SSブログ
展覧会(絵以外) ブログトップ
前の6件 | 次の6件

きたれ、バウハウス展 [展覧会(絵以外)]

東京ステーション・ギャラリーで開催中の「きたれ、バウハウス」展へ行った。

bh3.jpg


「バウハウス」とは、1919年ドイツのヴァイマールに、建築家ヴォルター・グロピウスにより
開校された工芸、デザイン、写真、絵画、建築などの総合的な造形教育を行う学校。
ドイツ語でBAU=建築、HAUS=家、つまり建築の家という意味で、造形活動の最終目的は建築である
という理念のもとに設立された。
1925年にデッサウに移転。グロピウス設計の校舎は、モダニズムの代表的建物として、ユネスコの
世界遺産に登録された。1933年に閉校したが、その理念は世界中の先進的な学校に影響を与えた。

<展覧会の図録>の表紙は、バウハウスなので建物の枠組の模型。

BH1.jpg



「きたれ、バウハウス」なので、当時、どんな授業が行われていたのか、
授業内容が展示されている。
教授陣がすごい。カンディンスキー、パウル・クレー、ヨハネス・イッテン、
モホイ=ナジ、ジョセフ・アルバースなど。


1、基礎教育
素晴らしい教授陣による最初に受ける基礎教育の内容がユニークだった。


カンディンスキーの授業の再現は、部屋の隅に積み上げた机、椅子、ハンガー、
自転車などが組み合わさった様子を、を円、四角、直線、などの基本的形態で表す。
見る角度によって形は変化して見えるから、どうやって表すのだろう、、と
考えていたら、当時の学生の描いたものが数点。これが実にいろいろで面白かった。
見たままに近いものから、幾何学的構成で均整がとれている高度なものまで様々。



イッテンは裸体デッサン演習。モホイ=ナジは様々な材料を組み合わせてバランス
の構成を組み立てる、紙だけでの構成、様々な重さの木での構成など。
アルバースの授業は、紙を「切る、折る、曲げる」で形を作るというもの。
bauhaus_arbarse.jpg


どれも学生の作品が展示されているので、わかりやすい。


 


2、工房教育(専門教育)
基礎教育が終了すると、家具、金属、陶器、織物、壁画、彫刻、印刷・広告、版画、舞台工房、建築
の専門教育を受ける。
家具工房では、グロピウスの指導の下、マルセル・ブロイヤーが育った。
素材としては、木を使うことになっていたが、家具工房を任されたブロイヤーは、
自転車のフレームにヒントを得て、金属パイプを使った画期的な椅子を作った。
さらに機能性を追求し、ネスト・テーブルも作成した。
BauHausChair.jpg


金属工房では、半円、球体などを組み合わせたシンプルな造形の工場生産のものを
生み出した。
陶器工房では、手工芸という伝統的性格があり、工場生産は難しいかと思われたが、
大量生産のための原型モデルを作った。
織物工房は、基礎教育で学んだ色彩、形態などを活かす作品制作で、女性の活躍の
場であった。色鮮やかで、今、見ても斬新な作品が多かった。
建築工房の作品展示は少なかった。


3、1923年の展覧会
1923年に、バウハウスの教育の成果を世に問う展覧会が開催された。
バレエの舞台や現代音楽のコンサートなどのイベントも行われ、世界的に
バウハウスを知らしめる重要な展覧会となった。
そのポスターである。
Bauhaus1923Poster.jpg


4、日本人留学生


当時のバウハウスに留学した日本人は4名。
建築の水谷武彦、山脇巌、織物の山脇道子、大野玉枝である。
彼らの作品と資料も展示されていた。


5、閉鎖


バウハウスは、1933年にナチにより閉鎖された。14年間の短い期間だった。 


[ー(長音記号1)][ー(長音記号1)]


場所が東京駅で、専門家でなくても楽しめる展覧会だと思うが、予約入場なので、
敷居が高いのか、仕事関連の人や学生が多かった。新潟、西宮、高松、静岡と巡回し、


東京が最後の展覧会。私は招待券入場だった。


 


nice!(45)  コメント(11) 
共通テーマ:アート

12月のこと カルティエ展や飲食 [展覧会(絵以外)]

今年の20年続いている面々との新年会記事の前に、12月のことを記録。


(1)カルティエ展 国立新美術館にて

きらきら、キラキラ、輝いていた。
これが一番、気に入った。パンサーかわいい!眼はエメラルド
でも、これは首につけていたら、自分では見えない。
カルティエ.jpg


置時計。カルティエは時計のメーカーだから、さまざまな宝石を使った時計が展示
されていたが、これは中国仕様。ヒスイとサンゴの取り合わせ。
宮殿の前には、翡翠の狛犬。

Cartier.jpg


(2)ランベリー
お誕生日だったので、M子さんが「ランベリー」に予約をしてくれた。
この日のことは別記事で。
風邪をひいて不調であまり飲めなかったM子さんだが、お店を出る頃には気付け薬のような
一杯で元気になり、「次、いつもの店に行きましょう」
お誕生日だから、このボトルがいいわよ、とハートの絵の赤ワインを頼んだ。

12月誕生日ワイン.jpg



(2)うなぎ屋でパーティ
(血のつながってない)アメリカ人の親戚ブライアンが子供の時以来、20年ぶりに
日本に来て、うちに5泊した。子供の時に行った店で「うなぎが食べたい」というので、
近所のうなぎやさんで、親戚10名の日本式宴会。

Braian_Unagi.jpg

ブライアンがフィラデルフィア名物「フィラデルフィア・チーズステーキ・サンドイッチ」
を作ってくれた。牛肉の薄切りを炒めたものとチェダーチーズをフランスパンにはさむ。
かなりのボリュームだが美味しい。
PhillySandwitch.jpg


 

(3)カレーを食べる会
Tの家で、ご主人作製のカレーを食べる会、という名目だったけど、M子さんとTと
私の3人。カレーの前座が長く、シャンパン、ワインとすすみ、「これも飲んで。珍しいんだから」
と、出てきたのが、イチローモルトというウィスキー。
珍しいならと、スマホを出して撮影。


12月イチローモルト.jpg

これもおいしいとご主人が出してきたのが、日本酒。

12月鍋島.jpg

肝心のカレー、最後に少しだけ食べたが、味に記憶なし。
楽しい晩だった。


(4)ホテル・エドモントで和食ランチ
脳梗塞で、身体が不自由になった友だちは、和食が好きなので、時々、私と行くホテル
でのランチが楽しみなんですって。ホテルの絨毯は杖をついてでも歩きやすいし、お店の
人が親切。

12月えどもんど.jpg

ロビーには、クリスマツリー。

12月エドモントのツリー.jpg



(5)モンサンクレールのケーキ
自由が丘の辻口啓吾博啓の店「モンサンクレール」でZが買ってきたケーキ。
4人だったから2個づつ。「なんで手前のだけ2個?」「これが辻口がパリで賞をもらった
セラヴィーというケーキだから」


辻口ケーキ.jpg

nice!(31)  コメント(7) 
共通テーマ:グルメ・料理

静嘉堂美術館の曜変天目 [展覧会(絵以外)]

東京・世田谷区、多摩川に近い辺りにある「静嘉堂文庫美術館」へ国宝「曜変天目茶碗」と
重要文化財「油滴天目茶碗」を見に行った。所持品なのだが、常時展示ではなく、期間を
限定して展示される。今回は、12月15日明日までの展示。

静嘉堂文庫は、三菱の創業者、岩崎彌太郎の弟、二代目社長の之助によって設立され、
東洋美術品および古文書を所蔵している。
このレンガ造りの建物が「静嘉堂文庫」で、美術館はこの横に新しく作られている。
反対側には赤いモミジの紅葉があり、ちょうどいい季節だった。

静嘉堂.jpg


「曜変天目茶碗」(12~13世紀)
思っていたより、小ぶりの茶碗だが、実に美しい。
曜変の「曜」は輝くという意味の字で、実際、きらきらと輝き、星のようだ。
中国福建省の釜の作成だが、偶然の産物なのだそう。
曜変天目は、世界で3椀だけ。それも全部、日本にあり、大阪の藤田美術館蔵のものを
サントリー美術館の企画展で見、こちらのもぜひ見たいと思っていた。
茶碗を四方から眺めることができるのも展覧会ならではの楽しみ。側面の縞模様も美しい。
徳川家の所蔵品であったが、家光が春日局に下賜、春日局の婚家先
(撮影禁止なので、絵はがきより)

001_img_01.png


こちらは「油滴天目茶碗」(12~13世紀)
撮影可。すり鉢形で口が広いため、曜変天目に比較すると大きく見える。
油滴が黒光りをして美しいが、力強さもあり男性的である。
これも四方から見れるので、見る場所により油滴の輝きが異なって見え興味深かった。

静嘉堂_油滴天目.jpg


これらの茶碗は、「仕覆」と呼ばれる布製の袋に入れ、さらに桐の箱で保存される。
今回の展覧会のタイトルは「名物裂と古渡り更紗」なので、茶碗と共に仕覆も展示されていた。
通常、仕覆はひとつだが、「曜変天目」の仕覆は、稲葉家伝来の14~15世紀のものと、岩崎家に
来てから調製されたものの2つがあった。特に稲葉家伝来のものは、金地金襴に蔓、牡丹、唐草模様
が刺繍されたもの。細かい仕事なので模様の緻密さが拡大図でわかった。刺繍なのだが、
細い糸でなされてるため織物のように見える。


利休が所持していた「茶入れ」(濃茶用)とそれに合わせた仕覆が展示されていた。
漆塗りの「棗」(薄茶用)は大切だったので、仕覆が複数枚用意され、それらは、
色味を揃えたり、柄合わせがなされたりと、調和がとれていた。


江戸時代になると、「煎茶」文化もさかんになったので、仕覆も、輸入されたインド更紗や
中国製布で作られるようになり、輸入布での風呂敷もあった。
色を合わせた紐がアクセントになっている。中央にあるのが一人用の茶器。

仕覆.jpg

亀甲、間道と呼ばれる横縞、絣、鶏頭の花柄などの模様は、日本古来のものかと思って
いたが、インド由来のものなのだとわかった。


ここに着いたのが、4時だったので、帰る頃、5時少し前には、夕焼けがきれいで、
富士山もはっきり見えた。

静嘉堂富士山.jpg

nice!(37)  コメント(9) 
共通テーマ:アート

「高麗茶碗」展 [展覧会(絵以外)]

日本橋の三井記念美術館へ「高麗茶碗」展を見に行った。
 サントリー美術館で黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部 -美濃の茶陶」を見て、
高麗茶碗も見たくなったからである。


tirashi.jpg


高麗茶碗は、その名の通り、「高麗」=朝鮮渡来、朝鮮半島で焼かれた茶碗で
16世紀中ごろから日本の茶道で用いられた。朝鮮では日常づかいのものだったが、
茶人たちの目に叶い、抹茶茶碗として使われはじめた。
それ以前に茶道で使われていたのは、「唐物」=中国渡来である。

チラシの写真、右端は重要文化財「三好粉引」で、三井記念美術館の所蔵品である。
三井美はお茶茶碗の名品をたくさん持っているので、時々、茶碗の展覧会がある。


1、16世紀の井戸茶碗
チラシの左側のは、大井戸茶碗、銘「蓬莱」、藤田美術館の所蔵。
下は、大井戸茶碗の「有楽井戸」、東京国立博物館の所蔵。

Youraku_Ooido.jpg

「井戸茶碗」は、高麗茶碗の最高峰であり、井戸のように深い茶碗という意味である。
大井戸茶碗に対し、小ぶりの「小井戸茶碗」もある。
小井戸茶碗、「升屋井戸」(三井記念美術館)

Koid_MasuyaIdo2.jpg


2、粉引、三島、刷毛目
白磁ふうの茶碗で、胎土に白土をかけた上に釉薬を施したもの。
粉引茶碗は、チラシ写真の右端。
三島茶碗は、胎土に細かな連続模様を押してから、白土を薄くかけたもの。
模様があるので、ひとめでわかる。
「唐三島茶碗」17世紀 三井記念美術館)

HoriMishima.jpg


他に16世紀のもので、私が好きだったのは、
「蕎麦茶碗」銘「花曇」赤い点と、グレーの雲がいいなぁ。モダンな感じで
16世紀のものとは思えない。

Soba_Hanagumori.jpg


1580年に千利休が、珍品を求め、ゆがみ茶碗を楽焼の楽長次郎に作らせた。
ゆがみを取り入れる傾向は、美濃焼にも受け継がれている。
17世紀(江戸時代)になると、茶道の好みの変化に合わせ、新規の高麗茶碗が多く登場した。

3、17世紀「御所丸茶碗」古田織部の考案のものは、古田高麗とよばれる。
16世紀の大井戸茶碗のシンプルさとは違う趣。
日本から朝鮮に、織部の沓型茶碗のお手本を送って焼かせた。

Gosyomaru_Furuta.jpg

チラシの一番上、白地に黒い模様のは、三井記念美術館蔵の「御所丸茶碗」黒刷毛目。
ちょっと形がひしゃげてるのは、織部ふうだからだろう。

4、御本茶碗 
御本茶碗は、対馬藩が高麗茶碗をもとに贈答用に朝鮮で焼いたもの。軽妙な作行き。
形は大振りの筒型で、少し口が反りかえる

「御本立鶴茶碗」は、三代将軍家光が描いた立つ鶴の図が特徴。
琵琶色の地に白い鶴。将軍家のお正月にふさわしい気品ある作品。

Gohon_Chitose.jpg

5、半使(はんす)茶椀
半使とは朝鮮使節団の通訳のこと。通訳が朝鮮から日本が好む茶碗を対馬藩に持ち帰ったもの。
御本茶碗との区別は難しい。
絵半使割高台茶碗 (藤田美術館蔵)

薄い灰青色、生地もなめらかで薄手。高台に深い割れ目が入っている。

E_Handukai_koudai.jpg


かなりたくさん展示されているので、見応えがあります。
12月1日まで。

展覧会のサイトで、きれいな写真が見れます。


nice!(23)  コメント(5) 
共通テーマ:アート

カミーユ・アンロの生け花 [展覧会(絵以外)]

東京、オペラシティのアートギャラリーで「カミーユ・アンロ 蛇を踏む」という
奇妙なタイトルの展覧会を見た。
カミーユはフランス人の現代アーティスト。ドローイングやイラストレーション
作品も展示されていたが、私が興味を持ったのは、生け花。


草月流の生け花に魅せられたカミーユは、一冊の本の中の言葉に合わせたイメージで
花を活けている。タイトルの「蛇を踏む」も川上弘美の芥川賞受賞作の本の名前。
でも、私は、蛇を好きでないから、その生け花は省略。


1、「お菊さん」1887年 ピエール・ロティ著
フランス人のロティは、海軍士官で日本に2度来日し、鹿鳴館のパーティにも出席した。
「お菊さん」という女性と親しくなり、彼女及び日本について書いた小説である。
「豊富で新鮮な自然は、日本特有の調子を持っていた。山の頂にまで、、」
日本の風景をイメージした生け花。西洋さんざしとアルストロメリア。
アルストロメリアはもっとピンク色だったのだけど。。。

お菊さん.jpg

ゴッホは小説「お菊さん」から日本についての知識を得ていたそうだ。


2、「美しさと哀しみと」川端康成著
「大木を思わせる言葉は数知れずあるだろう。見るもの聞くものが大木につながるのは、
音子が生きていることに他ならないのであった。」 菊、マオ蘭

川端.jpg


3、「源氏物語」 紫式部著
「似つかわしからぬ扇のさまかな」胡蝶蘭、ヤシ、アジアンタムなど
紫式部だから紫?

源氏物語.jpg


4、「闇の奥」ジョセフ・コンラッド著
「これには僕も驚いた。いったいどうしたというのだ」
コンラッドは英国人。植民地コンゴでの経験、アフリカ奥地の暗い闇を書いた。
この本をもとに、映画「地獄の黙示録」はコンゴをヴェトナムに置き換えて作られた。
マオ蘭、はらん    アフリカのイメージの色合い。

コンラッド.jpg


左:5、「しあわせな日々」サミュエル・ベケット著
「でも、そのなかにはほんとうのことは一つもない。どこにも」
ピーチグラス  タケノコのよう。
ベケットは、何回も上演された「ゴドーを待ちながら」の劇作家。不条理が
テーマだったから、この不可解さもそうなのかしら?


右:6、「ドミトリー」 小川洋子著
「死んでいるものしか食べられないと思っていたのよ、あなた」
ミモザアカシア ニューサイラン 観葉植物2種 ドミトリーは寮の意味で、
これはちょっと不思議な小説。

ベケット他.jpg


7、「人間の条件」 ハンナ・アーレント著
「しかし、善への愛から生まれる活動力と知への愛から生まれる活動力とが似てるのは、
ここまでである」
蓮(Indian Lotus)   「ハンナ・アーレント」という映画に感動したので、「おっ!」と思った。
映画は実話に基づいた話で、政治学者アーレントがナチのアイヒマン裁判を見学した時の
こと。「思考をやめたとき、人間はいとも簡単に残虐な行為を行う」「人間は考えることで強くなる」
この言葉は、現在の世界情勢にも当てはまると思った。蓮、、しかも枯れている。。


ハンナアーレント.jpg


8、「オデュッセイア」 ホメロス著 オリーブ、カラー、ぶどう(枝)、スターチス

オデュセイア.jpg


9、「フランス革命史」ジュール・ミシュレ著  ユリ、カーネーション アネモネ

フランス革命.jpg


その日、私が読んでいた本があって、うれしかった。
10、「舟を編む」 三浦しをん著

「犬は動物の犬だけを意味する言葉ではない」 辞書編纂という内容の本なので。
花材が「じゃのめ松、イヌタデ」 犬という言葉が入っていたので、うふっ、だった。

三浦しをん.jpg



このイメージだから、この花ね、とわかりやすいものと難解なものとが混在していた。

別部屋で展示されていたカミーユ・アンロンスタレーション。ユーモアあり~。
作品ドローイング.jpg



nice!(27)  コメント(9) 
共通テーマ:アート

「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部 -美濃の茶陶」展 [展覧会(絵以外)]

 サントリー美術館で「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部 -美濃の茶陶」という
長い名前の展覧会を見た。(11月10日まで)

タイトルから美濃焼の茶器の展覧会かと思うが、サブタイトルに、
「しびれるぜ桃山」と大きく書かれていた。若い人を動員したいのかな。

入ってすぐ、目に付いたのが、三井記念美術館で見た国宝の志野茶碗
銘「卯花墻」(うのはながき)

志野卯花垣.jpg
白い卯の花が咲いている垣根のイメージからついた銘(名前)。
上の縁が赤が全体を引き締める。志野焼は白釉を使った焼き物。
日本で国宝の茶碗は8点だけで、そのうち、国内焼きは2点。これと、
諏訪のサンリツ服部美術館にある本阿弥光悦作「楽焼白片身変茶碗」
銘不二山だけである。
他の6点中、3点は曜変天目で藤田美術館所蔵のをサントリー美術館で
見ることができた。


話がそれたが、同じく志野焼茶碗の名品(重文指定)銘「広沢」
(湯木美術館蔵)もすぐ横にあった。

志野広沢.jpg

広沢と並び比べられることの多い志野茶碗 銘「羽衣」もあった。
羽衣の軽快さ、動きを表現しようとしているのだろうが、私には武骨な
荒々しさに思えてしまう。

志野は赤いものが、多く知られているが、鼠志野というのもある。
鼠志野茶碗「峯紅葉」(五島美術館蔵)
鼠志野_峯紅葉.jpg

同じく鼠志野茶碗「山の端」(根津美術館蔵)

志野茶碗 山の端.jpg


形が変わったものもある。かなり縦長の円筒形。
志野橋文茶碗 「橋姫」 東京国立博物館蔵

志野茶碗 橋姫.jpg


サントリー美術館所属の品中心でなく、名品を借り集めてきているので、
見応えがある。
茶碗が好きなので、志野茶碗ばかり並べてしまったが、皿や鉢もあった。
鼠志野鶺鴒文鉢(重文) 東京国立博物館蔵
鶺鴒(せきれい)の姿がくっきりと浮かび、愛らしい。
鼠志野鵜〇鉢.png


黄瀬戸大根文輪花鉢 相国寺

黄瀬戸_大根模様花鉢.jpg


瀬戸黒の作品は、写真はないが、重厚で、私には楽焼との区別がつかない。
「しびれるぜ桃山」の通り、千利休らによって茶道が完成されたのは桃山時代。
それ以前は、瀬戸茶碗のみだった。

この展覧会に行くまでは、瀬戸(愛知)と美濃(岐阜)を区別できていなかった。
この区別が明確になったのは、昭和になってからで、荒川豊蔵が、岐阜県の古い窯跡から
志野茶碗の陶片を発見したことにより、志野は美濃で焼かれたと判明した。

荒川豊蔵と加藤唐九郎は、古い美濃焼を研究し、桃山の美意識を取り入れた作品を

作った。2人の作品もたくさん展示されていたが、私には桃山時代の名品と区別が
つかないものがいくつもあった。


志野焼より少し後の時代、利休の弟子、古田織部が指導して作らせた織部焼も
たくさん展示されていた。唐三彩の影響をうけた緑の入った色、斬新なデザインで、
織部!とわかりやすいものが多い。

織部州浜形手鉢 桃山時代
これがチラシやポスターに使われていた作品。美しい。

織部.jpg


織部松皮菱形手鉢 北村文華財団
織部松皮菱形手鉢.jpg


サントリー美術館は、この展覧会のあと、リニューアル工事でしばらく休館するそうだ。


nice!(35)  コメント(12) 
共通テーマ:アート
前の6件 | 次の6件 展覧会(絵以外) ブログトップ