奥さんは、以前、近所の友達と行ったことがある、とのこと。

5分前に着いたのに、「駅の所が工事中だったから、迷ってるんじゃないかと、
電話しようとしてた」と言われ、「まだ12時5分前よ。いつも早いんだから~」
「5分前は常識だよ」(同じ家で育ったけど、常識が違う)

「ワインはあとで、まずはビールにしよう」(だいたい何でも弟が決める)
「最初はエスカルゴだから」「へぇ、なんで知ってるの?」
「そこにメニューの紙があるから待ってる間に読んだのさ。コースで頼んだから」
それぞれの席にその日のメニューを書いた可愛いしつらえの紙が置いてあった。


1,アミューズ エスカルゴのオーブン焼き バターソース 3個
ソースが美味しい。あつあつ。パンをソースにつけて食べた。
冷たいビールが意外に合う。

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2,前菜 海老の下にイクラとサーモン。刻みパセリ入り円盤は何だったか。
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3,ほうれん草のポタージュ。野菜の甘味がじわっと胃に沁みる。
飲み終わた後です。

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4,鯛のポワレ(ソテー)、海老のソースかな?
上にのってるのは、細い細い麺の揚げたぶん。パリパリでソースと絡み美味。
白ワインにぴったり。
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5,牛肉ステーキ、粒マスタードソース
赤身に見えたけど、サシがはいってるらしく、噛むとじゅわっと牛肉の
うま味が、、、おいしい~。幸せ。もちろん赤ワイン。
付け合わせに、ひよこ豆のコロッケも。
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6,デザート
リキュールが香るチョコレートケーキがふんわり優しい味だけど濃厚。
「これ、売ってるかしら?」と言うと、早速、弟がご主人にきいてくれたが、
「私が作ってるんですよ。でも、もう手一杯なので、お菓子のテイクアウト
まではできないんです」もちろん、クリーム・ブリュレもGood。

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ほっとするやさしい味のフレンチ。
住宅街にこういう基本のお料理が美味しいお店は、愛されるんだろうなと
思った。経験を積んだご主人と奥様、2人だけでやってるので、「行き届かなくて」
と謙虚におっしゃってたけど、いえいえ、真心が伝わってくるサーヴィスでしたよ。

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Louis Janmot展(オルセー美術館) [☆彡Paris  展覧会]

オルセー美術館で、ルイ・ジャンモ(Louis Janmot)の「魂の詩」という展覧会を見た。
オルセーの企画展はメインの他に小さいものもをやっている。この時のメインは、
「ゴッホ最後の日々オーベール・シュール・オワーズにて、」で、
スペイン語の高校生たちが大勢並び、楽しそうに語らっていた。1時間は待つとの
ことだったので、小規模のルイ・ジャンモ(Louis Janmot)、絵が好きなタイプ
だったので、見ることにした。



Du 12 septembre 2023 au 07 janvier 2024

 これがポスター。天使に導かれ、天空を飛行、神様のもとに行くのでしょう。
こういう幻想的な絵は、好きなジャンル。

詩人で画家のルイ・ジャンモ(1814-1881)は、敬虔なカトリックで、
カトリックの精神に基づいた長編詩を書き、詩をもとに描いた一連の絵
「魂の詩」34枚を40年かけて制作、1855年の万国博覧会に出品した。
作品は、
ルイ・ジャンモの出身地リヨンの美術館所蔵だが、全部が公開
されるのは、今回が
初めて。

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1,なんて、明るくて、かわいい絵なんでしょう!
ここがスタートでないのに、この絵に魅せられた。タイトルは「春」
主人公の男の子(ピンクの服)が魂の友(白い服の女の子)に野原で出会い、
二人でこれから人生の旅をする。
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2,「魂の詩」の順番としては、「春」の前に「天使と母」がくる。
赤ん坊を抱く慈愛に満ちた母の姿。横で天使が「この子の魂に神の御慈悲を」と祈る。
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3.さらにその前は、主人公の誕生場面、これが群を抜いて美しい絵。

「魂の道」 
母に抱かれた男の子の魂が天から地へ、たくさんの守護天使たちに守られながら
地上へ降りて来る。地上では、プロメテウスが岩山で鎖に繋がれ、ハゲタカに
食われている。 プロメテウスの絵は、モロー美術館で見たばかり
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と逆順の紹介だったが、以下、撮った絵を紹介。
4,「魂の飛行」
白い服の女性に導かれ、地上を去り、新しい国に向かう2人。
下に子供時代に慣れ親しんだ川、丘、緩やかな谷という穏やかな景色が
見える。
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ポスターに使われていたのは、
「理想」2人の魂は最高点に達し、女の子が先導。

その後、女の子が亡くなり、男の子は心を病み、で、ベージュ色の紙にパステル
で暗い色を使い、「孤独」「無限」「悪霊」「大饗宴」「神の喪失」など、悩む
心のようがが描かれていた。

「亡霊」
自然の美の中で、青年は再び希望を持つ、腕を折り胸に手を当てるポーズで、
一杯空気を吸い込んでいるところ。
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最後の絵は「神の御許へ」だった。
 
あれっ、見たことがある絵が架けてある!
アングル「オスティアのマリア」1854年
この絵は、「魂の詩」と同じ1855年のパリ万博出品作だった。
ルイジャンモは、当時ローマに滞在していたアングルに教えをこうために、
ローマに出かけるほどだった。
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ルイ・ジャンモ「聖家族」1844~87年
アングルのマリアの隣に架けられていた。
アングルの厳粛さ、気高さに比べると、こちらは市井の人のようなマリア。
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「魂の飛行」の横の説明には、やはり見たことがあるアリ・シェフェールの絵
「パオロとフランチェスカ」の縮小版の写真。空を舞うという発想は、ここから
来たのかしら、と説明を読むと、やはりそう。1835年にサロン出品の絵だから
見ているはず。アリ・シェフェールの絵はコントラストに目が行くが、ルイ・ジャンモ
は、もっと詩的、情緒的、ヴォラプチュアス(官能的)でもある。
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亡霊」の男のポーズは、ホドラーの「Regard dans l'infini 」無限の中で見つめる
からヒントを得たのだろうと縮小版の写真つきで説明があった。背景が海と
いうのも同じ。
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前半(第一部)の絵だけ見ていると、色も明るく、空を舞うように飛ぶ浮遊感。
それが第二部になると、ベージュの紙にパステルと暗くなる。
「魂の詩」、そもそも私が魂について、わかっていないから、ストーリーが
ぴんと来なかった。いつかわかる日が来るのだろうか。

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ジャン=ジャック・エンネル美術館 [☆彡Paris 美術館]

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11時頃、ポンピドゥー・センターへ行ったら、帰る人が何人も。
「本日、社会的状況により休みます」という貼り紙。
E宅に帰宅後、きいたら、「社会的状況は、たぶんストライキよ。年金改革
への抗議のストライキが多いから」
数日前、日本のニュースでエッフェル塔がストで臨時休業と言ってました
ポンピドゥーは広くて見るのに時間がかかるから、きょうは一日、ここで
過ごそうと決めて出て来たのに、困ったなぁ。
寒い日だったので、カフェに入り、コーヒーを飲みながら、ここから近くて
ミュジアム・パスが使える美術館を探した。
「ジャン=ジャック・エンネル美術館」、エンネルの絵はアカデミック、古典的。
暗い背景に浮かびあがる美しく高貴な雰囲気の裸の女性。しかも邸宅美術館。
ここに行こう!


場所は17区。メトロの「マレゼルブ」駅で降りた。
知らない場所に行くには、スマホのGoogleMap が便利。
通りに面してるが、目印になるものがない、と思いながら歩いていたら、
フランスの旗が見えたので、国立美術館だから国旗とわかった。

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平日の12時半だったので、お客さんが誰もいない。し~んと静まりかえった中、
スマホで写真を撮るとシャッター音がするので、躊躇する。

こちらを見つめる美しい赤いドレスの女性の絵。背景、髪の色、ドレスが
赤茶色系で統一され、輪郭線がくっきり。自信にみちた表情、白い肌。
肩から腕の肉付きの良さ。近づいて見たら手にしたお盆の上に首、ということはサロメ!

右は「読書をする女」暗い背景に浮かぶ白い裸体が美しい。

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Idylle(田園風景)1872年

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「泣くニンフ」1884年

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この建物は2階、3階の吹き抜けになっている。ランプのデザインが世紀末。

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低い舞台の上にピアノが置かれているサロン。修復された今、コンサート
や集会にに使われているそうだ。
ここに、1800年末、芸術家たちが集まった。
この家は、エンネルの家でなく、有名な室内装飾家ギヨーム・デビュッフェの
住居なので、当時、最新流行だったのだろう。調度品もよく合っている。
エンネルは、この近所に住みサロンの常連だった。
この邸宅をエンネルの死後、姪が買い取り、作品を収蔵、のちにパリ市が買い取り
美術館になった。

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サロンを隔てて、グリーングレイだった壁の色と一転して、赤い壁の展示室。
ここは、イタリア時代の絵の展示。
エンネルは、1829年にアルザスの裕福な農家生まれ。幼い頃から絵が際立って上手だった。
パリに留学。ローマ賞を得て、ローマのメディチ荘にあったフランス・アカデミー
に派遣され、ティツィアーノ、コレッジョらのルネサンスの巨匠の絵に学ぶ。
だから、この部屋には模写作品がたくさんあった。その中で、少し毛色の異なる
作品、横1mのエンネル自身の大作。「ローマ メディチ家の庭園にて」1860年
テラスの奥に見えるドゥ オーモのシルエットから日没の時間帯なようで、
修道士や、 貴婦たちに光さす影がない。

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ローマから帰国後、神話題材の女性の絵や肖像画で、世紀末のパリで大人気と
なった。絵の研究は続き、「田園風景」に見られた輪郭線がなくなり、スフマート
技法で背景と溶け合うようになったのが「泣くニンフ」「読書する女性」1884年
である。


1871年、普仏戦争、フランスは3か月でドイツに敗れ、エンネルの故郷アルザスは、
ドイツに併合された。エンネルは、黒い喪服姿で赤白青のフランス国旗色の髪飾りを
つけた女性の絵を描き、右上に「彼女は待つ」と書き添えた。(写真が小さくて
見えないですね) 絵でアルザスのフランス復帰を待つと表現したのである。
代表作ともいわれている。
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19世紀後半から世紀末にパリの画壇で活躍したアルザス生まれの
ジャン=ジャック・エンネル、その魅力に改めて気づかされた美術館だった。
ついつい絵に没頭してしまったが、次回、訪れたら、デビュッフェ好みの
調度品をじっくり眺めたい。

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ギュスターブ・モロー美術館 [☆彡Paris 美術館]

ギュスターブ・モロー美術館は、有名なデパート「ギャラリー・ラファイエット」
から歩いて15分くらいで、モローの邸宅をそのまま美術館にしているので人気がある。

何年か前にパリに一緒に行った友達は、モロー美術館特集が載っているJALの機内誌を
「ここ、また行きたいわね」と手紙を添えて、送ってくれた。
今回は、行った(次の記事予定)美術館があっけなく終わったので、ここに来てみた。

モローの邸宅だったので、住宅街にある。
古き良き時代のパリという感じの石畳の緩い坂道を上るとモローの看板。
玄関を入ると、すぐに階段が見える。この螺旋階段はモローの設計だそう。
階段の周りにも絵がびっちり架けられている。
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階段を上がり、2階のモローの居室だった部分をさらっと見た後、
さらに階段を上がると、3階、4階は吹き抜けになっている大展示室。

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モローの絵は大きいものが多い。中でも、中央にある正方形の絵「求婚者たち」
が最大。この写真では絵のようすがわからないと思うが、トロイ戦争の英雄
オデュッセウスが戦いから帰ったところ妻に求婚する男108人が屋敷に上がり
込んでいたので、怒り狂い矢を放っている場面。中央、戦いの女神アテナは、
白い光に囲まれている。屋敷は、パルテノンふうで豪華。ストーリーを知って
いて見ると、神話の絵は面白い。

オデュッセウスが故郷に帰る旅は何年もかかった。途中、海では、美しい歌声で
航海中の人々を誘惑し、海に引きづりこむセイレーンの誘惑にも負けなかった。
「セイレーン」
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モローは裕福な家庭に生まれ、幼少のころから神話の世界に親しんでいた。
画家として、早くから認められ、23才の時には、フランス政府から注文を
受けるほどで、後年には官立美術学校の教授も勤めた。生活のために絵を
売る必要がなかったので、手許にあるたくさんの絵を見せるため、家を
美術館にするようにと遺言をし、ルオーが初代館長となった。
だから、この美術館は、所蔵品が多く、所狭しと絵が架けられている。

左:「レダ」 レダに言い寄る白鳥に化けたゼウス
右:「プロメテウス」ギリシャ神話 プロメテウスは、人間に「火」を与えたため
ゼウスの怒りを買い、山の岩に繋がれ、ハゲタカに身体を啄ばまれる罰を与えられた。
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左:「出現」ユダヤのヘロデ王の義理の娘サロメ、祝宴で客の前で踊った褒美に
ヘロデ王の再婚をとがめ牢に入れられている預言者ヨハネの首を所望。首が
出現したところ。それまでの画家は首が皿に載って運ばれてくる形で描いていたが、
突然、首だけが出現するところが、象徴主義のモロー。モローの代表作の一つで、
サロンに出品され好評だった絵。背景の壮麗な宮殿も丁寧に描かれている。
オルセー美術館の同名の作品は、背景が小さめでサロメが大きい。
右:「踊るサロメ」入れ墨姿で踊るサロメ。横に立つのは従者で中央後ろにヘロデ王が
見える。
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「一角獣」明るい色彩なので、描かれているものが明快にわかる。

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十字架のキリスト
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額に絵の名前がついているものが大作で、そうでないものは、番号だけが置かれ、
作品名がまとめて別の所に表示されていた。
こんな風景画を描いていたこともあったのね、と眺めた。詩情がある風景画が
神話画に繋がっていくのだろう。
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デッサンもあり、展示されている作品数が非常に多いので、モロー好きの人は、
たまらなく楽しいと思う。
モローに興味がなくても、邸宅、モローの居室、調度品が面白いかと思う。

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「源氏の宮廷にて」展 [☆彡Paris  展覧会]

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パリの東洋美術館専門のギメ美術館へ「源氏の宮廷にて1000年の日本の想像力」
を見に行った。人気と聞いていたが、その通り。平日なのに結構、人が入っていた。

源氏物語に関心があるフランス人たちが熱心に展示を見ている。屏風は譲り合って
見るので順番待ち。私と目が合うと、日本人ね、という感じで会釈をしてくるので
「見てくれてありがとう」と言いたくなる。
これが「源氏の宮廷」を描いた屏風。
女性が6人。左端に烏帽子をかぶった貴族の男性がのぞき見(笑)。

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輿、平安時代は天皇や貴族など身分の高いのための乗り物。
装飾が施されている。

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掛け軸、伝・土佐光則(1583~1638)
「歌人 小野小町」桃山時代16世紀 絹地に着色。
1902年にギメ美術館が購入と書いてあった。綺麗に保存されている。

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鳥居清長(1752~1815)「歌人 小野小町」江戸時代1784年 多色刷り。
<小野小町は、平安時代の偉大な歌人で貴族階級。情熱と性愛、孤独と不安を
表現した歌を作った。とても美人であった>と説明がついていた。

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鳥居清長「日本の美人 清少納言、部屋でくつろぐ」江戸時代1781~82年。
<清少納言(966~1013)は、紫式部の競争相手だった。著作「枕草子」は、
自らが一条天皇の皇后に仕え、宮廷で生活した日々の話の文集である。>と
説明がついていた。

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当時の調度品、蒔絵の手箱、中にまた箱が4つある。
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ミニチュアの十二単
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歌川広重(1797~1858)の「源氏物語五十四帖」からの多色刷り。
これには一枚、一枚に説明なし。私が書き加えた。
「桐壺」
第一帖。光源氏誕生の絵。左側に桐壺、隣で乳母が光源氏を抱いている。
中央に天皇、桐壺帝。
感心するほど綺麗なままの浮世絵。左隅に「広重」と署名。
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「夕顔」
乳母の見舞いの折、隣の垣根に咲く夕顔の花に目を留めた源氏が従者に取りに
やらせたところ、邸の住人が和歌で返答する。
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次に、「Genji」のマンガの部屋。壁紙が全部、マンガからの絵。
しかも、アニメ版がスクリーンに映し出されていた。主人公Genjiは、細面で美しい。

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最後の展示室に、豪華な帯が飾られていた。そして帯を織るための糸も。
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これは、平安時代のものでなく、明治時代のもの。明治時代に京都の西陣は、
留学生をフランスに派遣し、温かくもてなされ、学び、ジャガード織機を
導入したことで、西陣の織物は世界的評価を得るものになった。
このことに感謝した西陣の山口伊太郎氏が、「源氏物語絵巻」を錦織で作成。
ギメ美術館に寄贈した。それが展示されていた。織物なので立体感があり美しい。
フランス人たちも念入りに見ていた。

「錦織で源氏物語」作製のための指示書。どこにどの糸をが記されている。
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ピカソとガートルード・スタイン展 [☆彡Paris  展覧会]

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昨年末のパリ滞在中、リュクサンブール美術館で開催されていた
「ガートルードスタインとパブロ・ピカソ」展を見に行った。


ガートルードスタインは、アメリカ人女性で作家。美術コレクター。
ピカソの支援者で、彼を世に出した人。
私は学生時代に、アメリカ文学の研究者・翻訳者のTN先生の読書会で
「The Autobiography of Alice B. Toklas」アリス・B.トクラスの自伝 
を少し読み、挫折したが、表紙のピカソによる肖像画の鋭い目つきは
個性的だった。
The Autobiography of Alice B Toklas.jpg
この絵は、メトロポリタン美術館にあり、そのサイトの解説によると、
ピカソは、ポーズをとってもらって絵を制作、顔をマスクのように
描き未完成のままスペインへ旅行に行き、古代イベリア彫刻に感銘を
受け、それに似たアーモンド型の眼を描き加えた。(1906年)
その時、アリスは30代だったのに、50代のように見える絵だったので、
文句を言うと、「今にそうなるさ」とピカソは答えたそうだ。
この古代イベリア彫刻からの影響は、1年後1907年「アヴィニヨンの娘たち」
の右2人の顔にはっきり見られ、ピカソのキュビズムの始まりである。


[ー(長音記号1)][ー(長音記号1)]
展覧会の会場を入ると、すぐに目に留まるのは、ピカソでなくマティス。
この明るい色遣いは、まさにマティス。テーブルクロスの花模様まで主役。
「オレンジのある静物」 1913年
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次は、左:セザンヌ「リンゴとビスケット」
右:ブラック「5本のバナナと2つの洋梨」1908年
下:ピカソ 紙で作った「りんご」
ピカソの果物表現は、紙を丸めたような立体で。

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1907年「アヴィニヨンの娘たち」以降、キュビズムに突入したピカソ。
左:ピカソ「男の頭」1909年 
右:「手を組んだ女」アヴィニヨンの娘たちの習作1907年

Lux3_Picasso_tete de homme2.jpgSTEINPICASSO_1080x1080_0.jpg


ピカソ 題名がわからないけれど、ピカソ美術館で見た絵
追記:題名はInatimyさんに教えて頂きました。
「木の下に佇む三人の人物」1907~1908年
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ブラック:サンドニの石切り場の風景 1909年
真ん中にシンボルツリーが1本。ブラックのキュビズムは端正でわかりやすい。
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ファン・グリス「グラス、新聞、ワインの瓶」1913年
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1912年、ピカソは紙でギターを作成。それをもとに立体を組み合わせて
作品を考えた。従来の分析的キュビズムより前進した合成キュビズムである。
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ピカソ「暖炉の前の男」 1916年
この頃になると形が複雑に混じり、見てもタイトルと結びつかない。
この絵は、お土産の栞に使われていた。
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[ー(長音記号1)][ー(長音記号1)]
展覧会のタイトルが、ピカソという割には、ピカソの作品が少ない。
こういう時代にピカソは、キュビズムを推し進めていったのだという展示
なのだろう。
ガートルード・スタインと兄のレオ・スタインは資産家だったので、
リュクサンブール公園の近く「フルリュス通り」27番地のアパルトマン
で、週末、サロンを開催、パリの著名な文学者、芸術家が集まった。
ガートルードは当時、無名のマティスとピカソを応援し作品を買っていた。
スペイン出身のピカソとは意気投合。肖像画を依頼し、異邦人どうし、
達者でないフランス語で話し込み、新しい芸術のスタイルを追求していた。

ガートルードは、レズビアンで、アリス・B.トクラスと一緒に暮らし、
何処へ行くにも一緒だった。著書「アリス・B.トクラスの自伝」は、アリス
から聞いた自伝を心理学を基にした「意識の流れ」を取り入れた手法で書き、
新世紀(20世紀)の精神を体現しようとした。

[ー(長音記号1)][ー(長音記号1)]
ガートルードは、本国、アメリカの20世紀半ばのアートにも大きな影響を与えた。
前衛(現代音楽)の作曲家ジョン・ケイジの曲が流れていた。
そして、ジャスパー・ジョーンズの「旗」
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アンディ・ウォホール「20世紀のユダヤ人10人の肖像」1980年
上の段、左から2番目がガートルード・スタイン、
下の段、一番左が作曲家ガーシュウィン
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ロバート・ラウシェンバーグ「Front Roll」1964年
ポンピドーセンターで展覧会を見たけれど、何でも貼り付けて、、意味不明
で、どの作品もわからなかったが、これは知ってる絵があるので面白い。
青い写真の左一番上は、フェルメールの水差しを持つ女、右はレンブラント自画像。
2段目左がピカソが描いたガートルード・スタイン
3段目右がアングルのグランド・オダリスク

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ブルース・ナウマン 「Lip Sync」1969年
メディアを使った作品が多いブルース・ナウマン。
ロボット型だけど、テレビ? 蓄音機? ピカピカ光るので、会場で注目されていた。
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最後の作品は、同じくブルース・ナウマンの
「life death love hate plseaure pain 」1983年
多重色のグラフィック作品。ネオンで光るものもあった。
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反対語を組み合わせている。これはガートルードの詩の影響であろう。
ガートルード・スタインの詩で有名なものは、(抜粋)
A rose is a rose is a rose is a rose.

薔薇は薔薇であり、薔薇であり、薔薇である。
これは確固たる"アイデンティティ"の主張を意味している。
ピカソとガートルード・スタイン、2人は文学、絵画と分野は違っても20世紀に
残る新しい潮流を示したとわかる展覧会だった。とはいえ、ガートルード
中心だったので、昔、ついていけなかった本の作者の偉大さについて知ることが
できて、うれしかった。 


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